二十三章 その亡霊は(5)
呑気な騎馬隊たちの言った通り、あっさり王宮を出る事が出来た。
門にいた警備の男たちは、彼らが歩み寄るのを見ると「またお菓子か」とうんざりとしたように言った。そして、サボれるスケジュールを羨ましがるような表情で、さっさと行けと手で『しっしっ』とやったのだ。
「…………なんだか複雑な胸中だな。結果的にサボらせた事になってないか?」
マリアは、王宮を出て少し歩いたところで一旦立ち止まった。チラリと振り返ると、「うん、なんかすまん、レイモンド」と謝ってしまう。
つい先程、一緒に出た騎馬隊の男たちは、王宮前の大きな道を反対方向へと進んで、本当に菓子を買いに行ってしまっていた。買ってすぐに戻るから平気だ、という言い分に関しては、何も突っ込めないまま見送る形となった。
「うーん……、まぁいいか。ひとまずは行こう」
亡霊のようにたびたび見掛ける『黒髪』については、どこをどう調べればいいのか分からない。とりあえず一番近場の、先日に王宮の『時計小棟』から見えた場所へ向かってみる事にした。
王都の中心区は、住居よりも商業用建物が多く、国立の大きな建物も集中している。もっとも物流もあるといわれているだけあって、広い道の中央をひっきりなしに色々な馬車が通り、人混みの中あちらこちらで宣伝の呼び掛けも聞こえてきた。
正午を少し過ぎた賑わいある町の中を、マリアは頭の大きなリボンを揺らしながら手足を大きく振って進んだ。
王都にいる間は、いつも令嬢付きメイドとしてあるから変な感じがした。まるで『マリア』でいながら、『オブライト』だった頃のように歩いているからだろう。
建物はキレイになり、いくつかの店は変わっていた。けれど先日にアーシュやニールと歩いた時と同じで、やっぱり十六年前とほとんど変わりないような印象を受けた。――けれど、戦争の気配だけがどこにもない。
「アヴェインは、立派な王様だな」
思わず、ふっと困ったような笑みを浮かべてそう呟いた。以前まで戦況についての記事が貼られていた壁は、何もなくなってしまっていた。
その代わりに隣の花屋の商品が、路肩の一部に広げ置かれていた。貴族御用達の店だっけ、と記憶を手繰り寄せながらその前を通過する。
そこはグイードに付き合わされて、アリーシアへの花束を買うために何度か立ち寄った場所だった。上品な酒屋のカウンター席で、次のデートに誘いつつ口説いていた彼を、レイモンドとジーンと一緒にグラスを片手に見ていた事もあって――。
マリアは、そこで回想を止めた。先日『時計小棟』から見えた大通りに差しかかった。どの辺りだったろうかと、目で探しながら歩く。
あの時はひどい雨も降っていたから、正確な場所は特定出来そうになかった。考えるほどにテレーサの事ばかり思い出されて、ただただ胸がギリギリと締め付けられていくのを感じた。
この調子だと、彼女と過ごした場所までは足を運べそうにないな……。
そう心の中で呟いて、己の情けなさを嗤うように口角を引き上げた。
彼女に怨まれていると思った事はない。それなのに、同じ黒髪を見掛けただけで自分は動揺しているのだ。
ふっと足を留めて、往来する人混みに目を向けた。昔、どこかで彼女に会えないだろうかと、こうやって姿を探していた時の事が思い出された。ああ懐かしいなと思って、そう感じてしまうくらいに時が過ぎたのだと唐突に気付く。
「……怨んで、それで会えるのなら……、亡霊であっても構わない――と思うなんてな」
それでも『愛しい』から、だなんて、ずっとらしくもない事を考えている。
ありもしない再会だとは分かっていた。幽霊なんて存在していない。何故なら、アレは雨を受けていた。
あの亡霊は、人間だ。そして、テレーサではない。
マリアは、そう心の中で唱えると拳を作った。考え続けてようやく、自分自身に分からせる事が出来た現実を思う。
王宮内で見掛けた時にも、本来であれば冷静になって、自分が知らない隠し通路だって存在しているのかもしれない、という推測くらいするべきだったのだろう。
唇をきゅっと引き結んで、踵を返した。他の誰も目撃していなくて、自分だけが『黒髪』を見ている。その事実を考えれば、こちらを標的として心を揺さぶってきている可能性も十分あった。
「…………そうすると、つまり意図的にこちらを追い込んでいる訳か。今の状況も、また向こうにとっては好条件下、か」
ズキズキと胸が痛む中で、強い怒りが込み上げる。何度も続けて目撃しているタイミングの良さは、まるでこちらの動きを常に把握しているようではないか。
相手が何者かは知らない。どうして、こんな事をしているのかという疑問も、いつも先廻りされているとする推測で憤りに塗り潰されてしまう。
その時、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、視界の端に『黒』が映り込んだ。ハッとして目を走らせると、こんなに天気のいい日中だというのに、フード付きローブで身体を覆い隠している人物が目に留まった。
それはフード部分から、わざとらしく流した長い黒髪を揺らせると、ふっと身体の向きを変えて建物の間の道を行くのが見えた。
「……ッ、今度こそ逃がすかよ!」
頭にカッと血が昇ったマリアは、そう吐き捨てながらそちらに向かって駆け出した。冷静になろうとしていた思考も、その『許し難いふざけた行為』と『煽るような逃げる素振り』を目にした途端、全て吹き飛んでいた。
往来の人々が、唐突に走り出したのに気付いて怪訝そうな目を向ける。けれど、絶対に見失うものかという想いで周りの視線も気にならなかった。
「すまないが退いてくれ!」
人をきちんと避ける余裕もないまま、そう声を張り上げて走った。人混みを一気に駆け抜けて、その建物の間の道に飛び込む。
ローブ姿の人物は、今度は消える事なく先を駆けていた。フード部分からこぼれた長い黒髪が、艶やかな漆黒を映えさせて波打っている。
これまでのように忽然と消えさせてたまるか。
マリアは、王宮から離れていく方角だとかも考えず、猛然と後を追った。
相手は大通りへ抜け、また人混みを横断して細い路地に入り込んだりと、次々に進行方向を変えていった。こちらが全力疾走しても距離が縮まらない。身にまとっているローブのせいか、人混みをふわふわと進むさまは、まるで幽霊みたいだ。
引き離されてはいない、前回と違って見失ってもいない。けれど、ずっと見える位置を走り続けているソレを追って次の道を進むたび、心が乱された。
「くそっ、なんでそっち方向に走るんだ阿呆……!」
マリアは、思わず熱くなった呼気で悪態をこぼした。
偶然なのか意図なのか。フード姿の人物は、どれもテレーサと二人で歩いた道や、立ち寄った事のある店の前を駆けている。
おかげで胸が痛い。もはや思考なんてろくに回らなくなってしまい、ただただ心が悲鳴を上げているのを感じた。
どうして、こんなにも懐かしい場所ばかりを通るのだ。八つ当たりのような憤りと、勝手に思い出してしまう悲しさで胸がぐちゃぐちゃになった。
いつの間にか、高さの違う建物が入り組んだ一般第三区に突入していた。公共施設はなくて、住居と商業店が混在している場所だ。小さな飲食店も多くあり、テレーサと一緒に歩いた後、別れ際に二人で立ち話をした曲がり角が目に留まった。
ああ、テレーサ――そう思う。
いつだったか、そこで一緒にいるところを初めて目撃されてしまい、その誰かに関係性を尋ねられた事があった気がした。
でもマリアは感情に呑まれて、それさえ考える余裕もなかった。




