第三章 明月(3)
最後の授業の終わりを告げる鐘が鳴り、クラスメートたちは次々と立ち上がって教室を出ていく。
俺はノートを鞄にしまったが、ノートに書かれている内容は、スライドに書かれた要点をただ書き写しただけで、内容などまったく頭に入っていないことをよく分かっていた。
端月と教室の後方で合流した後、俺たちは手を繋いで外の廊下へ向かった。
五時頃の空はすでに海水のような深い青色を呈しており、太陽が沈む場所の近くだけが、まだ明るい橙黄色を残していた。
教室を出て快適なエアコンから離れると、まるで夏の名残のような蒸し暑い空気に、背中から汗が滲み始める。
「夕飯を食べる前に、ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いい? すぐ着くから」
端月のオルゴールのような爽やかな声が耳元に響いた。彼女がそう言うのなら、俺にも断る理由はなく、そのまま端月に手を引かれて前へ進んでいった。
なんというか……俺はいつも彼女に連れて行かれているような気がする。
──どうしたの?
端月はまるでそう言っているかのような目でこちらを見てきたので、俺は首を横に振り、繋いだ手に力を込めた。
彼女は嫌がるように僅かに腕を揺らしたかと思うと、続けて身体を俺のほうへそっと近づけた。
俺たちは廊下をまっすぐ進み、階段のところまで来ると二階分下りた。俺たちが授業を受けていた教室は五階にあり、ここは三階だ。
端月はそのまま下へ進むことはせず、反対側の角へと歩いていった。
この角は短時間休憩できる場所として整備されている。木製のテーブルが二、三台設置され、それに対応する椅子もあり、確か語文系がよく利用している場所だった。
「逐幸、ここで話そう。授業中に少し考えてみたんだけど、話し終わってからご飯を食べに行ったほうがいいと思うの。どうかな?」
え……え?
正直、この提案は俺の予想外だった。だが、考えてみれば、確かにその通りだ。
端月の立場からすれば、食卓で食事をする前に俺から真剣な話をされたら、話し終えた後、お互いに気楽な気持ちで食事をするのは難しいかもしれないし、食事の後に話すとなると、その間ずっと気もそぞろになってしまい、余計に気になってしまうだろう。
俺は突然、自分が相手のことをまったく考えていなかったことに気づき、申し訳ない気持ちになった。
「うん、そのほうが確かにいいね。ありがとう」
端月は先にベンチの奥へ腰を下ろした。俺は彼女の向かい側に座ろうと思ったが、端月はいつまで経っても繋いだ俺の手を離さず、俺を自分の隣へと導いた。
「隣に座ったほうが話しやすいと思うし、それにこうすればあなたの体温も感じられるから」
端月はそっと言った。彼女の言葉は淡々としていたが、その声の裏側には、僅かな恥じらいと少しの不安が含まれているように感じた。
「今はまだ夏の範疇と言っていいよね。季節はもう秋に入っているけど。もし暑いなら、少し離れて座ってもいいよ」
「残念ながら、電気代を節約するために、家ではほとんど扇風機しかつけないから、暑さにはかなり強いんだ」
「うちもそうだよ」
そんな冗談を交わしたことで、俺たちは二人とも小さく笑った。お互いに少しだけ肩の力が抜けた。
端月は手を伸ばし、テーブルの上にあるデスクライトの紐を引いた。すると、少しベージュがかったシェードが中の電球によってすぐに照らされ、明るい光を放った。
「えっと……その……」
俺は話し始めようとしたが、話題を口に出しかけたところで、また飲み込んでしまった。
端月は静かに待っていたが、俺はまた同じことを繰り返してしまい、ただ二人でいる時間を無駄に消耗させていた。
そのとき、端月が口を開いた。
「逐幸」
俺は少し驚いたが、それでも恋人の顔へ振り向くことができなかった。
「私たちが付き合った日のこと、覚えてる?」
まるであの日──短くも長かった十数分間を思い出すかのように。
端月は数秒間の空白を残し、俺の脳裏にもあの日の光景が浮かんだ。そして彼女は優しい口調で言った。
「あなたは、クリエイターは安定した恋愛関係を維持できないから、私とは付き合えないって言ったよね。それで私は、実際に付き合って証明してみて、本当にあなたの言う通りになるのか確かめようって言った」
端月は今も繋いだままの俺の手を握り締め、続けて言った。
「今でも、あなたがあのとき言ったことが正しいとは思っていないよ。私は自分の気持ちを信じているし、それに……私たち二人が、お互いを信頼して、努力して話し合って、相手を理解しようとすることができれば、たとえ問題や困難に遭遇したとしても、きっと、絶対に、乗り越えられないことなんて何もないと思ってる。
でも、それが前提なの。大事なときにはちゃんと口に出すこと。何かあったり、疑問に思ったりしたら、まずは話してみること。私は、ごく一部のことを除けば、そんなに大きな反応はしないと思ってる。
逐幸が何を話したいのか、何を怖がっているのかは分からないけど、私が一番怖いのは、あなたがそれを理由に私を怖がって、最後には私と距離を置くことを選んでしまうこと。私は……私たちの関係が、そんなふうになってしまうのは嫌なの」
彼女の手のひらが震えているのを感じた。かすかな呼吸音さえも、次の瞬間にはすすり泣く声へと変わってしまいそうだった。
彼女の言う通りだ。
口に出さなければ、何も始まらない。ただ彼女を不安にさせるだけだ。
それに──これはただ、自分が逃げ続ける時間を引き延ばしているだけにすぎない。
旭 逐幸……お前は世界一のクリエイターになることを目指しているんじゃないのか?
一人のクリエイターとして、自分の気持ちすら自分に一番近い恋人に伝えられないのなら、何が世界一のクリエイターになりたいだ!
俺は大きく息を吸い……ゆっくりと吐き出した後、覚悟を決めて口を開いた。
「この前、観光バスに乗っていたとき、君は俺が書いた創作ノートを見たよね……えっと、あの物語の企画なんだけど、実は今回の作品の内容が一部含まれているんだ。それで、こ、この作品にこの企画の構想があるのは、端月をモデルにして、俺をときめかせてやまないヒロインを書きたいと思ったからなんだ」
駄目だ……! 息ができなくなりそうだ。俺の心臓がドクンドクンと鳴り、続きを話すのを阻んでいる。俺はそのせいで端月が嫌そうな表情を浮かべるのを見るのが怖かったし、彼女が冷たい声で答えるのも怖かった。
でも……もう口に出してしまったのだから、どんなに格好悪くても最後まで話さなければならない……だって、俺、俺は彼女の前で、自分から始めた話題さえ途中までしか話せず、きちんと最後まで話せないような役立たずの彼氏にはなりたくない。
「だ、だから、このことが理由で……もしかしたら、私たち二人の大切な思い出を使うことになるかもしれないから、嫌だと思わないか聞きたいんだ。もしこんなやり方で君が嫌な気持ちになるなら……俺は諦めて、別の作品を書く……だいたい、そういうことなんだ」
息を止めるようにして、俺はようやく頭の中で何度もぐるぐると巡っていた問いを口にした。その結果、一瞬で、俺は何かの答えを聞いたような気がした──
「いいよ」
透明な一滴の水滴が、澄み切った静かな湖に落ちたかのようだった。
俺は戸惑ったような声を出してしまったらしく、そのまま振り向いた。
すると端月は少し視線を上げ、もう一度繰り返した──
「いいよ」
夢から覚めたような感覚になり、思わず聞き返した。
「本当にいいの? 嫌じゃない? 無理してるわけじゃないよね……?」
端月は上半身を俺に近づけ、先ほどより少し小さな声で言った。
「うん。これくらいなら、私は大丈夫だよ。だって……」
──私は逐幸が私たち二人の大切な思い出を踏みにじったりしないって信じてる。
──それに、あなたは私たちの間の思い出が大切だと思っているからこそ、こんな内容を書きたいと思ったんでしょう?
──だから、私は大丈夫だよ。
──私はあなたを信じてる。
──私たちの思い出が、逐幸の物語の中で、もっと魅力的になれることも信じてる。
──もしあなたが、現実にいる別の女の子を第一ヒロインのモデルにしたって言ったら、そのほうが私は嫌だと思う。
「私を……あなたを、そしてその本を読むすべての読者を、ときめかせてやまないヒロインとして描いてください。私自身もその威力を自分の目で確かめてみたいから、書き終わったら、できれば先に私に見せてね」
端月は人を溶かしてしまいそうな笑顔を浮かべ、俺は思わず──彼女を抱きしめた。
端月はこの行動に驚いたようで、抱きしめられると同時に「ん」と小さな声を漏らした。
しかし、その声さえもとても愛おしく感じられ、俺はさらに強く彼女を抱きしめた。一瞬身体を強張らせた後、端月の身体もゆっくりと力が抜けていった。
「ありがとう、端月。君がそう言ってくれて、本当に嬉しい。もう少し……このままでいてもいい?」
「私からすれば、別に大したことじゃないんだけどね。でも……逐幸の弱いところを見られて、ちょっと嬉しいかも。それじゃあ……特別に、日が暮れるまで抱かせてあげる」
端月の優しい声が耳元に響いた。俺は返事をせず、彼女の首元に頭を寄せ、抱きしめる力をさらに強めた。
それに対して、端月は少し慌てたようで、思わず言った。
「あなたがツッコんでくれないと、私、どうしたらいいのか分からなくなっちゃうよ。ねえねえ、お願いだから少しツッコんでよ、私の恋人」
それでも、少し戸惑っている恋人は、相変わらず俺には敵わないようで、それとも単に恥ずかしさを隠すためなのか、自分の両腕でも俺を強く抱きしめた。
「……他に話してないことはあるの?」
腕の中の恋人が小さな声で尋ね、俺は静かに答えた。
「今はこれだけ。あとは創作とは関係ないことだよ」
「残りはどんなことなの?」
「言い尽くせないほどの甘い言葉」
「あ……聞いてみたいな。本当に言い尽くせないのか確認したいんだけど、いい?」
「今なら、一時やそこらじゃ絶対に言い終わらないよ。何日も、何か月も、何年もかけて、ゆっくり君に伝えてもいい?」
俺たちはとりとめもなく話しながら、しばらくの間、お互いを抱きしめていた。
最後にはお腹が空いてきたため、俺たちはようやく妥協して、語文系がテーブルの上に置いていたカードを使い、このことに一旦の区切りをつけることにした。
「大切な人への言葉」と書かれたカードに、二人で油性ペンを使って一言を書き、書き終えた後に相手へ渡した。
俺が端月からもらったカードを手に取ると、思わず甘い苦笑を浮かべた。端月もまた、同じ表情を浮かべていた。
「書いてあること、同じだね」
俺はもう一度、自分の手にあるピンク色のカードを見た。そこには美しく整った文字が一行書かれていた。
──あなたが一番好き。
俺は受け取ったカードを鞄の中にある透明なファイルに入れて保存し、端月も自分が受け取ったカードをノートに挟み、まるで栞のようにしていた。
「そろそろ夕飯を食べに行こうか」
「うん、行こう」
それぞれの持ち物をすべて持っていることを確認すると、端月はデスクライトを消した。すると、空も一気に暗くなったように感じられた。
しかし、廊下の赤外線ライトは俺たちが通ると同時にふっと点灯し、一階の方向を見下ろすと、夜にここを通る学生たちを守るように、いくつかの街灯が灯っているのが見えた。
俺は心の中で固く誓った。自分と恋人の大切な思い出に恥じることのない、優れた作品を必ず書き上げると。




