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二十二章 少女と亡霊と毒薬学(3)

 翌日、雨は見事に上がっていた。昨日の荒れた天気など嘘のような青空が広がり、大地には雨の痕跡も残っていなかった。


 どうやら、夜の早い時間には天候が回復したらしい。昨日、風呂に入って後にそのまま就寝してしまったマリアは、早朝の出勤時にマークから聞いた。体調は平気かとだけ訊かれて、苦笑して「大丈夫、ありがとう」と答えた。


 珍しい『体調不良』を、アーバンド侯爵とアルバートにも心配された。体力も戻って元気になったと伝えて、集まった使用人仲間にも改めて謝った。昨日の事はずっと引っ掛かっていたが、たっぷり眠ったおかげか気力も戻り、いつものように笑顔で応える事が出来た。


 普段はサリーだけで済ませている『起床時の挨拶』に、今回はマリアも加わった。決まっている起床時間、彼と共に扉をノックして元気に挨拶したら、リリーナがサプライズのプレゼントでも貰ったみたいに、瞳を輝かせて喜んでくれた。


 今後、同じようなミスは絶対に犯さない。


 絶対に、だ。


 マリアはいつも通り微笑ましくやりとりしながらも、戻ったリリーナの元気な笑顔を見て、そう思った。そのためにも、チラチラと目に留まる『黒髪』については、何かしら考えて行動に移さなければならないだろう。


 まず、それが何者なのか、幽霊であるのか。


 そこから考える必要がありそうだった。


             ※※※


 秋先に入ったばかりとはいえ、日中の日差しはまだまだ強く、空気もカラッとしている。

 王宮内にも雨の残り気は感じられなくて、吹き抜ける風が少しだけ、まだ涼しさをたもっているようだった。これも、正午に近づくにつれてなくなってしまうのだろう。


 登城したマリアは、リリーナ達と別れてから足早に薬学研究棟に向かったものの、すぐには研究私室に入らなかった。建物まで続く木々の生えた道の草むらに隠れるようにして、しゃがみ込んで例の『あの黒髪』について考えていた。


 今のところ、自分以外の目撃者はいない。それでいて、見掛けた場所は全て王都の町中だ。他に情報がない今、一旦そこから調べてみるべきかとも思えたが、その方法について悩まされた。


 実際に自分の足で町中を回るにしても、そうするには王宮から外に出る必要がある。気軽に出入り出来ていた軍人だった頃とは違い、今は侯爵家令嬢付きのメイドとして通っているので、簡単には時間を作れないのが現状だった。


 マリアは、考え事が苦手ながらも、真面目に考えていた。しかし、なかなか集中出来なくて非常に困ってもいた。


 一生懸命『外出する方法はないか』と、引き続き心の中で自分に繰り返し言い聞かせるその両隣りにズラリと、騎馬隊の男たちが同じ姿勢で居座っていたからだ。


「なんかずっと真剣な表情してるな。メイドちゃんも、大変なんだな」

「…………」


 何故、ここに騎馬隊の連中がいるのだろうか。


 ようやく声を掛けられたマリアは、そう思って遠い目をした。近くを通りかかった彼らが気付いて、しばし観察する目を向けられていたかと思ったら、勝手に真似するみたいに並んでしゃがみ込まれたのだ。そして、今に至るまで無言で、近くから観察を続けられていた。


 彼らは、先日ハーパーの任務の件で参入していたメンバーだった。食堂でぼこぼこにした若手であり、その顔ぶれは記憶に新しい。


「なんだか周りが騒がしい事ばっかりみたいだな、メイドちゃん」

「聞いたぜ。この前、ルクシア様の研究私室に団体様が結構来たんだろ?」

「そのうえ疲労困憊で、御主人様迎えに行った時に、膝から崩れ落ちたんだって?」


 アレは疲労のせいではない。マリアは、その真実を口には出来ず「ふっ」と視線をそらした。左右から覗き込んでくる彼らの無垢な視線が、とりあえず居た堪れない。


 むしろ一人で考え事をしたいと思ってここにいるのに、なんでタイミングを計ったみたいに彼らは近くを通っりかかったのだろうか。そのうえ、どうして左右ぎゅうぎゅうに横一列で座ってんだよ、目立つだろ、とマリアは心の中で呟いた。


「んで、こんなところで休憩してどうした?」

「こっそりさぼってるくらい疲れてんのか?」


 そもそも、彼らの言う『疲労』というのが誤解である。


 マリアはそう思って、やや顰め面を寄越して「サボリではございませんわよ」と言った。すると、彼らが揃って真っ直ぐ目を向けてきてすぐ、隣にいた騎馬隊の男が、近くからこちらを指して口を開いた。


「だって、サボリだろ?」

「真っ直ぐな目で、ストレートに言わないでくださいます?」


 だから違うっつってんだろ、と素の口調で言い返しそうになった。こちとら真剣なのだ。サボリだと思われるなんて心外である。


 あまりにも不自然なくらい遅くなってしまったらいけないので、そろそろ研究私室に入らないとまずいだろう。


 時間もあと僅かだと察したマリアは、真面目な表情を浮かべると、再びじっくりと考えた。どこか少女らしくない凛々しさを滲ませる眼差しを、思案気に地面へと向ける。


「なんか悩みがあるんなら、聞くぜメイドちゃん」

「一緒に鍋プリンを奪い合った仲だもんな」

「俺なんて馬乗りされたうえ、数秒で失神するレベルの絞め技かけられた仲だしな」


 おい、それは一体どんな仲だ?


 マリアは、口々に自由な雰囲気で「凶暴性はピカ一だな」「鍋プリン、食いたかったわ」「あれ、メニューの一つとして制作検討中らしいぞ」とやりとりする彼らを見やった。軽く睨みつけてやると、気付いた彼らが視線を返してきて、こちらの言葉を待つかのように静かになった。


 本当に相談に乗ってくれるつもりでいるらしい。鍋プリンを奪い合っただの、絞め技がどうだのという物騒な言い方は気になったが、なんだかその雰囲気は過去にあった懐かしさも思い出させた。


 だから、事情は話せないながらも、マリアも真剣になって「実は」と切り出した。


「どうにか理由を作って、少し出掛けられないかと思いまして」

「すげぇ真面目な顔で言ってるけどさ、だからそれってサボリだろ? レイモンド騎馬総帥はあんまやらないけど、グイード師団長とか半端ないぜ」


 またしても、隣にいた騎馬隊の男がこちらを指差した。


 大変な誤解であると返そうとしたら、こちらを騒がしい友人たちと同枠に収めた彼らが、案を提供するように揃って腕を組んだり、顎に手を触れて考えながら口々に言い始めた。


「外出ってなると、メイドだし、おつかいっていう形が一番自然だろうな」

「王宮の所属メイドじゃないから、時間の都合も結構自由に動かせそうだし、イケるんじゃね?」

「あれ? でもリボンのメイドって、確か侯爵令嬢の専属だろ? こういう場合って、その子とルクシア様のどっちに許可をもらうべきなんだ?」

「総隊長側の助っ人要請で活動してるんだし、やっぱりルクシア様の方だろ。だってさ、侯爵令嬢側には、こっちの事情とかは知らされてないっぽいし」


 そう話す彼らの姿が、黒騎士部隊時代にあった部下たちの光景に重なった。


 マリアは、サボリではないと説く気もなくなってしまい、ただただ『ああ、懐かしいな』と小さな苦笑をこぼしてしまっていた。あの頃が懐かしくて、少しだけ寂しくなって、そしてちょっぴり悩みが軽くなった気がした。


 すると、数人がこちらを見て「おっ」と声を上げた。


「少しは元気になったみたいだな。ちょっと笑ってくれて、一安心だぜ」

「何せ、食堂で暴れてた時は、めちゃくちゃが元気良かったからな。さっき見掛けた時、どうしたんだろうなって、つい気になっちまったんだよ」

「なんか悩みが出来た時はさ、誰かに話してみるのも一つの手だぜ。メイドちゃんは分からないと思うけど、俺ら軍人は『一人で戦っているわけじゃないから、個人で抱え込むな』って上官から言われるし、騎馬総帥たちも、よくそう言ってる」


 マリアは「そうなんですか」と、少しだけ笑ってしまった。それはそれで、レイモンドらしい言葉だと思った。それはよくグイードも口にしていたもので、彼ら騎馬隊は黒騎士部隊と随分違う戦い方をしていたから、初めて合同部隊として暴れた時は少し驚いたのを覚えている。


 いつだって、オブライトは先陣を切って前に飛び出した。決して、部下を先には行かせなかった。


 それがお前の戦い方なんだろう。率いる大将によって、部隊の戦い方に違いが出るのもまた事実だ。それが実に面白い――そう口にしていた友人がいた事も、懐かしく思い起こされた。


「足を止めてくれて、ありがとうございました」


 マリアはそう言って、素の表情で困ったように微笑んだ。こんなんじゃ、ここに至るまでの色々なツッコミやら注意やら叱り文句も、出来そうにないなと思った。


 若い騎馬隊の男たちは「なんか馴染みやすい笑顔だな」「いい人っぽい感じ」と不思議そうに言って、それからちょっと誇らしげに笑った。だから彼女たちは、揃って周囲に注意を向けるのを一時忘れていたのだ。




 薬学研究棟に向かう白衣の男たちが、通路脇の茂みに沿って、横一列にしゃがみ込んでいるマリア達に気付いてギョッと目を向けた。


「なんで軍人と、ちっこいメイド……?」


 小さくざわついた彼らは、そうもっともな疑問を口にした。けれど、声を掛けて確認する勇気は出ないまま、幽霊でも見たような顔で通り過ぎていったのだった。

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