二十章 待機とお嬢様の準備期間(3)
任務があった翌日、マリアはルクシアの研究私室に到着して早々、乙女としてはアウトだと指摘されてもおかしくない、悟りを得たような表情を晒していた。
朝一番の落ち着きがある室内には、既に仕事開始前の一回目の珈琲休憩が開始されている。珈琲の良い香りが漂っていて、まるで朝の優雅な一時、といった雰囲気だ。
部屋の中央にある例の作業台には、腰かけるための椅子が数脚持ち込まれているのだが、何故か当然のようにニールが居座っていた。しかも、その隣には、またしても新たな作業椅子が持ち込まれて、グイードの姿もあったのだ。
二人は、こちらに気付くなり「おはよー」と平気で言ってきた。おかげで、入口で完全に足は止まってしまっていた。
共に作業台を囲んでいるルクシアとアーシュが、困った様子で珈琲カップを持って静かにしている。それに気付いたマリアは、一同の視線を集めたまま、少し遅れてメイドとして挨拶を返しつつ、こう続けた。
「なんでニールさんもいるんですか……、『大臣』の手伝いはどうしたんです?」
「だって、特にやる事ないんだもん」
お前、本当に仕事をやっているのか?
あっさり言い切られて、元上司としては大変心配になった。ハーパーの件については、後は上がやる仕事が少し続くのだろうとは推測出来るけれど、普段からどういった仕事をさせられて、果たしてそれを無事にこなせているのか、という疑問もわく。
けれど本来、ここにいるべきではない人間は、もう一人いる。
マリアは続いて、彼と同様に薬学研究棟の倉庫から、勝手に椅子を持ってきたらしいグイードへと目を向けた。彼の方は仕事が入っているようで、師団長のマントを付けて、格位を示す胸飾りなどの装飾品もバッチリしていた。
「……というか、なんでグイードさんまでいらっしゃるんですか?」
「俺? だって出掛けるまで、ちょっと時間あるし」
尋ねてすぐ、その質問が不思議でならないといった表情で、彼がきょとんとしてそう答えてきた。十六年前と同じように、ついでのごとく珈琲を飲んでいる友人を、マリアは呆気に取られて見つめ返してしまう。
いや時間があるからって、なんでこっちにいるんだよ。
おかしいだろ。お前、今は師団長なんだよな?
先日来てしまった際に、味でもしめたんだろうか、とマリアは首を捻った。ここには、特にグイードの気を引くような遊戯道具も、ついでのように仮眠をとれるソファだって有りはしないので、一体どうして彼が仕事前の時間に、ここで寛いでいるのか分からない。
朝はきちんと休みを取ってから続き部屋に入る、という心掛けを続けているルクシアが、やはりまで慣れない様子でチラリと目を向けた。
ニールの方から少しでも距離を置くように、マリアの椅子を挟んで座っていたアーシュも、同じ方向へ視線を動かせた。師団長であるグイードが珈琲を飲みつつ、椅子に座っても尚高い目線から、目頭を揉み解し始めたマリアをしげしげと見下ろしている。
「マリアちゃん、どうした?」
「どうしたもこうしたも、ホントなんでグイードさんは、ニールさんに便乗するみたいにここにいるんですか――」
その時、ニールが思い出した様子で瞳を輝かせて「お嬢ちゃん!」と呼んだ。
発言を邪魔されたマリアは、なんだ、と思って顰め面を向けた。グイードもそちらを見やり、ルクシアとアーシュもつられたように様子を窺う中、彼がいそいそと、ポケットから色の付いた紙袋に包まれた飴玉を取り出した。
「じゃーん! ハット・カラットの飴玉! 大事に食べようと思って、今日は外回りもないから持ってきたんだぜ!」
元気たっぷりの笑顔で、自慢するように見せられたマリアは、「ああ、例の『宝石飴』か」と口の中で小さく呟いた。そういえば先日、ポルペオと一緒に出掛けた際にジーンにおつかいに出されて、彼は自分の物も買っていたのだ。
そう思い出しながら、つい部屋の窓側に置かれている、飴玉が入った小瓶を目に留めた。ルクシアへのお土産として渡した物だったのだが、三人でいる時に彼が取り出して、一日に一個から数個を一緒に食べている状況だった。
すると、ルクシアが少し眉を寄せて、「『宝石飴』なら、先日に頂いた物がありますが……」と困惑気味に口を開いた。
「大事に食べていらっしゃるのでしたら、あちらの小瓶の方から、先に取って食べてしまっても構いませんよ。まだ沢山入っていますし」
「アレは、ルクシア様にってあげたやつだから、駄目っすよ」
ニールがどこか誇らしげに、胸を張ってそう答える。
その様子を見ていたマリアは、二人には認識の違いがある事を遅れて気付いた。思い返してみれば、ニールは先日、ヴァンレットと共に『マリアが、第三王子に買ってくるよう頼まれている』とジーンから説明されているのだ。
頼まれて買ってきたやつだから、という明確な言い方はされていないものの、恐らくニールは役に立った気持ちで言ったのだろう。ルクシアの方は想定外の土産品だったから、そこから取って食べてもいいと提案したのかもしれない。
これ、事実がバレたら、どうすればいいんだろうか。
マリアは苦手ながらも、集中してその方法を考えた。『土産作戦で一旦引き離す』の発案者はジーンであるとはいえ、自分もそれを許可して止めなかった。
だから、ニールが悪い訳でもないので、こちらから発言を遮る事などはしないつもりでいた。もし彼らが認識のズレに気付いたとして、それについて尋ねてきたとしたら、正直に話す事だけは決めている。
本来、第三王子あるルクシアに、ハット・カラットで飴玉を買ってくるようにとは頼まれていない。それが知られるのは構わないのだが、どうすれば『おつかい任務』を果たした時のニールの達成感や、その笑顔を曇らせないで済むだろうか?
元上司として、マリアはその方法や言い方を考えた。しかし、やはりオブライトであった頃から口下手であるのも思い出して、もしそうなったら、先輩であるグイードに助っ人を頼もうという結論に達した。
答えたニールへの返しが出てこないルクシアを見て、アーシュが「そもそもさ」と言って、ぎこちなく口を挟んだ。
「大切に食べているんなら、今じゃなくても良いんじゃね……? 別に誰も飴玉欲しいなんて言ってな――」
「何言ってんの、アーシュ君。今だから、こうして食べるんだよ」
満面の笑顔で疑いもない目を向けて、ニールが二十代前半くらいにしか見えない童顔で断言した。彼がくるりと振り返った際に、燃えるような見事な赤毛が揺れる様子を目に留めながら、アーシュとルクシアが「よく分からねぇ……」「よく分からない人ですね」と口にする。
「そういや、お前ってよく飴玉食ってるよなぁ。ああ、それを言うなら『お前ら』か」
話を聞いていたグイードが、思い出したようにそう言った。珈琲カップをテーブルに戻し、こう続ける。
「確か見回りとかの暇潰しだっけか? 喫煙習慣もないのに、不思議だよなぁ」
「グイードさんも、どうっすか? 飴玉界の王様『ハット・カラットの宝石飴』っすよ!」
「いやそれ、昔に飽きるくらい食った事あ――」
不意に、キラキラと輝くニールの笑顔に気付いて、グイードが咄嗟に口を閉じた。しばし、三十七歳には見えない後輩とじっと見つめ合う。
これは、現実的な事を、軽々と指摘してしまえない様子である。
世話を焼いていた元上司としては、マリアはそれはただの飴玉であり、貴族には特別珍しくもないらしいぞ、と普段のように言ってしまえなかった。グイードも、子供みたいな後輩の夢は壊すまい、と慎重に言葉を探している。
数秒ほど沈黙が続いた後、グイードがぎこちなく視線をそらして立ち上がった。
「あ~っと……、俺、もう仕事だから行くわ。マリアちゃん、これ持ち込んだカップなんだけど、すまないが適当に片付けてもらってもいいか? 次来た時に使うから」
「え」
お前、またくる気なのか?
マリアは思わず、唖然とした表情で彼を見つめ返してしまった。王都近くにあった支部、そして町にあった黒騎士部隊の建物にも、わざわざ珈琲カップを持ちこんでいた事が思い出されて、グイードがついでのように続き部屋の仮眠室で勝手に寝ていた風景も脳裏に蘇ってきた。
というか、さすがにココに自前のカップを持ち込むなよ……。ここ、ルクシア様の研究私室なんだが。
「んじゃ、よろしく」
ニールが飴玉だけでも渡そうとする気配を察したのか、グイードがこちらの返事も待たずに歩き出した。長い足で扉まで向かうと、対人向けの爽やかな笑顔を浮かべて「ルクシア様、お邪魔しました」と、あっさり告げて部屋を出ていった。
マリアは諦めて、その珈琲カップも、普段自分たちのカップを入れてある棚にしまうと決めて、まずは四人で一緒に『宝石飴』を食べる事にした。
その数分後、――
「あああああああ! またお嬢ちゃんが飴玉を噛み砕いたぁあああああ!」
そんなニールの悲鳴が響き渡り、ルクシアが飴玉の包みを持ったまま珈琲を「ごふっ」と珍しい感じで咽て、アーシュが口に放り込んだ飴玉を「げほっ」と吐き出しそうになっていた。
※※※
マリアが「あ、また噛み砕いた」と自身の失敗に気付きつつも、身体に染みついた条件反射のように、元部下であるニールの頭に「煩い」と教育的指導で肘打ちを落とした頃。
薬学研究棟の外では、こめかみに青筋を立てた一人の近衛騎士班長が、年上の騎馬隊の将軍バレッド・グーバーと、その部下一同を正座させている姿があった。連日続く懲りない騒動に、温厚で優秀な彼も本気でブチ切れていた。
「今すぐ帰れ」
これ以上は何も言わさんし、同じ事を何度も口に出させてんじゃねぇよ、と、苛々がピークを迎えて殺気立った怒りの形相が、そんな彼の本心の言葉を物語っている。
つい先程、平気なふりをしてそばを通過したグイードが、木々に囲まれた道に入ったところで、腹を抱えて声を殺し、一人でこっそり大爆笑していた。




