二十三章 その亡霊は(1)
翌日の朝、レイモンドは自身の執務室を出ると、ゆったりとした足取りで二階回廊を歩いていた。王宮の本建物へと向かうべく、第二軍区から渡り廊下を進む。
騎馬隊の数人が、擦れ違いざま軍人式の挨拶をしてきた。そちらに目を向けて「おはよう」と返しながらも、気分は上がらないままだった。若い部下たちの視線が離れると、その優しげな鳶色の瞳には、またすぐに複雑そうな心境が滲む。
先日も、ジーンとポルペオの追い駆けっこがあったらしい。通り過ぎていく別部隊の若い軍人の何人かが、そう口にしているのが耳に入った。
第一軍区へと入って一階に降りると、使用人の姿も見かけるようになって、朝とはいえがやがやと賑やかな雰囲気に変わる。
「あいつら、今度は何をしたんだよ……」
レイモンドは、歩きながらそう呟いてしまった。
何せそのおかげで、昨日の夕刻過ぎに訪問した際、宰相ベルアーノが胃を抱えてひっくり返る光景に遭遇してしまっていた。その報告をしていた非軍人の部下は驚いていたし、現在水面下で勧められている『計画』を知っているレイモンドと他の軍人たちは、また気苦労が増えたんだなと同情したものである。
昔より数は少なくなっていたと思っていたのだが、最近は、またあの頃みたいに騒がしさの頻度が増えた気がする。
というか、ジーンもニールも一体何をしたのだろうか。ポルペオがあのように追い駆けるというのも、最近は数える程度だった気がしないでもないのだが。そう思ったところで、ふと「あ、そうでもないかな……」と感想が口からこぼれた。
第四王子の見合い話が出るよりも前、第二王子と一緒に他国から招待されていた人間を出迎えたジーンが、騒動を起こしてポルペオが説教すべく追い駆けていたのを思い出す。
あの時は、こっちも巻き添えを食らった。今こうやって思い返してみれば、なんでそうなったのか分からない。理不尽だとしか思い浮かばなくて、レイモンドは「ふっ」と乾いた笑みを浮かべてしまった。
「そもそも、俺の友人は、ほとんどS寄りな気質だよな…………」
そうでなければ、日々こんなに騒がしくて物騒が続くとか、ないだろう。
その時、ふと後ろから名を呼ばれて、レイモンドは足を止めた。聞き慣れた声だと気付いて、始業前の一時を思いながら、なんだろうなとのんびりとした仕草でそちらを振り返る。
「よぉ、相棒。珍しく独り言か?」
そこにいたのは、騎馬隊将軍時代の相棒、グイードだった。悪戯が好きそうな目をしており、少し癖の入ったスッキリとした短髪をしている。今は銀色騎士団第一師団長をやっており、あと一時間もしないうちに用があるため、きちんとマントも付けていた。
レイモンドは相棒の姿を認めてすぐ、疑問を覚えて顔を顰めた。この辺りにグイードが用を抱えている場所はなく、どうして朝一番にここを歩いているのか不思議で、訝って尋ねた。
「おい。お前はなんでここにいるんだよ?」
「これから、マリアちゃんのところに行こうと思ってな。お前も一緒にどうだ?」
グイードが、当たり前みたいにそう陽気に誘ってきた。
それを聞いたレイモンドは、思わず「は……?」と呆気に取られた声が出た。最近マリアが身を置いている場所を考えてすぐ、第三王子であり、薬学研究棟の所長であるルクシアの存在が浮かんだ。まさか、と思って相棒を見つめ返す。
「……お前、もしかしてルクシア様の研究私室に行く気なのか?」
「そうだけど?」
グイードが間髪入れず答えた。それ以外の場所があるのか、と実に不思議そうに首を傾げている。
レイモンドは、しばし考える時間を必要とした。近くを数人の軍人と使用人が通り過ぎていく中、相棒とじっくり見つめ合ったところで、いやコレ、やっぱりおかしいだろと思った。
「いやいやいや、お前そんなにルクシア様と交流なかっただろ。なのにアポ無しで訪問する気か!?」
「俺が訪ねるのは、マリアちゃんだぞ?」
「だから、そこはルクシア様の部屋だって言ってんだよ!」
そもそも、マリアのところへ突撃するというのも、おかしな発想だ。
マリアは、会ってそんなに日も経っていないメイドの女の子だ。彼女がいるのは、第三王子ルクシアが『所長』として仕事している研究私室である。そう考えると、一体何をどうしたら、平気な顔でそこに行くという行動に出られるのか。
すると、叱り付けるように叫んだこちらの話も聞かず、グイードが「あ」と思い出したような表情を浮かべてこう言った。
「俺のは既に向こうに置いてあるんだけど、珈琲カップは持参な」
「もう既に突撃した事があるのか!? つか、通う気満々かよッ!」
レイモンドは驚愕した。こいつ、何やってんだよと思った。
そもそも、この状況の中、自分達が第三王子のもとを訪れても大丈夫なのだろうか。ルクシアが『メイドの転落死』を調べなくなってからは、最大警戒レベルからは下げられていたものの、国王陛下と兄王子、そして宰相と総隊長ロイドも、引き続き表立っての接触は控えている。
そうしたら、まるでぐるぐると考えているこちらの頭の中でも察したように、グイードが「平気だって、相棒」と笑顔で言ってきた。
「その辺に関しては、『この俺が調べて問題ないと確認』してある」
自信たっぷりの様子だった。レイモンドはそう言われて、「あ」と拍子抜けしたように肩から力を抜いた。そういえば『そっちの頭脳兼参謀役』はお前だったな、と思う。
十五年前に、最後に大きな集まりをした。そして、それぞれが考えを述べて『今の体制』が取られていた。トップに国王陛下、その支えとして大臣ジーン。軍部をメインとして総隊長ロイド、そして総隊長補佐のモルツ……。
同じように全く警戒されずに、銀色騎士団第一師団長グイードが置かれている。それを、レイモンドは思い出した。
「お前が『その役目』をやっているのを、時々忘れそうになるなぁ。上手い具合に動いているというか、なんというか」
「ははは、後輩に全部負担させるわけにはいかないだろ~」
「笑って言ってるけど、結構重要部分だぞ……」
「だって、お前は無理だろ?」
だから俺が騎馬隊から抜けた、とグイードがあっけらかんと言う。――当時、覚悟と決意で「騎馬隊を頼んだぜ」と離れ難いながら決めた事を、そう口にした時とは違っている。
知ってる、だから俺は騎馬隊に残った、とレイモンドはリラックスした様子で言った。――十五年前、腹を決めて「『その役目』、騎馬総帥の地位と共に、俺が背負う」と友人たちの前で、そして相棒を真っすぐ見据えて口にした時とは違い、余裕がある。
数秒ほど、二人は肩の力を抜いて向かい合っていた。
立ち止まっている廊下の、呑気そうな賑やかさをしばらく聞いていた。あの頃からは考えられないくらいに平和だった。
ややあってから、グイードが「よしっ」と言って、掌に拳を落とした。
「まずは、お前の部屋から、珈琲カップを取ってこようぜ」
その発言を聞いて、レイモンドは「あ」と声を上げた。うっかりその問題を忘れていたと気付いた時、ぐいぐいと腕を引っ張られて驚いた。
「待て待て待て、俺の珈琲カップはいいから! というか、俺は行かないぞ!?」
抗議の声を上げてすぐ、ハタと思い付いたようにグイードが手を離した。
「俺がひとっ走りしてきた方が早いな」
そう言ってから、グイードは「ちょっと待ってろよ~」と唐突に走り出してしまう。息を吐く間もない行動を見て、レイモンドは目を剥いた。
もう考える余裕などなくなってしまった。色々な心配事やらツッコミが、ぐるぐると脳内を一周した直後、堪え性がない彼はプツリと切れていた。同じように走り出して、名将軍時代を思わせる走力で一気に距離を縮める。
「止まれってんだろ!」
「ぐはッ」
グイードに追い付いたレイモンドは、彼の背中に向かって飛び蹴りを決めていた。日々の多忙さに加えて、その間にこの相棒にちょこちょこ迷惑をかけられていた事もあり、ストレスが一気に爆発したのだ。
近くを歩いていた人々が、ざわめきを上げた。呼び止めるにしては、それは随分ダメージがデカい方法である。咄嗟に足技に出る人間も少数派だろう。
先程の呟きをバッチリ聞き届けていたグイードは、廊下に顔面から倒れ込んだ状態で、「お前も結構、気質はS寄りだよ……」と呟いた。




