第3話 『名前』
「よし、もう一回聞くぞ。君の出身地と年齢は?」
薄暗い地下牢にそう問いかける男の声がこだまする。
だがその声にはどこか呆れと諦めを感じる。
そして、その問いに対して先ほどから全く同じ答えを返しているのがこの少年だ。
「ですから、分からないと言ってるでしょう?この質問何回目ですか?」
サエルもこの質問には流石にうんざりしてきた。
それに嘘は言っていない……はずだ。というか、正直に答えたところでますます疑われるのが目に見えている。出身地が天界で、歳は正確には覚えていないが数百歳。地界の人間からしたらふざけているとしか思われないだろう。ちなみに人間から見るとサエルは16歳くらいの少年に見えるらしい。
「なー、頼むよサエルくん。俺もそろそろ疲れてきたぞ」
「疲れてるのはこっちもですよ。本当に知らないんですって」
この衛兵、名をジャスパンと言うらしいが彼とは話す中で随分と仲良くなった。
まあ、仲良くなったきっかけが尋問というのは少し解せないが。
「まったく、本当にサエルくんは謎すぎるよ。分からないことが多すぎるし、身なりもそうだ。その服は教会で着られているものに似ているがデザインが少し違う。それにその右腕につけている金のリング。どっかの坊ちゃんだったりする?」
確かにサエルの服装は真っ白でサラサラした手触りの布で作られており、デザインは教会で聖職者や特別な信徒が着るようなものと酷似している。だが、これは天使が普段から着ているものなのでなんとも言えない。そして、右腕につけている金のリングは天使の身分証明書のようなものだ。リングの内側には地界の者には読めない字で階級と名前が刻印されている。
ちなみに、一度このリングが盗品なのかと疑われたが、母の形見ということにしておいた。まあ、その後ジャスパンに母の名前を聞かれ「分からない」と答えた結果、彼が肩を落としたのはまた別の話である。
「もし本当に僕がどこかの坊ちゃんなら、こんな薄暗い地下牢で尋問されるのが嫌で全部話していると思うのですが」
「はは、違いねえ」
そう言ってジャスパンは苦笑するのだった。
「まあ、とりあえず分かっていることだけでも上官に報告してくるよ。ついでにサエルくんの飯も何か適当に持ってくる。ちょっと待っててくれ」
「ありがとう。感謝するよ。———あ!それともう一つ聞きたいことがあったんだ」
「なんだ?俺に分かることなら答えてやるよ」
ジャスパンはサエルに呼び止められ、扉に手をかけたまま振り向いた。
サエルがどうしても聞きたかったこと。それは、彼が堕天使になったきっかけでもあることだった。サエルはこれだけは聞いておきたいと思っていたのだ。
「彼女の、あの王族の席にいた少女の名前を教えてほしい!」
それは、彼が恋に堕ちた相手。
天使であったサエルが『特別』と思ったその少女の名を聞きたかったのだ。
聞かれたジャスパンは一瞬疑問に思ったものの、答えた。
「ああ、リリアナ様だよ。リリアナ・ラン・エウロア様この国の王女様だよ」
「へー、リリアナ。リリアナか。うんうん、覚えた」
「なんだ?リリアナ様がどうかしたのか?」
「いや、ただ名前が知りたかっただけだよ」
「ふーん、そうか。じゃ、行ってくる」
そう言ってジャスパンは地下牢を出て行ったのだった。
◇◇◇
———〈天界〉———
天界の巨大な雲に建つ純白の城『大神殿』。
様々な階級の天使たちが集まるこの城の頂上に近い部屋の一角で3人の天使が丸い机を囲んでいた。
「全く、急に緊急招集とは。少しは年寄りを労って欲しいものだよ」
そう言いながら椅子に深く腰掛け、ぼやいている老天使。
背中からは4つの翼が生えており、左目にはモノクルが掛かっている。
《智天使》:ケルブ・オファニエル
英知と知識を司る天界の番人だ。
「はっ、何が年寄りだ。ここに集う者は全員が老体だ」
そう返すのは細身の老天使。左手には教典らしきものを持っている。
《座天使》:トロウンズ・ガルガリン
信仰を地界に広める天界の布教者である。
「あいつはまだ来ておらんのか?」
「ああ、呼んだ本人が最後とは笑える話よ」
二人がそんな他愛のない話をしていると、ガチャという扉の開く音が聞こえた。
その扉は3メートルもあるほどの大扉で左右には扉を開ける天使がいる。
そして、開かれた扉を通り入ってきたのは6つの翼を持った大きな老天使だった。
「待たせたな」
「おう、来よったな。遅いぞルシファーよ」
《熾天使》:ルシファー・メタロトン
『神』から神命を授かる天界の最上位天使である。
ルシファーが席につくと大扉は閉じられた。
そして、静まり返った部屋にルシファーの声が通る。
「では、会議を始めるとしよう。議題は———堕天使の出現についてだ」
「———!」
「…………」
熾天使、智天使、座天使。
第1階層天使と呼ばれる天界の上位天使たちの会議が今、静かに開かれたである。




