二十四章 休日、侯爵邸の訪問者(3)
アルバートが、モルツ達を連れ出していって数十分が過ぎた。
侯爵家の馬車が、既に準備万端で玄関前の広場に停められている。マリアは執事長フォレスに頼まれていた通りのスケジュールで、続いては飾られている花瓶の水替えを行っていた。
二階に行ったアルバート達が、気になって仕方がない。一階を行き来しながら、つい、広々とした中央階段の上を何度もチラチラ見てしまう。
「マリアったら、そわそわしてどうしたの?」
「うふふ、お友達が来ているからでしょ?」
「でも、それってこの前の騎士様たちよね?」
二十代組のメイド仲間たちが、そばを通り過ぎる際に少しだけ足を止めた。リリーナの着替えが済んだのか、一旦下げた服と用の済んだ道具を運んでいる。
マリアは、彼女たちを見つめ返すとハッとした表情を浮かべた。真剣そうな表情で見つめたまま、そっと『大きな花瓶』を飾り台の上に置いて口を開く。
「もう終わったの? ――つまりこのまま、リリーナ様の新しい外出衣装を見に行ってもいい、と。あのふわふわの下生地が入った、たまらん新作スカートをッ」
口にすると興奮が蘇ってきた。オブライト時代の友人たちの唐突の訪問で、置き去りになっていた今日一番の楽しみを思い出す。
「あら、まだ入っちゃ駄目よ」
「マリアったら、ほんとお嬢様が好きよねぇ。ミリー姉さん達のセクシーな衣装よりも、新しい就寝衣装を見せにきたお嬢様に大興奮だったものね」
使用人としてはマリアの方が数年先輩なのに、彼女たちは妹みたいに扱って頭を撫でた。これといって形が崩れている訳でもないリボンの角を、別のメイドが指先で整えながらこう続ける。
「今日もちゃんと可愛くしているわね~。カレン姉さんったら、たまには他の誰かに櫛をさせてくれたっていいのに。ねぇマリア、今日は私が髪を乾かしてもいいでしょう?」
「うーん、カレンがやりたがるんだよなぁ……」
マリアは、思い返して素の口調で呟いてしまう。いつもそれを、マーガレットが微笑ましげに眺めているのだ。日中勤務組のメイドの中では、終了時刻が一番遅い三人組みだった。
というか彼女たちは、なんで髪やら服やら面倒を見たがるのだろうか。
そう考えていると、別のメイドが「そうそう、王宮で出来た『お友達』が来ているんでしょう」と言って、話を戻した。
「エレナ侍女長を、はじめて固まらせた人もいるのよね? 知らせを受けて、額に手をあてていたわ」
「王宮通いで、仲の良い人たちが増えているみたいね」
「今のところ苛められてもいないみたいだし、とっても安心よねぇ」
早めに休憩時間を入れるのだったら私たちが協力するからね、と彼女たちは言って歩いていった。今更のように気付いたマリアが、友達という部分について言い訳する暇もなかった。
登城のある日は、手伝えていないメイド仕事も多くある。リリーナのメイドなのに、着替えの時は入室禁止というのもどうかと思うのだが、ひとまず今の自分に出来る事をしよう。
そう思って次の花瓶を持ち上げようとした時、気配もなく、真後ろでコツリと音がした。
「相変わらず力持ちだなぁ。それ、素手でそのままいこうとする女の子って、マリアくらいだぞ」
声に覚えがあって振り返ると、そこには衛兵のガーナットがいた。
門扉の警備の中では一番先輩の三十代で、やや地味な印象もあって雰囲気は穏やかだ。夜勤組の二人も共に三十代ではあるのだが、彼より一、二歳は年下で、戦闘使用人としても後輩だった。
「よっ、マリア。お前に客人が来てるんだって? この前、訪問してきた殿下の護衛だよな?」
珍しく日中の屋敷内にいるガーナットが、そう言って首を傾げる。
「俺、門の方であの三人組の用件を聞いて、身元を確認したんだけどさ。またクセの強そうな奴に友達認定されてんだなぁ。確かこの前、眼鏡の方は外見サギの変態だとかデカい方は子供みたいな迷子野郎だとか、色々と言ってなかったっけ?」
「…………まぁ、その、王宮での『活動』で、色々とあって……?」
マリアは、説明が難しくてごにょごにょと答えた。
すると、彼が地味な雰囲気のある顔に困ったような、それでいて穏やかで優しげな笑みを浮かべた。「まぁ、いいんじゃないか?」と言って、肩を竦めて見せる。
「旦那様が『いい』と言って迎え入れたから、警戒対象からは外してあるし。遊びに来てくれるくらいの友達なんだ、俺としては歓迎だけどな」
そのまま、ポンポンと頭を撫でられてしまった。ついでのように確認して、彼は武骨な手でリボンの形を整える。
それを不思議に思いながら、マリアはガーナットに尋ねた。
「それにしても、ガーナットが日中ここにいるなんて、珍しいわね」
「外出する旦那様たちの『御者役』でな。ニックを一人にする訳にもいかないから、代わりに夜勤組の一人についてもらってる」
リボンから手を離したガーナットは、「さすがアルバート様だな、目利きがいい」と言った。空色の瞳と同じ、休日用にと新しく注文していたそのリボンから、マリアへと目を向けてこう続けた。
「アルバート様たちが気になるんだろう? それ、俺がついでにやっておいてやるから、マリアはそっちの方を見ておいで」
そう穏やかな口調で言われた。彼は昔から、年の離れた兄のようだった。やや歳の近いカレンやマーガレットの事も、同じように見て接している感じでもあった。
「うん、ありがとう。少し見て来るわ」
マリアは、少しはにかむようにして答えた。それから、たっぷりのダークブラウンの髪と膝丈のスカートを揺らして、小走りで二階へと向かった。
リリーナから遠ざけるだろうと推測して、私室から離れるように廊下を進んだ。ビリヤード台が運ばれたらしい部屋を探してみると、三つの部屋が連なっているような開けた場所の一つに、それは置かれてあった。
ビリヤード台のそばには、目が笑っていない作り笑顔のアルバートがいた。疲れたような表情を浮かべた庭師マークの姿もあった。不健康そうなくらいに細身の彼は、サボッていた事が窺えるキレイな作業服に身を包んでいる。
入り口で足を止めたマリアに気付いて、ヴァンレットが真っ先に目を向けた。察したモルツとニールが顔を向ける中、マークがぎこちない動きで首を動かしてこちらを見た。
「なぁ、マリア……? この超童顔男、イカさまばっかしてくんだけど…………」
「…………」
マークにそう言われて、マリアは遠い目をした。推測していた範囲内の事ではあるけれど、お前ここではさすがにヤめろよと思った。
それをなんと受け取ったのか、ニールが楽しそうに声をかけてくる。
「お嬢ちゃん、やっほー!」
一人だけ、めちゃくちゃ楽しそうだなぁ、おい……。
大きく手を振ってくるニールを見て、マリアは溜息を吐いた。わざわざ相手をしてくれたのに申し訳ない。ひとまず、アルバートに歩み寄って謝った。
「あの、アルバート様すみません……」
「マリアが謝る必要はないよ。イカさま返しをしてやったら、あの手この手と手品のようにやってくれて、互いの『騙し手』がどれだけあるのかの比べ合いになってしまった」
「え。――何その全然面白くないゲーム」
そう口にして、マークの精神的な疲労の原因に気付いてハッとした。思わず労うような同情の目を向けると、彼が顔をそむけて「……俺は騙し合い系ゲームとか、無理……」と震える声で言った。
マリアは、立って眺めているだけなのに、どこか楽しそうなヴァンレットを見た。それから、傍観者のように少しだけ離れて立っているモルツに目を向けた。
「モルツさん、止めなかったんですか?」
「コレが、私の言葉で止まると思いますか?」
モルツが、答えながら親指を向ける。
「こういう時は、お前が見張ってどうにかするべきでは」
「おい。今の私に、それを押し付けようとするなよ」
反射的に答えたマリアは、向けられた全員の視線に気付いて口を閉じた。
さすがにアルバートの前ではまずい。そう思って、咄嗟に得意の少女らしい笑顔をにっこりと浮かべて見せた。すると、真っ直ぐその笑顔を向けられた彼が、にこっと紳士な美青年風に微笑んできた。
「ふふっ、どうしたのマリア。とても可愛らしい表情なんてして」
「お、おほほほほほ……? いえ、なんでもないんです」
どうしてか、アルバートがとても嬉しそうにしている。
マリアとしては、まさかこれで簡単に誤魔化せると思っていなかったら、自分でやっておいてちょっと動揺してしまった。
モルツがその様子を見やって、「なるほど?」と含むような口調で呟いた。チラリと思案する近くで、ヴァンレットがこう言った。
「もう面白い球は打たないのか?」
「お前、本当に少しくらいはルールを覚えた方がいいですよ」
僅かに止まったモルツが、目も向けないまま冷静にそう返した。
「ニールの浮くボールが面白かった」
「あれはただの手品です」
「ちょっと待って。――ニールさん、それもはやビリヤードじゃないですよね?」
会話を拾ったマリアは、思わず嘘だろという目でニールを見た。気付いた彼が、すぐに愛想良く視線を返してきて、「だってさ」と言う。
「ヴァンレット、俺の手品を超尊敬して喜んでくれるんだもん」
「…………まぁ、うん、その……だからってそのタイミングでやる?」
「楽しませてあげようと思って。あっ、お嬢ちゃんももしかして見たい? 実はさ、新作の手品の一つだったんだぜ!」
思い立ったままニールがぺらぺらと喋り、指を調子よくパチーンっと鳴らす。直後、アルバートの笑顔の温度が二度ほど下がった。
イカさまはいいが手品が解せない。『家族』としての長い付き合いから、真面目な彼がそう感じていると察したマークが、顔をそらして「うへぇ」とこぼした。マリアも、素の口調でニールに素早く答える。
「いや、見せなくていいから」
「そう? アルバート君も『へぇ、随分珍しい『手』ですね』って喜んでくれたよ」
ニールが上機嫌にそう言う。
ニール気付け。恐らくその時も、彼の目は全く笑っていなかったと思うぞ。マリアがそう心の中で続けていると、アルバートが『飽きた』様子で冷気を潜めた。
「それにしても、とても個性的な友人さん達だね、マリア」
「なんか、すみません……」
声を掛けられて、マリアは咄嗟に謝った。そもそも勝手に訪問してきたうえ、侯爵家の嫡男と普通にビリヤードをしている。こいつらは緊張感どころか、やっぱり必要な常識部分が欠けた阿呆なのではないだろうか?
すると、彼が同じようにモルツ達を見やって「謝る必要はないよ」と言った。
「わざわざ遊びに来てくれる友人がいるとも知れて、僕らは嬉しいんだから。遊びに誘われたら、遠慮せずに休みを取るといいよ。ニックやギースだって、プライベートな時間を楽しんでいるのだし」
「うーん、それはそれでどうなのかと……」
一応、使用人なのだけれど、とマリアは今の自分たちの生活を思った。
その時、そのやりとりを聞いていたモルツが、思案気に口を開いた。
「そういえば、ここの使用人は全員、敷地内に用意されている場所で暮らしているのでしたね。遠目から見ただけですが、それでも立派だと分かるほど『いい建物』でした。初めて目にした時は、随分と親切な侯爵だと思ったものです。それでいて、あなた方は豪遊の気もない」
そこも少しだけ不思議です、とモルツがいささかの違和感を語る。
ヴァンレットが、きょとんとして彼を見下ろした。ニールも違いが分からない様子で、「この屋敷もすんげぇ立派だけど?」と後輩を挟んだ位置から意見する。その声を無視して、モルツは続けた。
「アーバンド侯爵家は、爵位も歴史も立派です。その歴史の長さは、恐らくあのアトライダー侯爵家よりも深い。だというのに、社交でもあまり名を聞かないでいます」
「きっと血筋柄そうなのでしょう。この通り僕も父上も、積極的に社交出来るような自信は持っていないのです」
アルバートはそう言って、弱った様子で微笑む。
「僕のお爺様である先代侯爵も、とても控えめな性格で、ひっそりとした暮らしを好んでこの自然多い土地を愛していました。よその一族がどうであるのかは知りませんが、僕たちはそこに暮らす領民と同じくらい、使用人にも幸せに過ごしてもらいたいとも考えています」
話を聞いたニールが、「おぉ、スゲェ立派な気がする」と感心した様子で瞳を輝かせた。ヴァンレットも、よく分からないながら「うむ」と明るい表情で言う。
ふうん、とモルツが口にして、私情の読めない美麗な表情を少しそらした。
「初めて訪問した際にも感じましたが、地位ある貴族にしては、謙虚すぎるところに驚かされます。あまり優しさに心砕かれては、ご自分たちの首を絞める事にもなるとは気を付けた方がよろしいでしょう。社交界には、あなた方のような『少数派の善人』を狙って餌にする者もある」
「ありがとうございます。いずれ爵位を継ぐ身としては、肝に命じておきます」
アルバートが、貴族らしく胸に片手をあてて、心からの感謝を伝えるように柔らかな口調で答えた。
すると、モルツが冷やかに見える目から、やや力を抜いて彼を見た。まだ十九歳の若い人間だ。仕方ないとでも言うように、小さな吐息をもらしてこう続ける。
「もし何か困った事があれば、いつでも声をかけなさい。王宮では、私も総隊長補佐という軍人です。同じ軍人の先輩として、その時には力になりましょう」
それを聞いたアルバートは、にっこりと笑って再び感謝を述べた。上品に口許に手をあてて、ふふっと笑うと、
「――ほんと、『根は甘い人』ですよねぇ。あなたたちは」
そう呟いた。
マリアは、以前何度か話を聞いた先代当主の『拷問侯爵』を思い返していたから、こっそり囁かれた声は聞こえていなかった。マークがしれっとした表情でいる中、距離があったモルツがアルバートに目を戻す。
「何か?」
「いいえ、何も?」
視線を受け止めたアルバートは、にっこりと笑った。
その時、察していたかのようなタイミングでマシューが顔を出した。直前までの足音や気配もなく、ふわりとブラックコートの裾を揺らして入口に立つ。
「あ。……ほんとに近衛騎士隊長と、総隊長補佐がいる…………」
室内にいるマリア達を覗き込んで、彼が灰色の目を小さく見開いた。マリアは彼を振り返ってすぐ、早朝ぶりの使用人仲間に笑いかけた。
「マシュー、お疲れ様」
「うん、マリアもお疲れ様」
その直後、気付いたヴァンレットが「あ」と子供みたいな目をして、太い指を向けてこう言った。
「この前いた『マリアの使用人仲間で友人』」
「お前、王宮でも会っているはずですが」
モルツが素早く反応し、冷ややかな声で指摘した。
「同じ近衛騎士隊ですよ、お前の頭は本当にどうなっているのですか」
彼がそう言いながら、眼鏡の横を揃えた指先で押し上げる。
その声を押しのけるようにして、ニールが前に出た。好奇心たっぷりといった目を、マシューに釘付けにしたまま声を掛けた。
「全身真っ黒! ねぇねぇもしかしてさ、中の服も黒だったりするの?」
「え? ああ、まぁ、そうですね」
「へ~、黒が好きなんだねぇ! 俺の後輩の一人もね、すんごく黒が好きっぽくて軍服が真っ黒なの。なのにバカデカい家はすんごくキラキラしていて、普段の衣装も黒一色じゃないし、好きなのかどうか分からない感じでもあるんだよね~」
そこはちょっと不思議、とニールが首を捻る。
それ、まさか総隊長の事じゃないだろうな、まさかだよな……とマシューが口の中で呟く。マリアはそれを聞いて、まさにそいつの事だよ、と思って目頭を揉み解していた。
その時、お開きのようにアルバートが手を叩いた。
「そろそろ時間のようですね」
お見送りは結構ですよ、そう続ける彼の挨拶言葉を聞いたマリアは、ショックを受けてよろけそうになった。
モルツという名の変態と、ヴァンレットという未知思考と、ニールという空気を読まない阿呆を引き合わせないために、自分はお見送りに参加出来ない。
つまり、リリーナの新作衣装は、彼女たちが帰ってくるまで『お預け』なのだと分かった。




