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思考の檻に、星を飾る  作者: サバ味噌饅頭
第七章:灰色の空と、秒針の音

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中編 宇宙の沈黙と対峙する

衝突まで、残り二十四時間。

空はもはや青さを失い、濁った赤紫色の光が街を支配していた。大気は摩擦と重力の歪みで熱を帯び、生ぬるい風が絶え間なく吹き荒れている。


街の喧騒は、一周回って奇妙な静寂へと変わっていた。逃げる場所などどこにもないと悟った人々は、地下室にこもって酒を煽るか、教会の祭壇に縋りつくか、あるいはただ呆然と空を見上げている。


「エナさん、もう誰も来ないよ」


カイルが店のシャッターの隙間から外を覗きながら言った。彼の声は震えていた。昨日までは強がっていた少年も、物理的に迫りくる「死」という巨大な質量を前にして、その幼い肩をすくませている。


私はカウンターに座り、最後の一つの修理品に向き合っていた。それは、街の図書館員だった老婦人が一週間前に預けていった、古びたオルゴールだ。ネジが巻けなくなり、中の円筒シリンダーも錆びついていた。


「誰が来るかじゃないのよ、カイル。私が、私であり続けるためにこれを直しているの」


私はピンセットで小さな錆を慎重に削り落とした。指先は熱っぽく、肺の奥からはゼイゼイと嫌な音が漏れる。呼吸のひとつひとつが苦痛だ。だが、その苦痛こそが、私がまだ「生物」として反応し、思考している証拠だった。


もし私がここで作業を投げ出し、ただ恐怖に身を任せて叫び出したなら、私はその瞬間に「葦」であることをやめ、ただの「肉の塊」に成り下がる。宇宙という巨大な沈黙に、精神まで飲み込まれてしまう。


パスカルは言った。

「宇宙は、その空間によって私を包み、一つの点として飲み込む。だが、私は思考によって宇宙を包む」


私の体は、この六畳一間の時計店に縛り付けられている。肺病に蝕まれ、一キロも歩けない。宇宙の広大さに比べれば、私の存在など、砂漠の一粒の砂にも満たない。

けれど、私の「思考」はどうだろうか。


私は、あのアポルオンという岩石が、どのような軌道を描き、どのような物理法則に従ってここに到達するかを知っている。

私は、この地球がかつてどれほど美しく、豊かな生命を育んできたかを知っている。

そして私は、自分が今、この理不尽な終わりに対して「いな」と言い、最後まで職人として死のうとしている理由を知っている。


私の脳内にあるこの「認識」という領域において、私はあの巨大な小惑星よりも広大だ。なぜなら、小惑星は私を殺すことはできても、私を殺しているという事実を知ることはできないからだ。


「カイル、こっちへおいで」


私は彼を呼び寄せ、修理が終わったオルゴールのゼンマイを巻いた。

小さな金属の爪が、円筒の突起を弾く。

流れ出したのは、シンプルで、どこか悲しい子守唄だった。


「きれいな音……」


「ええ。この曲を作った人は、もう何百年も前に死んでいる。でも、その人がかつて抱いた『誰かを慈しむ気持ち』は、こうして形を変えて、滅亡の直前まで生き残った。私たちは死ぬけれど、私たちが考えたこと、感じたことは、宇宙の記憶のどこかに刻まれるはずよ」


カイルはオルゴールの音色に耳を澄ませながら、少しだけ表情を和らげた。

「宇宙に、記憶なんてあるのかな」


「あるわ。光となって、波動となって、永遠に旅を続けるの。私たちのこの対話も、絶望も、そして今あなたが感じているこの音楽の美しさも、いつかどこかの星に届くかもしれない」


午後三時。突然、激しい振動が店を襲った。

棚から工具が崩れ落ち、窓ガラスにひびが入る。アポルオンが地球の重力圏に深く食い込み、地殻が悲鳴を上げているのだ。


私は激しく咳き込み、床に膝をついた。口の中に鉄の味が広がる。血を吐いた。

視界がかすみ、冷や汗が止まらない。肉体が、限界を告げている。


「エナさん!」


カイルが駆け寄ろうとするのを、私は手で制した。

苦しい。恐ろしい。逃げ出したい。

本能がそう叫んでいる。だが、私はあえて、その恐怖を客観的に観察した。


(ああ、これが死の予兆か。心拍数が上がり、アドレナリンが放出され、脳が生存を求めてパニックを起こしている。興味深い……。私の肉体は、最後まで生きようと抗っているのだな)


私は意識を集中させ、バラバラになりそうな精神を「思考」の鎖で繋ぎ止めた。

私は今、観測者だ。自分という人間が、宇宙の営みの中で消滅していく過程を記録する、唯一の観測者なのだ。


「大丈夫よ、カイル。私はまだ、私の中にいる。宇宙に追い出されてはいないわ」


私は震える手で、散らばった工具を拾い集めた。

たとえ、あと数時間で何もかもが無意味になるとしても。

私は、散らかったままの部屋で死にたくはなかった。

秩序を、美しさを、人間の意志を。

それを保つことこそが、広大なに対する、唯一の反抗だった。


夜が来た。

地平線の向こうから、太陽よりも明るい「死の星」がその姿を現した。

それは、あまりにも巨大で、神々しいほどに白く輝いていた。


「さあ、カイル。最後のお茶を淹れましょう。とっておきの茶葉があるの。味覚という素晴らしい機能を持っているうちに、楽しまなくちゃ損よ」


私は微笑んだ。

それは、死を待つ者の諦めではなく、運命を支配しているという自負から来る微笑みだった。

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