第23話 第四話 第六章『サトウは数字の意味を知る』ー再編の静けさ
サトウは数字の意味を知る
第六章 再編の静けさ
フェイスの判断
翌朝、最高財務責任者(CFO)フェイス・フォスターの執務室に集まった顔ぶれは、昨日と変わらない。
フェイス、人事部長マイク・ペーターゼン、経理部長ハンス・ラビットの三人だ。
窓際の観葉植物が、弱い光を受けて揺れていた。
フェイスが資料を閉じた。
人事部長は、机の上のファイルを整えた。
ラビット経理部長は、椅子に深く腰をかけ、腕を組んでいた。
昨日三人で話あったサトウが管理者研修所を無断で離脱した件は、
まだ結論が出ていなかった。
人事部長が口を開いた。
「……サトウの件ですが、正式な処分を決める必要があります。
研修所の規律違反は重い。
連絡もなく離脱したのは、看過できません」
フェイスは短く頷いた。
「会社の信用にも関わるわね。
彼の行動は説明がつかないわ。
研修所から連絡が入り、我々は急遽ここで協議しました。
サトウを呼んで本人に釈明させようとしました。
ですが、彼は途中で席を立ちました。
“黒川部長に呼ばれている”と言ってね」
ラビットが、ゆっくりと視線を上げた。
「呼ばれていたのは事実ですよ。
営業部の会議です。
彼は、あの場で自分を守ることより、
中林君のために動くことを選んだんです」
人事部長は眉をひそめた。
「それでも、規律違反は規律違反です」
ラビットは、飄々とした声で続けた。
「彼は、連絡できなかったんじゃない。
連絡を“拒否した”んです。
管理者任用を避けるために」
フェイスがラビットを見た。
「なんですって?理由を聞かせてください」
ラビットは、机の端に置かれた書類に目を落とした。
その声は静かだった。
「皆さんがご存知のように、前任の経理部長の不正を暴いたのは、サトウです。
彼は容赦ないですからね。
前部長と何度もぶつかりました。経理部内も混乱しました。
前部長とサトウの間に入って、調整しようと当時の女性課長が苦労しました。
前部長が失脚後、その後任が私です。
経理部は落ち着きましたが、その後、心労のため女性課長が倒れました。
サトウは、それを自分の責任だと思っています。
だから、彼女が戻るまで、彼女の椅子(課長職)を守りたいんです。
それが、任用を拒んだ理由です」
人事部長は息を呑んだ。
フェイスは、しばらく沈黙した。
やがて、フェイスが短く言った。
「……処分はしません。
彼は会社を救いました。
黒川部長からの報告がありました。
昨日の営業部の会議で、すべてが明らかになったわ」
ラビットは、静かに頷いた。
人事部長は資料を閉じた。
「では、正式に記録します。
サトウの規律違反は、不問とします」
部屋の空気が、わずかに緩んだ。
フェイスが立ち上がった。
「ただし、彼の行為は研修所脱走も含めて、英国本部にいらっしゃるCEO(最高経営責任者)のお耳に入っています。
彼にはそれに相応しい罰、いえ、処遇を与えます」
ラビット部長が驚いて、フェイスの顔を見る。
フェイスは穏やかに微笑み、
「CEOにご相談し、サトウを無任所の調査役、管理職待遇に推薦しました」
「CEOは、なんとお答えになったんですか!」
ラビットがフェイスに尋ねる。
フェイスは微笑みながら答えた。
「『いいんじゃない』とおっしゃいました」
そして居住まいを正し、ピーターゼン人事部長に向き合う。
「黒川部長に伝えてください。
営業部の再編を進めるように。
中林君の席は、しばらく空けておきましょう。
彼を業務上の事故が原因の休職扱いにしてください。
人事部もそのつもりで」
フェイスの言葉を聞いた瞬間、
ラビットは一瞬表情がこわばった。
経理部長としての顔は、いつも通り飄々としていた。
だが、内心では静かに叫んでいた。
(……いやいやいや。
ちょっと待て。
課長不在で、サトウが無任所の調査役?
つまり――
経理部の管理職は僕ひとり?
僕?
僕だけ?)
ラビットはネクタイを整えながら、
ゆっくりと呼吸を整えた。
(……いや、落ち着け。
経理部は落ち着いている。
めぐみ君達もいる。
若手も育っている。
大丈夫だ。
大丈夫……じゃないな)
フェイスが資料を閉じる音がした。
ラビットは、困惑を飄々とした笑みに隠した。
ピーターゼン人事部長がメモを取っている。
ラビットは、腕を組みながら静かに考えた。
(……いや、待て。
サトウが調査役?
管理職待遇?
実質、経理部を回していたのは彼だぞ。
つまり、経理部の仕事は減らないのに、
サトウだけが昇格して抜ける?
僕の仕事は増える?
増えるよな?
彼がいないと、経理部は……
うん、まあ……“明るい混乱”になるな)
フェイスが穏やかに微笑んだ。
「ラビット部長、よろしくお願いしますね」
ラビットは、完璧な笑顔で頷いた。
(……よろしくって何を?
僕ひとりで経理部を回すのか?
いや、まあ、できるけど……
できるけど……
できるけどさ……
サトウ、戻って来て)
ラビットは、ネクタイをもう一度整えた。
「CEO、ご提案があります。もう少しお時間をお願いします。
マイク(人事部長)、君も聞いてくれ」
フェイスとペーターゼン人事部長が、椅子に座り直した。
「中林君が、現職復帰するには問題があります」
フェイスはラビットを見つめ、続きを促した。
「彼が営業部に戻るにしても、三枝、ワンの抜けた後の営業部の仕事量と質は、今まで以上に過酷でしょう。もちろん体制の見直しや人事異動で対応されるとは思います。
フレキシブルな勤務形態や勤務時間の時間短縮など、黒川部長も配慮されると思いますが、現在の営業部では彼へのケアが十分できる体制とは思えません。
ですが、生真面目な中林君の心の病が再発しては、元も子もありません。
私には、責任感の強い彼の心が持つとは思えません」
フェイスは、一瞬眉を潜めたがすぐに表情を改めた。
そして、ペーターゼンに意見を促した。
「ラビットの意見は、一理あると思います。
心療内科の産業医からも、その辺を留意するようにとアドバイスをもらっています」
フェイスは、ペーターゼンの言葉に頷く。
「ラビット部長、経理部長のあなたがそこまで言うからには、考えがあるのでしょう。言ってみなさい」
ラビットは、呼吸を整えてフェイスとペーターゼンに、自分の考えを言った。
「はい。で、ご提案ですが中林君を経理部で預からせてください。
彼は真面目で実直な性格です。営業の波に揉まれるより、数字に浸る方が向いています。
それに、彼の職場復帰のプロセスに、十分対応できる体制と環境は整っています」
フェイスは、ラビットの言葉をしばらく噛み締めて口元をほころばせた。
「良いでしょう。あなたの案を検討しましょう。ただ、黒川部長の了解が必要です。中林さんの直属上司は彼ですからね」
ラビットは、心の中で(Good Job!)と叫んでいたが、表情には出さない。
「……中林君は経理部で復活できます。
彼は、強くなって帰ってきます」
フェイスが「根拠は?」と聞く。
「サトウがバックアップしています。
それが根拠ですよ」
(……頼むから、バックアップだけじゃなくて、
経理部にも戻ってきてくれ)
ラビットは、深く息を吐いた。
フェイスが、会議の終わりを宣言し、ペーターゼンが部屋をでた。
ラビットもそれに続こうと一歩踏み出した時、フェイスが近寄り耳元で囁いた。
「目が笑っているわよ」
CFO執務室の扉が静かに閉まった。
黒川とフェイスの面談 → ラビットとの立ち話
フェイスの執務室を出た黒川は、
扉が閉まる音を背中で聞きながら、深く息を吐いた。
廊下には、ラビットが立っていた。
腕を組み、飄々とした顔で待っていた。
「どうだった?」
ラビットが小声で聞いた。
「CEOからの提案は呑めるかい?」
黒川は、ラビットを睨んだ。
その目は怒りを押し殺していた。
「……ラビット。
お前から事前に話を聞いていなかったら、
椅子を蹴り飛ばして退席していたぞ」
ラビットは肩をすくめた。
「まあ、その怒りはもっともだが、
中林君のことを最優先で考えてくれたんだろ?」
黒川は短く頷いた。
「経理部への異動は了承した。
営業部じゃ、あいつは潰れる。
……だがな、ラビット」
黒川はラビットの胸を指で軽く突いた。
「これはお前に貸しができたんだ。
忘れるな」
そう言い残し、黒川は廊下を歩き去った。
歩きながら、低く呟いた。
(……美咲に怒鳴られるな、これは)
ラビットは、その背中を見送りながら、
笑いを堪えていた。
ラビットの裏工作
ラビットは経理部に戻ると、
めぐみに声をかけた。
「めぐみ君、ちょっといいかい」
めぐみが首を傾げながら近づく。
ラビットは、机の下から
保冷バッグをそっと取り出した。
中には、高級メロンが二つ。
丁寧に包まれていた。
「これを持って、中林君の見舞いに行ってくれ。
“経理部一同から”って言えばいい」
めぐみは目を丸くした。
「部長、これ……高いですよね?」
ラビットは飄々と笑った。
「経理部長の交際費だよ。
それに――」
ラビットはめぐみに近づき、
声を少しだけ落とした。
「中林君に、
“経理部に来ませんか”
と自然に言える雰囲気を作っておいてくれ」
めぐみは理解したように頷いた。
「……なるほど。
部長、策士ですね」
ラビットはネクタイを整えた。
「めぐみ君。
経理部はね、優秀な人材を逃さないんだよ。
特に、サトウ君が抜ける今はね」
めぐみは笑いながら保冷バッグを抱えた。
「わかりました。行ってきます」
ラビットは、めぐみの背中を見送りながら、
静かに呟いた。
(……中林君。
経理部は君を歓迎するよ。
そして――
サトウ、早く戻って来い)
あとがき
今回のエピソードに登場する経営体制、人事制度、社内手続きに関する用語について、中学生にもわかる例えを交えて解説します。
CFO(最高財務責任者)/ CEO(最高経営責任者)
解説: どちらも会社のトップクラスの役員のことです。
CFO(Chief Financial Officer): 会社のお金(予算、決済、決算など)の管理と運用を統括するトップ(財務の最高責任者)です。
CEO(Chief Executive Officer): 会社全体の経営方針や事業計画を最終決定する、組織のナンバーワン(最高経営責任者)です。
中学生でもわかる例え: 「部活動で例えると、部長(生徒代表のトップ)がCEOで、部費や予算の管理を仕切る会計顧問の先生がCFO」という関係です。
不問にする
解説: 誰かが失敗やルール違反(規律違反など)をした際、特別な事情や過去の貢献を考慮して、処罰や追及をせずにお咎めなし(免除)とすることです。
中学生でもわかる例え: 「部活の練習に連絡なく遅刻したけれど、実は怪我をした下級生を病院へ送っていたことがわかり、顧問の先生が『今回は特別にお咎めなしにする』と許してくれること」です。
無任所の調査役
解説: 特定の部署や日常の決まった業務(現場の監督や書類処理など)に縛られず、全社的な特別な調査やトラブル対応、課題の解決だけを任される特別ポストのことです。
中学生でもわかる例え: 「特定のクラスの学級委員長ではなく、校長先生直属の『学校全体のトラブル解決や調査専門のスペシャル遊撃手』」のような役職です。
産業医
解説: 会社で働く社員が心や体の健康を保てるよう、医学的な専門立場からアドバイスや指導、面談を行う医師のことです。
中学生でもわかる例え: 「学校の保健室の先生や校医さんのように、生徒が体調やメンタルを崩したときに相談に乗り、アドバイスをくれるお医者さん」です。
5. 交際費
解説: 会社が取引先や社内の関係者と良好な関係を保つため、あるいはお見舞いや接待などのために使うことを認められている経費(会社の予算)のことです。
中学生でもわかる例え: 「クラスの代表として、入院してしまったクラスメイトのお見舞い品(お花や千羽鶴など)を買いに行くために、学級費から出すお金」です。




