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次はきっと  作者: Charles39
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序章 『いつもの電車』その三

水野さんが乗ってきた。

いつものように頷きかけて、今日は声にした。

「おはよう」

水野さんの歩みが一瞬止まった。

「……おはよう」

ほんの一瞬だった。

水野さんは昨日と同じ場所まで歩いていった。

私の手には、駅の近くで買った飲み物がまだあった。

蓋はもう開いているけれど、一口飲んだきりだった。

ドアが閉まった。

水野さんが私の手元を見る。

「それ、おいしい?」

私はボトルを見る。

パッケージでいちばん目立つのは、『期間限定』の文字だった。

その下に、ずっと小さな字で『白桃と紅茶』と書いてある。

買うときはちゃんと見ていなかった。

「甘すぎる」

「おいしくない?」

「飲めないほどじゃない」

「それ、おいしくないってことじゃない?」

もう一口飲む。

やっぱり甘い。

水野さんがこっちを見ていた。

「なんでまだ飲むの?」

「買ったから」

「買ったのは知ってる」

「だから飲み切る」

彼女が二秒くらい黙った。

「高瀬さんって、たまに変だよね」

「どこが?」

「今の」

私の手にあるボトルを指す。

「おいしくないのに、最後まで責任取ろうとするところ」

「捨てるのはもったいない」

「だからって、無理して飲み切らなくてもいいでしょ」

もう一口。

やっぱり甘い。

「しかも、買う前に味ほとんど見てなかったでしょ?」

「ちゃんとは見てない」

「それ、完全に自分のせいじゃん」

「そもそも限定だから買った」

水野さんはすぐには返さなかった。

ボトルを見て、それから私を見る。

「つまり、期間限定だから買っただけ?」

「おいしかったらもっといい」

「限定ってだけで買うの、さすがに――」

そこで止まった。

「何?」

「……なんでもない」

「水野さんも買う?」

「飲み物じゃないけど」

「何を?」

「ライブのグッズ」

「限定?」

「会場限定」

「同じ」

「どこが同じなの」

「限定って書いてあったら買うところ」

水野さんは少しだけ唇を尖らせて、私を見る。

「違う」

「どこが?」

「……とにかく違う」

また一口飲む。

甘い。

「ライブ、よく行くの?」

水野さんがこちらを向いた。

「好きなのがあれば」

「一人で?」

「一人のときもあるし、友達と行くときもある」

「へえ」

「高瀬さんは?」

「行ったことない」

「一回も?」

「うん」

水野さんが私を見る。

「その返事、もう何回も聞いた気がする」

「うんで答えられる質問だから」

「今のも私のせい?」

「別に責めてない」

電車が次の駅に入る。

何人か降りて、ドアの前に少しだけ空間ができた。

水野さんが横へ一歩ずれる。

私も少し位置をずらした。

乗ってくる人は多くなかった。

ドアが閉まっても、水野さんはそのまま隣にいた。

「私は甘くないほうが好き」

「お茶?」

「飲み物はだいたい甘くないほうが好き。甘すぎると、途中で飽きる」

「じゃあこれは無理」

「見てればわかる」

「そこまでひどくない」

「もう庇わなくていいよ」

「庇ってない」

私は蓋を閉めた。

残りはあとで飲む。

水野さんがそれを見ていた。

「もう飲まないの?」

「次、降りるから」

次が大学の最寄り駅だ。

「そっか」

水野さんもスマホを鞄にしまった。

電車が減速し始める。

私はドアのほうへ一歩寄って、それから横を見る。

水野さんも来た。

ドアが開く。

二人で降りた。

改札前は、ここ二日より人が多かった。

定期券をタッチして抜ける。

水野さんも隣の改札から出てきた。

今度は、どちらも立ち止まらなかった。

坂を上り始めても、水野さんは隣にいた。

昨日は彼女がよく話しかけてきた。

今日はそうでもない。

しばらく何も話さない時間があったけれど、何か話さなきゃ、とは思わなかった。

最初の信号まで来る。

水野さんが私のボトルを見た。

「じゃあ、明日も期間限定があったら買うの?」

「新しいのがあれば」

「全然懲りてない」

「これで懲りるほどじゃない」

「さっきおいしくないって言ってたじゃん」

「おいしくなくても飲めないわけじゃない」

「高瀬さん、飲み物には意外と寛容なんだね」

「飲み物だから」

「人には?」

私は彼女を見る。

水野さんも私を見る。

信号が青になった。

前の人たちが歩き出す。

水野さんが先に視線を戻した。

「……やっぱりいい。今のなし」

横断歩道を渡る。

私は答えなかった。

人に寛容かどうかなんて、考えたことがない。

考えるにしても、誰を基準にすればいいのかわからない。

昨日と同じ分かれ道に着いた。

水野さんが少し歩調を緩めた。

「じゃ、私こっち」

「うん」

彼女が二号館のほうへ曲がる。

私も一号館のほうへ向かった。

何歩か歩くと、手に持っていたボトルが鞄に当たった。

私は止まる。

「水野さん」

振り返った。

「ん?」

ボトルを少し持ち上げる。

「隣に無糖のもあった」

水野さんが私を見る。

「だから?」

「甘いの苦手って言ってたから」

「……ああ」

少し間があった。

「それ、おいしいの?」

「知らない」

「買ってないの?」

「限定じゃなかった」

今度は水野さんが笑った。

大きな声ではない。

「じゃあ今度、自分で試してみる」

「うん」

水野さんは二号館へ歩いていった。

私も前を向く。

手元の飲み物はまだ半分残っている。

午後に飲めばいい。


* * *


さっき、高瀬さんに呼び止められた。

二号館に入ってから、またそのことを思い出した。

朝の電車でもそうだった。

私がいつもの場所まで歩いたところで、向こうから先に「おはよう」と言われた。

昨日はほとんど私から話しかけていたのに、今日は高瀬さんのほうが先だった。

でも、もう苗字は知っている。

朝会えば挨拶するくらい、普通だ。

さっきのは少し違う。

もう二人とも別の方向へ歩き始めていた。

私は何歩か進んでいた。

その後ろから声がした。

「水野さん」

私は振り返った。

それで言われたのは、隣に無糖の飲み物もあった、というだけ。

電車の中で、甘すぎるのは苦手だと一度言った。

一度聞いた話を覚えていること自体は、何もおかしくない。

高瀬さんは、人の話をちゃんと聞いている。

ここ数日話していれば、それくらいは分かる。

でも、覚えていただけなら、わざわざ呼び止めなくてもよかった気がする。

階段を上る。

踊り場まで来たところで、また考えすぎている気がした。

たぶん、隣に無糖のものがあったことを思い出して、そこから私が言ったことも思い出した。

それで言っただけだ。

そう考えれば普通だ。

また階段を上る。

今日は誰も何も落とさなかった。

朝も、私は何を話すか考えていたわけじゃない。

それなのに、あまりおいしくない飲み物一本からライブの話になって、そこからまた飲み物の話に戻った。

言わなくても何も困らない話が、ずいぶんあった。

昨日は黙るたびに、次に何を言おうか考えていた。

今日は何度か、二人とも黙っていた。

それでも電車はそのまま走った。

坂もいつもどおり歩き切った。

教室の前まで来て、ドアノブに手を掛ける。

それなのに、最後に言われた言葉がまた浮かんだ。

「甘いの苦手って言ってたから」

たしかに言った。

一度だけ。

中から誰かの話し声がする。

私はドアを開けた。

今は、考えないことにした。

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