二十三章 その亡霊は(2)上
朝、マリアはいつも通り薬学研究棟へと向かった。
珍しく途中の道でアーシュと遭遇し、文官室長のところに一旦顔を出していたという彼と共に、ルクシアの研究私室に入った。
「おや、今日は二人ご一緒でしたか」
室内にいたルクシアが、こちらを振り返ってそう言った。戸棚で続き部屋に持ち込む資料を整理しており、作業台の上はまだ手も付けられておらずキレイだった。先に珈琲を淹れた形跡もなく、彼の方も珍しく遅め出勤だったようだ。
「どうしてか、父上と母上にクッキーを頂きまして。久しぶりに、私室の方で食後のティータイムに少し付き合っていました」
遅れた理由について語りながら、ルクシアが謎だとでも言うように小奇麗な幼い顔を顰める。不思議と、自分が食べられるような種類のクッキーだけが用意されていたように感じたという。
マリアは珈琲を淹れるため動き出していたので、その下りについては聞いていなかった。
それぞれ朝の始業準備を進める中、次第に室内には珈琲の香りが漂い始めた。しばらくもしないうちに用意が整い、作業台の上に三人分の珈琲が並んだ。
その時、扉を控えめに叩く音が上がった。
着席しようとしていたマリアは、昨日の件があったので、もしかしてライラック博士だろうかと推測して「見てくるわね」と言った。同じ推測をしたルクシアとアーシュが、同じ予想をしてその様子を目で追う。
マリアは、扉を開けたところで――その訪問者を見て沈黙した。何故か、そこにはグイードとレイモンドが立っていたのだ。
「よっ、マリアちゃん。いい匂いだな~、朝の珈琲休憩?」
「………………」
「ほらなッ。グイード見てみろよ、虫けらを見るような目じゃないか!」
めちゃくちゃ冷たい眼差しだぞ、とレイモンドがこちらを指してグイードに言う。
そんな目をした覚えはない、ただ呆れているだけだ、とマリアは少し鈍いところがある友人に心の中でそう答えていた。彼の様子からすると、そもそもの原因はまたしてもグイードなんだろうなぁと思って、気が抜けた声で本人に尋ねてみる。
「何故また訪問してきたのか、簡潔に答えてくださいます?」
「仕事まで少し時間あるから、珈琲を飲みに来た」
「だから、なんで休憩所のごとく突撃してくるんですか」
迷わずキッパリ答えてきたグイードの笑顔を前に、マリアは口角が引き攣りそうになった。よく分からん男だ、また妻か娘について聞かせたい話でもあるのだろうか?
そう推測しつつも、それにしてもお前もか……とレイモンドを見てしまう。室内にいるルクシアとアーシュが、困惑して微妙な空気を放っているのは感じていたし、「どうしてまた来たのでしょうか」「つか騎馬総帥様もいるんだけど」という疑問も聞こえてきて、心境は複雑だった。
すると、こちらの眼差しに何かを察知したのか、レイモンドが少し慌てて「違うぞマリア」と言ってきた。
「グイードのやつ、飛び蹴りでも止まらなかったんだよ」
「すみません、よく分からないのですけれど……――朝から何をはしゃいでいるんです?」
というか、お前はどこでどうあって、飛び蹴りを出したんだ?
相変わらずプツリと切れるところは健在のようで、呆れてしまった。なんで朝一番からテンション高い行動してんだよ、と思ってそう言うと、彼が隣の相棒に親指を向けてこう続けた。
「あの後、いつも使ってる珈琲カップを取るためだけに、馬鹿力で執務室まで引きずり戻された」
「…………珈琲カップ、ですか……」
マリアは、思わずそのアイテム名を反芻してしまった。
お前、レイモンドまで通わせる気か? そう思ってグイードへ目を向けてみると、彼は室内の作業台の椅子にいたルクシアとアーシュに向かって、「先日振り」と軽く手を上げて挨拶していた。
グイードが部屋の主人に確認する事もなく、勝手に少し進んできた。「ふむ」と言って、片方の手を腰にあてる。
「椅子がもう一個要るな。取ってくるぜ」
それを聞いて、レイモンドが出入り口に立ったまま「ちょっと待て」と口を挟んだ。いかにも歓迎の様子ではないルクシア達の方へ目を向けると、作業用のこざっぱりとした椅子を確認する。
「なんで取ってくるんだ? 一つ余分に椅子があるみたいなんだが」
「それ、ニールの分なんだ」
「あいつ、こっちに入り浸ってんのか? 一体何やってんだよ」
不思議でならない、と言わんばかりの表情でレイモンドが黙考する。
マリアは、同感だと思った。つい声を掛けられないでいると、グイードが「んじゃ行ってくる」と言って、勝手に椅子の調達に向かうべく一旦部屋を出ていってしまった。
それを見送ったレイモンドが、「しまった」と遅れて察したように顔を上げた。
「まずい。ルクシア様の許可も得ていないのに、ここは止めるべきだったか」
「相変わらず大事なところで鈍いな……――おっほんッ。レイモンドさん、どうぞ室内へ」
「…………あのさ? 今、ピンポイントで突き刺さる指摘が聞こえた気がす――」
「気のせいですわ」
薄ら笑いを浮かべたマリアは、ひとまずレイモンドに入室を促した。また作業椅子が一個増えるらしい事を思いながら、仕方なく彼ら分の珈琲も淹れる事にして、レイモンドから珈琲カップを受け取って備え付けのキッチンに向かった。
珈琲を淹れて戻ってくると、アーシュの隣にある椅子を挟んで、グイードとレイモンドが腰かけていた。背丈がある彼らが座ると、いつもの作業椅子が少々小さく見えて不思議だった。
姿勢を楽に座っている二人が、こちらを振り返った。まるでプライベート時のようにリラックスしている。
そんな彼らに対して、ルクシアとアーシュがこちらに戸惑いの目を向けてきた。これといって話題もないんだけど沈黙が居心地悪い、と二人の眼差しが伝えてくるるような気がした。
「マリアちゃん、どうした?」
「…………あの、ホントなんで来たんですか?」
「時間があるし、珈琲飲みがてらちょっと休憩しようかなって」
グイードがそう答えるのを聞いて、ここはルクシアの研究私室なんだが、と思いながらマリアは二人に珈琲カップを渡した。十六年前、騎馬隊の巡回がてら黒騎士部隊の建物にきて、『後輩の顔を見に』と言って珈琲を飲んだりしていた事が思い出された。
すると、レイモンドが思い出したように「あ」と言った。珈琲カップを持っていない手を、丈の長い軍服の上着ポケットに入れて探る。
「ただで珈琲を貰うのも悪いと思って、小さめの珈琲を一袋持って来たんだった」
「そうなんですか? わざわざいいのに……」
マリアは、そういう配慮をする友人だったと思い出した。彼がここ最近は特に忙しそうで、個人的に悩まされていたり色々と頭を抱えていた事が脳裏を過ぎり、余計な負担を掛けてしまったなと申し訳なさを覚える。
すると、そんな思いを声から察したのか、レイモンドが珈琲の入った袋を取り出しながら「別にいいって」と砕けた口調で言った。それを差し出してから、親しげな様子でこう続ける。
「グイードから、この前ここで飲んだ珈琲が美味かったって聞いたんだ。もしかしたらこっちも好きかなと思って、俺のオススメを持ってきた。最近出たやつなんだけど、管理課の支給品にしては、結構飲める感じで美味い」
一瞬、ふっと既視感を覚えた。自分がオブライトだった頃、彼が今と似たような事を言って、珈琲の手土産を手渡してきた光景が浮かんだ。
マリアはそれを不思議に思いながら、珈琲の入った袋を受け取った。付き合いの長い友人の言葉を思い返したところで、ふと察して少し考える。
「…………『結構飲める感じ』ということは、あまり砂糖を入れないで飲めるタイプのやつ?」
「全体的に味は軽めで、風味が甘い」
「なるほど。それだと、砂糖を足すのはアウトっぽいですね」
昔と同じようなニュアンスで伝えられたマリアは、察したとばかりに袋に目を留めた。一旦キッチンに持って行こうかと思ったものの、グイードが椅子をすすめてきたので、後でしまう事にしてアーシュの隣の椅子に腰かけた。
すると、グイードが面白そうに笑って、こう言ってきた。
「マリアちゃん、結構珈琲飲むんだな~。普段の量の砂糖を足したら、ソレめちゃくちゃ甘くなるぜ。今度試してみ?」
「ご遠慮します。それだと、珈琲じゃなくなるじゃないですか」
自分の珈琲カップを手に取ったマリアは、実際にそれを飲まされた経験があったので、阿呆かと言う目をグイードに向けた。
そうしたら、レイモンドが宙を見やって「ブラックのみだと美味いってタイプの、軽い珈琲もあるからなぁ」と同意するように言う。
「手軽に飲む分では、飲みやすくていいんだけどな。俺としては、ああいうのは砂糖との相性は最悪だと思う」
「ははは、ちょっと甘さ足そうとしたら、珈琲らしさが一気になくなるってのも面白いけどな~」
「そう笑って言っているのは、グイードさんだけだと思いますよ……。珈琲と紅茶の間の、全く別の飲み物になる気がします」
「俺もそう思う」
マリアが遠い目をして呟くと、レイモンドが過去を思い返すように相槌を打った。あれって何味であると言えばいいんだろうなと、二人は揃って同じ事を考えていた。
その様子を見ていたアーシュが、こらえきれなくなったように、マリアに向かって「そもそもさ」と言った。
「お前、色々と馴染み過ぎだろ」
というか、騎馬総帥様がかなり自然体な気がする……そんな呟きが聞こえて、マリアはアーシュを見つめ返した。まるで幽霊を見るみたいな目を向けられていると気付いて、友人たちと一緒になって小さく首を傾げる。
「『自然体』って、何が?」
「レイモンドって、いつもこんな感じだけどな」
「おい、指を向けるなよ」
グイードが言ったそばで、レイモンドが軽く叱った。しかし、指を払いのけられた彼は、気にした様子もなく珈琲を少し飲むと、警戒した猫みたいに珈琲を飲んでいるルクシアへと顔を向ける。
「ルクシア様、もしかしてまだ緊張されてます? ははは、大丈夫ですよ、いきなり暴れたりするような大人ではありせんから」
「実に説得力がありません」
ずっと黙っていたルクシアが、重かった口を開いてキッパリと言った。先日の食堂の騒動に居合わせていたので、そう告げる表情は至極真剣だった。用件もないのに訪れる大人がいるというのが、謎で仕方がないという目を向けている。
その時、マリアは扉の外に動きがあるのを察知して、グイードとレイモンドと揃ってピタリと動きを止めた。戦争時代を生きてきた軍人として、いつでも非常事態に対応してきた本能から、ここが第三王子ルクシアの研究私室という事もあって警戒した。結構近いなと思って、何食わぬ表情でそちらの気配を探る。
急に大人しくなった事に気付いて、アーシュが「どうかしたのか?」とマリアに声を掛けた。ルクシアも訝った表情を浮かべて、こう問い掛ける。
「マリア。部屋の外に、何か気になる事でも?」
「ちょっと物音がしたかなと思って」
マリアはそう答えながら、珈琲カップを置いて立ち上がった。探ってみた感じでは殺気はないが、念のため確認しておいた方がいいだろう。そう考えてグイードとレイモンドに目配せすると、自分が見てくるからと視線で伝えて扉へと向かった。
そっと扉を開けて、隙間から外の様子を見た。開けたその場所には、熊みたいな大きな騎馬隊将軍バレッドと、美麗な愛想笑いを浮かべて向かい合っている軍服姿のアルバート・アーバンドがいた。
「……………」
ムッキムキ大男と、キラキラ美青年の組み合わせだ。それ以上の状況整理がすぐに出来なくて、マリアは数秒ほどじっと動けなかった。




