第21話 第四話 第五章その1『サトウは数字の意味を知る』ー沈黙の破綻
サトウは数字の意味を知る
第五章その1 沈黙の破綻
病院の静寂、二人の沈黙
病院の通路は静かだった。
消毒液の匂いが薄く漂っていた。
青白い蛍光灯に照らされた黒川は、壁にもたれ、目を閉じていた。
中林が手術室に運ばれたドアから、医師が手術着のまま出てきた。
医師の言葉は短く、重かった。
「発見が早く、命に別状はありません。
ただし、退院にはまだ日数が必要です」
黒川は医師に礼を述べ、息を吐いた。
胸の奥が痛んだ。
洗面所から足音が近づいた。
サトウだった。
黒い背広の袖とシャツに、赤黒いシミが広がっていた。
二人はしばらく言葉を発しなかった。
通路の静けさが、二人の間に沈んだ。
黒川が口を開いた。
声は低かった。
「……明日、朝一番に営業担当の会議を行う。
君も出てくれるか?」
サトウは黒川を見た。
目は沈んだ灰色だった。
「自分の尻は、自分で拭いてください」
黒川は言葉を失った。
通路の空気がさらに冷えた。
サトウは視線を黒川から外し、ゆっくりと続けた。
「……その会議の終わり、三十分を私にください。
それなら出席します」
黒川は静かに頷いた。
ストレッチャーで病室に運ばれる中林を見送ると、黒川は深夜の路上へ出て行った。
サトウは黒川の後ろ姿を見送り、中林の病室へ向かった。
サトウの夜は終わらない。
営業部会議室の爆発
営業部会議室
中林が自傷した翌日、営業部は普段とは異なる静寂に包まれていた。
イベント成功に沸いた昨日の喧騒が嘘のようだ。
美咲は、出社後すぐに黒川部長から会議室に来るようにとのメールを確認した。それは、昨夜遅く黒川が発信したものだ。
美咲は、手荷物を机の引き出しに入れ、急ぎ足で会議室に向かった。
会議室には、すでに黒川部長、ワン課長代理、主任クラスの社員四名、人事担当課長のスワン女史が席についていた。
美咲が、全員に会釈すると黒川が席に座れと促した。
「全員揃ったな。
みんな、早朝に集まってもらったのは、二件の報告があるからだ。
まず、営業部の三枝課長が自宅待機になった。
アリーナでのイベントの妨害工作に関与した疑いがある。
詳細が明らかになるまで、職場復帰はない。
ここだけの話だが、重い処分は免れないだろう。
次は、昨夜中林課長代理が、病院に運ばれた。
自傷行為による怪我が原因だ。
彼もしばらく職場復帰は見込めない。
つまり、営業部は課長と課長代理の二名が不在になる。
彼らの業務は、残った営業部全員でカバーしてもらう。
新しい体制は、一両日中に決定し、周知する。
ワン君、美咲君、君たちがリーダーシップをとるんだ。
主任の君たちも、二人に協力し職務をまっとうしろ。
よろしく頼む」
一気に黒川部長が話し終えると、美咲以外の誰もが押し黙った。
美咲が声を上げる。
「黒川部長、中林先輩の容態はどうなんですか!先輩が自傷行為だなんて信じられません。何があったのですか!」
美咲は、中林と同じ大学の学部で一年後輩だった。
入社前の会社説明とインターン勤務を、中林が親身に美咲を指導してくれた。
現在、課長代理同士として競い合うのも、先輩として慕う中林に追いつきたいためだ。
黒川が美咲にこたえようとした時、会議室にドアをノックする音が響いた。
「入れ」黒川が指示するとドアが開き、
「遅れて申し訳ありません。人事部長とCFOに捕まっていました」
経理部のサトウが会議室に入った。
サトウの糾弾
「どこまで、お話が進みましたか?」
サトウの問いに黒川が短く答える。
「三枝課長の自宅待機、中林の入院までだ。
それと、美咲君に中林の自傷について、問い詰められていたところだ」
「わかりました。私が説明してもよろしいですか?」
「構わんよ。君が要求した30分も使ってくれ」
黒川はサトウに主導権を譲る。
サトウは、黒川以外の会議室に集まった面々を見渡した。
人事課長のスワンに会釈した。
「スワン課長、申し訳ないですが暫くお付き合いください」
スワンは、無言で頷いた。
美咲は、突然のサトウの登場に戸惑っていたが、黒川に投げた疑問をサトウにも問いかけようとした。
サトウは、それを目で制し、一つ息を吐き出し話し始めた。
「美咲君、君の疑問に答える前に、ここにいる営業部の皆さんに黒川部長のお話を補足します。
まず、美咲君のイベントリーダー就任を、三枝課長は面白くなかった。
彼は、自分の価値を貶められたと感じていた。
それで、美咲君たちのプレゼンテーションを妨害しようとした」
美咲が口を挟む。
「はい、由紀ちゃんの元夫を使って、初日のプレゼンを妨害しました。
でも、サトウさんのおかげで、二日目、最終日は大成功でしたよ?」
「うん、だが三枝課長の妨害工作はそれだけではなかったんだ。
社員に他の方法を使って、妨害を指示していたんだ」
サトウはそこで言葉をきり、ワンを見つめた。
「そうですね。ワンさん」
突然、話を振られたワンは、目を見張ったが冷静さを保ち、答えた。
「ええ、三枝課長から、プレゼン資料を加工するなど妨害するように命じられました。
だが、私はそんなことはしていませんよ」
「はい、ワンさん。あなたは、三枝課長の命令を実行していません。
あなたは、そんな姑息なことはしない」
サトウは、ワンから目をそらし、美咲たちに語りかけた。
「三枝は、中林君にも、ワン君と同様に妨害工作を命じたんだ。
中林君は、悩みに悩んだが三枝の脅しに負けた。
美咲君のプレゼン資料の一部を隠したそうだ」
美咲はそれを聞き、立ち上がった。
「そんなのプレゼンになんの影響もなかったです!
私も由紀ちゃんも、何度もリハーサルを繰り返し、プレゼンの内容は頭の中に入っていました。
中林先輩の妨害なんて、関係ありません!」
泣き出しそうな美咲を宥めるように、サトウが美咲の肩を叩き座らせた。
「落ち着いて聞いてください。大事な話はこれからです。
中林君は、初日のプレゼンが不首尾に終わったことを見た後、会社にも戻らず社宅に帰ってしまいました。
彼は、初日の失敗を自分が妨害したと思い込んでいました。
だから、その後の顛末も知らないし、美咲君たちが良い結果を出したことも知離ませんでした」
週休明けに、彼は出勤したが事情を知らない噂話に動揺した。
”三枝課長が懲戒免職になる”、”三枝に協力したものも同罪だ”などという流言が職場に飛び交っていました」
「そうですね、ワンさん」
ワンは、無言で頷いた。
「そして、中林君は職場にいたたまれず、社宅に帰り引きこもってしまいました。
彼は、私に連絡してくれましたが、その日から管理者研修のため彼を助けることができませんでした。
私が彼からのメッセージを確認したのは、日が変わる間際でした。
彼のメッセージは、切羽詰まった彼が責任と悔恨に押しつぶされ、今にも自分を傷つけることが容易に想像できました。
私は、急いで社宅に向かい、当直の管理人に彼の部屋のドアを開けてもらいました。風呂場で自分を傷つけて倒れていた彼を救急車を呼び日赤中央病院へ救急搬送しました」
そこで一息入れ、サトウは全員に視線を向けた。
「これが、中林君の自傷の経緯です」
あとがき
今回のエピソードに登場する会社組織や人事・トラブル対応に関する用語について、中学生にもわかる例えを交えて解説します。
1. 自宅待機
解説: 会社で問題を起こした疑いがある社員に対して、事実関係を調査して処分が決まるまでの間、出社を禁止して自宅で待機するよう命じる会社からの指示のことです。
中学生でもわかる例え: 「学級崩壊やトラブルの犯人だと疑われている生徒が、先生の調査が終わるまで『一旦、家で反省しながら待っていなさい』と自宅学習を言い渡される状態」です。
2. 自傷行為
解説: ストレスや強い不安、罪悪感などに耐えかねて、自分で自分の体を傷つけてしまう行為のことです。
中学生でもわかる例え: 「テストの点数が悪くて自分に腹が立ち、壁を思い切り殴って自分の手骨を折ってしまうような、自分自身を攻撃してしまう行動」です。
3. CFO(シー・エフ・オー / 最高財務責任者)
解説: Chief Financial Officerの略で、会社の中でお金(予算や決算など)の管理や運用に関するすべての決定権を持つ「財務の最高責任者」のことです。
中学生でもわかる例え: 「部活動で言えば、部費を何にいくら使うかをすべて管理・決定する『会計担当のトップ(先生)』」のような存在です。
4. 懲戒免職
解説: 会社や組織のルールに違反したり、重大な犯罪・悪事を行ったりした社員に対して下される、最も重いクビ(解雇)の処分のことです。退職金が支払われないことが多く、再就職も非常に厳しくなります。
中学生でもわかる例え: 「校則に違反して何度も深刻な問題を起こした生徒に対する、一番重い処分である『退学処分』」です。
5. 流言
解説: 根拠のないウワサや、事実かどうか確かめられていない怪しい情報が世間や社内に広がることです。
中学生でもわかる例え: 「『○○先生が来月学校をやめるらしいよ』といった、本当かどうか誰も確認していないクラス内の『怪しいウワサ話』」です。




