第二章 金星(4)
「お邪魔します……」
玄関に入るとき、俺は小さな声でそう言った。そして、礼儀の範囲内で、家の間取りを少し観察した。
玄関から入るとまずベランダに出て、そこから網戸とガラス戸を組み合わせた扉を通ると、端月の家のリビングに着く。
俺はベランダで靴を脱ぎ、それから自分の靴を拾い上げ、出入りの邪魔にならない場所にきちんと並べた。
端月は自分の靴を靴箱の上に置き、それを終えると、俺たちは一緒に天井の照明が点いているリビングへ入った。
「端月、先に風呂に入ってきなさい。ガスを点けるのを忘れないようにな」
端月が上着を脱ぐとき、端月の父親もコートをテレビ台のそばにあるハンガーラックに掛けながら、そう言った。
端月は少し心配そうに俺を見つめ、俺は彼女に頷き、それから手を伸ばしてそっと彼女の頭を撫でた。
端月は普段、人に頭を触られるのが好きではない。髪が乱れるからだと言っている。でも、今は大丈夫だろう?
この動作のおかげで、端月は少しだけ落ち着いたようだった。彼女は「すぐにお風呂から出てくるね」と言いたげな目で俺を見つめ、俺がもう一度彼女の手を撫でると、ようやく素直に自分の部屋へ戻って風呂の準備を始めた。
「座りなさい。この時期でも冷たいものは飲めるか?」
おじさんはリビングのそばにある家庭用の冷蔵庫へ向かいながら、俺に尋ねた。俺は動きを抑えてソファに座り、それから答えた。
「はい、俺は大丈夫です」
端月の父親は冷蔵庫から大容量のウーロン茶を一本取り出し、続いて来客用の紙コップと自分のマグカップを用意すると、ウーロン茶の蓋を開け、中身をゴクゴクとコップに注いだ。
「……ありがとうございます」
彼は紙コップを俺の目の前にあるローテーブルへ置き、自分もソファに座って、冷たいウーロン茶を飲み始めた。
俺は紙コップを手に取り、その上から伝わってくる冷たい感触を感じながら、ゆっくり一口飲んで喉を潤した。
「今日は、どうして彼女を送ってきたんだ?」
おじさんはリビングのそばにある家庭用の冷蔵庫へ向かいながら、俺に尋ねた。俺は動きを抑えてソファに座り、それから答えた。は上着の下に着ているシャツの襟の一番上のボタンを外し、それから左手首に着けていた腕時計を外してテーブルの上に置いた。俺はゆっくり紙コップを置き、頭を素早く働かせたが、最後にはずいぶん淡々とした言葉を口にした。
「今夜、俺たちの学科でバーベキューのイベントがあったんです。それで、端月が一人で帰るのは少し危ないと思って……以前、俺たち二人で外にいて遅くなったときも、俺が彼女を家まで送っていました。ただ、普段は住宅街の外まで送るだけで、今日実際に家の中まで入ってお邪魔するのは、これが初めてです」
俺はこの一連の言葉を言い終えると、思わずおじさんを見た。彼は考え込むように再び自分のコップを手に取り、一口飲んだ。
しばらくして、彼は続けた。
「そうか……それじゃあ、君は端月のどこが好きなんだ?」
おじさんがこの質問をするとき、俺の目をまっすぐ見つめていた。彼と目が合うと、俺は少し視線を落とした。しばらく考えてから、もう一度彼を見て言った。
「高校生の頃、俺の家で少し出来事があって……父さんが家を離れて田舎へ戻り、残った俺と母さんと弟の三人で暮らしていました。あの頃、俺は少しプレッシャーを感じていて……でも、学校に来て、あなたの娘さん──端月に会うと、いつも安心できるような気がしたんです。俺たち二人には、どこか似ているところがあるんだと感じていました。ただ、それだけじゃありません」
俺は一秒ほど言葉を止め、頭の中に高校時代の端月を思い浮かべた。今日、学科のバーベキューに参加したときと同じ、制服姿だった。
「端月はすごく優しい性格で、何かをするときはいつも人のことを考えています。それに、成績もずっと良くて、いつも一生懸命頑張っているのが分かりましたし、授業中もすごく真面目でした。高校一年生の頃は、ただ可愛いと思っていただけでした。でも高校二年生になると、彼女と関わることが楽しく感じられて、いつの間にか惹かれていました。
そして大学に入った初日、端月が自分から俺に告白してくるなんて思っていませんでした……でも、あのときの俺は、家庭の事情と自分自身の弱さから、彼女の告白を断ってしまいました……でも、彼女はその答えを受け入れず、まずは二人で付き合ってみたいと言ってくれたんです」
そうだ。あの日、端月が告白してくれた光景は今でも俺の頭の中に刻まれている。思い出すたびに、少しの緊張と、それ以上の温かさを感じる。
俺は思わず口元を少し緩め、それから続けた。
「彼女が言ってくれた言葉のおかげで、俺は自分がずっと逃げていたことに気づきました。自分の気持ちから逃げて、同時に彼女の気持ちにも向き合っていなかったんです。だから……俺はもう一度彼女に告白して、好きだと伝えて、二人で付き合いたいと言いました。それで……俺たちは付き合い始めました」
俺は思わず拳を握り、それから続けた。
「彼女と一緒にいると、俺はすごく幸せです。俺は彼女にもずっと楽しく、幸せでいてほしいと思っています。もちろん、この世界で何もかもがそんなに順調にいくわけじゃないことは分かっています。でも、俺は彼女の彼氏として、彼女の恋人として……頼れる男として彼女を支え、守りたいと思っています。もし……あなたが俺の考えと覚悟を確かめようとしているのであれば、これが今の俺にできる答えです」
俺はおじさんの目を見つめ、この覚悟を彼に伝えたいと思った。そしておじさんも視線を逸らさず、正面から俺の眼差しを受け止めていた。
数秒が経った後、彼はもう一口お茶を飲み、それからゆっくりと口を開いた。
「分かった……そこまで言うのなら、しばらく彼女を君に預けよう」
そう言うと、おじさんはテレビ台の上に置かれた一枚の写真を見た。写真には三人の笑顔が映っていた。
「……彼女の母親のことは知っているか?」
「はい、端月から少し聞いています。でも、詳しいことはまだ分かりません」
それを聞くと、おじさんは頷き、「じゃあ、時間があるときにまた話そう」と答えた。
続いて、彼は別の話題に変えた。
「君たちがあれをするとき、安全対策はちゃんとしているのか?」
え……? あまりにも突然その言葉が来たため、俺は一瞬、頭が止まったような錯覚を覚えた。
俺は硬直したまま口を開き、それから言った。
「お、俺たちはまだそういうことはしていません……で、でも、あれをする前には、必要なものを必ずちゃんと準備しておくと約束できます」
答え終えると、さっき置いたばかりの紙コップが自分から少し遠くにあるようにさえ感じ、腕が硬直して動かしにくかった。
おじさんは「うん」とも「むう」とも聞こえるような唸り声を漏らし、最後に一言言った。
「その意識があるならいい。将来、本当にそういうことが起きたときも、自分で言った通りにやってほしい」
「は、はい。必ずそうします」
約束をした後、俺はようやく紙コップを手に取り、さらに何口か飲んだが、中にはもうお茶が残っていなかった。
俺はおじさんの様子を少し観察すると、彼もほかに話すことはなさそうだったので、こう言った。
「それでは、もう時間も遅いので、俺もそろそろ帰ろうと思います。お二人の休む時間を邪魔してしまってはいけないので」
「もう帰るのか?」
「はい。俺から端月にメッセージアプリで伝えておきます。今夜はごちそうさまでした。これからもよろしくお願いします」
俺はおじさんに頭を下げ、それから立ち上がった。おじさんも俺に合わせて立ち上がった。俺が上着を手に取ると、彼は俺が靴を履いている隙に、俺の後ろにある玄関の扉を開けてくれた。
「おじさん、さようなら」
玄関を出た後、俺は玄関前にいるおじさんにもう一度別れを告げた。彼は低い声で「またな」と返したが、一秒も経たないうちに続けて「ああ、ちょっと待ちなさい」と言い、俺にメッセージアプリの連絡先を追加させた。
無事に連絡先を交換した後、俺は一人でエレベーターに乗って下へ降り、中庭の池を回り、管理人のおばさんに手伝ってもらって住宅街の門を出た。駅まで歩き、地下鉄に乗ってから、ようやく少しだけ緊張が解けたように感じた。
そのとき、スマートフォンが振動した。
端月からのメッセージだった。
『どうして帰っちゃったの……? 帰る前に何も言ってくれなかったじゃん』
『お父さんのほうは……大丈夫だった?』
俺には、端月の可愛らしい顔に、少しの不満と恥ずかしさ、そして心配が入り混じった表情が浮かんでいるように思えた。
俺は文字を打った後、以下のメッセージを送信した。
『たぶん、順調だった……かな?』
『君のお父さんとも連絡先を交換したよ』
『これなら、とりあえず合格ってことかな』
『そういえば、君のお父さんに、俺たちがエッチなことをする前に、ちゃんと避妊しているのかって聞かれたよ。ちゃんと準備すると言ったから、今度俺たちで証明してあげよう』
『端月、俺は君が好きだ』
『たとえ君のお父さんでも、もし信じてもらえないのなら、俺はずっと、繋 端月が好きだ、絶対に君をちゃんと守るから、安心して俺に任せてくださいって伝えるよ。俺に何度も言われ続けたら、きっと俺の言葉を信じてくれるようになるよ』
『だから、心配しなくていいよ』
この一連のメッセージを打った後、画面には次々と既読の表示が浮かんでいたが、端月はすぐには返事をせず、俺が彼女に伝えたい言葉をすべて打ち終えるのを待っていた。
俺はひとまずスマートフォンを置き、列車内に表示されている次の駅を示す電子矢印をぼんやりと眺めていた。その間、新しいメッセージを受信するたびに、何度も振動した。
しばらくして、俺は再びチャット画面を開き、端月の文章に思わず微笑んだ。
『順調だったならよかった』
『また変なこと言ってる……』
『あなたともっと親しくなりたいとは思っているけど、証明する機会はあげたくない。私たちはまだあれをしちゃダメだよ……?』
『うん、私もあなたが好きだよ、逐幸』
『ありがとう』
『ありがとう……こんなに私のことを好きでいてくれて』
『ありがとう、私を安心させてくれて』
『あなたが私のそばにいてくれると、私はずっと、幸せだって思えるよ』
メッセージを読み終えると、俺の胸はたちまち温かな感情で満たされた。
俺は大きく息を吸い、耳元におじさんへした約束が蘇った。
自分の口で立てた誓いを、ずっと心に刻んでおきたいと思った。




