02 episode7-2 サブコーチ
各選手のプライベート映像が流された後、画面はトレーニングルームに切り替えられた。
どうやら今回は、番組の終盤で試合がお披露目されるらしい。前回の放映とは正反対の構成である。
まずは、シンガポール陣営のトレーニング風景だ。
そこで、驚くべきことが起きた。
ジョアン選手の指導のもと、四名の選手がトレーニングに励んでいると――思いも寄らない人物が、その場にやってきたのである。
『みなさん、お疲れ様です。調子はいかがですか?』
英語で語られた言葉が、字幕で表示される。
その声の主は、ジョアン選手の妹たるベリーニャ選手に他ならなかった。
そしてそこに、ベリーニャ選手の紹介映像も差し込まれる。
そこで使用されたのは、《アトミック・ガールズ》の無差別級王座決定トーナメントの模様であり、サキが「ちっ」と舌を鳴らすことになった。沙羅選手とサキがベリーニャ選手のサブミッションに敗れる姿が、立て続けに流されることになったのだ。
『《スラッシュ》の無差別級王者であった、ベリーニャ・ジルベルト。《アクセル・ファイト》において待望の女子部門が設立されると知った彼女は、《スラッシュ》の王座を返上して自由の身となった。しかし《スラッシュ》との契約上、一年間は北米のプロモーションに参戦することがかなわず、日本に戦いの場を求めることになり――彼女はそちらで、ユーリ・モモゾノを筆頭とする数々の強豪選手を下すことになったのだった』
締めくくりは、以前にも放映されていたユーリとの一戦だ。
そちらで勝利者コールを受ける様子まで流されてから、画面はトレーニングルームに戻された。
『サブコーチであるベリーニャが到着しました。二回戦目の試合までは、ベリーニャも私とともにみなさんをコーチングします』
ジョアン選手は沈着なる面持ちで、そのように言いたてた。
どうやら選手陣には事前に通達されていたらしく、驚きの表情を浮かべる者はいない。イーハン選手などは、朗らかな笑顔でベリーニャ選手を出迎えていた。
『お会いできて光栄です、ベリーニャ。あなたとのスパーリングを心待ちにしていました』
かつてイーハン選手は、ベリーニャ選手を目標のひとりだと宣言していたのだ。きわめて友好的な笑顔でありながら、イーハン選手の目はまったく笑っていなかった。
しかしまた、そのような目つきに怯むようなベリーニャ選手ではない。ベリーニャ選手は兄にも負けない静謐な面持ちで、『はい』とそちらに向きなおった。
『あなたの試合は、映像で確認しました。主にグラップリングの面で、多少ばかりはお役に立てるかと思います』
『やっぱりあなたにかかっては、わたしのグラップリングもまだまだ穴だらけということですか』
『そういう意味ではないのですが……私はこの身で、ユーリ・ピーチ=ストームの強さを体感していますので』
瓜子は何だか、背筋の寒くなるような思いであった。
よりにもよって、ベリーニャ選手がユーリと対戦するイーハン選手にコーチングを施すというのである。ユーリにとって、これほど厄介なコーチは存在しないはずであった。
(ベリーニャ選手は日本を発つ前に、いつかユーリさんと再戦したいって言ってくれてたけど……でも、こんな場で手心を加えるようなお人じゃないだろうからな)
ベリーニャ選手がそんな志の低い人間であったなら、瓜子のほうこそ失望してしまう。きっとベリーニャ選手は全身全霊で、コーチの役目を果たすのだろう。そのように信じているからこそ、瓜子は寒気を覚えてしまうのだった。
いっぽう、青田ナナは怖いぐらいに気迫をみなぎらせており、マリア選手は期待に瞳を輝かせている。赤星道場の面々がことさらベリーニャ選手を忌避する理由はないはずなので、きっと実力者である彼女のコーチングに期待しているのだろう。
そして、最後のひとりであるヌール選手が、音もなくベリーニャ選手の前に進み出た。
『あなたはシャラ・カモノハシとも対戦経験があるのですよね。彼女には謎めいた部分が多いので、どうかご指導をお願いいたします』
『はい。ですが彼女はこの数年で、飛躍的に実力が向上したように見受けられます。あの個性的なステップワークは、私との対戦時には存在しなかった技術です。……それでも個人の癖というものをなくすのは難しいので、多少ばかりはアドバイスできるかと思います』
実力や実績で言えば、兄たるジョアン選手のほうが上なはずである。
しかし、ベリーニャ選手が陣営に加わったことにより、いっそう脅威が増したように思えてならなかった。
『ところで……少し急な話ですが、私も「アクセル・ロード」の決勝戦が行われる十一月のラスベガス大会に出場することになりました』
ベリーニャ選手のそんな言葉に、イーハン選手がアダム氏のように『ワオ!』と感嘆の声をあげる。
そして画面には、いきなりその大会の告知映像が流され始めた。
『アクセル・ロード シンガポール vs ジャパン』という大会タイトルが英語表記で表示され、卯月選手とジョアン選手の鍛え抜かれた裸身があらわにされる。
それと同じように男子選手の姿が何組かお披露目されたのち、最後にベリーニャ選手と対戦相手の姿が映し出された。
『女子最強の選手と名高いベリーニャ・ジルベルトが、ついに参戦! 迎え撃つは女子バンタム級の強豪、パット・アップルビー! 規格外のパワーで王者アメリアを苦しめたパットは、ジルベルト柔術の申し子たるベリーニャをねじ伏せることができるのか!』
英語の荒々しいアナウンスが、日本語字幕で表示される。
そしてこちらでは、メイが感情を押し殺した声で補足説明をしてくれた。
「パット・アップルビー、アメリア・テイラーの二回目の防衛戦の対戦相手。結果は、アメリア・テイラーの一ラウンドTKO勝利だったけど……これまでの対戦相手で唯一、アメリア・テイラーにパワー負けしない選手だった」
「つまり、《アクセル・ファイト》のまごうことなきトップコンテンダーってわけだなー。運営の連中は、柔術女にそれだけの期待をかけてるってわけだ」
「うん。ベリーニャ・ジルベルト、これに勝てば、すぐにタイトルマッチ、組まれるかもしれない」
『アクセル・ロード』の決勝戦が行われる大会で、そんなビッグマッチが組まれることになったのだ。
もちろん瓜子にとっては、『アクセル・ロード』の決勝戦より気にかかる試合など存在しなかったが――しかし、ベリーニャ選手がついに《アクセル・ファイト》でデビューするのかと思うと、血が躍ってならなかった。
(それじゃあ決勝進出すれば、ベリーニャ選手と同じ日に同じ場所で試合ができるってことだ。……ユーリさんは、そんな話をもう知ってるのかなぁ)
瓜子がそんな風に思案している間に、画面はトレーニングルームに戻された。
ベリーニャ選手はこれまでと同じく沈着な面持ちで、イーハン選手がひたすら朗らかな笑みを振りまいている。
『《アクセル・ファイト》のデビュー、おめでとうございます。わたしは必ず決勝戦まで勝ち進んで、あなたの試合を肉眼で見届けてみせますよ』
『はい。ユーリ・ピーチ=ストームは強敵ですので、どうか頑張ってください。それでは、稽古を開始しましょう』
そうしてベリーニャ選手によるグラップリングの指導のさまがしばし流されたのち、日本陣営のトレーニングルームに切り替えられる。
そちらにサブコーチとして登場したのは、なんと《アクセル・ファイト》の女子バンタム級王者アメリア選手であった。
『ナナ・アオタはシンガポール陣営に移籍したそうだね。余計な確執が生まれないで、何よりだったよ』
一見、無邪気に思えるような笑顔で、アメリア選手はそのように言いたてていた。
金髪碧眼でむっちりとした肉厚の体格の、いかにも陽気そうな白人女性である。青田ナナと試合をした際にはもっと筋肉質の印象であったが、今は試合を控えていないらしく、ラッシュガードとハーフスパッツに包まれたその身体はぱんと肉が張り詰めているように思えた。
そして画面には、青田ナナとの試合模様が映し出される。
青田ナナに猛ラッシュを仕掛ける彼女は、打って変わって鬼の形相であった。
『《アクセル・ファイト》女子バンタム級王者、アメリア・テイラー。女子バンタム級の設立以来、無敗の戦績を誇る絶対王者である。この二年半で五回の防衛を果たした彼女は、好敵手の存在に飢えていた』
そんなナレーションの後、アメリア選手の朗らかな笑顔に戻される。
『ここ最近、わたしの対戦相手に相応しい選手が見当たらないんでね。わたしとの試合を盛り上げてくれるような選手がこの『アクセル・ロード』で生まれることを期待しているよ』
『ということで、今日からは彼女がサブコーチを務めてくれることになりました。彼女はレスリングで確かな実績を残していますし、そのフィジカルに裏打ちされた打撃技も強烈です。世界のトップである彼女の指導を受けることは、みなさんにとって大きな糧になることでしょう』
卯月選手は相変わらず内心の読めない無表情で、そんな風に語っていた。
そしてこちらでは、灰原選手が「うーん」と腕を組んでいる。
「なんかこいつ、にこにこ笑ってるけど、あんまりいい感じがしないなー。シンガポールのイーハンとかロレッタとかと同類なんじゃないのー?」
「同類ッスか? 灰原さんはそのお人らを、どういうタイプでひとくくりにしてるんです?」
「笑ってるのは上っ面だけで、人を見下してるような感じがしない? なんか、目つきが気に食わないんだよねー」
灰原選手の言う通り、瓜子もアメリア選手にはあまりいい印象を抱いていなかった。表情はとてもにこやかであるのに、その青い目にはずっと探るような光がたたえられているように思えてしまうのだ。
『……あなた、ユーリ・モモゾノだったっけ? 一回戦目ではずいぶん苦戦してたみたいだけど、以前にはベリーニャ・ジルベルトと判定までもつれこんだんでしょ? あなたはそんなに大したグラップラーなのかなぁ?』
と、アメリア選手の穏やかならざる目が、ユーリのほうに突きつけられた。
『よかったら、わたしとスパーしてみない? ベリーニャ・ジルベルトをうならせるほどのグラップリング・テクニックってやつを、わたしにも味わわさせてよ』
『ほえ? ユーリなんかとスパーをしていただけるのでしたら、もちろん願ったりかなったりですけれども……』
ユーリに期待の視線を向けられた卯月選手は、しばし思案してから『いいでしょう』と応じた。
『三分一ラウンド、膝をついた状態でのグラップリング・スパーということにしましょう。もちろん、打撃技は禁止です』
『ありがとう』と答えるなり、アメリア選手はその場にひざまずいた。
ユーリはいそいそとそちらに移動して、アメリア選手と向かい合う。そうすると、両者は十キロ以上も体重差があるのではないかと思えるぐらい、体格が違っていた。
「なんだよ、この馬鹿でけーカラダは? このアメリカ女、余裕で七十キロを超えてんじゃねーのか?」
「えー? だけどこいつって、バンタム級の王者でしょ? だったらリミットは、六十一キロじゃん!」
「ま、北米では十キロぐれーリカバリーするヤツも多いけどよ。こんなもん、野郎を相手にするのと変わらねーな」
灰原選手とサキの会話で、瓜子はいっそうの不安をつのらせてしまう。
しかしまあ――ユーリは男子選手とのスパーでも、なかなか後れを取ることはないのだ。立ち技ではなく寝技のスパーであるのなら、ユーリの底力に期待するしかなかった。
多賀崎選手はいくぶん心配そうに、宇留間選手は関心なさそうに、沙羅選手は興味津々で両名の対峙を見守っている。
そんな中、卯月選手は淡々と『スタート』の声をあげた。
マットに膝をついた両名は、まずは尋常に差し手争いに興じる。
が、ユーリの腕を強引にはねのけるや、アメリア選手は凄まじい勢いで胴体に組みついた。
パワーのみならず、タイミングも秀逸であったのだろう。ユーリはなすすべもなく、マットに押し倒されてしまった。
ユーリはすかさず相手の足をはさみこもうとしたが、アメリア選手はすぐさまサイドに回り込んでしまう。その大柄な肉体からは想像もつかないような、機敏な動きである。
開始わずか数秒で、アメリア選手のサイドポジションだ。
そうしてアメリア選手は、ニーオンザベリーのポジションに移行しようという動きを見せかけたが――とたんにユーリが暴れ始めたので、慌てて身を伏せることになった。
先日の試合ではエイミー選手を苦しめた、水揚げされたマグロのごとき暴れっぷりである。
スイープを仕掛けられないようなポジションにあるとき、ユーリはそうして大暴れするのが常であった。
アメリア選手はユーリの上にべったりと覆いかぶさって、なんとかポジションをキープしようとする。
が、ユーリはまったく大人しくならなかった。百キロ前後のウェイトである大和源五郎やグティですら、ユーリを相手にポジションをキープするのはひと苦労であるのだ。ユーリがブリッジをするたびにアメリア選手の身は浮き上がり、今にも獲物を逃がしてしまいそうであった。
「はん。こいつは、弾き返せるな。乳牛の怪力に度肝を抜かれて、完全に体重を預けちまってるじゃねーか」
サキは小馬鹿にした様子で、そのように言いたてた。
ユーリを相手にポジションキープを試みるには、その躍動を空振りさせるだけの隙間を確保しつつ、別なるポイントで重心を安定させなければならないのだ。アメリア選手がレスリング巧者であるならば、そのていどのことは百も承知であるはずだが――今は心を乱されて、ただべったりと体重を預けているばかりであった。
このままでは、数秒と待たずに逃げられてしまうだろう。
それでアメリア選手が選んだのは、あえてハーフポジションに戻るという一手であった。それは相手にとって有利になるポジションへの逆行に他ならなかったが、ただポジションキープという観点だけで見れば、サイドポジションよりは安定させやすいのだ。
そうしてアメリア選手が左足をユーリの下半身にのばすと、ユーリは待ってましたとばかりにそれを両足でくわえこむ。
ここからは、大暴れではなくスイープのチャレンジである。ユーリは上下をひっくり返すために、あの手この手でアメリア選手を攻めたてた。
アメリア選手は上体を起こしたり、また伏せたり、取られかけた腕を振りほどいたり、フルガードに戻そうとする足の動きを跳ね返したりと、防戦一方である。ユーリのスイープの仕掛けというのは、これまでの大暴れに匹敵するほどの躍動感で行使されるのだ。
『ええぞええぞ。チャンピオン様か何か知らんが、先にタップを奪ったれや』
画面の外から、沙羅選手の笑いを含んだ声が飛ばされてくる。
そんな中、ユーリはアメリア選手の懐に潜り込もうとした。
肘打ちが禁止のグラップリングであれば、有効な手立てである。ユーリなら、そこから相手の脇をくぐって背後に回り込むことも容易であるはずだった。
すると――その瞬間、アメリア選手の眉間に深い皺が刻まれた。
試合の際のような、鬼の形相に成り果てたのだ。
そうして彼女は、強引にユーリの身をマットに押し返し――そのこめかみに、右肘を叩きつけたのだった。
『……ストップです』
卯月選手の強靭な腕が、アメリア選手の身体をユーリのもとから引き剥がした。
我を失う瓜子の前で、ユーリは『あうう』とのたうち回っている。そこに多賀崎選手が、『大丈夫か!?』と駆けつけた。
『ちょっと暴れないで、頭を見せてみな。……うん、出血はしてないみたいだね』
『どたまに肘打ちを食ろうたら、内出血のほうが怖いやろ。グラップリング・スパーでエルボーを振るうたあ、どないな了見やねん?』
沙羅選手もにやにやと笑いながら、画面に割り込んでくる。ただその切れ長の目には、はっきりと怒りの火が燃えていた。
そして、卯月選手の腕から解放されたアメリア選手は――『ごめんなさい!』と悲鳴まじりの声をあげる。実際に放たれたのは、『Sorry!』という英語だ。
『そちらの頭を前腕で固定しようと思ったら、つい肘が当たってしまいました! ユーリ・モモゾノ、大丈夫ですか?』
さきほどまでのぞんざいな言葉づかいが、丁寧な言葉に変化している。
ただ彼女が実際に発しているのは英語であるので、そのようなものは日本語字幕をつける訳者しだいであった。
『あいててて……はい、ユーリは大丈夫ですぅ。予期せぬショーゲキであったので、びっくらこいちゃいましたぁ』
ユーリはこめかみを撫でさすりながら、にぱっと笑う。
アメリア選手は申し訳なさそうな面持ちで、ほっと息をついていた。
『……たとえ今のが不慮の事故であったとしても、アメリア選手が冷静さを失っていたのは事実でしょう。トレーニングを再開させる前に、頭をクールダウンしていただきたく思います』
卯月選手がそのように告げると、アメリア選手は悄然とうなずいた。
『わたしはしばらくオフであったので、力加減が甘くなっているようです。同じ失敗を繰り返さないように、しっかり調整しようと思います』
その言葉も表情も、別人のように殊勝になっている。
ただ――その青い瞳にきらめくのは、苛立ちの光であるように思えてならなかった。
『《アクセル・ファイト》王者のアメリア・テイラーを、たとえ一瞬でも本気にさせたユーリ・モモゾノ。彼女の真価が問われるのは、これからのことである』
そんなナレーションとともに、トレーニング風景のお披露目は終了する。
そうして画面が計量の場に移されると、サキは「はん」と鼻を鳴らした。
「こいつはどうやら台本じゃなく、本物のアクシデントを演出に利用したみてーだな。まったく、ロクでもねーアメリカ女だぜ」
「ホントだよねー! コーチなんて、卯月センセーだけで十分だよ! マコっちゃんがおかしな目にあってないか、心配だなー!」
そうして灰原選手たちが騒いでいると、メイがこっそり瓜子に「大丈夫?」と呼びかけてきた。
「ええ、大丈夫です。……でも、気持ちはサキさんや灰原選手と一緒っすよ」
「うん。だけど、ユーリの力、証明されたように思う。たぶん、ユーリの力……《アクセル・ファイト》の王者にも、届く」
瓜子がそちらを振り返ると、メイは予想以上に真剣な眼差しになっていた。
瓜子はふっと息をついてから、メイに笑いかけてみせる。
「でもその前に、まずは二回戦目ですね。まあ、その放映は来週なんですけど」
メイは「うん」とうなずいてから、画面のほうに向きなおった。
瓜子もそちらに視線を戻すと、色香あふるるビキニ姿のユーリが体重計の上でピースサインを作っている。これはもう試合の前日であるはずだが、トレーニング中のダメージなどはいっさい残されていない様子であった。




