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二十二章 少女と亡霊と毒薬学(4)

 マリアは通常業務にあたりつつも、正午にはきちんと、ルクシアとアーシュと共に昼休憩をとって腹ごしらえをした。


 公共食堂では、鍋プリンがメニューの一つとして並ぶ日がくるかもしれない、なんか料理長以下コック達が燃えているらしいぞ、という都市伝説のような噂で持ちきりだった。

 なんでも、鍋プリンを賭けて、大人達の本気(マジ)な取っ組み合いが勃発したのだとか。

 マリアは食事中、その話を聞いていなかった。やっぱりプリンは美味いなぁ、と思いながら小さいカップの五個目を食べていた。途中、ルクシアとアーシュが物言いたげな目を向けてきたので、「ん?」と問い返してみると視線をそらされてしまい、食べる幸せを堪能して薬学研究棟に戻ったのだった。



 それから一時間と少し、それぞれの仕事に没頭した後、いつも通り午後一回目の珈琲休憩を挟んだ。


 ルクシアは、続き部屋でされている『例の毒』の研究と調査については、何がどういう風にクリアされ、どんな壁にぶち当たっているのかといった愚痴は、相変わらず一切こぼさないでいた。時々、珈琲カップを持ったまま、気難しい表情を浮かべて思案顔で黙考したりする。



 その件に関しては、専門家である自身で詳細報告書を作っているようなので、恐らく必要になったら宰相ベルアーノに相談しているのだろう。


 だから、あまり気持ち的な負担を掛けないよう、マリアとアーシュは様子を見計らって「出来る事はありますか」と、チラリとだけ尋ねるようにしていた。


 そうすると彼は、いつも眉間の皺をふっと消して、少し元気が戻ったみたいな小さな笑みを浮かべた。それから「大丈夫ですよ、ありがとうございます」と言う。


 きっと手助けが出来る事があれば、それについても協力を求めてくれるという信頼感があった。だから二人はそれ以上問わず、いつでもそばにいる事を考えて身を引いた。

 そのたび、自分達に出来る事を、ひたむきに取り組もうと思った。珈琲休憩の時間には、少しでもルクシアにリラックスして欲しくて、難しい話を持ちこまないというのも意識はしていた。


「それにしても、まさかジャムクッキーが出てくるとは思いませんでした」

「管理課の窓口に行ったら、『まぁまぁ賞味も長いですしどうですか』、とオススメされたんです」


 ルクシアの感想を聞いて、マリアは笑顔でそう答えた。しかし、調達した本人であるのに、彼と同じ目を残り数枚となったそれに向けてしまう。


「でも、私としても、正直こんなに甘いとは思っていませんでした」

「…………でしょうね。まるで溶かして柔らかくした飴のようです」

「俺もめちゃくちゃ甘いなと思ったけど、マリアもルクシア様も平気で食ってるから、もしかしたら俺だけがそう思っているかもしれない、とマジで考えたわ」


 真面目な表情で言って、アーシュがクッキーの一枚に手を伸ばした。

 マリアは「おかげで珈琲が美味いなぁ」と、素の口調で本音をこぼしながらクッキーを取った。ルクシアが残りの一枚を持ち上げてから「マリア、心の声が口から出ていますよ」と、いつものようにそれとなく指摘する。


 彼女の女らしかぬ独白を指摘しようとしたアーシュが、懐かない犬みたいな目を向けたところで、ふと「飴といえば」と疑問の表情を浮かべた。


「昨日もそうだったけど、今日もあの赤毛は来てないな」

「そういえばそうね」


 とはいえ、彼がここに居座っている方がおかしいのだが……。


 マリアはそう思って、何も言えずにクッキーを咀嚼した。作業台を挟んで向かい側にいるルクシアが、身なりに無頓着な金髪をサラリと揺らして、増えている二つの椅子の方へ、眼鏡ごしに大きな金緑の目を向ける。


「そもそも私としては、どのような目的や使命があって彼がココにいるのか、まるで分からないのですが……。先日、アーシュが彼を五月蠅いと言って投げ飛ばす音を聞いた時も、お喋りだけで邪魔出来るタイプの人間もそうそういないな、と思ったほどです」

「うわっ、続き部屋まで響いていたんですか!? すみません、ルクシア様」

「大丈夫です。少し思案してじっとしているタイミングだったので、聞こえたというだけですから」


 話しながらも最後のクッキーを食べ終わり、三人は揃って珈琲を口にする。それぞれが、疑問に思う表情を浮かべていた。


 その時、来訪を告げる扉のノック音が上がった。ルクシアとアーシュがふっと顔を上げるそばで、マリアはメイドとして働くべく「誰かしらね」と言いながら立ち上がると、そこらへ向けてパタパタと駆け寄った。


 扉を開けてみると、そこには白衣姿の大きな中年男性が立っていた。


 マリアは彼を見てすぐ、「あ」と声を上げた。それは、一昨日にニールをぶん投げた際、彼の下敷きにしてしまって少し話をした、ライラック・ボルドウィン博士だった。


 一見した(よわい)は、ざっと五十代後半頃。学者というよりは退役した元軍人という体格をしているものの、骨格が太いというだけで筋肉はなく中肉中背だ。


「こんにちは、マリアさん」


 こちらを見下ろした彼が、虹彩に緑かかった少し薄い水色の優しげな瞳を、少し申し訳なさそうに細めて微笑む。


「唐突なご訪問、申し訳ございません。今、少しお時間よろしいでしょうか?」


 そう言いながら、屋内の作業台に気付いたライラック博士が、そこにいるルクシアに控えめながらも視線を向けた。


 座ったままこちら振り返り見守っているアーシュが、懐かない犬のような目を小さく見開いている。同じ薬学研究棟の上の階の人間の訪問を見て、ルクシアも珍しく少し驚いたような表情を浮かべていた。


 先日に一回顔を合わせているというだけで、唐突な訪問者である事に変わりはない。マリアはそう考えて、さてどうしたものかと、次の言葉を探した。


 すると、ルクシアが礼儀を守るように立ち上がり、その場からこう声を投げかけた。


「先日ぶりですね、ライラック博士。この前は、こちらこそ唐突に医療課の薬剤調合室にお邪魔してしまい、申し訳ございませんでした」


 そう告げる声は、険を孕んでおらず落ち着いていた。アーシュがどこかほっとしたように胸を撫で下ろすのを、マリアは少し不思議に思って見やる。


 挨拶を交えて詫びたルクシアの声は、そこで途切れた。どうして訪問したのだろう、という戸惑いを僅かに秀麗な眉に浮かべたものの、普段から人と接し慣れないところもあって、会話を続けられないでいるようだった。


 そうしたら、ライラック博士が控えめな性格を滲ませながらも、大人として立派な様子で片手を胸にあてた。紳士の礼儀姿勢を取ると「実は」と、切り出す。


「今置かれているご事情は、宰相様たちから伺っております。私は医薬品を専門として扱っておりますが、もっとも長く触れていた調合薬学でいうと三十年以上の経験。医療学を専門とする現在に至るまでに、生物学、植物学、環境学といった専門分野でも活躍してまいりました。現在も学会に籍を置いております」


 唐突に始まった自己紹介を聞いたアーシュが、つい、目を丸くして「そりゃすげぇな……」と感心の声をもらした。まさに学者気質で、常にあらゆる事を勉強し探求し続けている者の特徴だろう。


 マリアもそう思いながら、すごい人なんだなと呟いて、話し続けているライラック博士を見守っていた。


「私はこれといって才はなく、医療専門であるとしか知られていないほどの目立たない男です。ルクシア様の専門とし、求めている毒薬学とは系統も違いますでしょう…………――けれど何か、お手伝い出来る事はないだろうかと思いまして、こうして足を運ばせて頂きました」



 少し、お話しませんか。

 ライラック博士が、申し訳なさそうな微笑を浮かべて、そう問う。



 才能がないから知られていない、という自己紹介から、彼が本当に控えめな性格の持ち主である事が伝わってきた。


 恐らくは、バーグナー・ハリソン名誉教授と同じなのだろう。彼も自ら表に立って、その才能や実績を誇示したりはしなかったから。


 マリアはそう思い返しながら、アーシュと共に、入口に立つライラック博士とルクシアへ視線を往復させていた。今のルクシアにとって、心強く頼もしい協力者になれるだろうと推測されるものの、専門的な見解が出来ないから、当の本人がどう応えるのか予測が付かなかった。


 提案されたルクシアは、自分の椅子のところで佇んだままだった。その思案する目が、作業台の上へと落ちる。表情は僅かな変化だったが、戸惑いと困惑、迷いと不安をまとっていた。

 その様子を見たマリアは、アーシュへと視線を投げた。同じようにこちらへ目配せしてきた彼が、そうだよなと応えるようにして確認したかと思うと、そっと姿勢を動かして手を伸ばす。


 不意にルクシアが、弾かれたように目を向けた。作業台越しに、自分の白衣にほんの少しだけ指先を触れて引いているアーシュを見た。


「ルクシア様、大丈夫ですよ。――大丈夫ですから、一旦深呼吸です」


 いつもみたいに平気そうに言って、アーシュが笑う。二十歳にしては少し華奢ながら、そう短くアドバイスする声と眼差しは、純粋にただ年下の友人の背中を押すような大人びた感じも漂っていた。


 続いて視線を向けられたマリアも、普段通りの『大丈夫ですよ、肩の力を抜いていきましょう』という笑顔を返す。その目元も、幼いと勘違いされる十六歳の少女にしては、随分年上のようなどこか柔かな印象があった。


 二人を順に見たルクシアの肩から、すぅっと強張りが抜けた。十五歳らしくない眉間の皺が消えて、ややあってから彼が吐息混じりに前髪をかきあげながら、彼はライラック博士に視線を戻す。


「そうですね。立ち話もなんですから、続き部屋へどうぞ、ライラック博士」


 ルクシアがそう言うのを聞いて、マリアはアーシュと目を合わせて『やったぜ』と表情で伝えあった。それから、少し目を見開いているライラック博士を「どうぞ」と室内に迎え入れたのだった。


             ※※※


 会議を終えたばかりのロイドは、マントや装飾品を付けたままの姿で、扉が開かれたままの総隊長執務室の書斎机の椅子に腰かけていた。


 組んだ手を口許にあて、机の上を見つめている彼の殺気は凄まじい。そこには、畳み直された一通の手紙が置かれている。


 すぐに次の『話し合いの席』が待っているため、部下たちは時間節約のため室内で急ぎ準備を進めながら、今にも死にそうな顔をしていた。

 朝から不機嫌だった上司が、ここにきて殺意を溢れさせているのだが、とりあえず理由も分からないので絶対に見ないよう心掛けていた。少しでも気を抜いたら、意識が飛んでしまいそうだった。


 近くのソファの背に腰かけているのは、同じく公務用にきっちりとマントまで付けた第一師団長のグイードだった。彼は呑気な表情で、ロイドの様子をじっと見ている。

 誰よりも自由な姿勢でいるグイードに対して、引き続き同行する他二名の師団長が物言いたげにしていた。時間に急かされて、ここで必要書類を確認するハメになっている年上の政治役職の高官達も、少しくらい緊張感持てよ、と言いたそうに時々視線を送る。


 そんな中、移動までの残り僅かな時間を報告しつつ、総隊長ロイド・ファウストの殺気量を少しでも減少させようと立ち上がった猛者が一人いた。


 それは、朝から続く会議などに同行していた若い軍人の一人だった。彼がそうしようと決意したのも、頼みの『総隊長補佐様』がいないせいである。彼は同僚たちが失神してしまう前に、どうにかしなければという使命感が働いたのだ。


 声をかけて、機嫌を伺ったところまではスムーズだった。


 しかし、怒鳴られも叱られもしなかったものの、何故かダーツの的を持たされた彼を、同僚たちが青い顔で見やった。


「あの、総隊長様。これは一体…………?」

「何、的を外して『わざと』お前に当てはしない。――気分によってはスレスレで掠るかもしれんが」


 ダーツを指で挟み持ったロイドが、瞳孔を開いた目を向けてそう告げる。その殺気立った表情は、軽傷では済まない雰囲気を醸し出しており、むしろこの場にいる全員の耳に死刑宣告のようにも聞こえていた。


 ダーツの的を持たされた意味にようやく気付いて、その若い部下は「ひぇえええええッ」と激しく震え上がった。こんな事をいつも平気でやりたいとしている総隊長補佐モルツ・モントレーは、やっぱり底の知れないド変態だと思った。


「ドS過ぎるよおおおおおおお!? 絶対掠らせるつもりでしょう!?」

「あと数分の時間を潰す『お遊び』だろう」


 言いながら、椅子にもたれたロイドが、軽くダーツを構える仕草をする。若い部下は、ますます泣いて首を激しく左右に振ると、思わずこう叫んだ。


「こんな緊張感マックスの遊びなんて拷問ですよ! 早く経って数分ぅぅうううう! 僕の命が削れきる前にッ!」

「総隊長どうかおやめください! 俺っ、人間ダーツの串刺ショーなんて見たくないです!」

「ちょっとおおおおお!? 的を持たされている僕の前でハッキリ言わないでくださいよ先輩! より不吉にしかならないでしょうにッ!」


 というか、なんでそんな機嫌悪いの!? と部下たちは騒いだ。


 それを傍観していたグイードは、つい「ははっ……」と乾いた笑みをこぼしてしまった。このタイミングで来た手紙は、多分、双子の元司書員の兄の方からの返事だな、と小さな声で呟いた。


 

 騒がしくなった室内で、ようやくこちらから人の視線が離れたことを察したロイドは、「くそッ」と片手で手紙を握り潰した。そもそも、と思う。


「今度はマリアが夢に出てきたうえ、なんでまた押し倒してんだ、俺……!」


 もはや最悪な目覚めである。


 なんだ、あの時の再現でもしようとしたのか俺の脳内は、と口の中に呻きをこぼした。そのうえ優勢に立とうとしたら、夢の中でぶん殴られたうえ形勢逆転されたような、されなかったような……それにキュンとしたとか、かなり笑えない。


 一人になる時間が欲しい。次の件が済んだら、少し時間が取れる。それまでこの訳が分からない苦悩を見せてたまるものか。


 ロイドは、そう心に決めて顔を上げると、ギロリと正面を睨み付けた。


 たまたま偶然、そこにはダーツの的を持っていた部下がいた。目が合った彼は、途端に「死亡、決定か……」と涙ながら口にして、後ろにひっくり返った。

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