二十二章 少女と亡霊と毒薬学(5)中
自分は、珈琲の調達に出たはずなのだが……なんで、こんなところにいるのだろうか?
マリアは上等なアンティーク風の、四人掛けソファに座ったまま真顔でいた。ここは貴族階級の人間が、休憩所の一つとして出入りしている第七サロンである。装飾が描かれた床は白く磨き上げられており、高い天井は目を楽しませる風景が描かれてある。
ちらほらといる利用者たちは、全員王宮勤めの男たちだ。使用人が座っているのは目立つはずなのだが、こちらを幼いメイド見習いだと思っているのか、連れているのが銀色騎士団の総隊長にして、ファウスト公爵であるロイドのせいなのか、不審な目は向けて来ないでいる。
ニールは到着早々、ガラステーブルの向かい側のソファに周ると、慣れたようにボスンと腰を下ろしていた。ややカーブを描く造りが面白いようで、それを口にしてから、二度ほど跳ねて見せた。
「見てよお嬢ちゃん、こんな風にも寝転がれるんだぜ!」
「ニールさん、やめてください。悪目立ちします」
「あれ、なんか全然楽しそうじゃないね。大丈夫だって、俺、よくここで寝たりするもん。誰も怒らないし、ぐっすり寝られるよ」
常習犯かよ、頼むからヤめろ。
マリアは真剣な表情で、そう思った。自分が最後に上司として面倒を見てから十六年が経っているはずなのだが、と本気で考えてしまう。つい、軍人時代の相棒だったジーンの、大臣となってから今に至るまでの苦労が想像させられた。
流れるようにここに座らせていたロイドが、マリアの隣側のスペースのクッションを肘当てに寄せた。普段の凶暴性を感じさせない手付きで、ぽんぽんと形を整えてきちんと立てている。
そういうところは細かい男だと思って見ていたら、彼が背を起こしながらこう言った。
「暇をしているかと思ってな。菓子でも食っていけ」
「暇はしておりません」
問われたマリアは、間髪入れずキッパリ答えた。
どうせ聞いてもらえないだろうと思いつつも、珈琲や備品を管理課に申請しに行くのだと淡々と説明する。そうしたら案の定、ロイドがサロンにいた人間に視線を流し向けて、口を開いた。
「ちょうど俺が暇をしていた。次の予定まで二十分。移動時間を含めても少し時間が空く」
くそッ、お前が暇だったのか……!
まさか本音をストレートに言ってくるとは思わなかった。こちらとしては、仕事の用で一旦薬学研究棟を出ていたので、ちっとも嬉しくない誘いである。暇だからと言って、その短い休憩に巻き込まないで欲しい。
「ちっ。仕方ないが、俺が行くしかないか」
ふと、そんな呟きが聞えて、マリアは考え事を中断した。
思わず「ん?」と疑問の声を上げて振り返ってみると、使用人の姿を探して辺りを見やっていたロイドが、それに気付いて顰め面を返してきた。
「……あの、ロイド様が休憩用のお菓子を取りに行くんですか? ご自分で?」
「なんだ。それの何が悪い?」
「いや、ここにはニールさんもいるし、普通それってメイドの私の役目じゃ…………――あれ? そういえば、モルツさんはどうしたんです?」
ふと、普段からセットでいるド変態が不在であると思い至り、マリアはそう尋ねた。
するとロイドが、気に食わないとでもいう様子で、秀麗な眉をチラリと顰めた。ふいっと視線をそらしたかと思うと、忌々しげにぶつぶつ言う。
「奴は『さん付け』で、俺は『様付け』か。なんか癪だな」
口の中でもごもご言われても聞こえなくて、マリアは「なんて言ったんですか?」と尋ねた。彼は少し機嫌の悪そうな顔を戻してきたかと思うと、気遣っているとは思えない表情で見下ろし、先の質問に答えてきた。
「モルツには、ついさっき用を持たせた。まだ戻ってない。ニールを踏みつけているタイミングで戻ってもいいはずなんだが、少々時間がかかっているらしいな」
「ふうん? それは少し珍しいですわね」
「どうせ、どこからか現われる。アレはウチでは一番速い。気配だけは、この俺も追うのが難しい」
言いながら、ロイドが「ちょっと待ってろ」と踵を返して、サロンに隣接する別広間に向かった。
ソファの上で胡坐をかいて座ったニールが、それをマリアと共に見送りながらコテリと首を傾げる。
「変態がいなくて助かった。でもお菓子があたるなら、ヴァンレットも誘えば良かったな~」
「ヴァンレットをサボらせないでくださいまし、ニールさん。周りの方々が大変困ります」
「でもあのド変態、いきなり現われるからマジ心臓に悪いんだよねぇー」
「ニールさん、私の話し聞いていませんわね?」
「あ! そういえば、聞いてよお嬢ちゃん!」
その時、ニールが何事か思い出した様子で、ソファの上をバンッと叩いた。その音が広いサロンに響き渡り、少し離れた距離にいた貴族らしき二人組が、チラリと目を向ける。
「あのド変態野郎、また今日もいきなり現われたんだぜ!? 俺、朝にルクシア様のところに行こうとしたんだけど、二階のベランダがすげぇ気持ち良かったから、まずはそこに座って日向ぼっこしてたんだけどさ。そしたら、ジーンさんに近い格好した人が悲鳴があげて」
マリアはそこで、「ちょっと待て」と素の口調で口を挟んでしまった。
「待って待って待って。ツッコミ所満載で、ちょっと状況整理が追い付かな――」
「まぁ悲鳴上げられたのは別の話だったから、いっか」
「よくないぞ、めちゃくちゃ気になるだろうが」
「んでさ、そっちから飛び降りたら、下にいた人を踏んじゃって。とまぁ色々と道中にあったわけだけど、ヅラ師団長の部屋からいい匂いがしてさ。立ち寄ってみたら、テーブルに上等な焼き菓子が沢山あったら『いただきます』ってちゃんと置き手紙して、何個か食べたんだ」
その置き手紙とやらは、ジーンの影響だろうか。
けれど頼むから、それは見習わないで欲しい。というか勝手に食べる時点でアウトだし、ポルペオが上等な焼き菓子をわざわざ手配して迎える相手とやらは、第二王子のジークフリートしか思い浮かばないんだが……。
言ってやりたい事がありすぎて、マリアは言葉を失った。最終的にどんな問題が露呈するのだろうかと、話し続ける事に夢中になっているニールの口から、話のオチが出るのを一心に待つ事にした。
ニールは、相変わらず思い付くままに喋り、話題が次々に飛んでいた。その行動の多様さからも、彼の日頃からの集中力のなさが窺えた。
しばらく待っていると、ようやく彼が「それで、あの変態だけど」と言った。
「俺が廊下を降りようとしたらさ、すっと背後に現われて……『あなたの報告書は色々と壊滅的です。あまりのひどさに、またしても総隊長に命令を受けました』って、耳元でそう言ったんだぜ!?」
間を貯め込んだニールが、怖い怪談話の盛り上がり部分を語るようにして、ぶるっと震え上がってそう口にした。
マリアは、それを聞き届けた一瞬後、身構えていたのが馬鹿であったと悟った表情を晒していた。それは結局のところ、またしても自分で原因を作って、モルツに追い駆けられたというだけの話ではないだろうか、と冷静に分析して思ってしまう。
「めっちゃ追い駆けてくんの。ぴったり大人一人分の歩幅だけを開けて、触れず離れず付いてくんの! めちゃくちゃホラーだよ!」
「そこで涙目で言われても、説得力が伝わってきません」
「えぇぇぇッ、お嬢ちゃん目が冷たいよ!? ひでぇッ」
想像したらホラーだし、自分がそうされたらと思うと、やはりホラーだ。
けれど、そうなる前の色々な騒ぎと事件の方が印象強いせいか、なんだモルツに追い駆けられただけか、ともマリアは思ってしまう。
先日、ニールはジーンに用事を持たされて外出していたというし、ついでにロイド辺りから他の用も受けたのかもしれない。――とはいえ、黒騎士部隊で書類作業がまともに出来た部下もいないので、紙の上でも『お喋り』なニールが、一体どんな壊滅的な文章を提出したのかは、少し気にもなった。
その時、ふと軍靴の足音が聞こえてきて、マリアはソファの背越しに振り返った。報告書をもらってモルツを差し向けた張本人が目に留まり、思わず何も考えないまま声を投げ掛けていた。
「ロイド様」
呼んでみると、こちらに向かってきた彼の足が止まった。その歩みは、数秒もせずに再開されて、愛想のない美麗な無表情でロイドが「なんだ」と問い返してくる。
マリアは、先日の任務の際に、彼が十六年前のロイド少年であるという実感を半ば得ていた。ニールとお喋りしながら緊張が抜けていた事もあり、ついオブライトだった頃の感覚で「うん」と相槌を打つと、思い付いたまま尋ねた。
「ニールさんの報告書、そんなにひどかったんですか?」
「どんな風に話しを聞かされたのか知らんが、紙にぎっちり書かれた文章が全部ひどかった。字はお前に比べればマシだが、読むごとにいちいち苛立ちが煽られる文面だった。最後のどうでもいい日記みたいな食べ歩きの感想には、実に腹が立った」
あ。いちおう、律儀にも全部読んではいるんだな……。
途中で放棄せず、きちんと目を通すタイプらしい。それはそれで意外というか、ある意味きっちりとした真面目な男でもあるようだと推測されて、マリアは不思議に思う。
ニールが「だからって変態寄越すのだけはヤめてッ」と、今にも泣きそうな表情で訴える中、ロイドが人数分つまめる量のクッキーを乗せた皿を、ガラステーブルの上に置いた。そして彼は、間を開けてマリアの隣に腰を下ろした。




