二十四章 休日、侯爵邸の訪問者(2)
主人たちの外出準備中の屋敷内にて、マリアは替えのシーツを抱えていた。
先程から、扉のない開かれた客間の前を三回ほど往復しているのだが、そこいる三人がずっと気になって仕方がない。紅茶を出されたモルツ達は、ソファに腰を下ろし、今のところニールもヴァンレットもじっとしてくれている。
とはいえ、いつ好奇心が働いて勝手に散策を始めるか分からない。特にニールとヴァンレットに関して、『頼むから、風にひらひらと揺れているカーテンを引きちぎろうとするんじゃないぞ』と思ってしまう。
つい、足を止めて元部下の二人を見ていると、モルツがこちらに視線を返してきた。
「お前、先程から右へ行ったり左へ行ったりと、じっとしていられないようですね」
「モルツさん、私は仕事をしているのです」
マリアは、チィッと舌打ちしそうになった表情でそう言った。見て分かるだろ何言ってんだ阿呆、と心の中では思っていた。
すると、ニールがパッと顔を向けてきた。それに気付いたヴァンレットが、目を寄越してきてこう問い掛けてくる。
「マリアは、紅茶を飲まないのか?」
「ヴァンレット、私は仕事中だから気にしないで飲んでいて」
そこから動くな大人しくしてろ、という目でマリアはぴしゃりと答えた。
そうしたら、ニールが「はいッ」と落ち着きなく言って挙手した。
「ねぇお嬢ちゃんお菓子ある?」
「お前はリラックスしすぎだろ人様の家だぞ――おっほんッ。ニールさん、朝食を食べてこられなかったのですか?」
「今なんか言った? ぼそって呆れた事言われたような……――」
「朝きちんと食べないと、大きくなれませんわよ」
「俺もうすっかり大人だよ!? ちゃんと食べてきたしッ」
ニールが叫ぶと、モルツが興味もなさそうにテーブを見やり、長い足を組み直しながら「そもそも」と言った。
「空腹だとかなんとか煩くて面倒だったので、私が屋敷のコックにサンドイッチを作らせました。それを馬車の中で食べていたのです」
つまりニールは寝坊したのか……それでもって、スケジュールをキッチリするモルツは、予定を遅らせないために素早く軽食を用意して提供してくれた、と…………。
いや何してんだお前?
オブライトだった頃からの付き合いで、その流れは容易に推測出来た。マリアは心の中で言いながら、もう三十七歳になっているニールを見てしまう。
その時、一組の足音が聞こえて、マリア達は目を向けた。
「――父上からお話は聞いています。ようこそ、アーバンド侯爵邸へ」
そこにいたのは、外出の支度もすっかり整えたアルバートだった。アーバンド侯爵家の嫡男で、蜂蜜色の髪に濃い藍色の目をした美男子だ。柔和な美しい微笑を浮かべる様子は、実年齢の十九歳よりも雰囲気が落ち着いて見える。
そう告げた彼は、モルツ達の方に歩み寄ると、休日の彼らに貴族同士の社交の訪問歓迎の言葉を述べてから、改めて自己紹介をした。
モルツが、近衛騎士隊に所属している彼に挨拶を返してから、こう続ける。
「王宮では、数回顔を見掛けた程度でしょうか。ケイシー隊長の一件では、人材を寄越して頂いて感謝しています。あの彼は、あなたの侍従だとも聞いていますが」
「ああ、マシューには外出の準備にあたってもらっています。僕の妹、リリーナにはサリーという侍従が付いているのですが、彼の分までお願いしているんですよ」
そこで、アルバートはにっこりとヴァンレットに笑いかける。
「ウォスカー隊長は、うちのマシューとは先日、庭師のマークやマリアと一緒にいる時に会っていますよね。それから、サリーに関してはよくご存知ですよね?」
「うむ、いつもリリーナ嬢と一緒にいる『サリー』だな。殿下とも仲が良いようで、毎日楽しそうにやっている」
話を振られたヴァンレットが、明るい表情でざっくり述べた。
普段の彼の仕事の様子を教えてあげろよ、とマリアは思った。
「そちらにいる彼は、王宮でマリアを手伝っている方ですよね。『ニールさん』とお呼びしても?」
「うん、いいよ!」
笑顔で応えたニールが、「どうもよろしく」と簡単に言ってから首を傾げる。
「ところでさ、アルバート君って、お嬢ちゃんの雇い主のところのご子息さんだし、やっぱり敬語で話した方がいいの?」
「普通は『年下であったとしても』、そうするのが当然でしょうね」
モルツが、大事な部分を強調して、間髪入れず指摘した。
マリアも「当たり前だろ」と素の口調で言ってしまった。すぐに口調を戻すと、思わず歩み寄って、頼むからちゃんとしてくれと表情に出してこう続ける。
「ニールさん、アルバート様に失礼ですわよ」
「大丈夫だよマリア、僕としては――『とても新鮮で面白い』」
彼女が向こうに行くのを、アルバートがそっと手で止めて言った。
その笑顔は、アーバンド侯爵よりもまだ尖っているところがある。近くで見ると、笑みを浮かべる濃い藍色の瞳の奥は、一体何を考えているのか底の読めない鈍い光りが宿っていた。
見慣れているマリアは、楽しそうだなぁと分かって「かしこまりました」と答えた。彼がにっこりと笑って、ニールへと顔を向ける。
「ニールさん、僕の事はそのままでいいですよ。どうぞよろしくお願いします」
それから彼は、三人の客人に紳士らしい仕草でこう提案した。
「マリアはまだ仕事の予定がありますから、もう少しお待たせすると思います。お暇であれば、ビリヤードに付き合いませんか? 僕も父上と妹の支度待ちなのです」
え、あの部屋に連れていくのか?
マリアは遊戯室の存在が頭に浮かんで、アルバートの柔和で美麗な横顔を見上げた。年上のモルツ達に礼儀を守って接している様子から、きちんと客人として迎えているのは察せる。しかし、あれは侯爵の部屋にある隠し部屋の一つだ。
そう考えていると、モルツ達の視線を受け止めたまま、彼がこう言葉を続けた。
「近くの部屋に『運ばせます』から、僕と一ゲームしませんか?」
聞きながら執事長の事が浮かんで、なるほどと察せた。
肉体を限界まで極めた【殺人狂】。彼はグイードのように感情的に馬鹿力が起こされるタイプではなく、それさえも自分の意思でコントロールして、ビリヤード台くらい持ち上げてしまう驚異的な身体の持ち主だった。
すると、モルツが秀麗な眉を思案気に少し寄せた。出来ないと分かっている大男へ目を向けて、確認する。
「お前、トランプのルールも怪しいですが、ビリヤードは出来ましたか?」
「うむ。ボールが飛ぶのを見るのは、面白い」
子供みたいに楽しそうな目で、ヴァンレットが言う。ニールが隣に座っている彼を見上げて、「ヴァンレットは、ビリヤード出来ないもんなぁ」と平気で口にした。
元上司として反応出来ないでいると、同じように沈黙していたモルツがそっとこちらを見た。その目は、お前それくらい教育しておくべきでしょう、という非難も若干込められている気がした。
いや教育範囲外だよ。
むしろ教える努力をしてこの結果なのだ。トランプなんて散々で、そもそもルールを理解せず独自の楽しみを見出すせいで、ちっとも覚えてくれなかったのを思い出す。
「えぇと……、あの、アルバート様? 実際に参加するのは二人だとしても、お一人で相手をされるのですか?」
マリアは、ふと心配になって尋ねた。
先日、薬学研究棟の前で、彼がムキムキな騎馬隊将軍バレッド・グーバーを失神させたのは記憶に新しい。マシューが席を外している状況も考えると、未知の思考回路をしたヴァンレットにも同じ反応をしてしまうのではないだろうか、という想像が過ぎる。
すると、アルバートが人数について気付いた様子で「そうだねぇ」と言った。思案するように腕を抱えて顎に触れると、見学に回るらしいヴァンレット、それからゲームに参加出来るモルツとニールを順に見た。
「一対二よりは、二・二の方がバランススはいいかな。うーん――ああ、マークがいたな。さっき裏庭でサボっていたから、彼を誘おうかな」
「…………」
しばし無言した後、マリアは数秒遅れて「え」とアルバートを見上げた。
彼が『自分の家族には甘い』のは分かっているけれど、サボり癖常習犯の使用人がサボっていたのを見たのなら、注意して仕事させてくださいよと思った。




