二十章 待機とお嬢様の準備期間(5)下
アーシュに対して難癖を付けているチンピラ風貌の男達は、二十代半ばほどで、着崩したスーツに身を包んでいた。
広くて太さもある肩から、喧嘩といった腕っ節はそれなりにあるようだとは察せたが、以前見た二十代前後のピーチ・ピンクに比べると体格は平均的だ。
すぐ後ろで立ち止まったこちらに気付いて、アーシュがハッと視線を向けてきた。彼一人を相手にしていた男達が、剃られて細くなった眉を顰めて、邪魔するなよどこの誰だ、と威嚇するように表情に険を作る。
そんな子供騙しが利くはずもなく、ニールが掌に拳をあてて「おい若造共」と貫禄もない青年声で言った。へたをすると、彼らよりも年下に見える童顔に顰め面を浮かべて、冷ややかに見据える。
「子供からカツアゲしようだなんて、いけない事なんだぜ」
「まったくもって、その通りですわね」
マリアは同意するように言いながら、彼の隣で掌にあてた拳の指の関節をボキリと慣らす。ニコリともしない絶対零度の眼差しで、男達を冷やかに見つめていた。
こういう輩は、同じ事をしないよう、一度こてんぱんに叩きのめすのが一番効く。それは、前世の経験からよく分かっていた。ちょっと性格に癖があったとしても、男同士、拳でやりあえば伝わって分かってくれるものだ。
オブライトだった頃に、荒くれ者達とそうやって交友を持つようになったのも少なくなかった。不意にそれが懐かしく思い出されて、マリアは一瞬、ほっこりとして状況を忘れた。
出会った時は不良少年だったグループも、ヴァンレットやニールが入隊する前には、すっかり大人になっていた。町中で顔を見掛けると、よく向こうから駆け寄ってきて「オブライトさん」と話しかけてきてくれたものである。
そういえば、彼らが国境近くにあった町を離れる際、「俺らすげぇ巨大組織に迎えられたんですよ!」と、今しばらくの別れと旅立ちを、嬉しそうに報告して来た事があった。思い返せば、カジノがどうのとか話していた気がするが--
はて、彼らは一体どこに就職したのだったか?
「おいマリア。お前、また妙な方向に思考が飛んでねぇか……?」
なんつう緊張感のない面してんだよ、とアーシュが唖然とした表情ながら突っ込んだ。
マリアは我に返ったものの、旅立っていった彼らと同じ年頃の男達に目を留めたら、当時のわくわくとした気持ちが込み上げるのを、抑えられなくなった。ここはしっかり教育してやるかと、一瞬メイドである事を忘れてニヤリとした。
「生憎、カツアゲされる気は全くない。だから――かかってこい、若造共」
空色の大きな瞳を悪戯好きに輝かせて、マリアは不敵な笑顔でそう告げた。手招きして挑発する彼女の、公共食堂の一件を思い出させる少年みたいな笑みを見たアーシュが、途端に「なんでそうなるんだよ!?」と叫んだ。
「そもそも、あっちはお前より年上だし、女が『かかってこい』なんて言うんじゃないッ」
彼はそう説いたが、マリアとニールはやる気満々の様子で、こめかみに青筋を立てた男達との睨み合いを始めてしまっていた。
アーシュは遠い目をした。双方の光景を見つめたまま「……おい、先に確認しておくが」と、一段とテンションの下がった声で続ける。
「お前らが来るまで、相手はまだ完全に喧嘩を売っている状況でもなかったし、荒事に発展するかしないかも分からなかったのに、なんでわざわざ喧嘩を買っているんだよ……。つか、俺は二十歳であって、子供でもないんだが」
これくらいの事であれば、相手を説得するなり、話し合いでの解決が無理であったとしても逃げるくらいは出来る。そうアーシュは、諦めきった囁き声で言った。
すると、その内容を聞いたニールが、男達から視線をそらさないまま、珍しくキリッとした凛々しい表情を浮かべて「アーシュ君」と呼んだ。偉そうに仁王立ちして腕を組むと、こう断言した。
「俺は、二十一歳までガキ扱いだった」
どうだ、と言わんばかりの力強い宣言だった。
先輩部隊員たちに、食べて大きくなれと面倒を見られ、上司組にも『最年少組』として日頃から拳骨や絞め技を受けていた。そして同時に、いつだって守られてもいたニールは、自身の経験から全く疑わない様子で、そう言いきっていた。
向かい合う男達が、唐突な主張を聞いて「は?」と毒気が抜かれたような声を上げた。アーシュも彼らと揃って、太陽の下で見事な赤毛を目立たせる、少しだけ自身よりも高い彼の横顔を注視する。
「それ、自信たっぷりに言う事じゃないだろ……」
信じられねぇ、とアーシュが口許を引き攣らせる。
そんな声も聞かず、マリアはさくっと終わらせるべく構えを取っていた。ニヤリとして、きゅっと地面を踏み締める様子を見たニールが、士気を上げられたかのように「よっしゃ、面白くなってきたぜッ」と、同じく戦闘体勢に入った。
「拳で語った方が早い」
「お嬢ちゃんのそういう凶暴なとこ、なんだか最近は嫌いじゃないぜ! しっかりサポートするから、どーんと任せとけ!」
「おいッ、お前らは俺の話を聞けよな!?」
そばから、プツリと切れたアーシュが「お前らは、どこの荒くれ者だ!」と怒鳴る。しかしマリアは、その声と同時に踏み込んで急発進していた。その動きに合わせて、ニールもカチリと頭の中を戦闘モードに切り替えて動き出した。
五感は全て、彼女と『標的』に向いていたので、騒ぐ『文官君』の声は耳に入っていなかった。ニールは、茶化す事も忘れて呼吸を合わせ、目の前の若造共をぶっ飛ばすべく踊りかかる。
華奢な少女とは思えないマリアの重い拳を受けて、一番目の男が苦悶の声を上げ、地面に崩れ落ちる。別の男も背負い投げられて、見ていた通行人達が「これは痛いッ」と、思わず顔をそむけてしまう威力で叩きつけられていた。
そのそばでは、瞳孔を開かせたニールが、身軽に跳躍して強烈な踵落としを決め、チンピラ男が一瞬で意識を飛ばした。
彼は、止まらないまま容赦なく別の男を踏みつける。リーダー格の男をマリアが沈めているのを確認しながら、地面に手を付いて宙返りすると、その遠心力を使って両足で相手の首を掴まえ、彼女と同じ技で一気に地面へと叩きつけた。
勝敗は、あっという間だった。止める暇さえなかった慣れたような喧嘩っぷりを見て、アーシュが唖然とした様子で、自身で確認するように口を開く。
「物騒な事に慣れている感じがするのは、俺の気のせいだよな? あいつは元軍人みたいだけど、いちおうマリアは、侯爵家のメイドなんだよな……?」
どこの道端で育った野生児なんだよ、と、生粋の貴族育ちのアーシュは色々と信じられなかった。地面の上でキレイに伸びてしまった、総勢九人のチンピラ達に目を向ける。
マリアは、彼らが意識を飛ばして完全に沈黙している事を確認すると、肩にかかったダークブラウンの髪を後ろへと払った。場を見渡したニールが、口笛を吹いてから「あ、そうだ」と声を上げる。
「あとは警備隊がやるだろうけど、ついでだし、腕だけは縛っておこうっと」
楽しげに言ったニールは、意識のない男の手を後ろへと回すと、手品のように手早く縄で縛った。アーシュが「何やってんだ?」と質問したのに対して、呑気に「縛ってんの」と答えながら、他の男達も拘束するべく作業に取り掛かる。
その時、マリアは、視界の端に『黒』が映り込んで、ハッとして目が引き寄せられた。
十六年前『男だった頃』に日頃から歩いていたせいか、まるで時代を錯覚しそうな環境の中で敏感になってしまったかのように、勢いよくそちら目を走らせていた。
一体なんの騒ぎがあったんだ、と見てくる人混みの向こうで、長い黒髪が揺れるのが目に留まった。さっきまで、こちらでも見ていたかのように、ローブで全身を包んだその人物が、ふいっと踵を返して建物の角に消えていく。
フードがされていて顔は見えなかったけれど、そこからこぼれていたのは、長い髪だ。つまり――
女…………?
つまり『彼女』と同じ、黒髪の……?
そう認識した途端、マリアは考える余裕もなく飛び出していた。そんな、まさか、という前世の頃の想いに突き動かされるまま、ドクドクと耳元にまで聞こえてくる、自分の激しい動悸を聞きながら無我夢中で走った。
後ろから、驚いたようなアーシュとニールの声が上がった気もしたけれど、それを耳にしていられるような冷静さはなかった。何故なら自分が知る中で、黒髪の人間は一人だけしかいなくて、彼女以外の何者も浮かんでこなかったからである。
もう十六年経っているだとか、そんな事は関係なかった。真っ先に脳裏に込み上げたのは、『死んだ彼女がそこにいるのか』という事だけ。
走り出して数秒で、その建物まで辿り着いた。急いで角を曲がってみると、向こうの通りまで抜けられるその道に、ローブ姿の人間は一人もいなかった。
全力疾走で珍しく少し呼気を上げた状態で、マリアはしばし佇んだ。唐突に飛び込んできたこちらを、何人かの通行人が不思議そうな顔をして振り返る。しかし、黒髪を持った者はいない。
自分の、見間違い?
この場にいるせいで、あの頃の事が色々と蘇ってきて、錯覚したのか……?
茫然と佇んでいたら、ニールを置いてきたアーシュが「いきなり見切り発車みたく走り出すなよ、心配するだろッ」と駆け寄ってきて、勢いのまま言葉を口にした。
「というかさ、突然走り出して、マジでどうしたんだよ?」
「あ……。いや、その、…………なんでもない」
知り合いがいた気がしたんだ、と答えた方が自然ではあったけれど、そう口にする事は出来なかった。言葉として出してしまったら、たとえ自分の目の錯覚だとしても、ショックでらしくない様子を心配されてしまうだろう。
だって、テレーサはもういないのだ。
どんなに捜したって、もう二度と会えない人だった。
マリアは表情を作れなくて、足元に目を落とした。チンピラ達が倒れている方向から、わっと上がる歓声を聞いて、手品を応用したニールの『縄拘束』が全て完了したらしいと分かった。昔から、それは見ている人達の目も楽しませていたから。
そう推測していると、案の定、それから数秒もしないうちにニールがやって来た。アーシュに続いて、マリアも遅れてどうにか顔を上げて、彼に目を向けた。
「お嬢ちゃん、何も言わずに行っちゃうから、ここで置いて行くのかと思ってびっくりしちゃったぜ。立ち止まってくれたから安心したけど、どうしたの? もしかしてトイレ事情――」
「阿呆、んなわけあるか」
「いてっ」
マリアは、ヴァンレットと同じ推測に達したらしい元部下の頭に、反射的に手刀を落としていた。そのおかげで、少し普段の調子が戻ってきたのを感じたところで、ここからだとラック・ヴェール中央図書館がすぐそこである事に気付いた。
早めに、用事の方を終わらせてしまおう。
立ち止まっていたら、余計に色々と考えて思い出してしまいそうな予感がした。だからマリアは、取り繕うようにぎこちない笑みを浮かべると「行きましょうか」と、二人に告げた。
「実はこっちから進むと、図書館までの近道なのよ。少し進むと小さな橋が掛かっていて、そこから下に降りられる階段から、反対側の大通りまで抜けられるの」
「へぇ、それは知らなかったな」
話をすり替えるように教えてあげると、アーシュが本題を忘れた様子で、建物同士の間に敷かれた中道へと視線を投げた。
そのそばで、ニールが得意げに笑って「アーシュ君もまだまだだね!」と、先輩ぶって言った。
「俺も知ってるよ。教授っぽい人が、いつも散歩がてら通ってた道だったから、覚えた!」
だから、教授っぽい人ではなく――……というか、お前、まさか彼の名前を忘れているんじゃないだろうな?
学習能力が、著しく低い傾向にある最年少組の元部下を思って、マリアはやっぱりちょっと心配になった。
※※※
マリア達が中道を進んで、大通りから姿が見えなくなってすぐ。
地面に転がる男達の前に、ローブのフードまで被った背丈の違う数人の人間が立った。その上質な生地が使用されたローブの裾部分には、王宮所属を示す小さな紋印が入っている。
「ごめんね。君達が手を出そうとした『文官君』は、最重要警護対象者なんだ。――まさか、いきなり外出するとは思わなかったなぁ」
フードで顔の見えない青年が、口許に静かな笑みを浮かべたまま楽しげに言う。
その後ろに控えている大きな男達のローブの間からは、チラリと軍服が覗いていた。そのため通行人たちは、てっきり『見周りの軍人が対応にあたってくれるらしい』と勘違いし、ならば安心して任せておけばいい、と現場を離れていった。
ほとんどローブで隠れてしまっているせいで、その軍服が騎士団や騎馬隊、近衛騎士部隊や文官や衛兵、普段は滅多に『奥の宮』から出る事がない白百合騎士団と、全て違っている事に、町の人々は気付けないでいた。
彼らは『表』で素性を隠して過ごしている、『裏』の暗殺部隊の者達である。
「『リボンの戦闘メイドちゃん』は甘いねぇ。加減して、骨も折っていないんだから」
青年がそう口にした時、すぐ後ろにいた男の一人が「どうされますか?」と小さな声で指示を仰いだ。続けて淡々と尋ねる。
「殺しておきますか?」
「それとも、以前と同じように『余計な事をする腕』を壊しますか?」
ローブから、衛兵服の袖口を覗かせた別の若い男が、手を交えて物騒な事を確認する。恭しくお伺いを立てられた先頭の青年は、「僕ならこの場で殺すけど――」と言いつつも、やんわりと首を左右に振った。
「――ここは『戦闘使用人』の判断を尊重しようか。この男達はガネット・ファミリーの人間でもないし、ひとまず、しばらくは同じ事が出来ないように腕は痛めさせてもらうとして。手の空いている奴らで、王都の外に捨てさせて」
そう、彼は判断を口にした。




