二十三章 その亡霊は(2)下
扉の隙間からこっそり盗み見ている姿勢のまま、しばらくマリアは動けないでいた。
見栄えあるマントをしている大柄な軍人は、先日にも見掛けていた筋肉のムキムキ度が物凄い騎馬隊将軍、バレッド・グーバーである。
あの『個性的なくしゃみをするブサ可愛い立派な軍馬』を持ち帰ってきて、その風邪薬の一件で『ルクシアのファン』になったらしい男だ。そして、彼と一緒にいるのは、アーバンド侯爵家のアルバートだった。
癖ない蜂蜜色の髪と、藍色の瞳を持った十九歳の美貌の青年である。屋敷では毎日顔を合わせているから、アルバート本人で間違いない――のだけれど、どうして彼がココにいて、筋肉馬鹿の将軍と向かい合っているのだろうか。
以前の迷惑な会議にて、ロイドが『第三王子の護衛は、第三宮廷近衛騎士隊が担当する』と口にしていたのは覚えている。アルバートは、そこの副隊長だ。
とはいえ、警戒が強くされていると知られないよう、ここを任されている近衛騎士隊の隊長・副隊長が直接足を運ぶのは、避けている事が推測された。何より、目立った行動を『徹底して避けて』いる彼が、ここにいる事に驚いてしまう。
ここは、ひとまず見なかった事にした方がいいのだろうか……?
そう思ったマリアは、行動の判断が付かなくて、ひとまず一旦静かに扉を閉め直す事にした。音を立てないよう、扉をそっと閉める。
けれど、気になる。めちゃくちゃ気になって仕方がない。
アルバートは真面目な男だ。彼の周りには、オブライト時代の友人たちのような人間はいないし、関わっているところを見た事だってない。あの筋肉馬鹿みたいなところがある騎馬隊将軍を相手にして、大丈夫なのかと大変気になった。
「どうした?」
後ろから、アーシュの声が聞こえた。マリアは「なんでもない」と答えたタイミングで、扉を少しだけ開けて、再び外の様子をそぉっと覗いてみた。
つい先程確認したばかりのそこには、失神して白目を剥いているバレッド将軍と、細腕一本で彼の首を掴んで持ち上げている、笑顔のままのアルバートの姿があった。
その光景が目に留まった瞬間、マリアはコンマ二秒で外に出て扉を閉めていた。
「いや何してんですかアルバート様!?」
思わずそう叫んだ。すると、こちらに気付いたアルバートが「おや」というような表情をした。それから、大男を持ち上げているとは感じさせないような、男女共に警戒心を解いてしまう柔和で美麗な微笑を浮かべて、こう言ってきた。
「やぁ、マリア。王宮で会うのは初めてだね。ふふっ、実のところ、とても想定外だ」
「はぁ、すみません。私としても『出来るだけ知らぬ振り』と指示を頂いていたので、まさかこうして王宮内で、アルバート様と会う事になろうとは予想外です……」
本当にいつも通りの彼を見て、歩み寄るマリアはそのペースに少し呑まれた。
彼の近くに立ったところで、バレッド将軍の存在感が無視出来ないレベルで視界に映り込んだ。ハッと我に返ると、顔の前で「いやいやいや」と手を振った。その一連の流れから今に至るまでの様子を、アルバートはにこにこと見下ろしている。
「じゃなくって、何をなさっているんですかアルバート様。バレット将軍、完全に意識がなくなっちゃってますよ」
「ああ、そういえばマリアは、彼と顔見知りなんだっけ?」
答えながら、アルバートが愛想良く少し首を傾げた。それから、思い返すようにして言葉を続ける。
「実は、彼の事は部下から相談を受けていてね。ケイシー隊長の指示で仕方なく『一旦お戻りを』と説得しにきたのだけれど、筋肉がどうとかよく分からない事を言うものだから、つい」
マリアは、これまでのバレッド将軍の様子を思い返した。彼は話が通用しないところもあり、こちらが分からない理屈で物を説いてくる事もある。
これまでアルバートは、そういった相手と接触がなかった。そう考えてみると、彼が『ひとまず黙らせる方法』に出たのも、仕方ない気がしてきた。
彼なりに、珍しく思考が止まった結果なのだろう。マリアは目頭を揉み解しながら、溜息を堪えた。『これまで出会った事のないタイプの人間』に衝撃を受けたアルバートが、コンマ二秒後、躊躇なく彼の意識を奪った光景が頭に浮かんでもいた。
「…………アルバート様、ひとまずは、バレッド将軍を降ろしてあげた方がよろしいかと」
「ああ、うっかり忘れていたよ。それにしても彼、野生の熊みたいな男だね」
ようやく気付いたみたいな目を、アルバートがバレッド将軍へと向ける。
結構体重のある相手だと思うのだが、それをやっているのは『普段から素手で相手を引き千切れる彼』なので、マリアは「はぁ、そうなんですか」としか言えなかった。軍服の袖から覗いた白い手の甲には、見慣れた筋がいくつも浮いている。
その様子を、グイードとレイモンドが扉の隙間からこっそり見ていた。気になって外の様子を確認しようと思い立っての行動だったのだが、まさかバレッド将軍が失神させられていた光景は意外だった。
作業台にルクシアとアーシュを残したまま、珈琲片手にグイードが「なるほどなぁ」と言う。
「ありゃあ、アーバンド侯爵のところの嫡男だな。第三宮廷近衛騎士隊の、副隊長だ」
「そういえば、第三部隊がここの担当だっけか。なるほど、マリアの勤め先の家の跡取り息子か、髪と目の色がリリーナ嬢とそっくりだな」
外の様子を窺っていたレイモンドは、ようやく理解に至って珈琲を口にした。歳は随分離れている兄妹とはいえ、笑った顔の雰囲気も似ている。そう考えながら、ふと気付いてこう呟いた。
「俺、王宮でも社交界でも、ほとんど見掛けた事がないんだよなぁ。かなりモテる男らしいとは聞いているけど、不思議と目立たないんだよな」
そういった噂もなければ、騒がれて日々注目を集めているというわけでもない。
グイードは、レイモンドと同じように、自分たちが知る何人かの友人たちと比べてから、「確かにな」と相棒へ相槌を打った。
壁にもたれつつ、扉の隙間からチラリと目を向ける。アルバートがバレッド将軍を地面に落とし、そこにいるマリアの「雑すぎる……」という声が聞こえてきた。
「まぁ女の子は好きそうな顔してるよな」
「物腰もだろ」
あの状況でも品があって涼しげな微笑みだぞ、と指摘したレイモンドは、よく知らないアルバート副隊長へ目を戻す。考える風に見つめながら「結構腕力あるんだな」と言って、再び珈琲カップに少し口を付けた。
そんな二人の様子を、作業台からルクシアとアーシュが窺っていた。一体彼らは何をしているのだろうか、とひそひそ言葉を交わし始めたところで、レイモンドが「そういや」と言って顔を上げた。
「最近聞いた話だと、アルバート副隊長はシスコンでもあるらしいぞ」
そう思い出したように言う。
グイードは、そこで初めて返答を詰まらせた。口許に運ぼうとしていた珈琲カップを、中途半端な位置でピタリと止めると、アルバート達の方を見ている相棒へゆっくりと目を向ける。
「……それ、マジ? なんか意外な話なんだが」
「今度のパーティーで、第四王子クリストファー様とリリーナ嬢の婚約披露が行われるだろ? その話題が上がった際に『あの温厚なアルバート副隊長が「妹が一番愛らしいに決まっているだろう」と微笑みで剣を突き立てた』とか、騎馬隊の方にもチラリと噂が来てた」
見つめ返しながらそう教えたレイモンドは、これといって興味もなさそうに「多分、見間違いなんじゃないかって言われてるけど」と言って、話を締めた。
グイードは察した様子で、真面目な表情を浮かべて「なるほど」と頷いた。
「そりゃおっかねぇな。厄介なタイプのシスコンだわ」
「何言ってんだ、ただの噂だろうに」
友人たちがそんなやりとりをしている中、マリアはバレッド将軍の襟首を掴んだアルバートを見ていた。
邪魔になるだろうから一旦連れていくね、と説明されているところだった。彼が口にしているのは、引きずって行くという方法である。話を聞きながら、やはり『家族』以外の人間の扱いが雑だなと思ってしまう。
「というかバレッド将軍、起きたらびっくりするんじゃないですかね?」
「問題ないよ。意識を奪った時に『ちょっとだけ脳も揺らした』から、直前の記憶は飛んでいるか、曖昧になっていると思う」
だから安心してね、とでも言うかのようににっこりと笑い返された。
まぁ、相手は筋肉で物を考えているところがあるバレッド将軍である。なので大丈夫だろうけれど、とマリアが考えていると、彼に目を戻したアルバートが、笑顔のまま独り言のようにこう続けた。
「貴重な必要人材になりうるかもしれないからね、それ以外は傷つけていない。僕にしては『大事に扱っている』つもりだ」
将来性の話だろうか。ゆくゆく彼のポジションで、何かしら期待されている事でもあるのか?
そんな疑問を覚えた時、ふと、アルバートが研究私室の方を振り返る様子に気付いた。彼はどこか幼さを覚える素の表情を浮かべていて、その柔らかな蜂蜜色の前髪が風で揺れて目元にかかっても、そこをじっと見つめて動かないでいる。
マリアは、ルクシアが『第三王子』である事を思い出した。ああ、そうかと察して、気遣うような微笑を浮かべると彼に声を掛けた。
「ルクシア様に、会っていかれますか?」
「――いや、大丈夫だよマリア。ありがとう。こうして気配を感じるくらい近くにいられただけで、十分だ」
小さく微笑んだアルバートが、そちらからそっと目を離しながら、そう言った。
アーバンド侯爵家には秘密がある。それは、代々王族のために存在する【国王陛下の剣】である事だ。彼らは、誰よりも王族を信じ・愛し・忠誠を捧げている中で、独自のルールを設けている。
『自らの感情的な意思決定による行動などで、不必要に接触してはならない』
それがどうしてなのか、正確な理由等については知らない。
マリアは、アルバートが「またね」と言って、バレッド将軍を片手で引きずりながら歩いていく姿を見送った。




