表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チー牛、限界を知る。  作者: 七七街


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/5

3話「チー牛、才能の壁にぶつかり、努力の限界を知る」

 村から町へ戻って三日後、真壁恒一は全身の筋肉痛に苦しみながら、「努力って、もっとこう、やったぶんだけ報われる感じじゃないのか」と心の底から思っていた。


 朝の訓練場は冷える。

 まだ日が高くなりきらない時間帯で、地面の土は夜露を含んで少し湿っていた。木剣を握る手も固い。呼吸を整えるたび、肺の奥が妙に冷たくなる。


「十三」


 リゼットが言う。


「え?」


「今ので十三回目」


 恒一は肩で息をしながら木剣を下ろした。

 腕が重い。というか、痛い。持ち上げるたびに二の腕と肩の間がじわじわ焼けるように痛む。


「昨日は十二回だったから、一応進歩ね」


「一応って何だよ……」


「一応は一応よ」


 リゼットは涼しい顔で自分の剣を振っていた。木剣ではなく、重さを落とした練習用の細剣だ。彼女の動きには無駄がない。踏み込みも、振り抜きも、戻しも、いちいち腹立たしいほど綺麗だった。汗はかいているのに、乱れて見えないのも腹立たしい。


 恒一は木剣を持ち直し、もう一度構えた。


 異世界に来てから、彼はようやく理解していた。

 このままではまずい。


 限界が見える能力はたしかに便利だ。危ない線が見える。人が壊れる寸前もわかる。だが、それだけでは足りない。昨日も一昨日も、その前も、自分は結局リゼットやドン爺に守られていた。少し役に立ったことはあっても、自分ひとりで何かを切り抜けたわけではない。


 悔しかった。


 だから鍛えようと思ったのだ。

 戦えないなら少しでも戦えるように。せめて、足を引っ張らない程度には。


 その結果が、十三回である。


【現在のあなたの限界】

・木剣の素振り:あと一回

・根性だけで続けた場合のフォーム維持:難しい

・「やれば意外と才能あるのでは」期待:そろそろ現実を見た方がよい


「うるさい……」


「何」


「いや、何でもない」


 木剣を振る。

 十四回目。

 振った瞬間、手首が少しぶれて、リゼットが即座に言った。


「止めて」


「え、まだいける」


「フォーム死んでる。そこから続けても変な癖つくだけ」


 恒一は悔しさで顔をしかめた。

 だが彼女は容赦なく木剣を取り上げる。


「鍛えるのはいい。でも、雑にやったら雑に弱くなるだけ」


「雑に弱くなるって何だよ」


「才能ない人が一番やっちゃだめなやつ」


 さらっと言う。

 悪意がないのが余計に刺さる。


 才能ない人。


 別に驚くようなことではなかった。自分でも薄々わかっていた。剣を握った瞬間に何かが噛み合う感覚もないし、体が勝手に覚える感じもない。リゼットが一度見せた動きを真似しようとしても、似ても似つかないものになる。


 だが、人に言われるとやっぱり少し痛い。


「そんなにない?」


「ない」


「即答かよ」


「期待持たせてどうするの」


 正論だった。

 正論なのだが、人間には言い方というものがある。


 訓練場の隅では、ドン爺が椅子に座って朝から丸い焼き菓子を食べていた。なぜこの世界の老人はああも朝から余裕があるのか。恒一が息も絶え絶えになっている横で、のんきに茶をすすりながらこちらを見ている。


「ほれ、コーイチ。落ち込むでない」


「落ち込みますよ普通」


「才能がないと知るのは第一歩じゃ」


「慰めになってるようで全然なってないんですけど」


「そうかの。わしは優しいつもりじゃが」


 その優しさはたぶん、もう少し別方向へ伸ばした方がいい。


 訓練を終えてギルドへ戻る道すがら、恒一は露骨に元気がなかった。


 剣の才能がない。

 少なくとも、前衛として通用するような筋はなさそうだ。

 わかっていた。わかっていたが、異世界に来てまで「お前はそこまで特別じゃない」と突きつけられるのは、やはりきついものがある。


 ギルド前の水場で顔を洗いながら、彼はぼんやりと考えた。

 自分は何になりたいのだろう。

 いや、何になれるのだろう。


 強くなりたい。

 役に立ちたい。

 格好よくなりたい。

 そういう気持ちは全部ある。


 だが、その“格好よさ”の中身をちゃんと考えたことは、意外となかったかもしれない。ただ何となく、異世界に来たなら強くなるべきだと思っていた。主人公みたいに。剣を握って前に出て、敵を倒して、仲間に頼られて。


 でもたぶん、それは「そうなれたら気持ちいいだろうな」という願望でしかない。

 現実の自分は、木剣を十四回振っただけで腕が死ぬ。


【現在のあなたの限界】

・自己否定:やや増加中

・努力の方向性再考:必要

・まだ終わったわけではない


「終わったわけではない、ね……」


 呟くと、背後から声がした。


「何が終わったの?」


 振り向くと、受付嬢――名をイリナという――が書類の束を抱えたまま立っていた。栗色の髪をきっちり束ねた、相変わらず隙のない仕事人の顔だ。可愛いのは可愛いが、最近はそれ以上に「この人、本当にちゃんとしてるな」という印象が強くなってきた。たぶん、自分のだめさを見せる頻度が増えたせいだ。


「いや、別に……」


「朝からリゼットさんに絞られてたって聞きましたけど」


「情報早くないですか?」


「ドン爺さんが楽しそうに報告してました」


 裏切り者め、と思ったが、もう驚かない。


 イリナは少しだけ笑った。


「頑張るのはいいことですけど、無理しすぎないでくださいね。今のコーイチさん、見ていて危なっかしいので」


 その言い方は優しかった。

 だが恒一は、そこで妙に居心地が悪くなってしまった。


「……危なっかしいって、やっぱそんな感じですか」


「え?」


「いや、何か……最近、自分って思ってたより全然できないなって」


 口にした瞬間、しまったと思った。

 受付嬢相手に何を弱音みたいなことを言っているのか。

 だがイリナは引かず、少し考えてから言った。


「できないことが見えるのって、悪いことばかりじゃないと思いますよ」


「でも、へこみますよ普通」


「へこみますね」


 あっさり認められて、逆に少し肩の力が抜けた。


「でも、できないことが見えたら、できることも探せますから」


 仕事中の顔ではなく、もう少しだけ個人的な声音だった。

 恒一は何となく、その言葉を覚えておこうと思った。


 その日の昼、ギルドに緊急の知らせが入った。


 北西の小村、ラグナ村が魔物の群れに襲われている。

 畑を荒らす程度ではなく、村の周囲を囲まれ、すでに負傷者も出ているらしい。相手は群れで動く牙狼型の魔物、グレイファング。個体の強さは中程度だが、数が多いと厄介な相手だった。


 ギルド内の空気が一気に変わる。

 依頼板の前にいた者たちが顔を上げ、受付が慌ただしく人員を割り振る。


「リゼット、行ける?」


「行ける」


「ドン爺さんも」


「わしもじゃ」


 イリナが視線を横へ流す。

 恒一と目が合った。


「……コーイチさんは」


 少しだけ迷うような間があった。


 それが妙に刺さる。

 当然だ。自分は仮登録で、前衛でもなく、魔術も使えない。村防衛のような大きめの危機に、即戦力として数えられないのは当たり前だ。


 だが、それでも恒一は口を開いていた。


「行きます」


 リゼットが横目で見る。

 イリナも一瞬だけ目を細めた。


「危険ですよ」


「わかってます」


 本当にわかっているかは怪しい。

 だが、この場で引きたくなかった。

 また守られて終わるのは嫌だったし、何より、リゼットやドン爺が行くのに自分だけギルドに残るのがひどく情けなく思えた。


 イリナは書類を閉じる。

「補助扱いでなら。絶対に単独行動しないでください」


「はい」


「あと、“何かできるはず”で前に出ないこと」


「……はい」


 それは最近の自分に対する理解が深すぎて痛かった。


 ラグナ村までは馬で一時間半ほどだった。

 荷馬車ではなく軽い騎乗用の馬を借り、四人一組で向かう。前衛はリゼットのほかに、槍使いの若い男ガルス。後衛にドン爺。恒一は補助で、ほぼ雑用と連絡役だ。


 道中、村の方向から薄く煙が見えた。

 大きな火ではない。だが、何か燃やして牽制しているのだろう。


「村の規模は?」


 ガルスが訊く。


「二十戸ほど。木柵あり、見張り台ひとつ。駐在の兵は二人だけじゃ」


 ドン爺が答える。


「守り切れると思います?」


「無理ならギルドに知らせは来ん。今は“壊れかけてる”段階じゃろうな」


 その言葉に、恒一は妙に反応した。

 壊れかけている段階。

 それなら、自分にも何か見えるかもしれない。


 村へ着くと、状況は思っていたより悪かった。


 木柵の一部が破られ、畑は荒れ、村人たちがバリケード代わりに荷車や木材を積んでいる。負傷者は三人ほど。子どもが泣き、大人たちはそれを黙らせる余裕もない。遠巻きに、灰色の牙狼が十数匹。すぐに飛びかかってくる距離ではないが、隙をうかがっているのがわかる。


「多いな……」


 ガルスが舌打ちする。


【対象:グレイファング群】

・数:十五前後

・統率:中

・飢え:高い

・防衛線突破の限界:村側の消耗次第


 恒一は村の中へ目を走らせた。

 防衛に立つ男たちの顔は青い。女たちは子どもと家畜をまとめている。荷車を押している老人はもう足元が危うい。


【対象:村人たち】

・疲労:高い

・恐怖:高い

・持久の限界:近い

・誰か一人が折れると連鎖的に崩れる可能性:高


 嫌な感じだった。

 これは単に魔物を倒せば終わる話ではない。村人のほうが先に折れたら、防衛線そのものが崩れる。


 リゼットが村長らしき男と話し始める。

 ドン爺は壊れた柵を見て補強位置を確認していた。

 恒一はただ立っているだけにも見えたが、頭の中では視界に流れる情報が増え続けていた。


 すると、その中でひとつだけ異様に強い文字が目に入る。


【対象:東端の見張り台】

・持続の限界:極めて近い

・崩落した場合の被害:大

・東からの突入を許す可能性:高


 恒一は反射的にそちらを見た。

 見張り台は木製で、たしかに少し傾いている。上に立つ青年が弓を構えているが、台そのものがきしんでいるのが遠目にもわかった。


 まずい。


「リゼット!」


 叫ぶと、彼女が振り向く。


「東の見張り台、やばい!」


「何が」


「崩れる、たぶんすぐ!」


 根拠を説明している暇はなかった。

 リゼットは一瞬だけ見て、すぐに走る。ちょうどその瞬間、牙狼の群れが東側へ大きく回り込んだ。見張り台の上の青年が矢を放とうとして体重を移し、木が嫌な音を立てる。


「降りろ!」


 リゼットの声とほぼ同時に、見張り台が傾いた。


 青年はぎりぎりで飛び降りたが、木材が崩れ落ち、そこへグレイファングが二匹突っ込んでくる。リゼットが間に入り、一匹を斬り払う。もう一匹にはガルスの槍が入った。


 村人たちの悲鳴が上がる。

 だが逆に、それで東側の危険が全員へ共有された。


 結果として、防衛線は崩れなかった。


 リゼットが戻ってきたとき、短く言った。


「助かった」


 たった三文字だった。

 だが、その短さが逆に本気だとわかった。


 恒一の胸が少し熱くなる。

 だが同時に、すぐ別の現実が目の前にあった。


 群れはまだ多い。

 たった今の一件で「自分にもできる」と思いかけた瞬間、また視界に別の数字が流れる。


【現在のあなたの限界】

・前衛参加:推奨されません

・一匹と正面戦闘した場合の生存率:高くない

・調子に乗るな


 ほんとうに余計なタイミングで出る。


 夕方までの数時間、ラグナ村の防衛は消耗戦になった。


 グレイファングは一気に攻めてくるわけではない。威嚇し、隙を探り、弱いところへ散発的に噛みついてくる。人間側の気力を削るには最悪の相手だった。


 恒一は戦線の端で連絡を回し、水を運び、子どもを建物の奥へ移し、怪我人の位置をドン爺へ伝えた。戦っていないわけではない。だが、戦場の真ん中にはいない。リゼットが斬り、ガルスが突き、ドン爺が火と雷で牽制する、その外側で動くしかない。


 それが情けなくて、たまらない瞬間があった。


 西柵の前で、グレイファングが一匹、村人の若者へ飛びかかったときのことだ。若者は槍を持っていたが、構えが遅い。間に合わない、と恒一は思った。


 そして、自分の足が勝手に前へ出ていた。


「っらあ!」


 叫びながら木の棒を振る。

 訓練用でもない、ただの棒切れ。

 当然、まともな武器にはならない。


 グレイファングは恒一の方を一瞥し、あっさり軌道を変えた。

 速い。

 次の瞬間、棒は弾かれ、恒一の肩に鋭い痛みが走る。爪が浅く入ったのだ。転びかけたところへ、リゼットの剣が間に入り、狼を叩き落とす。


「何してんの!」


 怒鳴られた。

 ごもっともである。


 恒一は息を詰まらせた。

 肩が痛い。情けない。さっきまで少し役に立っていた気がしたのに、一瞬で現実へ戻された。


「助けようとして……」


「そう見えたわよ! でも助け方が雑すぎる!」


 リゼットの言葉は当然だった。

 当然なのに、今はそれがひどくきつい。


 若者は青ざめながらも無事だった。だがその無事は、恒一が救ったのではない。リゼットが間に合ったからだ。


 自分はまた、勢いで前に出て、危うく余計な負担を増やすところだった。


【現在のあなたの限界】

・悔しさ:高い

・「今ので少しはやれたのでは」自己弁護:不可

・事実:危なかっただけです


 黙れ。

 本当に黙れ。


 戦闘の合間、応急手当を受けながら、恒一は歯を食いしばった。

 浅い傷だ。命に別状はない。

 だが、傷そのものより、自分のだめさの方が痛い。


 戦えない。

 鍛えてもすぐにはどうにもならない。

 剣も槍も遅い。

 前に出ればかえって邪魔になる。


 じゃあ、自分はここで何なんだ。


 その疑問が胸の中で膨らむ。

 リゼットやガルスが前線で戦う中、自分だけが連絡や荷運びをしているのが、ひどくみじめに思えた。


 そのとき、隣へドン爺が腰を下ろした。

 珍しく真面目な顔をしている。


「死にかけの顔じゃの」


「死んでないです」


「身体はな。心はまあまあ死にかけておる」


 恒一は何も言い返せなかった。


 ドン爺は前線を見る。

 リゼットが村人へ指示を飛ばし、ガルスが柵を越えかけた狼を叩き落としている。村のあちこちで、疲れきった人間たちが必死に踏ん張っていた。


「悔しいか」


「……悔しいですよ」


「強くなれんのが?」


「それもあるし。何か、結局俺ってこういうとき一番いらない感じがして」


 口にした瞬間、自分で少し嫌になった。

 だが止められなかった。


「やろうとはしてるんです。剣も振ってるし、少しでもマシになろうって。でも、たぶん俺、前衛向いてないんですよ。リゼットみたいにはなれない。ガルスみたいにも無理。じゃあ何やってんだって」


 ドン爺は少し黙っていた。

 茶化すかと思ったが、しなかった。


 代わりに、ぽつりと言う。


「一流になれんことと、役に立てんことは別じゃよ」


 恒一は顔を上げた。


「え?」


「おぬしは今、前に立って斬るやつが偉いと思いすぎとる。まあ、花形ではある。見栄えもする。憧れる気持ちはわからんでもない」


 老人は杖の先で地面を軽く突いた。


「じゃが、村が守れるかどうかは、誰が何匹斬ったかだけでは決まらん。いつ誰が折れるか、どこが抜けるか、何を捨てて何を守るか。それを見誤れば、一番強い剣士が一人おっても終わる」


 その言葉に、恒一の頭の中で何かが引っかかった。


 いつ誰が折れるか。

 どこが抜けるか。


 それなら、自分の能力は――


 視界が、ふっと開ける感覚がした。

 前線だけではなく、村全体を見たときの限界が浮かび始める。東柵の疲労。西端の村人の腕力。井戸前に積んだ水桶の残量。家畜小屋の扉の弱さ。どこがいつまで持つか、ぼんやりではあるが線になって見える。


【対象:ラグナ村防衛線】

・東側の持続:あと三十分前後

・西端の若者二名:集中切れ近い

・水運搬班の疲労:高い

・子どもの泣き声による家族の動揺:上昇中

・最優先補強地点:南西角

・最優先撤収対象:納屋裏の老女


 納屋裏の老女?


 恒一ははっとして走った。

 南西角、村の建物の陰。そこに、腰の曲がった老女が座り込んでいた。周囲が騒がしくなるたびに、どうしていいかわからず固まっているらしい。家族らしき者は見当たらない。しかも、すぐ隣の納屋の壁はかなり傷んでいた。


【対象:納屋の壁】

・破損の限界:近い

・次の体当たりで破られる可能性:高


 まずい。


「おばあさん、立てますか!」


 老女は怯えた顔でこちらを見る。

 反応が鈍い。自分の状況がうまく飲み込めていないのだろう。


 恒一は一瞬迷い、それから老女の腕を取った。

 重い。

 だが持ち上がらないほどではない。


 その直後、納屋の壁が外から衝撃を受けてひしゃげた。

 グレイファングが一匹、木板を突き破って頭を突っ込んでくる。


「っ!」


 恒一は老女を引きずるように離れた。

 完全には間に合わない、と思った瞬間、ガルスの槍が壁越しに狼の喉を貫いた。続けてドン爺の火花が飛び、狼が崩れる。


「コーイチ! 無事か!」


「何とか!」


 息が切れる。

 だが老女は助かった。


 その一件を境に、恒一の頭の使い方が変わった。


 前に出るのではない。

 どこが先に壊れるかを見る。

 誰が折れるかを見る。

 何を先に動かせば、全体が少しでも長く持つかを考える。


「リゼット! 次、南西から来る!」


「根拠は!」


「そっちの臭いが強い! たぶん!」


 半分本当で半分ごまかしだ。

 だが今は説明している暇がない。

 リゼットは舌打ちしながら位置を変え、直後に南西の柵へ二匹の狼が飛びついた。


「ガルス! 西端の二人、もう腕上がってない! 交代!」


「は? 見ただけでわかるかそんなの!」


「いいから!」


 ガルスは文句を言いながらも動き、結果的に西端の若者二人はその直後、槍を取り落としかけた。交代はぎりぎり間に合った。


「ドン爺! 水、井戸前じゃなく東へ寄せて! 東が先に崩れる!」


「了解じゃ!」


 誰かを直接倒しているわけではない。

 それでも、自分の声で少しずつ防衛線の形が変わり、持ちこたえる時間が伸びていくのがわかった。


 日が傾き切る前、村の外で遠く角笛の音がした。

 追加の冒険者たちだ。ギルドからの増援が間に合ったのだろう。狼たちはそれを聞いてようやく完全に退き始めた。


 最後の一匹が森へ消えたとき、村中の力が一気に抜けた。

 誰かがその場に座り込む。

 誰かが泣く。

 誰かがようやく大声で笑う。


 助かったのだ。


 恒一もその場で膝に手をつき、荒い息を吐いた。肩の傷は痛むし、足も重い。だが生きている。村も、少なくとも今は残っている。


 増援の冒険者たちが到着し、後処理と警戒を引き継ぐ。ギルド側のまとめ役が村長と話すあいだ、ラグナ村の人々は救われた実感に少しずつ浸り始めていた。


 その中で、昼間に助けた老女が恒一のところへ来た。

 小さな手で、彼の袖を引く。


「ありがとうよ」


 それだけだった。

 それだけだったのに、恒一は少し言葉に詰まった。


「いや、俺は……」


 俺は戦ってない。

 剣を振って勝ったわけでもない。

 そう言いかけて、やめた。


 たしかに戦ってはいない。

 でも、助けたのは事実だ。

 なら、そこで変にへりくだるのも違う気がした。


「……無事でよかったです」


 そう返すと、老女は何度もうなずいた。


 村の中央、井戸のそばで、リゼットが剣の血を拭っていた。

 恒一が近づくと、彼女はちらとこちらを見る。


「肩」


「浅い傷だから平気」


「そうじゃなくて、見せなさい」


 有無を言わせない調子だったので、恒一は素直に肩を見せた。布が少し裂け、爪の跡が赤く走っている。応急手当は済んでいたが、改めて見ると普通に痛そうだった。


「馬鹿」


 リゼットが言う。


「最初のあれ、ほんとに馬鹿」


「……はい」


「でも後半はよかった」


 恒一は目を瞬いた。

 その言葉が来るとは思っていなかった。


「何が」


「前に出るのやめたところ」


 彼女は血を拭い終えた剣を鞘に戻す。


「助けたいなら、自分が一番役に立つ位置にいなさい。剣士の真似して死にかけるより、あっちの方がずっとマシ」


 言い方は相変わらず素っ気ない。

 だが、その中身は明らかに認めるものだった。


「お前、剣士には向いてない」


 ぐさりと来た。

 来たが、続きを待った。


「でも、剣を持つ資格がないわけじゃない」


 恒一は少し黙った。

 何をどう返せばいいのかわからなかった。


 強くはない。

 一流にもなれない。

 たぶん、これから鍛えてもリゼットみたいにはなれない。


 でもそれは、何者にもなれないという意味ではない。


 そのことを、ようやく少しだけ受け入れられた気がした。


 夜、ラグナ村で簡単な慰労の食事が出た。

 スープと焼いた芋、それに固めのチーズ。豪勢ではない。だが、死にかけた一日を終えた人間には十分すぎるごちそうだった。


 ガルスが木椀を持ったまま、恒一の隣へ座る。


「お前、昼間は正直何言ってんだと思った」


「ひどくない?」


「でも、後半は助かった」


 彼は率直だった。

 率直すぎて少し痛いが、悪い感じではない。


「俺、ああいう大きい防衛戦って経験少なくてよ。目の前のやつに集中しすぎるんだ。後ろの疲れとか、交代のタイミングまで頭回らねえ」


「俺は逆に、目の前のやつに集中すると死ぬから……」


「それはそれでどうなんだ」


「どうなんだろうな……」


 少し笑う。

 以前の自分なら、こういう会話でもどこか無理に格好つけようとしたかもしれない。だが今は、できないことをできないと言う方が変に楽だった。


 食事のあと、ドン爺が焚き火のそばで言った。


「今日ので少しはわかったかの」


「何がです」


「おぬしは“なれんもの”ばかり見ておった」


 火の明かりで、老魔術師の目が細く光る。


「リゼットのように斬れぬ。ガルスのように前に立てぬ。そうやって、自分にないものばかり数えとるうちは、苦しいだけじゃ」


 恒一は黙って聞いた。


「じゃが、おぬしには見える。誰が先に折れるか、どこが先に破れるか、どこまでなら持つか。地味じゃ。派手ではない。じゃが、戦ではそういう者がおると全体が死ににくくなる」


「全体が死ににくくなる、か」


「悪くなかろう」


 たしかに、悪くない。


 少なくとも、今日のラグナ村ではその力が役に立った。

 剣で華々しく勝ったわけではない。英雄みたいな真似もしていない。それでも、守れたものがあった。


 それは思っていたより、ずっと重い事実だった。


 宿代わりに借りた村の空き家で、恒一は横になった。

 藁の匂いと土壁の冷たさ。遠くでまだ村人たちの話し声がする。助かった安堵と、明日からの不安が入り混じったような声だ。


 視界の端に、また半透明の文字が浮かぶ。


【本日のあなたの限界】

・前衛適性:高くない

・剣の才能:平均以下寄り

・無茶して格好つけた結果:負傷

・役割理解:少し前進

・総評:一流になれなくても、消えていい理由にはならない


 恒一はその文字をしばらく見つめた。


「……厳しいくせに、たまに変な言い方するよな」


 返事はない。

 だが今日は、それでよかった。


 異世界に来てから、ずっとどこかで「本当の自分はもっとできるはずだ」と思っていた。

 努力すれば、案外向いているかもしれない。

 鍛えれば、意外と才能があるかもしれない。

 いつか、前に立って格好よく勝てる日が来るかもしれない。


 来るかもしれない。

 でも、来ないかもしれない。


 その可能性を、今日の自分はかなりはっきり見た。


 努力しても届かない場所はある。

 努力しても、誰かのようにはなれないことがある。


 それはつらい。

 正直、かなりつらい。


 けれど、届かないことと、無価値であることは同じではない。

 前に立てないことと、役に立てないことも違う。


 その当たり前を、自分はようやく少しだけ理解し始めていた。


 外では風が鳴っている。

 どこかで犬が吠えた。

 村は疲れきっているが、まだ生きている音がした。


 恒一は目を閉じる前に、リゼットの言葉を思い出した。


 剣士には向いてない。

 でも、剣を持つ資格がないわけじゃない。


 それはたぶん、剣そのものの話ではないのだろう。

 戦う資格。

 ここにいていい資格。

 格好悪くても、自分なりに前へ進む資格。


 それを、少しだけもらえた気がした。


 その日の夜、真壁恒一は、努力しても届かない領域があることを知った。

 そして同時に、届かないからといって、自分に価値がなくなるわけではないことも知った。


 その気づきは、派手でも熱血でもない。

 けれど、これまでで一番、彼の中に長く残る種類のものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ