二十一章 亡霊と前世代と次世代(5)上
ジーンと大回りするようにして王宮の一階を目指した後、マリアは彼と別れると、真っ直ぐ薬学研究棟にあるルクシアの研究私室へと向かった。
離れの建物への移動などのために、雨の日には各場所に傘が用意されている。それを『マリア』として初めて使用する事を、ちょっとだけ新鮮に思いながら足を進めた。
普段のように、薬学研究棟の建物裏の一階部分にある扉を開けると、中央に設置された作業台と、そこにある椅子腰かけているアーシュとルクシアの姿があった。
「マリア、おはようございます。今日は珍しく雨になりましたね、道中問題はありませんでしたか?」
こちらを見たルクシアが、十五歳とは思えない落ち着いた様子でそう言った。大人用の白衣のため、袖口が数回曲げられており、そこから幼さのある白く華奢な手を覗かせて、丸い眼鏡を掛け直している。
口調は淡々としているが、刺々しさはない。少し遅れての出勤となったが、まだ続き部屋の研究には戻っていないところを見ると、少しは作業の方が進んでくれて、余裕が持てるようになったのだろうか?
「おはようございます、ルクシア様。全然平気ですよ」
マリアは不思議に思いながら、そう答えて傘を置いた。続けてアーシュに挨拶すると、彼が「おぅ、おはよう」と言ってから、こう告げてきた。
「今日は、あの赤毛は来てないぞ」
おかげですごく平和なんだ、と彼が吐息まじりに言葉を落とす。
「何せ、最近はマリアが来るたび、あいつが騒がしいからな」
「…………うん。なんか、ごめんね」
お喋りなニールに困らされない朝だから、ルクシアもゆっくりしているのだろうか?
そんな憶測をしつつも、マリアは彼らの珈琲カップの中身をさりげなく確認した。今日はニールが来ない事を、先程ジーンから聞いたとは言わずに「ニールさんは、お仕事なのかしらね」と口にしてから、奥の備え付けキッチンへと向かって三人分の珈琲を淹れ直した。
テーブルに珈琲の用意が整った時、研究私室の扉からノック音が上がった。
マリアは、座ったばかりだった椅子の上で、「ん?」と疑問の声を上げて肩越しに目を向けた。チラリとルクシアに目で確認してみると、来訪の予定は何も入っていないと応えるように、怪訝な表情で小さく首を振ってくる。
外には護衛もいるから、害を及ぼす人間ではないのだろう。扉の向こうから、殺気は感じない。
マリアは冷静な様子でそちらへと視線を戻すと、瞳孔の開いた空色の瞳で真っ直ぐ見据えた。オブライトだった頃の思考でそう憶測しながら、隣にいるアーシュの腰にある剣との距離を無意識に計って、立つのが少し遅れた。
すると、先にアーシュが「誰だろうな?」と言って立ち上がった。それに気付いて、マリアも席を立って後に続いた。
「アーシュ、私が行くわよ?」
「お前、珈琲淹れて座ったばっかりだろ。だから俺が出る」
アーシュは歩きながら、目も向けずにそう答えた。ズカズカと足を進めると、どちら様ですかとも問わずに扉を開け放った。次の瞬間、そこにいた傘を差して立っている二人組に目を留めるなり、懐かない犬みたいな目を細めて「あ?」と喧嘩を売るような声を上げる。
客人に向けるにしては、失礼な態度である。それを不思議に思いながら、マリアは彼の後ろから首を伸ばして、訪問客を確認した。
そこにいたのは、丈の長い白衣の裾を、少し雨で濡らした二人の救護班の青年だった。真顔に近い表情が通常モードの、番犬みたいな雰囲気のあるリーダーのキッシュ。その隣には、例の『激不味の気付け薬』を作っている、愛想の良い眼鏡のラジェットがいた。
馴染みのある友人の唐突な訪問を受けて、アーシュが顰め面で「おい、キッシュ」と声を掛けた。
「お前らがここに来るとか、珍しいな。なんか用か?」
「別に、俺自身の用事がある訳じゃなかったんだがな。休憩中に入ろうとしたところで突撃されて、我が儘みたく引っ張り回されて、俺らも大変迷惑している」
「はぁ? 一体何が?」
「というのもな、『あいつらが』差し入れをしたいっていうから」
キッシュがそう言いながら、傘を持っていない方の手で、自身の後ろの方に親指を向けた。
促されるがまま目を向けてみると、そこにはお洒落な襟元やジャケットの腰元部分のスカーフを、リボンの形に結んだ青年未満の美貌の少年たちがいた。
彼らは先日、ニールに連れていかれたサロンにいた中性的な美少年たちだ。マリアは一目でそう気付いて、顔面をピキリと硬直させた。そんな中、ルクシアが作業台の方から首を伸ばして、覚えがない美貌の貴族たちを訝しげに観察する。
アーシュが「誰だ?」とますます顔を顰めると、ラジェットが眼鏡を指で持ち上げるように掛け直して「それがさ」と口を開いた。
「そこにいる『マリアちゃん』と知り合いらしくて。『よく彼女と一緒に歩いている白衣の文官が、この前あなた達と話していたところを目撃したのですが、居場所を知っているのなら案内して欲しい』――って言われたから連れてきた」
「勝手に連れてくるなよ……。ここ、ルクシア様の研究私室だぞ」
呆れつつそう言ったアーシュが、確認するようにこちらを振り返ってきた。
「って事らしいけど、マリアの知り合いなのか?」
知り合いというか、サロンの前で騒ぎを起こしたのを目撃していた子たちです。
マリアは、心の中でそう答えた。改めてその一件を思い返してみると、かなりカオスな状況だった気がしてきて、説明出来そうになかった。
ニールをぶっ飛ばすべく締め上げていたのを、騎馬総帥であるレイモンドに後ろから羽交い締めにされて邪魔された。その間、ドMの総隊長補佐モルツには拳を要求されていて、近衛騎士隊長のヴァンレットには、空気も読まず腹事情を心配されていた。
「えぇと、一度だけチラリと見掛けたというか、見られたというか……?」
無理、この詳細は語れそうにない。そう考えてぎこちなく答えると、アーシュが怪訝そうに「意味わかんねぇぞ」と問い返してくる。
うん、そういう反応になるよね、マジごめんな。でも当時の状況を教えたら、多分もっと頭の中が混乱すると思うんだ――と、マリアは心の中で答えながら、どうにか愛想笑いだけは崩すまいと、死にそうな作り笑いで彼らを見つめ返していた。
二人の救護班の後ろから、女性用のレース入り傘を差した美少年たちが、ずっと見てくるせいで生きた心地がしない。気のせいか、こちらをキラキラと見つめてくる彼らからは、どうもモルツに近いモノを感じて、苦手意識が先行してしまう。
彼らの仕草や表情は、恥じらう乙女的だった。もじもじと上目で視線を送り続けてくる様子を見ていると、最近図書資料館に向かっている道中で黄色い悲鳴を上げられ、妙な悪寒が走り抜けた事が思い出された。
マリアが原因不明の悪寒を考えた時、唐突に一人の美少年が動き出した。覚悟を決めたかのように唇をきゅっとしたかと思うと、こちらに歩み寄ってきた。
彼は目の前で立ち止まると、勇気を振り絞りますと言わんばかりの表情を浮かべて「あのっ」と、頼りない澄んだ中性声を上げた。キッシュ達が動向を見守るように見つめる中、アーシュも「なんだ?」とその様子に目を向ける。
「昨日、元気がないっていう話を耳にしたんですッ。だから、その、コレ食べて少しでも気分転換になってくれるといいなと思って……『差し入れ』です!」
考えていた台詞でも飛んだのか、彼がそう叫んでガバリと頭を下げ、大きな桃色の紙袋を差し出してきた。
※※※
第六銀色騎士団――通称『第六師団』の師団長であるポルペオは、王宮の軍区にある自身の執務室にて、書斎机の上に目を留めて、じっと動かないでいた。
そこには、千切られた用紙が一つ置かれており、達筆を少しくずしたような走り書きが中央部分にあった。
『雨降ってたから、咄嗟に被り物代わりにしたっぽい。
ごめんね。』
ポルペオは次の瞬間、その全く反省のない無記名の置き手紙を、ぐしゃっと握り潰していた。長い付き合いから、誰が書いたかは一目瞭然だった。
そもそも、馬鹿みたいに反省もなく『ごめんね』と書く馬鹿者は、一人くらいしか思い浮かばない。しかも、こちらの特注の純白のカーテンを、平気で引き千切って上から被る馬鹿も、現在の王宮では一人だけしかいなかった。
「…………あんの馬鹿者共……ッ」
実行犯はニールで、置き手紙の主はジーンだろう。
ポルペオは、怒りでぶるぶると震えた。元黒騎士部隊の奴ら。昔からそうだが、奴らは分かっていてやっているのではなかろうか、と疑ってしまう。
文面から察するに、ニールは何かしらの用を頼まれて、与えられた任務をこなすべく、雨の中を出掛けていったのだろう。部隊時代の上司であり、大臣となった現在も引き続き上司であるジーンは滞在している。つまり、やる事は一つだ。
「このポルペオ・ポルーが、きっちり説教してくれる」
まずは奴を捜し出す。
そう決めて、ポルペオは青筋を浮かべたまま自身の執務室を出た。




