二十三章 その亡霊は(3)上
午後の仕事と作業が始まって少し経った頃、マリアは図書資料館に予約されている本を取りに向かうべく研究私室を出た。
朝にグイードとレイモンドの訪問があったものの、彼らは長居する事なく、本当に珈琲一杯をあっさり飲んで仕事に向かっていった。その際にあった件については、バレッド将軍がいたとだけ口にしたら、ルクシアとアーシュはそれぞれ納得したように何も訊いてこなかった。
自称ファンのバレッド将軍に関しては、今のところその行動といった全てが謎だった。
害があるわけでもなく、かといって無視出来ない存在感を放って接近してくる。よく分からない筋肉論を説かれた一件以来、ひとまずルクシアは、警戒して一歩距離を置いている感じもあった。
「…………まぁ、害がないから、強制排除されていないんだろうと思うけど」
ルクシアの父親である国王陛下アヴェインは、その辺は徹底している。だからマリアとしても、バレッド将軍のについては、アーシュと揃って首を捻っている状況である。
今のところ、そう深く考える案件でもないか。
そう思えて、これまでと同じように一旦思考の片隅に置いて、薬学研究棟から続く木々が並ぶ小道を抜けた。王宮の建物の廊下に付いている小さな階段を上がると、図書資料館がある公共区を目指すべく身体を向けた。
その直後、進行方向で繰り広げられている光景が目に飛び込んできて、マリアは真顔で硬直した。
広い廊下の中央を堂々と陣取るように、『見覚えのある三つのグループの軍人たち』が、穏やかではない空気を放って向かい合っている。それを避けるようにして、人々が戸惑いと困惑を漂わせながら、廊下の端をそそくさと通行していた。
朝に見掛けたバレッド将軍と、やる気満々といった、彼が率いるムッキムキの騎馬隊。怒っている様子で断固譲らない姿勢で腕を組んで立っている、皺一つない軍服に身を包んだ規律正しい第六師団の若い男たち。そして、先日も見掛けたばかりの呑気な騎馬隊の男たちである。
待って、ちょっと待て。これ、何が一体どうなっているんだ?
呆気に取られて動くのも忘れていると、ふっとバレッド将軍の顔がこちらを向いた。朝の一件などなかったかのように、彼がいかつい顔をぱぁっと明るくして、野獣のような野太い声を上げてきた。
「おおッ、ルクシア様の『リボンのメイドさん』ではないか!」
なんか、出会った当初よりも、こちらに対する格が上げられている気がする。
マリアは、尊敬の眼差しを込めて騒いでくるバレッド将軍と、同じくムキムキなその部下が揃えた歓声を聞いて「ええぇぇぇ……」と声をこぼした。ほんとお前らは一体なんなんだよ、と少女としてはアウトな感じで、自分の顔が引き攣りそうになるのを感じた。
すると、次に気付いた第六師団の男たちが、こちらを振り返った直後、一斉に警戒心を露わに後ろへと身を引いた。
「げっ。あのバカデカいリボンは、まさに『凶暴メイド』……!」
こっちは露骨に失礼だな。
マリアは、思わず顰め面を返して、ポルペオの若い部下たちを見つめた。というか、『凶暴メイド』なんてキーワードを王宮内にばらまいているのは、もしかしてお前らなのか?
その時、例の若い騎馬隊の男たちが、笑顔を浮かべた。わざとなのか気付いていないのか、押しのける勢いで一斉に大きく手を振ってきた。何人かの第六師団が、その腕にあたって押しやられ「いてっ」と声を上げている。
「『メイドちゃん』じゃん! やっほ~!」
なんか、一段と慣れ親しまれている感じがあるんだが……、気のせいだよな?
そもそも彼らとは、食堂で顔を合わせて、その後に薬学研究棟までの道のりで会っただけの仲である。付き合いの長い友好的な知人として思われる要因も、懐かれる要素も。もしてやメイドとしてある今の自分に、慕われる何かがあるわけでもない。
マリアは、バレッド将軍とその部隊に続き、彼らもまた実に謎だと思った。信頼があってフットワークも軽い若手部隊だからと、騎馬総帥レイモンドの推薦で『臨時任務』に投じられた彼らは、騎馬隊らしからぬ呑気さと阿呆さを持っているのではないかと心配になる。
すると、それぞれ挨拶を終えた三部隊が、ハタと気付いたように互いのグループを見合った。しばし見つめ合ったかと思ったら、その視線が再びゆっくりとこちらに戻される。
その視線を受け止めたマリアは、なんだか面倒な予感を覚えた。
何も見なかった事にして図書資料館に行こう。そう思って踵を返そうとしたら、呑気な騎馬隊の男の一人にガシリと腕を掴まれた。
「メイドちゃん、ちょうどいいところに来た! お前なら、公平に話を聞いてくれるはずだ!」
「オイちょっと待て――じゃなくて、なんで私なんですかッ」
しかも聞くって何をだよ、とマリアは顔が引き攣った。
この訳の分からん三部隊の衝突の事情を、聞いて欲しいという事か? 阿呆、そんな事に『十六歳のか弱いメイドの女の子』を巻き込むな、同じ軍人の先輩でも掴まえて仲裁してもらえ!
心の中で言いたい事が溢れた。チクショーこいつらの上官はどこだ、と思ったところで、そのうちの一つは『自称オブライトのライバル』のポルペオ・ポルーであると思い出した。
この呑気な騎馬隊をまとめている将軍は知らないが、そもそもムキムキ騎馬隊の上官は、そこにいるバレッド将軍本人なのだ。彼の更に上というと、騎馬総帥のレイモンドしか思い浮かばない。
…………他に、誰かいないものなのだろうか。
現在の王宮軍区の事情が分からなくて、つい真面目に考えてしまった。すると、こちらを引き留めていた若い騎馬隊員が、掴んでいた腕を離しながらこう言った。
「だって、メイドちゃんは俺らと第六師団だけじゃなくて、バレッド将軍とその部隊とも顔見知りっぽいし? それなら、中立の立ち場として話を聞いて、公平な判断とか出来そうだろ?」
この三部隊を、共通して知っているメイドである。
そう指摘されたマリアは、確認するべく彼らを見渡した。
ルクシアのファンであるらしく、最近たびたび近くを張っているバレット将軍と、ムッキムキの騎馬隊一同。ポルペオに再会した際に木刀でぶっ飛ばした第六師団の小隊、そして公共食堂でぶん殴った騎馬隊の小隊である。
ふと、疑問を覚えて「あれ……?」と声が出た。改めて彼らとの関係性を頭の中で整理してみると、残りの二部隊に関しては物騒な初対面になっている気がする。
おかしい。今の自分はか弱い少女のはずなのだが、どちらも物理的に黙らせた感じになっていないだろうか?
「まさにそうだって。俺、食堂で蹴り飛ばされたもんよ」
「というかさ、か弱いメイドって、一体誰の事言ってんだ? 総隊長様直々で推薦のあった『護身術の達人』なんだろ?」
「俺なんて、尊敬しているポルペオ師団長の前で、足の踏み台にされたんだぞ……っ」
「泣くなよ。俺は騎馬総帥とタッグ組んだメイドちゃんに、馬乗りでエビ反りだったんだぜ」
「肩ポンしてくるなよ、騎馬隊のお前がいい奴に見えるだろうが!」
「というかさ、メイドちゃんって目頭押さえてない時、口から考えが全部だだもれになってね?」
「つか、目頭押さえるのも癖っぽいよな。女の子にしては珍しい気がする」
考えに耽って目頭を丹念に揉み解しにかかったマリアは、好き勝手に話し出した呑気な騎馬隊と、堅苦しい第六師団の若い彼らの声は聞こえていなかった。
そもそも、共通して顔見知りだからといって、こちらが公平に話を聞いてくれる存在という認識が、おかしい気がするのだ。
そう結論に至ったところで顔を上げた。近くからきょとんと見下ろしてきた騎馬隊員が、「おっ。メイドちゃん、もう考え事はいいのか?」と言う。
その声を聞いて、マリアは彼を見つめ返した。まるでこちらを待っているような面々の視線とぶつかって、オブライトだった頃に見た光景と重なった。今の自分は、当時と違って『先輩』でも『上司』でも『隊長』でもないのに、変な奴らだなと訝って顔を顰めてしまう。
ひとまずは、現在の状況について考えなければならないらしい。やはり十六年経っても軍区は相変わらず物騒なのだろうかと思いながら、ついでだと考えてその彼に尋ねてみた。
「というか、どうして部署も違う部隊同士で、喧嘩寸前みたいな空気になっているんですか? ここでは、いつもこんな事がある感じだったりするんですか」
「え? いつも暴れてるのは上官メンバーだけで、部隊同士の喧嘩とかあまりないけど――」
そう答えた騎馬隊員の彼が、ふと何かに気付いたように言葉を切った。
そういえば、自分たちがこんな事になったのはどうしてだったか。そう思い出すように、呑気な騎馬隊と第六師団が互いの小隊を見合う。順を追って記憶を辿った彼らが、少しの間を置いて、揃ってムキムキのバレッド将軍たちへ目を向けた。
二部隊分からの注目に気付いて、この中で一番年上である唯一三十代のバレッド将軍が、意気揚々とした笑顔のままコテリと首を傾げた。
「どうしたのだ?」
ああ、なんだ。そっちが真の元凶なのか。
マリアは、その一連の流れを見て察した。気のせいか、頭脳よりも筋肉で物を言う思考のせいで、対決という流れになったのではないだろうか、という推測が脳裏を過ぎる。ほんと、昔いたどっかの筋肉馬鹿にそっくりだなと思って、当のバレッド本人に確認を取る気も起きない。
呑気な騎馬隊員が、顎に手をあてて「うーん」と首を捻った。
「なんか、メイドちゃんとの公共食堂の一件以来、すぐ暴れる感じになっている気がする」
「おい、人のせいにするなよ」
思案を止めて、思わず素の口調で言い返した。
なんだそりゃ、とマリアが呆れて睨み付けると、彼ともう一人の同僚が「あ、違う違う」「誤解だって」と顔の前で軽く手を振ってきた。
「悪い意味じゃねぇよ。俺ら、そもそも第六師団とか、ほとんど交流なかったし」
「騎馬隊って待機所も離れてるし、業務も管轄違いで外回りも多いから、他部署と接点もないし自然と遠くなるというか」
彼らが一体何を言いたいのか分からない。
そう思ったマリアは、彼らのリーダーのようにして一番喋っている、先程自分の腕を掴んできた騎馬隊員の若者へと目を向けた。
「結局のところ、どういう事なんですか? 手短に簡潔的に答えてください」
若干苛々して、軍人だった頃のように要求した。すると、彼がこれといって気に障った様子もなく「いいよ」と素直に頷き返してきて、こう言った。
「食堂の一件以来、『リボンのメイド凶暴』『メイドっ子、容赦ねぇよな』って話すようになって交流が増えて、意見ぶつけ合って最終的に取っ組み合いになる」
おい、だからなんで結果的にそこにくるんだよ。取っ組み合いになるんじゃない。というか誰だ、こっちを凶暴だの容赦がないだの言っている阿呆は?
マリアは、心底呆れてしまった。つまり臨時任務に参入した、この呑気な騎馬隊と第六師団の一部が話すようになって、それでいて意見が衝突して喧嘩になる事もある、と。けれどそもそも、そこに自分は関係ないだろうと思った。
自分は、『リリーナ様のメイド』としてあるのだ。そのための教育だって受けて、今や立派なメイドとしてココにいる。
そう考えると自信しかなくて、マリアはたっぷりの長いダークブランの髪を手で払うと、こう言ってやった。
「誤解されるような発言は、やめてくださいませ。何を根拠にそんなやりとりをされているのかは知りませんけれど、私はこんなにか弱くて、おしとやかなメイドですのよ」
「自分でいう奴ほど信用ならないって、母ちゃん言ってた――ぐはっ」
呑気な騎馬隊員の若い男が、隣から見下ろしてきて、わざわざ指を向けてそう指摘してきた。マリアは目も向けずに拳を放って、彼を黙らせていた。
こちとら黒髪の件が気になって仕方がないのだ。ここ数日、らしくないくらいにずっと悩まされて考えている。かといって、まだ何も行動に出られていなくてもどかしい状況の中で、こうして巻き込まれて苛々が急激に上がった。
こんなところで、『後輩共』に新たな悩みをぶち込まれてたまるか。こうなったら、手っ取り早く白黒付けて済ませてやる。
「おい。何がどうしてこうなったのか、今すぐ手短に、代表で一人言ってみろ」
マリアは、絶対零度の瞳孔が開いた目を彼らに向けると、拳を掲げたままそう言った。
凶暴じゃねぇかよ、というか視線が殺気立ってSな気質をひしひしと感じる……と呑気な騎馬隊と第六師団の若い面々がざわついた。
「おぉっ、さすがはルクシア様が頼りにされている『リボンのメイドさん』だ!」
バレッド将軍がそう言う後ろで、彼の部下たちが目を擦っていた。
彼以外の若い男たちが、誰が代表して事を簡潔的に報告するか、と忙しなく視線を動かした。最終的に彼らの視線が集まったのは、呑気な騎馬隊メンバーの男だった。
その意思を受け取ったと言わんばかりに、彼が真剣な表情で頷き返してから、仁王立ちしているマリアに向き合った。しかし、その視線を正面から受け取めたところで、決意が揺らいだ様子でゴクリと唾を呑む。
「おぉ……なんか分からんが、威圧感に押し潰されそうだ」
まるで目の前に上官の一人がいる気分だと、思わず彼が感想をこぼす。その後ろから同僚たちが「頑張れトーマス!」やら「負けるんじゃないッ」やら「相手は『メイドっ子』だぞッ」と言い、第六師団の男たちまでもが励ましの言葉をおくり出した。
呑気な騎馬隊をまとめているリーダー格のトーマスは、ニコリともしない彼女としばし見つめ合った。それからようやく、自分が先程腕を掴んで引き留めたそのメイドに向かって、事の発端を一言で述べた。
「実は、鍋プリンが制作断念の危機らしいんだ」
なんだか、唐突によく分からない回答をされた。
数秒考えたマリアは、やっぱりよく分からなくて「は……?」と真顔で呟いてしまっていた。




