二十一章 亡霊と前世代と次世代(1)
まだ若かった頃、三人でそれぞれの剣を抜いて誓い合った時の事は、忘れていない。
大切な約束をした。国のために、友のために、そして守るべき多くの者のために進む事を、改めて心に刻んだ。
不安や、出来ないかもしれないという気持ちなど微塵にもなかった。彼は恐れを知らない、誰よりも完璧な『国王』だったから。
「ッ待ってくれ……!」
そんな自分の声を聞いて、――国王陛下アヴェインは、ハッとして金緑の目を見開いた。
四十七歳とは思えないほどの若々しい美貌。肌は女性のように白く、芸術品のように全てが整った端整な顔立ちと、すらりと引き締まった肉体。王座に腰かけて、肘当てに頬杖をついていた彼が身じろぎした事によって、癖のない金髪が形のいい額と頬にかかって、さらりと音を立てる。
窓を叩き続ける鈍い音をしばらく聞いて、それが王都では少ない雨だと遅れて思い出した。そういえば、昨夜から珍しく雨が降り始めたのだ。
どうやら朝一番の謁見を終えた後、ちょっとした時間の合間に腰を休めていたところで、自分は少し眠ってしまっていたらしい。あの時に部隊を出陣させなければ……などと、自分らしくない事を悪夢に見る。
見開いた目から、ゆるゆると力を抜いて前を見据えれば、広々とした国王の間の正面入り口の上部に立派に飾られた、一つの軍旗が目に留まった。黒竜がデザインされたその軍旗を、かつて背負って戦っていた部隊は、もう存在していない。
時間の経過は実感している。それなのに当時の事を思い出すたび、いつも昨日の事のように感じられた。
あの頃のまま、自分の中の一部がカチリと止まって、時間を刻むのを止めてしまったようだった。――……けれどそれを、アヴェインは誰かに語った事はない。
じっと沈黙していたら、王座の後ろに隠されてある扉が、開かれる音がした。
特徴のある絹擦れの音と、足音の強弱と間隔から、アヴェインは無意識に歩幅と体格と筋力を一瞬で計算して推測していた。それが誰であるのか推理したうえで、最後は気配も察知して確認する。
「なんだ、もう戻って来たのか、ベルアーノ?」
そう言って、隣まで歩み寄ってきた男を見上げた。すると、先程一旦見送りのために退出していった宰相ベルアーノが、「また、王冠をどこへやったのですか」と困ったように言った。
「あんなクソ重い物、ずっと被っていられるものか」
「陛下。頼みますから、次の謁見も『国王モード』でお願い致します」
中央軍部から来た彼らに、堂々と指を突きつけて挑発しているのを聞いた時は、生きた心地がしませんでした……と、気真面目なベルアーノが腹を押さえて言う。
アヴェインは、ニヤリとして「お前は倒れて全部見ていなかっただろうに」と指摘してやった。足元に置いた王冠を指すと、長い足を組みかえながら「そもそも、これはただの飾りだ」と口を開く。
「王冠が、国王自身という訳でもあるまい」
「そうではありますが……」
「まぁひとまず、お前も座るといい。この段差、ちょうどいい腰かけだろう?」
王座までの大層な三段重ねのような造りを指すと、途端にベルアーノが『勘弁してくれ』という表情を浮かべた。
「……陛下、何度も言っておりますが、そこは気軽に腰を降ろす場所ではないんですよ。あなたとその友人達が、普段から雑談混じりにここの地べたに座っているのが、信じられないんです」
「仕方ないな。なら、お前がこっちに座ればいい。俺が下に座る」
「んな事させられる訳がないでしょう!」
叫び返されたアヴェインは、結局のところ、どちらにも座らないという返答と受け取っていいのだろうか、と秀麗な眉を顰めた。思わず「はぁ、やれやれ」と組んだ足の上で頬杖をついて、「なぁベルアーノ」と片手を振って言う。
「そういえば、前々からな? ニールをここに座らせたら『座り心地が超悪いっすよね!』って、いい笑顔で言われるぞ」
「チクショーあの野郎ッ」
まったく自由人めッなんで素直にそこに座るんだあいつは、と、ベルアーノが珍しく礼儀正しくない言葉を口にして床を踏みつける。その素の様子を見て、アヴェインは満足げに座り直した。
王都では雨が少ない。たまに、こうして窓を叩く音を聞くのも、楽しみの一つではあった。――もっとも、十六年前のように完全に心が躍る事は、なくなってしまったけれど。
「そういえば、ルクシア様ですが」
またしても過去を思い返しそうになったアヴェインは、ベルアーノの声に現実に引き戻されて、そちらに意識を向けるように視線を投げた。
「身分の違う良き友人たちが出来たようだとは、以前にもお話し致しましたが、護衛部隊からも『あんなに楽しそうなルクシア様は初めてだ』と、嬉しいご報告を頂いております。私は食事を共にした一昨日も、この目でそれを間近で拝見致しまして。ルクシア様がご友人を持てた事を、私はとても嬉しく思います」
三番目の息子ルクシアは、幼い頃から自ら望むようにして『独り』でいた。勉学のため王宮にいる事は少なく、顔を合わせる時間があれば『友とは良いものだ』と教えたものだが、一向に興味や関心すら向けない様子だった。
気難しい大人の学者仲間はいても、同じ勉学の道を進み、そして研究している人間として尊敬し合っている彼らを、頼る事はない。
人間嫌いの、引きこもりの第三王子。
アヴェンは、王宮に戻ってきてようやく腰を落ち着けてくれた息子を、そう言い表しているのをよく耳にした。昔は、変わり者の毒王子やらと言われていて、収集されるあらゆる毒のイメージもあってか、誰もが恐れを覚えている様子でもあった。
あの子は、年齢に似付かわず『賢過ぎる』のだ。そこは自分にそっくりで、違いはなんであるかと言われれば、目の向けどころが局所的に狭いところがあり、器用ではない事である。
そんなルクシアが、最近はよく、薬学研究棟の外に足を運ぶようになっていた。
数日前にも、図書資料館の本の貸し出し待ちの時間を利用して、どこかへ立ち寄っていたようだ――とは目撃者から聞いていた。なんだか賑やかで、けれど嫌がっているというところはなく、騒ぐ様子も楽しげに見えたとか。
「……そうだな、友人とは良いものだ。かけがえのない宝だ」
そう口にしたアヴェインは、視線ごと声を落とした。父として、良い傾向であると心から思っているにもかかわらず、振り続く雨のせいか、ひっそりと建てた小さな墓石に花を添えた際の雨降りの日が、思い出されたからだ。
あいつもひどい顔をしていたな、と、当時居合わせたジーンの表情を思い返す。今よりも十五、六年は若かったけれど、ほとんど今の容姿と対して変わっていない事もあって、ふとした拍子に記憶が鮮明に蘇る。
こちらを見やったベルアーノが、心配そうに「……陛下」と口にした。けれど、言葉は続かないようで、黙って雨が叩き続けられている大窓へ目をやる。
そういえば、最近ジーンが来るのが少ないな?
ジーンとの一件を思い返していたところで、アヴェインはそう気付いて顰め面を上げた。
最近は特に忙しかったのは事実ではあるが、そういえば何やら一人だけ楽しんでいると、この前耳にしたのだ。ロイドに追われながら大笑いで廊下を駆けたり、そして友人達を巻き込んで騒ぎを起こしたというのも、なんだか久々なくらい『はしゃいで』いないだろうか。
「――まっ、気のせいか」
昨日までハーパーの後処理の件でも『クソ忙しかった』アヴェインは、気にするまでもない、いつもの事だろうとあっさり疑問を片付けた。長椅の肘掛を、指先でトントンと叩きながら、続いての事について数秒ほど考える。
妻には、ルクシアの現状については教えていないが、今回の護衛の件に関しては話してみてもいいだろう。志願部隊が現われたぞ、と教えたら、さて、どんな笑顔を見せてくれるだろうか?
二番目の息子であるジークフリートが生まれたばかりの頃、ポルペオが忠誠を誓った。彼が「いつでもそばにいて守り続けよう」と言った時、彼女はとても嬉しそうにしていたものだ。
しっかり者ではあるけれど、どこかふわふわとした天然も入って愛らしい彼女は『これでオブライトさんも、きっと安心するでしょうね。だって、いつもお話しているくらいに、二人は仲良しでしょう?』と笑って――
ああ、まただ。
アヴェインは唐突に、またしても心が、ストンと静まるのを覚えた。
思い返すたびに楽しくなって、その直後にいつも虚しさを覚える。息がぴったりの時もあるが、仲良しというよりは『ヅラ』が一方的に犬猿しているんだ、おかしいだろう? と……。
そう何度も口にしていた、あの頃が懐かしい。
すっかり口に馴染んだ名を、つい、ぽろっと口に出してしまうくらいに。
「――…………オブライト、戦争のない雨の空だぞ」
窓を叩く雨音に紛れて、ベルアーノがそちらに気を取られている中、アヴェインは小さな声でそう呟いた。




