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次はきっと  作者: Charles39
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第一章 『またあとで』その一

昼休みの食堂は、もうほとんど席が埋まっていた。

カレーを持ったまま一度見回すと、ちょうど二人掛けのテーブルがひとつ空いていた。隣では四人組が昨日のレポートについて話していて、声が大きくなったり小さくなったりしている。

座ってからは、もう気にしなかった。

別にカレーが食べたかったわけじゃない。

あの列がいちばん短かっただけだ。

半分くらい食べたところで水を取ろうと手を伸ばし、顔を上げると、入口から水野さんが入ってくるのが見えた。

トレーを持ったまま、その場で中を見回している。

私はコップを置いた。

「水野さん」

彼女が振り向く。

いくつかのテーブルの間を視線が行き来して、最後に私を見つけた。

「高瀬さん」

向かいに置いていたスマホと紙ナプキンを、自分のほうへ寄せる。

水野さんはこっちまで来て、椅子を一度見た。

「ここ、いい?」

「うん」

水野さんがトレーを置く。

うどんだった。横に小さな皿がひとつ付いている。二度ほど見たけれど、結局何なのか分からなかった。

「ここ、よく食べに来るの?」

水野さんが箸を割りながら聞いた。

「空いてるところに行く」

「じゃあ、おいしいから来てるわけじゃないんだ」

「まずくはないよ」

「微妙な評価」

もう一口食べる。

「水野さんは?」

「今日は別の食べようと思ってたんだけど」

箸で入口のほうを指した。

「あっち、並びすぎてて。見た瞬間やめた」

「あそこ毎日混んでるよ」

「食べたことある?」

「一回」

「おいしかった?」

「普通」

水野さんが一秒くらい私を見る。

「高瀬さんって、食べ物の感想、よく『普通』って言わない?」

「そう?」

「おいしいって言ってるの、あんまり聞いたことない気がする」

少し考えたけれど、思い出せなかった。

水野さんはうどんを一口食べる。

私も食事に戻った。

隣で誰かが椅子を引いた。脚が床を擦って、甲高い音がした。

水野さんもそっちを見る。

音が消えると、また二人とも自分のものを食べた。

しばらく、どちらも何も言わなかった。

カレーに残っていた最後のじゃがいもをスプーンで割る。

水野さんのうどんは、まだ半分くらい残っている。

「高瀬さん、午後も授業ある?」

「ある。二時」

「一コマ空くんだ?」

「うん」

「いいな」

「水野さんは?」

「もう少し早い」

スマホを見て、また置く。

「まだ時間あるけど」

「じゃあ、なんでずっと時間見てるの?」

「癖」

「へえ」

水野さんはまた何口か食べた。

私はカレーを食べ終えた。水はまだ半分残っている。

「じゃあ、このあとどこ行くの?」

「図書館」

水野さんが顔を上げた。

「真面目」

「勉強しに行くわけじゃない」

「じゃあ何しに?」

「昨日、途中まで読んだから」

彼女が少し待つ。

「何を?」

「漫画」

箸が止まった。

「漫画読むために、わざわざ図書館行くの?」

「静かだから」

「自分の?」

「スマホ」

「それならどこでも読めるでしょ」

私は横を見る。

隣の四人組が、何の話か急に全員で笑い出した。

水野さんもそっちを見た。

「……うん。これは反論できない」

私はスマホを取って時間を見る。

画面をつけると、昨日閉じ忘れた漫画が最近使ったアプリに残っていた。下のところに触れてしまって、そのままページが開く。

水野さんが覗いた。

「これが、このあと読むやつ?」

「うん」

スマホを少し彼女のほうへ向ける。

水野さんも、そのぶん近づいてきた。

距離が縮まって初めて、かすかな匂いがした。

テーブルのカレーやうどんとは違う匂い。

髪なのか、服なのかは分からない。

ちょうど表紙が画面に出ている。

「恋愛漫画?」

「うん」

「面白い?」

「最近はけっこう面白い」

「最近?」

「前のほう、かなりだるいところがあった」

水野さんが表紙の右側にいる女の子を指す。

「この子、かわいい」

「この子、めんどくさい」

手が空中で止まった。

「そんなはっきり?」

「ほんとにめんどくさい」

「何したの?」

私は少し前のページまで戻した。

探さなくても覚えているけれど。

「待ち合わせして、自分が遅れるって分かってるのに、メッセージずっと返さない」

「なんて言えばいいか分からなかったとか?」

「それなら、とりあえず遅れるって言えばいい」

「理由は?」

「言いたくないなら言わなくていい」

水野さんが私を見る。

私はもう一ページ先へ送った。

どうして遅れるのかなんて、駅で待っている相手には別に関係ない。

言いたくない事情なら、言わなくていい。

どこまで話すかだって本人が決めればいい。

でも、

『遅れる』

必要なのは、それだけだ。

しかもこの子はスマホを見ている。

一回じゃない。

「少なくとも、ずっとそこで待たなくていいってことくらいは伝えればいいのに」

「……それはそうかも」

「見てなかったなら別にいいけど」

画面を下へ滑らせる。

「見てるから」

ここで終わってもよかった。

でも、そのコマがまだ画面に残っていたから、もうひとつ付け足した。

「しかもそのあと、返信したら怒られるかなって悩んでる」

「怒られるの怖いのは普通じゃない?」

「普通だよ」

水野さんは、私が同意すると思っていなかったらしい。

一度瞬きをした。

「じゃあ、それでもそんなに嫌いなの?」

「怒られるのが怖いのと、人をずっと待たせるのは別でしょ」

スマホをテーブルに戻す。

「先に一言送ったからって、それで余計に怒られるわけでもないし」

水野さんが私を見ている。

二秒くらいしてから気づいた。

「何?」

「別に」

彼女はさっきの表紙をちらっと見る。

「ただ、そこまで聞くと、なんか本当にちょっと嫌になってきた」

「最初からめんどくさいよ」

「でも顔はやっぱりかわいい」

「それは別」

「私はやっぱり顔は好き」

「じゃあ、そこは好きでいいんじゃない」

水野さんが少し笑った。

「そうする」

残っていたうどんを食べ始める。

私もスマホの画面を消した。

テーブルには、食べ終わったトレーが二つだけ残った。

話が一度途切れる。

水野さんがスマホを手に取ると、画面がついた瞬間に震えた。

通知を見て、指を何度か滑らせる。

見たことのないアルバムジャケットが表示された。

「それ、水野さんがライブ行くバンド?」

「ん?」

私の視線を追って、自分のスマホを見る。

「これ?」

「うん」

「ああ。このバンド、ライブで観たことあるよ」

「うるさい感じ?」

「ずっとうるさいわけじゃない」

「じゃあ、どんな感じ?」

少し考えたあと、

「聴いたほうが早いかも」

と言って、スマホの中をしばらく探した。

「これならいいかな」

何度か画面を押す。

「送るね」

そこで止まった。

「……あ」

「何?」

顔を上げる。

「私、高瀬さんのLINE知らない」

「うん」

水野さんが私を見る。

「じゃあ、交換する?」

私はもうスマホを出していた。

出してから、自分が交換するかどうかを一度も考えなかったことに気づいた。

水野さんも私の手元を一度見た。

でも何も言わない。

自分のQRコードを出してくれる。

読み取って、追加する。

向こうも画面を二、三度タップした。

新しいトーク画面が開く。

名前は、水野紫苑。

次の瞬間、スマホが震えた。

曲が一つ送られてくる。

「来た」

「あとで聴けばいいよ。ここで聴いても周りうるさいし」

「うん」

スマホをテーブルに戻した。

昨日までは、偶然会わなければ、水野さんと連絡を取る手段はなかった。

今はある。

だからといって、何かする必要があるわけでもない。

ただ画面の中に、トークルームがひとつ増えただけだ。

「高瀬さんって、普段何聴くの?」


---


高瀬さんがスマホをテーブルに戻してから、私も自分のを置いた。

トーク一覧のいちばん上に、さっき追加したばかりの名前がある。

私はただ、

「じゃあ、交換する?」

と言っただけだった。

高瀬さんは「うん」とすら言わずに、もうスマホを出していた。

少しくらい間があると思っていた。

嫌がるとか、断るとか、そういう意味じゃなくて。

急にLINEを交換することになったとき、普通ならほんの少しくらいある、あの間。

高瀬さんにはなかった。

私はスマホを少し横へ押した。

「高瀬さんって、普段何聴くの?」

「アニソンが多い」

「観たアニメの?」

「そうとは限らない。曲だけ好きなこともある」

「曲からアニメ観ることもある?」

「たまに。逆のほうが多いけど」

「観終わってからプレイリストに入れる?」

「うん」

また、うん。

私は高瀬さんを見る。

さっき漫画の話をしていたときは、こうじゃなかった。

最初は、あのキャラが何をしたのか聞いただけだった。

理由を聞けば、それで終わると思っていた。

なのに高瀬さんはそのあとも自分から続けた。

メッセージを見てるのに返さなかったとか。

少なくとも遅れることくらい伝えればいいとか。

怒られるのが怖いことと、相手を待たせることは別だとか。

途中からは、私が何も聞いていないのに。

それでも自分から続きを話していた。

だから急にこっちを見て、

「何?」

と聞かれたとき、

「別に」

と答えた。

少し意外だっただけだ。

普段なら、一言で終わるのに。

話が途切れてから、うどんをとっくに食べ終えていたことに気づいた。

紙ナプキンも箸も、もうトレーの上にまとめてある。

スマホを鞄に入れて、手がトレーの縁に触れた。

今立って帰っても、何もおかしくない。

そもそも、この席に座るつもりだったわけでもなかった。

食堂に入ったとき、少し先に空いているテーブルを見つけていた。

場所はあまりよくないけれど、座ることはできる。

そっちへ行こうとしたところで、呼ばれた。

「水野さん」

振り返ると、高瀬さんが二人掛けのテーブルに座っていて、向かい側の席はもう空けられていた。

最初に見つけたテーブルも、まだ空いていた。

でも、二度目は見なかった。

今になって思えば、私はあのとき、

「ここ、いい?」

なんて聞いていた。

向こうから呼ばれたのに。

聞く必要なんて、たぶんなかった。

まあ、知り合いに会って一緒にご飯を食べるくらい、普通だけど。

向かいを見る。

高瀬さんのカレーはとっくに空になっていて、残っているのは水だけだ。

そういえば、座ってから今まで、彼女が本当に好きな食べ物の話は聞いていない。

「高瀬さんって、特に好きな食べ物ある?」

聞いてから、別に今聞かなくてもいいことだと気づいた。

でも高瀬さんは特に間を置かなかった。

「甘いもの」

「甘いもの?」

「うん」

「例えば?」

少し考える。

「ケーキ。プリンも好き」

「ほかは?」

「シュークリーム。アイス」

「思ったより広いね」

「全部デザートでしょ」

「じゃあ、甘いものなら基本なんでも?」

「おいしくないのは無理」

笑ってしまった。

「やっと『普通』じゃない感想出た」

「おいしいのとおいしくないのはあるよ」

「じゃあ基準、高いの? 低いの?」

「ものによる」

「分かりにくいなあ」

高瀬さんが水を飲む。

ふと、駅の反対側にある店を思い出した。

少し前に友達と一度行った店。

小さくて、中に入ると外よりずっと静かだった。

ショーケースには、カラメルの色がかなり濃いプリンがあった。

あの日は食べなかった。

別のテーブルへ運ばれていくのを見て、ちょっとおいしそうだと思ったことだけ覚えている。

高瀬さん、ああいうの好きそう。

そう思うまでが、妙に早かった。

考え終わる前に、高瀬さんが聞いた。

「水野さんは?」

「何が?」

「好きな食べ物」

「ああ」

聞き返された。

少し考える。

「これが絶対っていうのはないかな。その日の気分」

「甘いものは?」

「好きだけど、甘すぎるのは無理」

「知ってる」

「なんで?」

「前に言ってた」

一瞬止まった。

それから思い出す。

あの期間限定の飲み物。

「……ああ、そうだった」

覚えてたんだ。

別に不思議でもない。

まだ数日前の話だし、私だって、高瀬さんが期間限定を見るとつい買うのは覚えてる。

「じゃあケーキも、甘すぎるのは駄目?」

今度は向こうから聞いてきた。

「種類によるかな」

「例えば?」

「チーズケーキなら多少甘くてもいい。クリームが甘すぎるのは無理」

「へえ」

高瀬さんはそれ以上何も言わなかった。

私はスマホを見る。

授業まで、あと十二分。

「あ」

「何?」

「そろそろ行かないと」

「あと十二分あるよ」

「うん。歩いたらちょうどそれくらい」

「二号館?」

「うん」

「じゃあ間に合う」

私はトレーを持ち上げた。

箸も紙ナプキンも、とっくに片づけてある。

さっき初めてトレーの縁に触れたとき、本当はもう立って帰れた。

「あの曲、あとで聴いてね」

「うん」

「好きじゃなかったら、そう言っていいから」

「言う」

間を置く暇もないくらい、すぐ返ってきた。

私は高瀬さんを見る。

さっきの漫画に出てきた、メッセージをずっと見ているのに何も返さなかった子が、また頭に浮かんだ。

「……まあ、そうだよね」

「何が?」

「何でもない。もう行く」

トレーを持って、その場を離れた。

高瀬さんはついてこなかった。

そもそも校舎が違う。


---


午後の授業が終わってから、隣の子と少し話していた。

教室を出たところで、ようやくスマホを取り出す。

LINEに新しいメッセージが一件。

高瀬さん。

廊下の端で足を止めて、開く。

> 最後のところのほうが好き。

一文だけ。

私は数秒、その画面を見た。

本当に聴いたんだ。

しかも、

「よかった」

とか、

「聴いた」

だけじゃない。

昼に送った曲をもう一度開いて、再生位置を後ろへ動かす。

イヤホンは持っていなかったから、音量をぎりぎりまで下げて、スマホを少し近づけた。

最後のところに入る。

私もここが好きだった。

LINEに戻る。

> 私もそこ好き

打った文字を一度見て、そのまま送る。

画面に二つ目の吹き出しが増えた。

前のほうで誰かが教室のドアを閉める。

廊下が急に静かになった。

スマホをロックして、鞄にしまう。

階段のところまで来たとき、また震えた。

取り出す。

> うん

その一文字を、二秒くらい見た。

それからスマホをしまった。

今度は、もう取り出さなかった。

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