03 episode7-3 褐色の荒鷲と暴虐のヒーロー
選手八名が全員計量をパスすると、画面は試合場に切り替えられた。
本日も四つの試合が行われて、放映されるのはその二試合だ。
まずは第二回戦の第一試合――マリア選手と宇留間選手の一戦であった。
プロフィール画像が表示されたのち、昭和ヒーローのお面をかぶった宇留間選手が上半身だけ飛行スタイルで花道を駆け抜ける。
それに続くマリア選手は青いレスラーマスクの姿であったが、普段のように客席には投げ入れずに大人しく脱ぎ捨てていた。
ケージインした両名は、レフェリーの前で向かい合う。
宇留間選手は百七十一センチという長身で、電信柱を思わせる円柱の体形。くっきりとした褐色の肌で、きょろんと目が大きく、ちょっと幼げな顔立ちをしている。
マリア選手は百六十五センチで、さきほどの計量の結果は百三十二・二ポンド、六十キロジャストである。セミロングの黒髪はきっちりと編み込んで、黄褐色の肌は万全のコンディションを示しているかのようにウォームアップの汗できらめいていた。
そして、その表情はどちらもにこやかだ。
無邪気で子供っぽいという意味では、よく似た気質の両者であった。
「そーいえば、赤星の連中はこの沖縄女を前からチェックしてたって話だったよな」
サキがそのような声をあげたので、瓜子は「はい」と応じつつ、事情を知らない他の面々に説明することにした。
「宇留間選手がまだアマ選手だった時代、大江山さんがたまたまアマ大会で出くわして、これは要注意だと思ったらしいです。しかも宇留間選手は《フィスト》の五月大会の勝利者インタビューで、青田さんからベルトを奪って、大怪獣の弥生子さんを退治したいなんて宣言してましたからね」
「だったら赤星の連中は、前々から対策を練ってたってわけだなー。この素っ頓狂な沖縄女をどんな風にやりこめるつもりなのか、お手並み拝見だ」
瓜子もまた大きく興味をかきたてられながら、その一戦を見守ることになった。
グローブタッチを交わした両名は、にこやかな表情のままフェンス際まで引き下がる。
そうして、試合が開始されると――宇留間選手はこれまで通り、スプリンターのごときスタートダッシュを切った。
それを迎え撃つマリア選手は数歩だけ前進しつつ、サイドに逃げようとはしない。そしてその顔には、ジェットコースターを楽しむ子供のような表情が浮かべられていた。
マリア選手が動かないため、宇留間選手は最初の勢いのままにマットを駆け抜けて、跳躍する。
これまでの試合と同様の、アクション映画のごとき跳び蹴りだ。
その長い前足が真っ直ぐのばされるのと同じタイミングで、マリア選手はアウトサイドに飛び跳ねた。
かなりぎりぎりのタイミングで、マリア選手の髪に宇留間選手の蹴り足がかすめる。
そうして宇留間選手は、黒いフェンスを真正面から蹴り抜くことになり――マリア選手は一メートルも離れていない至近距離から、そのさまを見届けることになった。
しかもマリア選手は、宇留間選手の背中側を取っている。
マリア選手はぎりぎりまで相手を引きつけることで、優位なポジションを確保してみせたのだ。
だが、次の瞬間、恐るべきことが起きた。
フェンスを蹴り抜いた宇留間選手が空中で身をひねり、背後のマリア選手にさらなる蹴りを繰り出したのだ。
壁を蹴ってから新たな蹴りを放つ、いわゆる三角蹴りである。
まるで最初からそれを狙っていたかのような、スムーズなる連動だ。
しかし、宇留間選手の左足は、空を切った。
マリア選手が身を屈めて、宇留間選手の蹴り足をかいくぐったのだ。
こちらもまた、三角蹴りを予測していなければ、とうてい可能な芸当ではなかった。
マリア選手は宇留間選手の股下をくぐってから、背後に向きなおる。
いっぽう宇留間選手はマットに着地するなり、すぐさまバックスピンハイキックを繰り出した。
マリア選手はバックステップでそれをかわし、それからすぐに大きく踏み込んで、宇留間選手の軸足へと左ローを繰り出した。
すると、まだ蹴り足が宙にある状態で、宇留間選手は真上に跳躍する。
それでマリア選手の左ローも、あえなく空を切ることになった。
この段階で、時計はまだ十秒も進んでいない。
わずか十秒足らずの間に、飛び蹴り、三角蹴り、バックスピンハイキック、左ローという四種の攻撃が披露されたのだ。
真上に六十センチばかりも跳躍した宇留間選手は、降下の最中に右の前蹴りを繰り出した。
マリア選手は蹴り足を引きながら、スウェーバックでそれを回避する。
そして、宇留間選手に組みつこうという動きを見せたが――宇留間選手は左足一本で着地するなり、後方に跳躍した。
マリア選手がそれを追わなかったため、初めて両者の間に距離ができる。
瓜子はそこで、ようやく息をつくことができた。
これまで『ワオ!』だの『ノー!』だのと叫ぶことしかできていなかったアダム氏も、ようよう熱弁をふるい始める。
『まるで、スタントシーンのごとき攻防です! この時点で、マリア・ハネダが「アクセル・ロード」に相応しい実力を持っていることが証明されました! この後は、いったいどのような激闘が繰り広げられるのでしょう!』
宇留間選手は半身の姿勢で両腕を低く構えつつ、ふーっと大きく息をついている。
それと対峙したマリア選手も両手のガードは胸の高さで、立ち位置は変えないまま両膝の上下運動でリズムを取っていた。
「ちょっとちょっと! ガードが低くない? 沖縄女の攻撃をもらったら、一発でも危ないのに!」
「はん。かといって、腕でガードしても腕が死ぬだけだろ。だったら相手の攻撃は全部かわす覚悟で、視界をよくしたほうがお利巧ってこった」
そういえば、サキも試合ではガードが低いのだ。その腕が顔の高さまで上げられるのは、相手のパンチが届くぐらいの距離に踏み込まれたときのみであり――そして最近のサキは、相手にそこまでの接近を許さないまま試合を終わらせていたのだった。
まあ、フリッカースタイルのアウトファイターであれば、これだけガードを下げることも珍しくはない。マリア選手も歴戦のアウトファイターであることに間違いはないので、このたびはフリッカースタイルを応用しているのだろうと思われた。
ただ、両名は微妙な間合いを保ったまま、どちらも動かない。
一歩でも踏み込めば蹴りが届きそうな、危険な間合いである。とりわけリーチとコンパスで負けているマリア選手には、気を抜けない距離であるはずであった。
(マリア選手は、カウンターを狙ってるの?)
もとよりマリア選手はアウトファイターであるのだから、そのような作戦を取っても不思議はない。特に宇留間選手は攻撃が大振りであるために、本来であればカウンターが有効であるはずなのだ。
宇留間選手は「どうしようかな?」という面持ちで、ひょろりとした身体を前後と左右に揺らしている。
おかしな具合に場が落ち着いてしまったため、次の手を考えあぐねている様子だ。先刻は息もつかせぬ間に十数秒が過ぎ去ったのに、今度はおたがいがアクションを起こさないままゆったりと同じだけの時間が流れ過ぎることになった。
『両者、見合っています! 次はどのようなアクションが展開されるのでしょう?』
アダム氏が視聴者を煽るように、そんなコメントを発したとき――宇留間選手が何の前触れもなく、後方に引き下がった。大技を出すために、助走の距離を作ろうと試みたのだ。
しかしマリア選手は、躍動感に満ちあふれたステップで、同じ距離だけ前進した。それで間合いは、けっきょく変わらないままである。
宇留間選手は小首を傾げつつ、今度は横合いに移動していく。ステップでもすり足でもない、素人のようなベタ足だ。
するとマリア選手は、小刻みのステップでそれを追う。相手と正対する角度をキープしつつ、何としてでも同じ間合いを保とうという心づもりであるのだ。
とたんに、宇留間選手は逆の方向へと駆け始めた。
するとマリア選手は、大きなステップでそれを追った。
結果、両者の位置取りは変わらない。
一歩踏み込めば、蹴りが当たる。そんな間合いが、マリア選手の断固たる意志でキープされていた。
「ここまで露骨にカウンターを狙われたら、さすがに攻めにくいッスよねー。ま、あたしだったら迷わず突っ込んじゃうッスけど」
蝉川日和はそのように言いたてていたが、それは彼女がインファイターであるからだろう。インファイターは至近距離で相手の攻撃を防ぎつつ自分の攻撃を当てるというのが本領であるのだから、そのように考えるのが当然であるのだ。
然して、宇留間選手は――大きく分けるなら、やはりアウトファイターの部類であるのだろう。パンチも組み技も寝技も苦手な彼女は、遠い距離から派手な蹴り技でKOを狙うというのが、ほとんど唯一の勝ち筋であるのだった。
ただそれでも、彼女の無茶苦茶なフォームのパンチが危険な破壊力を有しているということは、前回の試合で証明されている。
同じ調子で膝蹴りでも出されたら、それはパンチよりも危険な攻撃になるはずだ。
しかしマリア選手は絶対的な自信を持って、その場に留まっているように見える。相手が大技を出してきたら、それを回避して、自分の攻撃を成功させる――そんなシンプルな作戦を、愚直に実行しようとしているように思えてならなかった。
そのままさらに十数秒が過ぎ去って、ついに試合時間は一分に到達する。
これが通常の興行であれば、ブーイングでも起きるところだろう。ただこの場ではレフェリーが淡々と『ファイト!』とうながし、解説席のアダム氏が両者のファイトスタイルなどを解説して場をつなぐのみであった。
すると、宇留間選手がひょいっと肩をすくめ――わずかに腰を屈めるや、後ろ向きに走り始めた。
マリア選手はこれまで通り、大きなステップで追いかける。それで間合いを一定に保てるのは、さすがの距離感覚であった。
両名はほとんどケージの中央で対峙していたため、宇留間選手の背後には四メートルばかりの空間が残されている。
しかし宇留間選手は後ろ向きとも思えぬほどの俊足であったので、そんな距離を駆け抜けるのも一瞬だ。
このままでは、背中をフェンスにぶつけるのみである。
そうしたら、得意の大技を出すことさえ難しくなってしまうだろう。
MMAを真面目に稽古してこなかった代償が、ついにこの場で払われるのか――
瓜子がそのように考えたとき、宇留間選手が跳躍した。
後ろに向かって駆けながら、後ろに向かって跳躍したのだ。
フェンスはもう、一メートル足らずの距離に迫っている。
そうして高々と跳躍した宇留間選手は、両足でフェンスを踏みしめた。
そうしてフェンスを蹴り抜いて、ロケットのように正面へと跳んだのだった。
犬飼京菜でもやらないような、馬鹿げたアクションである。
しかし宇留間選手はその身に備わった規格外のフィジカルによって、そんな馬鹿げたアクションを成功させたのだ。
アダム氏が雄叫びをあげる中、宇留間選手は右拳を突き出した。
胴体はほとんどマットと平行になって、本当に飛来しているかのようである。これこそ文字通りの、スーパーマンパンチであった。
マリア選手は大きなステップで追いかけていたため、ずっと一定に保っていた間合いが一瞬で潰されてしまう。
宇留間選手の右拳は、弾丸のごとき勢いでマリア選手の顔面を目指した。
しかし――マリア選手は、回避してみせた。
まるで宇留間選手の飛来の風圧に押し流されたかのように、半身となってその攻撃をかわしてみせたのだ。
マリア選手は、この宇留間選手の馬鹿げたアクションをも予測していたのである。
そうでなければ、これをかわせるわけがない。そんなのは、人間の反応速度を超越しているはずだった。
しかし何にせよ、マリア選手は宇留間選手の攻撃を回避してみせた。
そして、宇留間選手の飛来を横合いに受け流すなり、すぐさまその背中を追っていた。
渾身の攻撃をかわされた宇留間選手は右足でマットに降り立ち、何歩かたたらを踏む。
そうして体勢を整えきる前に、迫りくるマリア選手へと蹴りを繰り出した。馬が後ろ足を振り上げるような挙動である。
しかしそれすらも、マリア選手は予測していた。
そうして宇留間選手の後ろ蹴りを回避して――ほとんど体当たりのような勢いで、相手の背中に組みついたのだった。
両者はもつれあうようにして、正面のフェンスに激突する。
マリア選手はその反動を利用して、おもいきり上体をのけぞらした。
マットを踏みしめていた宇留間選手の足が、引っこ抜かれる。
宇留間選手の長い手足が、もがく虫のように宙をかき――そうして彼女の身は何の受け身も取らないまま、マットに叩きつけられた。プロレスさながらの、ジャーマンスープレックスである。
アダム氏が熱狂して雄叫びをあげる中、マリア選手は倒れ伏した宇留間選手の上にのしかかる。
これで決着がついたなどとは微塵も考えていない、機敏なる動きだ。それでマリア選手は、サイドポジションを確保することになった。
宇留間選手は本当に無事であるのかと、レフェリーが緊迫した面持ちで覗き込む。
その鼻先に、マリア選手の背中が迫った。
こちらでは、灰原選手が「わーっ!」と雄叫びをあげる。
宇留間選手は無事であるどころか、サイドポジションを取られると同時にブリッジをして――その勢いで、マリア選手の身が数十センチも浮かされてしまったのだった。
宇留間選手はごろごろとマットを転がって、横合いのフェンスにぶちあたってから、ぴょこりと身を起こす。
いっぽうマリア選手はマットに尻もちをついたまま、目をぱちくりとさせていた。
両者の距離は、四メートルほど空いている。
すると何を思ったか、宇留間選手はマリア選手に向かって駆け出した。
マリア選手はまだへたり込んだままであったので、これでは攻撃のしようがないだろう。間違って頭でも蹴ってしまったら、反則行為となってしまうのだ。
しかし宇留間選手は、迷うことなく跳躍した。
マリア選手の頭上を跳び越えようという動きだ。
さすがのマリア選手も怯んだ様子で、とっさに頭を抱え込む。
すると――マリア選手の真上に達した瞬間、宇留間選手は右足を振り下ろした。
斧のように振りおろされた右かかとが、マリア選手の左肩に叩き込まれる。
マリア選手は悲痛なうめき声をあげて、そのまま横合いに倒れ込んだ。
マリア選手の左肩を踏み台にした宇留間選手はさらに高々と跳躍し、反対側のフェンス際に着地する。
そして背後のマリア選手に向きなおるや、歌舞伎役者のように見得を切った。
マリア選手はマットに突っ伏したまま、動けない。
おかしな角度でマットに投げ出された左腕は、マネキン人形のようにぴくりともしなかった。
レフェリーは厳粛なる面持ちで、両腕を交差させる。
滅多に歓声をあげない見物人たちが、怒涛の勢いでわきかえっていた。
一ラウンド、二分十五秒、ジャンピング・キックで、チハナ・ウルマのKO勝利――それが、運営陣の裁定であった。
「何これ! あんな技、反則なんじゃないの!?」
「なんでだよ。グラウンド状態でも、頭以外を蹴るのはルールの範囲内だろ。……だからって、こんな馬鹿げた真似をするやつは他にいねーだろうけどな」
そう言って、サキは無造作にのばされた髪をわしゃわしゃとかき回した。
その間に、画面ではフェンスに飛び乗った宇留間選手が笑顔で勝利をアピールしている。さすがに彼女も汗だくの姿で、肩を上下させていたが、その無邪気な笑顔には何の変化も見られなかった。
そして――画面が切り替わり、敗者のインタビューが開始される。
マリア選手は病室の白いベッドに腰かけており、左腕をアームホルダーで固定されていた。
『宇留間選手の蹴りをくらって、左の鎖骨が折れてしまいました。宇留間選手については、以前から研究していたんですけど……まさか、あの状態であんな攻撃を出してくるとは、予想できませんでした』
英語で語るマリア選手の言葉が、字幕で表示されていく。
マリア選手はいつも通りの明朗な笑顔で、その大きな目から涙がこぼされることもなかった。
『それでもわたしは持てる限りの力を尽くしたつもりですので、後悔はありません。せっかく呼んでもらえたのに、一回も勝てないまま帰国するというのは、残念な限りですけど……でも、これがわたしの精一杯です。怪我が治ったらトレーニングを積んで、もっと結果を出せるように頑張ります』
瓜子はそれほど、マリア選手と深い交流を持っていない。ただ、赤星道場の合宿稽古でお世話になっているぐらいで、あとは試合会場や打ち上げの場でわずかばかりに挨拶を交わしたていどである。
しかしそれでも、マリア選手のこんな笑顔を見せられると――涙がにじむのを止めることはできなかった。
「マリアさんって、立派なお人なんスね。あたし、こういうお人は尊敬するッスよ」
蝉川日和は、妙にしみじみとした調子でそのように言っていた。
彼女はつい先日、マリア選手も仲良くしているという二階堂ルミと対戦したばかりであったのだ。
ともあれ――トーナメントの第二回戦は、大波乱の結果で幕を開けることに相成ったのだった。




