第5話 1年前の悲劇
葵が目を覚ました。
しかし、彼女が倒れるまで何があったのか。
ヨーデルは、父親であるダンを問いただす。
そこで明らかになったのは――
一年前、リムラ村で起きた出来事だった。
「ダン!!」
ヨーデルの怒声が、部屋に響き渡った。
「貴様……一体、何をしたんだ!」
「葵ちゃんは、まだ十二歳なんだぞ!」
ヨーデルは怒りを抑えきれず、ダンの胸ぐらを掴んだ。
「幼い子どもに、あんな重労働をさせて……」
「栄養失調と脱水で、命を落としかけていたんだぞ!」
「以前にも言ったはずだ!」
「それなのに……なぜ、また……!」
しかし――
ダンは抵抗しなかった。
ただ、虚ろな目で遠くを見つめている。
「……すまない」
返ってきたのは、その一言だけだった。
ヨーデルは、ダンを見つめる。
本当に反省しているのか。
それとも――
ただ、そう言っているだけなのか。
分からなかった。
(この男は……)
ヨーデルは拳を握る。
(昔は、こんな人間ではなかった)
◆
初めてダンと出会ったのは、リムラ村だった。
預言者アブラハの紹介で出会った青年。
その頃のダンは、優しい男だった。
村人を大切にし、誰に対しても思いやりを持っていた。
そして何より――
娘の葵を、心から愛していた。
「この子だけは、絶対に幸せにする」
そう語っていた姿を、ヨーデルは今でも覚えている。
だからこそ――
今のダンを見るたびに、胸が痛んだ。
なぜ、こんなにも変わってしまったのか。
そのきっかけは、一年前に起きた出来事だった。
◆
一年前。
リムラ村は、正体不明の術者たちによる襲撃を受けた。
村は大きな被害を受けた。
家々が壊され、人々の心までも傷ついていった。
互いを疑う者。
憎しみを抱く者。
故郷を捨てる者。
かつて活気に満ちていた村は、少しずつ衰退していった。
そんな絶望の中でも――
最後まで村に残った男がいた。
ダンだった。
村のために働き続けた。
娘を守り続けた。
誰よりも優しい父親だった。
しかし――
村が最も苦しんでいた、あの日。
ダンは助けを求めるため、ガデム村へ向かった。
ヨーデルのもとへ。
だが、その途中だった。
何者かに捕らえられた。
そして――
連れ去られた。
(あの時……私が助けることができていれば……)
ヨーデルは、今でも忘れられない。
最後に聞いた、ダンの叫び声。
「やめろ!!」
「俺には大切な娘がいるんだ!」
「あの子を守れるのは、俺だけなんだ!」
「頼む……!」
「俺から……あの子への愛情まで奪わないでくれ!」
あの時のダンは、確かに優しい父親だった。
だからこそ、ヨーデルには理解できなかった。
なぜ――
あの日を境に、彼は変わってしまったのか。
(まるで……)
ヨーデルは、今のダンを見る。
(誰かに心を支配されているようだ)
そんな疑念が、ずっと消えなかった。
◆
「旦那様……申し訳ありません」
葵の世話をしていたエリーが、頭を下げた。
「私も気をつけていたのですが……」
「この人は、何も話してくれなくて……」
ヨーデルは首を横に振った。
「お前のせいじゃない」
そして、ダンを見る。
「葵ちゃんは、お前を恐れている」
「それなのに、なぜ何も気づかない?」
ダンは答えなかった。
ただ、俯いている。
それを見たエリーが、ついに声を上げた。
「もういいよ!」
「葵ちゃんは、私が引き取る!」
「この人に……もう父親を任せられない!」
エリーはダンを睨んだ。
「葵ちゃんは、あんたの道具じゃないんだよ!」
「どうして、優しくしてあげられないの!」
そして、葵へ向き直る。
「葵ちゃん」
「私と一緒に暮らそう」
「私があなたを守る」
「もう辛い思いはさせないから」
エリーは、葵を優しく抱きしめた。
その時だった。
「……待って」
小さな声がした。
全員が振り向く。
ラックだった。
ラックは、葵を見つめる。
「父さん……」
「僕たちと一緒に暮らさない?」
「家族になってほしい」
「お願い……父さん」
必死な声だった。
ヨーデルは、静かに頷いた。
「そうだな……」
「この子のためには、ダンと離れた方がいいのかもしれない」
その時――
ずっと俯いていた葵が、口を開いた。
「私は……」
全員が葵を見る。
「私は……父さんと一緒にいたい」
「……え?」
エリーが息をのむ。
ラックも、ヨーデルも言葉を失った。
今のダンは、葵にとって恐ろしい存在になっている。
それでも――
葵は、父親を嫌いになれなかった。
一年前までの父は、優しかった。
頭を撫でてくれた。
笑ってくれた。
抱きしめてくれた。
「アオイは、お父さんの宝物だ」
そう言ってくれた。
その愛情まで、嘘だったとは思えない。
だから――
「私は……父さんを一人にしたくない」
葵は、小さな声で言った。
ヨーデルの胸が締め付けられる。
過去を知らなければ、迷わず二人を引き離していただろう。
けれど――
今の葵にとって、ダンは恐ろしい父親であると同時に、
それでも愛している、たった一人の父親なのだ。
「……分かった」
ヨーデルは、静かに息を吐いた。
「葵ちゃんの気持ちを尊重しよう」
ラックは唇を噛んだ。
「でも……」
拳を握る。
「このままだったら……いつか本当に……」
その先の言葉を、ラックは言えなかった。
怖かった。
目の前の少女を失ってしまうことが。
◆
話し合いが終わると、ヨーデルはダンの前に立った。
「いいか、ダン」
低い声だった。
「次に葵ちゃんを傷つけたら……絶対に許さない」
「お前との取引も終わりだ」
「仕事を失う覚悟をしておけ」
「分かったな」
「……はい」
ダンは、小さく答えた。
けれど――
その瞳に光は戻らない。
ヨーデルは、そんなダンをじっと見つめた。
一年前のあの日。
何があったのか。
誰がダンを連れ去ったのか。
そして――
なぜ、彼は別人のようになってしまったのか。
まだ、何も分からない。
ただ一つだけ。
ダンの心を覆う闇は――
今も消えていなかった。
◆
その夜。
葵は静かな部屋で眠っていた。
ラックは、少し離れた場所からその姿を見つめていた。
夢の中で何度も助けを求めていた少女。
ようやく見つけた。
けれど――
「……僕が守る」
ラックは、小さく呟いた。
その時だった。
窓の外で――
木の葉が、ざわりと揺れた。
ラックは振り返る。
「……?」
しかし、そこには何もない。
ただ、夜の森が広がっているだけだった。
誰も気づかない。
森の奥。
月明かりの届かない場所で――
黒い影が、ゆっくりと動いた。
そして、その影は――
静かに消えた。
第5話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、葵の父・ダンについて描きました。
かつては優しい父親だったダン。
それなのに、一年前を境に、別人のように変わってしまった。
その理由は、まだ明らかになっていません。
そして、リムラ村を襲った「正体不明の術者たち」。
彼らが何者なのか。
ダンの変化と関係があるのか。
少しずつ、物語の謎が深まっていきます。
そして最後に――
リムラ村の闇で、何かが動き始めました。
その正体を知る者は、まだ誰もいません。




