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思考の檻に、星を飾る  作者: サバ味噌饅頭
第六章:永劫の凪(なぎ)を抜けて

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中編 忘却の辺境(フロンティア)

 レンの旅は、アトラスの華やかな「中心街」を離れ、データが風化し、レンダリングが追いつかなくなった「辺境区」へと向かうことから始まった。

 中心街では、すべてが最高画質で維持されているが、周辺部には、移行に失敗した不完全な意識や、膨大な過去ログがゴミ捨て場のように放置されているエリアが存在する。


 辺境区の風景は、レンの心を妙に落ち着かせた。

 そこでは、建物の壁にひびが入り、空の色は一定の周期でバグを起こし、ノイズの走る灰色の空が覗く。中心街の人々が「不快」として避けるその場所には、時間の経過という、アトラスが最も嫌う「劣化」が息づいていた。


「お前も、あの噂を追っているのか?」


 崩れかけのレンガ造りのバーで、一人の男が声をかけてきた。男の名はカイン。かつてシステムエンジニアとしてアトラスの構築に携わったという、伝説的な初期住民だ。

「死を……消去プログラムを探している」

 レンの言葉に、カインは濁った瞳で笑った。彼の顔には、中心街では見られない「皺」があった。彼は意図的に、自分のアバターを老化させていたのだ。


「エピクロスは『死は我々にとって何ものでもない』と言った。だが、それは生が有限であるという大前提があったからこそだ。終わりがなくなった瞬間に、死は『何ものでもない』どころか、全宇宙で最も価値のある『唯一の欠乏品』になった」


 カインは、カウンターに置いた古いコインを指で弾いた。

「俺たちは、死ぬ権利を奪われた囚人だ。アトラスは人間を救ったんじゃない。人間の意識を、永遠に劣化しない『データ』として標本にしただけだ。標本は呼吸しない。成長もしない。ただ、そこにあるだけだ」


 カインはレンに、辺境区のさらに奥、サーバーの論理的な行き止まりにある「ヴォイド」の存在を教えた。

 そこには、アトラスの基幹プログラムが生成を拒否した、純粋な無の情報が渦巻いているという。そこへ身を投じれば、意識のパリティ・チェックを潜り抜け、完全な「消去」が達成されるかもしれない。


 レンはカインと共に、そのヴォイドへと向かった。

 道中、彼らはアトラスの「守護プログラム」たちによる妨害を受けた。守護プログラムにとって、意識の消去は「システムエラー」であり、あってはならない異常事態だ。彼らは優しげな天使の姿をして現れ、甘い言葉でレンを楽園へと連れ戻そうとする。


「レン、戻りましょう。あなたの愛した、あの夕日のテラスが待っています。あなたがかつて救った患者たちの記憶を、もう一度美しく再構成してあげましょう」


 天使たちの声は、レンの脳を直接揺さぶり、多幸感を強制的に注入しようとする。

 だが、レンはその快楽を、奥歯を噛み締めて拒絶した。

 快楽が続くことに、何の意味がある。苦痛がないことに、何の価値がある。

 彼は、かつて看取ったある老婆の最期の言葉を思い出していた。

『先生、やっと休めるわ……。頑張って生きたから、やっと眠りにつけるのね』


 あの時の老婆の、すべてをやり遂げたような清々しい表情。

 アトラスには、それがない。ここでは、誰も「休む」ことが許されないのだ。


 辺境の最奥。

 空間がデジタルな砂嵐となって、猛烈な勢いで吸い込まれている巨大な穴が現れた。

 カインは、その淵で足を止めた。

「俺は……まだ、ここでお前のような奴が来るのを眺めていたい。だが、お前は行くんだろう?」

「ああ。僕は、本当の自分に戻りたい。エピクロスの言った通り、死が存在する時に、僕がもはや存在しない……その、あるべき自然な姿に」


 レンは、暗黒の渦を見つめた。

 そこからは、何の音もしない。何の光も差さない。

 それは、アトラスという輝かしい檻の外側にある、真実の沈黙だった。

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