二十四章 休日、侯爵邸の訪問者(5)
料理長ガスパーが庭の爆撃を始める前にと、マリアは使用人仲間たちにお願いして、モルツ達を屋敷から連れ出した。
町の人たちは、一緒に歩いているのがマリアという事もあって、モルツやニールを警戒する様子もなく「見掛けない顔だね」と親しげに声を掛けてきた。ヴァンレットを見ると「この前の大きい人だ」と口にする者もいて、「正体は『騎士様』でしょ!」とはしゃぐ子供もいた。
向かったのは、以前ヴァンレットを連れてきた川辺だった。人通りは少なくて、正午には早い柔らかな日差しを受けて、穏やかな川面がキラキラと光っていた。
結局ゆっくり出来なかったなぁ……。
あれからしばらく、マリアはスカートの足を引き寄せて川辺の傾斜に腰かけていた。自分の休日お屋敷ライフはどこへ行ったんだろうな、とぼんやり考えている。
「何故待機しているのか伺っても?」
「勿論あなた達を帰すためですわ」
またしても馬車を呼ぶハメになったんだぞ。そう思いながら、左隣りに同じ姿勢で座っているモルツに言い返した。
マリアの右隣には、デカいヴァンレットがいた。彼を挟むようにして、モルツから距離を取ったニールが足を伸ばして座っている。二人ともまだ状況把握に至っていないのか、ここに連れて来られた理由でも考えているかのように川を眺めていた。
「それにしても、お前のところのコックは極端な男ですね」
「武器ダメージが好きではないご自身の感想から言うのは、おやめくださいませ、モルツさん」
「次に伺う際には、是非素手でお願いしてみようと思います」
「やめろ。というか来るな」
そもそも、お前ロイドのひっつき虫が犬みたいなところあるのに、たまにフットワーク軽い部分は一体どうなっているんだ?
そう思って見つめ返していたら、ヴァンレットがきょとんとしてこちらを見下ろしてきた。その向こうから、ニールが首を伸ばして「お嬢ちゃん、相変わらず口悪いねぇ」と言って、こう続ける。
「変態に同意するのは癪だけど、なんで来ちゃ駄目なの? だってお嬢ちゃんの住んでいるところでしょ?」
「…………ニールさん、私は雇われている身であって、あそこはアーバンド侯爵家のお屋敷なのですけれど……」
考えれば分かる事だろう。もう心配でならないレベルで、こいつらの一般常識を疑いたい。
「だってさ、向こうに行かないと『お嬢ちゃん遊ぼー』って誘えないじゃん」
「待って待って、だから何故誘う必要があるんですか」
「ニールに同意するのは癪ですが、それは私も同感です」
「お前は主人のところで願望を満たせ、こっちはこっちで手いっぱいだ」
自由奔放過ぎる元部下の相手中だったマリアは、イラッとして素の口調で言った。部外者は引っ込んでろ、と言うように親指の仕草で『帰れ』とやってのける。
それを見たモルツが、間髪入れず「はい」と素直に答えた。
「時々容赦なく出るところも素晴らしい」
「わくわくして次の命令を待つな」
ぴしゃりとそう言った時、マリアは屈み込んで見て来る気配を感じて「ん?」とヴァンレットに視線を返した。
「マリアは、何に『手いっぱい』なんだ?」
「え。……あーっと……まぁその、今のところヴァンレットとニールさんというか」
もうホント手が掛かる。十六年経っているのに、何かしでかしそうで目が離せないとか、お前ら色々な意味でしっかりしろよと言いたくもなるぞ。
マリアは、その辺の成長が見られないのも元上司として複雑だ、という目をそらした。隣からモルツが「お前、顔と目に全部出てますが」と言った言葉は、ヴァンレットの声に重なっていた。
「うむ。そうか、マリアは俺とニールで手がいっぱいなのか」
「待ってヴァンレット、なんで嬉しそうなの」
「褒めるか?」
「またいきなりだなオイ」
上機嫌にずいっと頭を寄せられて、マリアは疑問を表情に浮かべた。隣でいまだそわそわしている変態野郎の気配に気付くと、イラッとして「モルツさん」と話を振った。
「ヴァンレットが、頭を撫でられたいそうです」
「それは断固拒否します。ニールがやればいいと思います」
モルツと揃って、マリアはニールへと目を向けた。
テンションが一気に下がった事で変態気が消えた事を察し、ニールが本能的な警戒を解いて「何?」とコテリと首を傾げる。彼は手短に事情を伝えられると、全く抵抗もなく「いいよー」と軽く言った。
「でもさ、お嬢ちゃんのとこのお屋敷の人って、なんだか優しい人がたくさん集まってる感じ。よく分からないけどさ、起きたら『ムキムキのコック』に『ちっこいコック』がしがみついていて、面白かった」
わしゃわしゃとヴァンレットの緑の芝生頭を撫でながら、ニールが思い返すようにそう言った。
モルツが何事か口にするのを諦めた様子で、川へ目を向けた。膝立ちのニールに、後ろから頭をぐしゃぐしゃにされている楽しげなヴァンレットから、マリアもぎこちなく目をそらす。
「…………再会してから薄々思っていたんだが、ちょっと心配だな」
「…………お前、気付くのが遅過ぎますよ。当時から色々と言われていたでしょうに」
こっそり呟くと、モルツが同じ声量でそれに答え返してきた。
こうして少女に生まれ変わったのがバレて、当時のように普通にやりとりしている。なんとも気楽で、それでいて不思議な状況をマリアはチラリと思った。
ふと、『女の子のマリア』として侯爵邸に連れて来られた幼い頃、あのガスパーと二人で話した夜の事が思い出された。
――『マリア』か、いい名前だな。俺のいた国では女神様の名前なんだぜ。
――女神様?
――おぅ。俺の国の神様には、空と海と大地の娘がいてな? 空の女神様の名前が『マリア』なんだ。
――ふうん。どんな神様なの?
――…………すまねぇな、忘れたよ。もうずっと昔の話だからな。
あの時、ガスパーはそう言って、古びた結婚指輪を撫でていたのを覚えている。お前ら全員、俺の子供みてぇなもんなんだよ、だからいっぱい食っていっぱい育てと笑って――。
そう思い返していたら、隣でじっと川を眺めていたモルツの方から声がした。
「ところで、今気付いたのですが。せっかく足を運んだというのに、私は目的の『休日ご褒美』を頂いていないのですが」
「やっぱりその目的で来たのかよ!」
というか訪問時にもうっかり殴っちまっただろうがッ、とブチリと切れたマリアは、反射的にそのままモルツをぶん投げていた。変態はお断りだ、という一心だった。
ニールが、それをバッチリ目撃して「お嬢ちゃん何してんのおおおおおお!?」という声を上げた。しかし、彼はすぐに気を取り直した様子で「でもまぁ」と続ける。
「今、一瞬、変態の気配が出てゾワッとしたから助かった」
ちゃっかりニールはそう言った。
よく分からないヴァンレットが、それでも分かった風に「うむ」と頷いていた。彼は、どこか満足げな様子だった。
※※※
屋敷に再び穏やかな空気が戻ってから、少しが経った。
料理長のガスパーは、厨房の裏口で煙草を一本やっていた。木箱の上に腰かけて、ぼんやりと青空を眺めている。その晴れやかで心地いい青い色のせいか、ふと、同じ色の瞳をした幼いマリアに、チラリと話し聞かせた事が脳裏を過ぎった。
――俺の国の神様には、空と海と大地の娘がいてな? 空の女神様の名前が『マリア』なんだ。
――ふうん。どんな神様なの?
――…………すまねぇな、忘れたよ。もうずっと昔の話だからな。
本当は覚えていた。だけど語る事が出来なかったのだった、とガスパーは思い出した。
こんな風にのんびりと空を見られる日が来るとは、当時思ってもいなかった。ただ、いつかそうであるといいなとは、ずっと思っていた。
彼が知っている故郷の国の神の名前は、とても長い。人がその正式な名を口にするのはいけない事であると教えられ、空の女神に関しては、最後の三文字の『マリア』が発音されて呼ばれたのだ。
それは、家族の健康と新しい命の誕生を祝福する、聖なる女神様だった。
※
腹の子ごと妻を失う絶望を知っているか。
俺は一夜で、二人きりしかいなかった全家族を失った。
相手は剣だけでなく、銃器や爆薬の扱いに長けた軍事大国だった。戦力差は圧倒的で、それでもがむしゃらに戦い続けた。いつかは国も降伏する。そう分かっていながら、俺たちはその時までギリギリでも国と国民を守ろうとしていた。
もう少しだ、もう少しで戦争も終わると、誰もがそう思っていた。
「――隊長、残念ながら奥様が」
唐突に届いたのは訃報だった。
まだ命が宿って半年。腹の中の子も助からなかった。俺は、たった半年だけしか父親でいる事が出来なかった。
その直後、これまでにない激戦になった。最後の戦いだと誰もが悟っていた。
容赦なく大地は焼かれ、破壊され、踏み荒らされた。国中に終戦を告げる鐘が響き渡った時、俺の部隊はほぼ壊滅状態だった。
ほとんどの部下は死んだ。守る事が出来なかった。
生きていてくれていたジョンソン伍長も、もう虫の息だった。まだ十九歳だ。助けてやるからな、しっかりしろと声を掛けて腹の穴を手で押さえた。
奴は死の恐怖にぶるぶると震えながら、でも最後はどうにかといった様子で笑った。血で塞がった俺の右目から流れる、流血か涙かも分からないそれを拭って、こう言ったんだ。
「隊長、すみません、俺はここまでです。……どうか生きてください」
そう言い残して、俺の腕の中で息を引き取った。
がむしゃらに動き続けていた身体が、心ごとボキリと折れる音がした。
俺はもう動けなかった。ジョンソンの遺体を抱き締めて「畜生」と、国か神か現実に向かってかも分からない言葉をこぼした。俺のメシを美味いと言って食ってくれたお前らが、俺にとって戦場での唯一の救いだったんだよと、くぐもった声で言ってボロボロに泣いた。
そんな時、見渡す限り死体の戦場地に、ソレはふわりと現われた。
場違いな雰囲気をした、小奇麗な格好の男だった。
「…………死神か。なら、俺を殺してくれ」
もう動けねぇんだ、と俺は言った。
そうしたら彼は『否』と答えて、それからこう切り出し、実に場違いな話を始めたのだ。
「はじめまして。『僕』は、アノルド・アーバンドだよ」
柔らかな微笑みで――まるで子供みたいな無垢な目をしていた。
それが、俺と旦那様の出会いだった。




