二十四章 休日、侯爵邸の訪問者(4)
主人たちが出掛けて少し経った侯爵邸には、のんびりとした空気が流れていた。付き添いで執事長フォレスとマシュー、サリーと衛兵ガーナットも不在である。
そんな中、マリアは屋敷裏手の縁側で残りのシーツを干していた。皺も伸ばされた真っ白い布地が、ほど良くカラッと乾いた秋の風に涼しく揺れている。
もう一枚を干してピンと伸ばし終えたところで、思わず手を止めてチラリと後ろに目を向けた。そこには縁側の段差に腰かけて、立てた膝の上で両方に頬杖をついて、ただひたすらこちらをじっと見ているだけのモルツがいる。
なんでそこにいるんだよ、とマリアは思った。すると、彼が興味もなさそうにこう言ってきた。
「ここからの風景を見ると、立派な侯爵家の裏庭とは思えないほど生活感ある空間です。以前来た時に説明はされましたが、侯爵家が半ば自給自足で食材を補っている、というのも不思議です」
マリアは、自分越しに彼が見ている風景を振り返った。種類豊富な野菜園を、屋敷が初訪問のニールが持ち前の好奇心が駆られたようにして、一度来た事のあるヴァンレットと手を繋いで眺めて回っている。
そんな穏やかな光景を見つめて、そうだなぁと思う。少し言葉を考えてから、メイドとして答えた。
「領民の税を無駄にしないためですわ。旦那様は、収める税を出来る限り下げて、還元もするように心がけていますから」
「出来た領主ですね。先程も言いましたが、豪遊の話も聞きませんし」
アーバンド侯爵もアルバートも、気分が向けば足を運んでいる。彼らは『お遊び』には強いから、金の損失なく楽しんで帰ってくるのだ。加減はしているようだが、少し増えて戻ってきたお金で手土産を買ってきたりしていた。
そういえば金品の代わりに、いい酒を持って帰ってくるのもたびたびある。この前、例の遊戯室で男衆で味見してみた酒も、キリッと締まった口応えでなかなか美味だった。
マリアがそう思い返しているそばで、モルツが座っている縁側から、ふっと屋内の方を見やった。そこを通過しようとしていた一人のメイドに気付いて、小さく反応する。
「おや。そこにいるのは」
その視線を真っ直ぐ向けられたメイドのカレンが、ギクリとして足を止めた。大きめの銀縁眼鏡をし、本日も癖毛が入った赤茶色の髪をきっちり結い上げている。
彼女は、まだ気付いていないマリアの後ろ姿に目を走らせた。それから、彼に気の強い目をギロリと向け、『教えたりしたら殺すわよ!』と仕草で伝えた。メイドというより、淑女が絶対にとってはいけないような態度である。
モルツは、記憶を思い返すように少し宙を見やった。そんな約束だったような、と口の中にこぼした後、なんでもないように目をマリアに戻した。
「ところでお前、私たちは暇なのですが」
「いきなり来といて何言ってんだ」
最後のシーツを干したマリアは、思わず振り返りざま素の口調で言い返していた。彼は違和感を覚えた様子もなく、そのままの姿勢で、鮮やかな碧眼を向けてじっと見つめてくる。
その時、向こうにいたニールが表情を明るくして、ヴァンレットの手を引っ張って駆けてきた。
「お嬢ちゃん、もうお仕事終わった? これやって『料理長さん』がオーケーしたら、ちょっと休憩してもいいんでしょ?」
ねぇねぇ、と赤毛頭を振って、懐いた犬か後輩みたいに訊いてくる。
マリアは元上司として、色々考えて頭が痛くなってきた。後ろからモルツがぼそりと「お前の教育が悪かったのでは」という意見に関しては、完全に聞き流したうえで溜息をこぼす。
「…………ニールさん、子供じゃないんですから、まるで遊びたいんだけどというノリで言われても――」
「え~、俺遊びにきたんだよ」
「『邪魔しにきた』の間違いでは」
そのおかげで、リリーナの新しい外出衣装姿を見逃したんだぞ。
マリアは知らず、絶対零度の眼差しを向けていた。ニールが主張するのに頭がいっぱいな様子で、元気なままヴァンレットの腕を引っ張って「ほらっ」と言う。
「ヴァンレットだって、お嬢ちゃんの事ずっと待ってたんだぜ! ひらひらしてるシーツから目を離させるの、マジで大変だったんだから~」
「そもそも、ひらひらとした動きに誘われるとか子供でも少ねぇよ――じゃなくて、唐突に遊ぶと言われても困るのですけれど」
「え。今、なんかドス利いてなかった――」
「ヴァンレットも、パッと浮かぶ『遊び』なんてないでしょ?」
マリアは、ニールの発言を無かった事にして尋ねた。すると、ずんぐりとした大男の彼が、のんびりとした笑顔で向こうにある大きな木を指した。
「昼寝が出来る。あの大きさなら、皆入るくらいの木陰だ」
「待って。ひとまず寝るの? なんでここにきて睡眠摂取に意識が向くの」
「まずは却下するのが先なのでは?」
立ち上がって近くまで歩み寄ったモルツが、無表情でそう指摘した。
「お前、コレが寝返りを打ったら完全に潰されますが」
彼はついでのように、指まで向けてそう教える。冷やかにも感じる目は、長い付き合いの者には、彼が昼寝を嫌がっているだけなのだと分かる。
マリアは想像して、確かに潰されるな、と結論した。オブライトだった頃、ヴァンレットは眠っている間はほとんど動かなくて、意外と上品な寝スタイルだったのは覚えている。けれど飲み会の雑魚寝で、たまに大きく寝返りを打って、まとめて数人が二次被害を受けるというのもあった。
「えぇっ、昼寝よりも屋敷の探検の方が面白いって!」
ニールがそう言って、ヴァンレットの案を隣から否定した。
「しかもさヴァンレット、廊下の前をチラリと通っていったメイドさん達見た!? ここのメイド、みんな容姿のレベルが高いんだよッ」
実はすごい事に気付いた、というテンションで彼が力いっぱい語る。
ヴァンレットが、共感のない様子でゆっくり首を傾げた。ニールから少し離れた位置に立っているモルツが、関心度ゼロといった態度で「そうでしたかね」と適当に相槌を打つ。
「すごくスタイルもいいし、何人かめちゃくちゃ俺好みの胸の形をしてたッ。もうこれはさ、屋敷探索しつつチャンスを狙うのも有りだと思うんだ!」
「おいコラ。チカン行為を働いたら、ぶっ飛ばしますわよ」
というか、とマリアは低い声で続ける。
「『みんな』って、私もこのお屋敷のメイドなのですけれど」
「あははは、お嬢ちゃんは俺にとって特別枠なの! だってさ、並みの中な容姿のうえ幼作りでド貧乳じゃ――ぐぇっ」
直後、ずしゃあああッとニールの顔面が土に埋まっていた。
その時、どこからか「特別枠!?」と驚愕する声が上がった。ニールの後頭部を掴んで馬鹿力で落としていたマリアは、そこにガスパーとギースがいる事に気付いた。執事長が不在のため、今は『料理長』が屋敷をみて、使用人達に直接指示を出しているのだ。
ヴァンレットが、一体誰だったかという顔を向ける。あやしく両手を持ち上げかけたモルツが、キーワードに過剰反応しているらしいギースを見やって、無表情のまま問い掛けた。
「おや。もしやコレに気があるのですか?」
「はぁあああああ!? なッ、違ッ、べべべべ別に俺はこんな貧乳女なんて趣味じゃな――ぐはっ」
ズドンっという音を上げて、ギースが腹部にマリアの右ストレートを受けた。飛び上がった彼女に続けて第二撃の踵落としを食らわされ、コンマ二秒で地面に沈む。
それをしっかり見届けてから、モルツは一つ頷いた。
「お前は、相変わらず凶暴ですね」
「阿呆、手をそわそわさせながら言ってんじゃねぇよ」
マリアは拳を解かないまま、ゆらりと振り返って凍える目を向けた。しかし、距離を詰めてきているモルツの碧眼が、ギラリと光ったのを直視した途端に悪寒が背筋を走り抜けた。
「――モルツ。済まないが、それ以上近づかないでくれるか」
真顔のまま、覚えた危機感でそう口にした。
すると、彼がキリリとした真剣な表情で、こう答えてきた。
「殴ってください」
「ストレートに願望を主張してくるなッ」
「希望の詳細を述べろという事ですか? まずニールのように顔面を地面に押し付けた後、蔑む眼差しで一睨みし、それから一番のご褒美を――」
「阿呆か! ヤめろ言うな、待てモルツ、近づくんじゃないっ!」
マリアは言い返す余裕もなくなり、逃げるべく踵を返した。その方向にいたヴァンレットが、警戒心皆無といった様子で首を傾げる。
「マリア、鬼ごっこをする事になったのか?」
「ヴァンレット、この状況を見てなんでそういう言葉が出てくるんだ――」
その時、ガチャリ、という音が上がった。
ヴァンレットがピクリと反応して、のんびりとそちらに顔を向ける。そういえば、ここにもう一人いたのに静かであると気付いて、マリアとモルツも一旦ピタリと動きを止めて状況を確認した。
「話には聞いていたが、クセのある『騎士様』だってのは、よーく分かった」
そこには、煙草をくわえた料理長ガスパーの姿があった。ふぅっと煙草の煙を吐き出す彼は、物騒なバズーカ砲を片腕に背負っていた。
「念のため女性陣を近づけさせないで、正解だったな」
そう言いながら、子供と部下想いなガスパーが、変態を排除する事にして重量級の武器をガチャリと構える。そのすぐそばの畑の柔らかい土は、先程と違って不自然に乱れていた。
モルツが「失礼ですが」と前置きして、マリアに問う。
「あの物騒な武器を、彼はいつの間に用意出来たのでしょうか」
「…………阿呆。今、そんな事を言っている場合じゃないぞ、モルツ」
すると、武器を構えたガスパーが、くわえ煙草でヴァンレットの方に視線を投げた。
「そこのデカい騎士さん、あんたはまぁまぁ無害だと分かった。だから、すまないがギースとマリアを連れて離れてくれないか」
「うむ? 離れるのか?」
よく分からない様子で、指示を受けたヴァンレットが首を捻る。
ガスパーは返事も待たずに、慣れたようにバズーカ砲のロックを外した。
「よーし、テメェら位置につけ。子供の教育に悪い変態野郎は、この俺が吹き飛ばしてやる」
マリアは「嘘だろッ」と顔を引き攣らせた。慣れた物騒な『解除音』を耳にしたギースが、ハッと意識を取り戻してガバリと顔を起こし、目を剥いた。
「ガスパーさんストップ! それって新作の『まずい奴』なのよね!?」
「やめてください調理長ッ、全部吹き飛びますから!」
その騒がしさが聞こえたのか、ひょっこり庭師のマークが顔を覗かせた。状況を見るなり、怪訝な表情がげんなりとした様子に変わって「……俺の『畑』仕事が増えた」と呟いた。




