二十一章 亡霊と前世代と次世代(7)下
何やら知らせを持って来たらしい一人の騎士が、入ってきてそばを通過していったタイミングで、マリアはサリーの助けを借りて立ち上がった。
「サリー、ほんとゴメン……」
「ううん、大丈夫だよ。僕の方こそ、横から覗きこんだりして、ごめんね?」
まるで自分の顔の魅力と利点を、知っているかのような口ぶりだった。
儚げに微笑みかけられたマリアは、可愛いなぁと癒されて、自分の気のせいだろうと思った。つい顔がにやけそうになったものの、爽やかな笑顔を作って隠すと、それから再び小さな声で「ごめん」と謝った。
しっかりせねばと咳払いを一つ払って、自分を落ち着ける。こちらを不思議そうに見ているリリーナ達に、なんでもないと伝えるべく笑い返し、その衣装の感想を伝えてから、彼女たちが老いた絵師と共に絵の作業に戻るのを見届けた。
そこでようやく、肩から力が抜けた。思考が一旦クリアになったところで、ふと聞き慣れたベルアーノの「それでは参りましょうか」という声が聞こえてきた。
彼も来ているのかと目を向けたところで、マリアはピキリと固まった。
「仕方ないが、行くか」
そう艶のある声で口にして、テーブル席の長椅子から立ち上がった男は、国王陛下アヴェインだった。
十六年前と全く変わらないその姿を見て、一瞬、本気でオブライト当時に放り込まれたような錯覚を受けた。すらりとした体躯に、癖のない金髪と、形の良い切れ長の金緑の瞳。肌は女性のように白く、少しだけテーブルについたその手は、指も長くて細く品がある。
アヴェインの素の顰め面も、一見すると年齢不詳の青年王で、当時と変わらず美しかった。しかし、二十代の男にはない落ち着きがあり、眼差しの奥に感じる隙の無さも、三十代の若々しい男達には醸し出せない貫禄があった。
謝らなくちゃ、と――
そんな前世の想いが脳裏を過ぎって、一瞬ほど動けないでいた。
ベルアーノと話しながら、こちらに向かってくるアヴェインを目に留めていたマリアは、隣のサリーに袖を小さく引っ張られて、ハッと我に返った。
自分は今、外見も全く違っている一人の少女なのだ。そう思い出して、メイドとしての立場を守って少し頭を下げ、控えるように後退する。
近づいてくる足音に、心臓がドキドキした。つい先程、崩れ落ちるという失態をしてしまった事も影響していた。第四王子クリストファーの婚約者のメイドとして、挨拶しなければならないだろうとは分かっていたから、マリアは緊張感を持って身構えた。
頭を下げてじっと待っていると、目の前で足音が止まった。王族衣装の装飾品が、小さく揺れてシャラリと音を立てるが聞こえた。
「アーバンド侯爵からも、直々に話は聞いている。令嬢付きのメイドだろう、顔を上げていいぞ」
「はい。アーバンド侯爵家、リリーナ様付きのメイド、マリアと申します」
マリアはスカートを少しつまんで、礼儀正しく挨拶した。随分軽い口調ながらも許可をもらったので、恐る恐る視線を上げてみる。
出入り口へと向かう途中で立ち止まったアヴェインが、これといって違和感も覚えていない様子で、こちらを見下ろしていた。ドキドキとした嫌な鼓動は少し残るものの、マリアは小さく安堵を覚えて心を落ち着けた。
勘付かれるはずがないだろう。だって自分は、彼の知らない一人のメイドの少女なのだから。
そう冷静さが戻った思考で、十六年前と本当に何もかも変わっていない男である事を、不思議に思った。その口調といい、簡単なミスではメイドを叱らないところといい、その美貌が映える容姿すら、当時のままだ。
そこはニールといい勝負だなぁ、と、つい現実逃避するように考えた。なんでこんなところにいるのかという疑問については、クリストファーの父親だからという、すぐに思い付く事実から推測出来ていた。
とはいえ、じっと見ていても失礼だろう。そう思って、マリアはメイドらしく視線を下ろそうとした。すると、ベルアーノがそばから声をかけてきた。
「今日も御苦労だった。ルクシア様には、本日も昼食をしっかりとって頂けたか?」
「あ、はい。朝に大きなクッキーを頂きましたけれど、それでもいつも通り、昼食時間には公共食堂へ行きました。私のプリンを少しだけ食べて――それから午後休憩にも、残ったクッキーを一緒に頂きました」
途端にベルアーノが、少し眉を寄せて「クッキー……? あのルクシア様が?」と訝って尋ね返してきた。マリアは不思議に思いながら、「はぁ、クッキーです」と間の抜けた声で答えて、言葉を続けた。
「ちょっとした知り合いから、差し入れを頂きまして。ああ、クッキーが直に触れている紙袋の様子から、毒物が含まれていない事は、先に確認しておりましたから問題ありません」
「ほぉ、よく知っているな。まぁ怪しい者であれば、護衛も止めていただろう」
多分、隠れて任についている護衛たちは、すごく戸惑っただろうと思う。
頷くベルアーノの声を聞きながら、マリアはキラキラとした美少年たちを思い返してそう思った。その集団を、白衣の腕に『救護』の腕章した二人の青年が引き連れる光景に、一体どんな感想を抱いて見送ったのか少し気になる。しかも、そのすぐ後には、ポルペオも来ていたのだ。
そういえば、あの後、ジーンの方は大丈夫だったのだろうか……?
マリアは、今更のようにそれを思った。すると、アヴェインが「ほぉ、ルクシアがクッキーを」と少し興味が引かれた様子で言って、手を腰にあてて指先でトントンと叩いた。
「あの子は、菓子は基本的に滅多に食べてくれなくてな。何が美味いかとか、口にしていたか?」
「へ? ああ、確か『チョコが入ったのは甘いから一枚で十分』、『ハーブと柑橘は、意外と珈琲に合います』と口にされておりました」
くるりとこちらを見下ろして、軽い調子で尋ねてきた彼に、マリアは数秒遅れでそう答えた。あのクッキーについては、ルクシアは相変わらず無愛想ながら、結局のところ手を止めず、時間をかけて自分達と一緒になって食べていたのだ。
そもそもルクシアは、先日に持ってきた手土産の『宝石飴』を、気分転換や口直しのように、自分とアーシュにも配って自身も食べている。それを考えると、甘い物が苦手だとか嫌いだとかいうのでもなさそうだ。
申し訳ないのは、午後休憩の終わりにそれをもらった際にも、あの高級飴玉を噛み砕いて食べてしまった事だろうか。気付いたら口の中から消えていて――……と、そこまで思い返したところで、マリアは「あ」と口を開いた。
「ちょっと笑ってもいましたし、やっぱり飴玉も好きなのかな? とも思ったりしました」
思わずそう意見したら、ベルアーノが不思議そうに「飴玉?」と言った。思い付いたままの唐突な台詞だと気付かないまま、マリアは話せば長くなるので、オブライト時代と同様に、詳細部分はカットしてこう答えていた。
「これもちょっとした経緯があるのですが、簡潔的に分かりやすく申しますと、ルクシア様が今、一瓶分の飴玉を持っている状況であると言いますか」
「何も簡潔的ではないし、むしろその経緯というのが気になってくるんだが……。なんだか君は、やっぱり少し抜けているところがあるようだな」
「普段からしっかりしていると思います」
「おい待て、それを自分で言うのか?」
「はい。だって私は、お嬢様の自慢のメイドですから」
マリアは、胸に片手をあててキッパリと答えた。ふと、昔もそうやって誰かの友人だと述べて――だから恥じらうつもりも引っ込むつもりもない、と答えていた時があった気がして、ゆっくりと首を傾げる。
ベルアーノは「なるほど……?」と、よく分からなかったような表情で話を終わらせた。時間が迫っているからだろう。出入り口で待つ騎士をチラリと見やり、アヴェインへと視線を移して、わざとらしい下手くそな咳払いをする。
「さて。陛下、そろそろ行きませんと、本当に間に合わなくなります」
「奴らの暇な時間に付き合うのも『クソ面倒』なんだが、まぁ仕方ない」
「陛下。頼みますから、ここを出ましたら、すみやかに『国王モード』でお願い致します」
そう言いながら、ベルアーノが服の上から胃の辺りを押さえた。ガリガリと頭をかいて、面倒だという心情を隠しもしない表情でいたアヴェインが、家臣が困った様子に気付いてニヤリとする。
マリアは、相変わらず国王っぽくないな……と思って見つめていた。すると、アヴェインがふっとこちらを見つめ返して、どこか物珍しそうにしげしげと観察してきた。顎に手を触れて首を捻る。
「……ふむ。アーバンド侯爵のところの使用人だからか?」
「ああ、緊張をあまり覚えない子のようですよ。私と初対面した後も、このような感じでした」
ベルアーノが察したように教え、それから「行きますよ」と促した。
相変わらず思案からの決断が早いアヴェインは、それもそうだなとあっさり終わらせて、一緒に歩いて去っていった。
クリストファーとリリーナが、絵のモデルとして老いた絵師をニコニコと見つめている中、アローが少し遅れて「そういえば」と部下の一人に訊いた。
「あのリボンのメイドの子、大丈夫だったのかい?」
「…………アロー隊長、それ、今更な質問ですよ」
俺としては、ウォスカー隊長について行った同僚が気になります、と、その近衛騎士は、ヴァンレットと共に仕事の用で抜けていった、二名の同僚の身を案じたのだった。




