二十一章 亡霊と前世代と次世代(5)下
美少年から唐突に頭を下げられて、物を突き出されてしまった。
いや、背丈もアーシュより少し低いくらいで青年未満の容姿だ。十六歳であるこちらよりも、年齢は上だろうと思われる。
そう考えながらもマリアは、その突然の行動と台詞の勢いに押されて、差し出されたソレを、ぎこちない手付きで受け取ってしまっていた。カサリと音を立てた大きな紙袋からは、焼き菓子の甘い香りが漂ってきていて、手触りと重量感から、中身はクッキーらしい事が察せられた。
手渡しが成功したと察した瞬間、その美少年が頭を上げて、誇らしげに胸を張った。後ろの方で待機していた美麗な同性の仲間たちから、何やら黄色い声が上がる。その歓声を受けながら、彼が貴族の息子らしい偉そうな様子で口を開いた。
「僕はウィーバー子爵家の、エリオット・ウィーバーと言います。ピチピチの十七歳です!」
それを聞いたアーシュが、途端に生理的な嫌悪感でも覚えたかのように、こめかみに小さな青筋を立てて「おい」と言った。
「その言い方やめろ、なんかイラッとするわ」
「僕が言うのもなんだけど、アーシュって『いかにも甘やかされて育った貴族のおぼっちゃまタイプ』が嫌いだよね」
ラジェットが眼鏡を押し上げつつ、幼馴染の友人に相槌を打った。けれどマリアは、手に持ったその菓子袋の重量感を前に「そんな事はどうでもいい」と正直思っていた。そもそも、なんで自分に、こうして差し入れがくるのだろうか?
すると、そばにいたキッシュが、アーシュよりも高い背丈を少し屈めるようにして、腕を組んだままこちらに少し身を屈めて耳打ちしてきた。
「ウィーバー子爵家ってのは、そこそこ格式と歴史のある一族で、現在の『美少年サロン』の中心にいるやつでもある」
「…………ざっくりとした説明を、どうもありがとう」
マリアは、つい素の口調でそう答えてしまった。菓子袋を見下ろしつつ考えていたから、メイドらしい台詞を頭の中で組み直して口に出す、という作業に気が回らなかったせいだ。
よくは分からないが、エリオットと名乗った美少年とそのグループは、昨日元気がなかったのを気にかけてくれたようだ。これといって彼らと接点を持った覚えはないが、まぁ、せっかくのお菓子である。
ならば、ここは有り難く頂いて礼を述べておこうか、とマリアは考えた。何せ、オブライトだった頃は生粋の貴族との付き合いもあったが、あの当時だって、彼らの考えどころはよく分からない部分も多かったのだ。
確か、一度チラリと見掛けただけなのに、祝いの品を贈ってきた律儀な貴族も少なからずいたし――と、受け取った菓子の紙袋を呆気に取られた表情で見つめながら、そう思案していた。すると、目の前の美少年、エリオットが「あの!」と言った。
「それからッ、ファンクラブを作ったんですけど!」
「ごほっ」
続けて彼の口から飛び出した告白を聞いて、マリアは咽た。
ほんの数秒ほど、何を言われたのか本気で理解出来なかった。あんぐりと口を開けて、向かいに立つ彼とその後ろの美少年たちを見渡してみると、彼らは少女のように白い頬を熱に染めて、キラキラと輝く瞳をしている。
その感じはモルツや、個性的で迷惑級の友人知人たちのどれとも違っていた。つい、これまでにないパターンに戸惑ってしまう。
「まず、ファンクラブってなんだ。そもそも、なんで事後報告?」
考えても混乱はちっとも緩和されてくれず、マリアは素の口調で尋ね返していた。アーシュが、その口調を注意するのも忘れて、唖然と「こいつら、行動力の発揮どころと、物事の順序を間違えてるだろ」と言う。
そもそも第四王子クリストファーや、その婚約者である美しい侯爵令嬢リリーナならまだ分かる。しかし、外から来たただの十代のメイドに、何をどうしたらファンクラブが出来るといのか?
マリアは、ぐるぐると考えていた。あまりにも唐突すぎて言葉が出ないでいると、こちらの沈黙をなんと取ったのか、彼らが口々に説明し始めた。
「大丈夫ですッ、ご迷惑はおかけしません」
「いつもこっそり見守って、応援しているだけですからッ」
「色々妄想を膨らませて、きゃっきゃっしてるだけです!」
「情報を集めるために王宮内を散策するのが、またすごく楽しいんですッ」
「こんなにわくわくするのは、初めてですッ」
「そこでご提案があるのです! 是非ご本人様の公認のもと、正式にファンクラブとして大々的に活動したいと思っておりまして!」
最後に彼らが声を揃えて、「どうでしょうか!?」と確認してきた。
研究私室内の作業台の椅子からは、ルクシアが珍しく半眼のうえ口許を引き攣らせていた。そして、そばからは、アーシュ達もその判断の行く末を見届けるように、揃って視線を向けている。
全員の注目を集めたマリアは、深刻な様子でゴクリと唾を呑むと、慎重に口を開いた。
「……あの、その……すまん。全力でお断り申し上げます」
思わず素の口調で答えつつ、マリアは『お断り』と伝えるように軽く手を上げて見せた。すると途端にエリオットを含む美少年たちが、「あああああッ」「そんなぁ」と残念がる吐息と悲壮感を漂わせた。
それを見たアーシュが、もはや何も考えたくないという真顔を晒して「そうなるだろうな」と口にした。キッシュが同意するかのように真面目な顔で頷く隣で、ラジェットがこう言う。
「僕としてもさ、まさか彼らがそんな事を考えていて、しかもストレートに本人に告げるとか予想外すぎて――これ面白すぎない、キッシュ?」
「確かに、美少年サロンの連中ってホント、何考えてんのか分からねぇよな。おいアーシュ、この前は、騎馬隊にファンだって言われたばっかりなんだろ? お前らのとこ、一体どうなってんだ?」
「そんなの俺が知りたい……。というか、マリアがどういう経緯でこんな事になってんのか、マジで謎なんだが」
そばでアーシュ達の三人のやりとりがされていたが、マリアは聞いている心の余裕がなかった。
目の前で、儚げな美貌を濃厚に漂わせた美少年たちが、内気なのか斜め方向にポジティブなのか分からない、実に嫌な予感がする様子を見せ始めていたからだ。
「何がいけなかったんだろう?」
「いきなり言われたら、戸惑うかもしれないよね」
「『もっと活動してから言う』のが礼儀なのかも」
「じゃあ、『次には認めてもらえるよう』にしなくっちゃ!」
青年未満といった容姿をした美貌の集団である彼らが、最後は自分たちの世界感で、勝手に納得したように笑みを浮かべ合った。
それを見て聞き届けたマリアは、思わず「やめてください、次もないから」と突っ込んだ。しかし、こちらを振り返ったエリオットが、口を開く方が早かった。
「クッキー気に入ってくれると嬉しいですッ。また来ます!」
「え」
すっかり前向きになった彼らが、エリオットを筆頭に黄色い声を上げて、傘を差したまま短い歩幅で走って行った。その後ろ姿を見送りながら、マリアは「出来れば、これが最初で最後であって欲しいんだが……」と呟いてしまっていた。
この騒ぎでもこれといって表情を崩さなかったキッシュが、数秒ほど自身が差している傘を目に留めて、それから「んじゃ、俺らも休憩に戻るか」と言った。自分ペースに淡々と行動を起こそうとしたところで、呆然としているマリアを見下ろす。
「そういや、ちゃんと自己紹介した事なかったな。俺は救護第七班のリーダー、キッシュだ。アーシュやラジェットとは、幼馴染になる」
「はぁ……。私はアーバンド侯爵家の令嬢付きメイド、マリアと申しますわ」
唐突に声を掛けられて、マリアはここ十年で身に染みた挨拶の所作で、どうにかメイドらしくスカートを少し持ち上げてそう答えた。
すると、キッシュは「話はアーシュから聞いてたから、名前も知ってるけどな」と今更のように口にして、それから自身の友人へと目を戻した。
「じゃあな。アーシュ、今日は倒れるなよ」
「バイバイ、マリアちゃん」
最後にラジェットが愛想良く言うと、キッシュと共に踵を返して歩き出した。
実に自分たちペースな青年たちである。マリアは先程の美少年集団に続いて、救護の仕事と同じように、あっさり帰っていった二人にも呆気に取られた。
そんな中、ルクシアは一人で室内の作業台の席にいた。身動きも出来ないという珍しく長い思考停止状態を続けていたものの、訪問者たちの姿が見えなくなったところで、ずれた眼鏡をようやく押し上げた。
「…………気のせいでしょうか。マリア関係で、実に騒がしい訪問者が増えているような気がします」
そもそも、と彼は続けずにはいられない。
「ここは、私の仕事用の部屋なのですが……」
十五歳の所長は、思わずぽつりとそう呟いたのだった。
※2020/3/10「エリオット・ウィーバー」に変更しました。




