二十一章 亡霊と前世代と次世代(6)
救護班の二人の青年と、貴族の美少年たちが去ってから、薬学研究棟一階の研究私室には、元のゆっくりとした穏やかな空気が戻った。
美少年集団については、考えるほどに謎が深まった。もはやファン発言については、頭の中から一旦退かしてしまった方が良い気がしてきた。
だからマリアは、アーシュと共に作業台に戻り、そこにいたルクシアに「ひとまず、食べましょうか」と声を掛けて、片手に抱え持っていた菓子袋を置いた。
作業に取り掛かる前の珈琲休憩――からの予期せぬお菓子休憩になってしまった。その事実を前に、ルクシアは困惑したように眉を寄せていたものの、すぐに肩から力を抜いた。どこか諦めたように、吐息混じりに口を開く。
「まぁ良いでしょう、糖分は必要です」
「俺も、自分にすごく糖分が必要な気がしてきました。マリア、これって中身はクッキーっぽいよな?」
「持った感じだと、そうね」
気になるのは、一体どんなクッキーが差し入れられたのか、という事だろうか。
女の子が男性に菓子を贈るのは、まぁまぁ少なからず見られる光景ではある。しかし、貴族の美少年が、これといって直接的な関わりもない使用人の女の子に、わざわざ菓子の差し入れをするというイメージはない。
前世は男性として過ごしていたマリアも、これまで交友相手がいなかったルクシアも。そして、同年代の同性が乙女チックに差し入れをするのを見たことがないアーシュも、小さな好奇心と不思議を抱いていた。
三人は、予想がつかないなという雰囲気を漂わせながら、揃って紙袋の中身を覗きこんだ。そして、数秒ほど沈黙した。
「…………なんか、妙にデカいクッキーだな?」
「…………少なからず、こういった商品を取り扱っている店がある事は、把握していますが……なんとも、その、男らしいクッキーと言いますか」
「…………ルクシア様、ハッキリおっしゃってくれてかまいませんよ。これ、男性向けの手土産用クッキーですよね」
令嬢の茶会では決して出されない大きさのクッキーを見て、マリアは真顔でそう口にした。
オブライトとして過ごしていた時も、差し入れをもらった経験はいる。あの当時は特に違いは分からなかったが、アーバンド侯爵家のメイドとなってから色々と教わって知った。ガスパーの手作りクッキーも、令嬢のリリーナと令息のアルバートでは、食べ方や口の大きさに配慮してサイズが違うのだ。
しばし三人は、あきらかに一人分の量ではない大型クッキーを目に留めていた。ルクシアが、ふと好奇心が込み上げたかのか、そっと両手を伸ばして紙袋を持ち上げ「……意外とずっしりですね」と呟いた。
その時、アーシュがゴクリと息を呑んだ。考え終えた顔を、ゆっくりとマリアへ向ける。
「あいつらって、もしやお前の『大食らいのファン』なのか……?」
「そんな状況下で、初対面を果たした覚えはないんだが」
恐る恐る深刻そうに口にした彼を見て、マリアは思わず、本来の口調で真面目に答え返していた。むしろ騒ぎ真っただ中で『通報』されて、衛兵を呼ばれた身だというのに、何がどうなって『応援しています』となるのか謎である。
恐らく、あの美少年たちは、普段自分たちが購入しているクッキーを買ったのだろう。そう考えると、クッキーの大きさについては腑に落ちる気もする。
マリアは、ひとまずはそう解釈する事にした。贈り物の礼儀作法も貴族教育で叩き込まれているはずなのだが……と、言葉を続けられないでいるアーシュとルクシアの沈黙には、気付けないでいた。
「どういう経緯があって知り合ったのか、気になるような、聞きたくないような」
ひとまずといった様子で椅子に座り直したアーシュが、「うーん」と悩ましげに腕を組んだ。
ルクシアも紙袋から手を離し、同じように座り直した。菓子袋の口を広げて準備に取り掛かるマリアに目を向けると、食べ応えと腹持ちが実に良さそうなクッキーへ視線を戻しながら、小さく口を開いた。
「私としては、気のせいか、最近耳にした『騒ぎを起こしていたリボンのメイド』というキーワードが連想されて、そちら関連で知り合ったのではないかという推測が過ぎるのですが……」
その時、またしてもノック音が上がった。
ここを訪れる人があるというのも、普段は滅多にない事だ。しかし、つい直前までの騒がしい予定外の来訪者があったせいで、マリア達は警戒心を覚えて、ピタリと動きを止めていた。
まさか、そんな滅多にない事が続くなんて、あるはずがない。そう思いながらも落ち着かず、数秒の沈黙を置いた後、三人は揃ってゆっくりとそちらに目を向けた。
「……マリアの『臨時班』の呼び出し、とか?」
まずはアーシュが、考えられる可能性を口にした。扉のノックは、礼儀を守るような配慮された力加減で三回だけ上がった後は、急かす声掛もなく沈黙が続いている。
マリアとしても、まさかまた仕事とは無関係な訪問とか、そういうのではないだろうと二人に同意したい気持ちだった。とはいえ予測がつかず、メイドとして来訪に対応すべく、そろりと立ち上がりながら口を開く。
「もしくは、アーシュの報告の呼び出しかしらね……?」
「そうだとすると、伝言をもたされた衛兵でしょうか……」
先程と同じような場違いな用件の訪問である、という推測から遠ざけるようにルクシアも言葉を続けた。
マリアは、背中を追いかけてくる二人の視線を覚えながら、沈黙を守っている扉へと向かった。雨が降っている中、わざわざこの離れの薬学研究棟まで次に足を運んできた人物とは、一体何者だろうか?
そう訝って「どちら様でしょうか」と、怪訝な声で呼びかけながら扉を開けてみた。その直後、目の前に壁のように立ち塞がり、こちらを見下ろしている立派な軍人と目が合って「え」とメイドらしかぬ声が、口からこぼれた。
差された傘の下にあるのは、師団長を示す装飾品と皺一つない軍服とマント。彫りが深い男性然とした美しく凛々しい顔立ちながら、違和感たっぷりのヘルメットみたいな似合わないヅラと、太い黒縁眼鏡。
それは、自称オブライトのライバル、ポルペオ・ポルーだった。キリリとした太めの秀麗な黄金色の眉の下で、切れ長の鋭い黄金色の瞳が、真っ直ぐマリアを見据えている。
「…………」
「…………」
待て。なんで、お前までくるんだ。
マリアはそう思った。何故か、ポルペオは、今にも説教しそうな不機嫌さをまとっていた。その瞳の奥には、強靭な精神力で抑え込んだ憤怒がメラメラと宿っている――気しかしない。
そもそも、この男は、伝言係になるような立場の人間ではない。そうとも分かっていたから、マリアは疑問でならないという困惑した表情を隠せないまま、続く沈黙を破るように「あの」と口を開いた。
「なんのご用でしょうか……?」
そう尋ねてみると、ポルペオの眼光が増した。
「ここに、ジーンは来ているか?」
唐突にその名を出されて、マリアは「は?」と目を丸くした。すると、彼はそれをなんと受け取ったのか、僅かに目を細めて殺気量を上げた。しかし、無関係な者には当たるまいという態度を貫いて、確認させるようにこう言葉を続けてきた。
「『大臣』のジェラン・アトライダーだ」
怒りを出さないよう心掛けているようだが、忌々しいと言わんばかりの口調である。
そういえば、ジーンに再会した際、一部の人間しか『ジーン』と呼んでいないのだと教えられていた。今の『マリア』の身でも変わらず口にしているのだけれど、それを思い出せないくらいに、ポルペオは怒っているらしい。
そう察したマリアは、言葉を慎重に考え、そもそもな疑問を口にした。
「えぇと、あの、ポルペオ様が『大臣様』をお捜しになっている事は、理解致しました。ですが、その、彼がこちらに来られる事はないと思われますが……」
「ん? 今まで奴がここに来た事はないのか?」
「はぁ。一度もありませんね」
ポルペオが、まるで心底信じられんと言うように顔を顰めた。しかし、ふと少し冷静さが戻った様子で、ピリピリとした空気を抑えると、吟味するように視線をそらして顎に手をやる。
「…………言われてみれば、そうだな?」
変だな。何故自分は奴がココにいると思ったのか、と、ポルペオが顰め面で思案を口にする。
この流れは十六年前にも覚えがあり、マリアは当時の『もしや、またしても部下たちが迷惑を掛けのだろうか……?』という思いが過ぎった。考えるほど、説教するために捜しているのではないだろうか、としか思えなくなってくる。
ここ数日内で言うと、第六師団の特別鍛練用の剣を、臨時任務で無断拝借した件もあった。それを思い出した途端、そわそわと落ち着かなくなってしまった。
やはりバレたのだろうか? それで、一緒にまとめて説教する気なのかもしれない……そう嫌な方に想像が働いた。マリアは、自分も説教されるのかもしれないという予想を抱き、恐る恐る尋ねた。
「あの、ポルペオ様? どうして彼を捜しているのか、お伺いしてもよろしいでしょうか……?」
「『奴の部下』が、私の執務室の特注のカーテンを引き千切った。その直接の謝罪もなく、『ごめんね』と走り書きされたメモが一つだけ置かれていた」
「…………」
またかよ。というかジーンも、なんで『ごめんね』と反省のない置き手紙をするのが、自身くらいなものだと気付かないのだろうか?
マリアは、黒騎士部隊時代から、結局のところ現在まで続いているらしい『部下たちが【偶然にも】ポルペオの執務室が近かったせいで起こった迷惑』を思って、ポルペオには心底同情した。
とはいえ、懸念していた方の件ではなかったらしいとも感じて、つい肩から緊張が抜けた。オブライトだった当時と同じように、腕を組んでつらつらと考え、うっかり口から思案がこぼれている事にも気付かなかった。
「なんだ。てっきり特別鍛練用の剣を、この前の任務で使い捨てにした事を知って、ジーンを追い駆けているのかと思った」
「…………」
今度は、ポルペオの方が黙り込んだ。ゆっくりと視線を戻すと、随分低い位置にあるマリアの頭を見下ろす。
彼の周りの空気が、五度下がっていた。その慣れた殺気に微塵にも危機感を覚えていないマリアの後ろで、作業台から見守っていたルクシアとアーシュが、忠告をしたいけれど動けないなという表情でピキリと固まる。
マリアは数秒遅れて、目の前に立つ男の沈黙の眼差しに気付いた。さっきよりピリピリしているみたいだな、と疑問を覚えて「ん?」と見つめ返す。
「あれ? どうしてこちらを見ているのですか、ポルペオ様?」
「『もう終わった』みたいなその呑気な面を見ていると、どうしてか、昔いた誰かを思い出すようでイラッとするな」
しかも同じく実に嘘が下手だ。彼はそう感想したものの、すぐに思考の矛先を戻すと、「ここで失礼する」と言ってマントを手で払いながら踵を返した。
歩き出したポルペオが、その横顔に小さな青筋を立てて「ジーン、あの馬鹿者め」「よくも私の師団の剣を」と愚痴る声が、低く地を這った。マリアはその声を聞いて、うっかり喋ってしまったと気付き「あ」と口に手を当てたのだった。




