十九章 友人と彼と公共食堂と(4)
公共食堂を飛び出して、廊下を奥の宮とは逆方向に真っすぐ走った。先頭を行くジーンに並んでグイードが走り、その彼に担ぎ上げられているルクシアが、振動で酔ったかのように「うっ」と、サイズの大きな白衣の袖から覗く小さな手を口にあてる。
「どうして食事だけで乱闘騒ぎが起きて、こうして逃走に巻き込まれているのか、謎です」
ルクシアのそんな声を拾ったアーシュが、そのすぐ後ろを走りながら「俺も、一瞬服の襟で窒息するかと思いました……」とげんなりとした様子で答え、走っている軍人たちを顰め面で順に見やった。
最後にピタリと横から視線を固定されたマリアは、そちらに顔を向けて、懐かない犬のような顔をしたアーシュとしばし見つめ合った。自分なりに推測すると「なるほどな」と頷き、顔の前で小さく手を振ってこう言った。
「左側を掴んで引っ張ったのは、レイモンドさんだから」
「この数秒で一体何考えてんだッ。真後ろを掴んだお前の手で襟が締まったんだからな!?」
この馬鹿力めッ、とアーシュが目を剥いて叱りつける。
すると、ニールが向こうから首を伸ばして、その頭上から顔を覗かせたヴァンレットと共にアーシュを見やった。
「アーシュ君どうしたの、突然大きな声なんか出したりして。というかさ、レイモンドさんと一緒になってお嬢ちゃんに引っ張られてる時、なんだか面白い顔になってたよね」
「なんで今そこで指をパチンって鳴らして、ウィンクまでした!?」
「腹下しか?」
「違いますよ!」
空気読まないあんたらに怒ってんですッ、とアーシュは近衛騎士隊長であるヴァンレットを意識して敬語で言い返した。
マリアは、確かにこの二人は空気を読むのが下手だよなぁ、と思った。後ろから追ってくる魔王じみた殺気が凄まじすぎて、ニールが原因で一層ブチ切れたらしいロイドの方へ目を向けられないでいる。その更に後方からは、説教を予感させるポルペオの「待たんか!」いう声も聞こえていた。
突き当たりの角を曲がると、公共区の大広間へと真っ直ぐ続く広い廊下に出た。そこにいた軍人や使用人たちが慌てて道を開ける中、グイードが前方を見据えたまま「なぁ相棒」と、真面目な顔でレイモンドに問い掛けた。
「ルクシア様を、どこか安全なところに降ろさないと、まずいよなって気付いたんだが」
「なんで今になって気付くんだよ! 前もって策を考えていなかったのか!?」
「いや、ノープランだ」
ひとまず保護対象を抱えたままではまずい、とグイードが顔を向けて真剣に言う。その視線を受け止めたレイモンドは、困ってしまい「……まぁ、ロイド相手だし、そりゃそうだろうな」と答えた。
その時、先頭を走っていたジーンが、道を開ける人々の中から上がった一つの声に気付いて「ん?」と目を向けた。見栄えある騎馬隊のマントをはためかせながら、大きな男が飛び出してきて並行して走ってくる。
友人たちと共に揃ってそちらを見たところで、マリアは「あ、さっきの軍人」と口の中で呟いた。それは薬学研究棟の前で張り込んでいた、例の熊みたいな大きな騎馬隊の将軍で、気付いたアーシュも目を丸くして「あ」と声を上げる。
「ささっ、こちらへ」
その騎馬隊の将軍は、グイードに担がれているルクシアを真っ直ぐ見て、提案するように両手を差し出してそう言った。いかつい顔をした彼に、親切心たっぷりの笑顔を真っ直ぐ目を向けられたルクシアが、困惑したように大きな眼鏡を押し上げる。
ジーンが、こちらと並行して走る彼が絶妙な距離を保っている様子を、改めて観察した。数秒ほど思案すると「近すぎもせず、遠すぎもしないって距離感だなぁ」と首を捻り、騎馬総帥であるレイモンドの方へ視線を投げた。グイードも相棒へ目を向けて、「あれ、なんだ?」と問う。
「例の個性的な軍馬を拾ってきた、バレッド将軍だ」
なんでこんなところにいるのかは分からないが、とレイモンドがげんなりした様子で答えた。
個性的な軍馬と聞いて、マリアは数日前の事を思い出した。落ち着いたタイミングを見計らって、いつか現場で働ける軍馬として調教出来ないだろうか、と彼にチラリとさりげなく相談してみようと思っていたのに、うっかり忘れていた。
「そういえば、ブサ可愛い馬を見に行ったんだった」
思い返しながら、つい言葉が、ぽろりとこぼれ落ちていた。
その瞬間、レイモンドが目を剥いて、ガバリとマリアに目を向けた。つらつらと思案して気付かないでいる彼女に続いて、アーシュもようやく思い至った表情で「あ。もしかして、変なくしゃみをする馬の持ち主か」と口にする。
「そういえば俺、昨日ルクシア様が作った風邪薬を、騎馬隊の人伝手で届けてもらったんだった」
「そうだったの? あ、風薬がどうとか話していたやつ、それだったのねぇ――それでファンになったって事なのかしら……?」
「あれでどこをどうやって考えたら、ファンになるんだろうな……?」
めちゃくちゃ熱烈な感じでアピールされたんだが、とアーシュは疑問を伝えた。
しばしマリアを凝視していたレイモンドが、遅れて全ての辻褄が合ったと言わんばかりに「マジか」と口にした。ルクシアが推理を終えて「なるほど、馬の風邪薬……」と口にし、話していた二人が揃って顔を顰めて首を傾げたタイミングで、こう叫んでいた。
「というかッ、原因はマリアかよ! 一体何をしてくれちゃってんだッ」
「どうしたんですか、レイモンドさん? 私はニールさんから話を聞いて、四人で少し見に行っただけですわよ?」
「いやいやいや、自分は全く関係ないし無害です、って顔してるけどな、その一つの選択肢で色々と事がデカくなってるんだけど!?」
ああああほんっと誰かを思い出す気がするッ、と苛々した様子でレイモンドが頭を抱えるのを、マリアはアーシュやニールときょとんと見つめていた。ヴァンレットが「腹の調子が悪いのだろうか」と、子供みたいな目で言う。
ひとまずの状況を察したジーンが「へぇ」と呟いて、目配せした。視線を受け止めた悪友のグイードが「ふうん?」と目で応え、それから自身が担いでいるルクシアへ視線を流し向けた。
「あのバレッド将軍は、あなたの絶対的な味方らしいですよ。どうします、行きます?」
「え。嫌です」
安全なところに降ろすよりも、あの軍人に身を預けて送り届けてもらってはどうだろうか、という提案である事に気付いたルクシアが、間髪入れず反射的にそう答えた。苦手意識にでも襲われたかのように、小さな手でグイードの軍服を握り締める。
それをしっかり聞き届けた熊みたいな大きな将軍――バレッドが、ショックを受けたような顔をした。しかし、彼は驚異的な立ち直りの速さを見せて、その一瞬後には凛々しい表情で、自信たっぷりにこう告げていた。
「お任せくださいルクシア様! このバレッド・グーバー、命と名誉に掛けて、あなた様を無事に送り届けましょうぞ! 大丈夫です、このムキムキの筋肉を見れば元気になりますから!」
「どこからその根拠のない自信がくるのですか」
ルクシアが、グイードに担がれたまま、遠い目で冷静に指摘した。すると、バレッドは躊躇なくこう答えた。
「筋肉があれば、どんな試練だろうと乗り越えられると、信じておりますゆえ!」
そう言って「がはははははッ」と、腹から轟くような大きくて野太い笑い声を上げる。それはそれで迷惑な信念だな、とマリアは友人たちと共に彼を見つめながら、その思いを揃って表情に浮かべていた。やはり気のせいか、昔いた元祖筋肉馬鹿によく似ているな……と思った。
担ぎ上げているルクシアに、子供らしくぎゅっと軍服を握られているグイードが、そちらへと意識を向けて考えた。彼は「うーん」と思案げな声をもらすと、判断を終えてから「すまんな」とバレッドに答えた。
「とりあえず、お前にルクシア様を預けられそうにない。うん、チラリと『要望案』の話は聞いてるけどさ? 正式には何も決まっていないんだし、今のところは引っ込んでいようか。な?」
「!? 直接お言葉を頂けるとは感激です! 承知!」
途端にバレッドが瞳を輝かせて、機敏な動きで凛々しく敬礼をしたかと思うと、風のような勢いで離れて行った。
なんだか崇拝している感じもする。そう思ったマリアが、この場にいたメンバーを代表して「あれ、何」と敬語も忘れて尋ねると、一同の視線を集めたレイモンドが「……気にしないでくれ」と目頭を押さえた。
その時、後ろから物騒な破壊音が聞こえてきた。
一体なんだろうか、と条件反射のように振り返ったマリア達は、持ち前の怪力で、廊下の柱を折って持ち上げているロイドの姿を確認した。
「…………マジかよ」
十六年前にもよく見ていたけど、アレ、本当に人間なんだろうか。
マリアは呟いて、ゴクリと息を呑んだ。レイモンドが「嘘だろ」と口許を引き攣らせ、アーシュが三回ほど確認して目を擦っていた。ルクシアが現実感のなくなった境地で見つめるそばで、ニールとヴァンレットが顔を見合わせる。
さすがのジーンとグイードも、数秒ほど無言でいた。
「おい、ジーン。どうするよ? このままじゃ、俺が抱えてるルクシア様が巻き添えを食らうぜ」
「うーん、恐らくはルクシア様がいるからへたに攻撃も出来なくて、それでプッツンきたんだろうなぁ」
さて、どうしたものか――と、ジーンがこれといって危機感に迫られた様子もなく、悠長に宙へ視線を向けて思案する。
ロイドの暴走に気付いた軍人たちが、「さすがに死人が出るッ」「総隊長を止めろ!」と死ぬ気で向かい始めた。彼に追い付いたポルペオが「馬鹿者!」と言って、後ろから羽交い締めにする。
それを見たマリアとレイモンドは、「「ポルペオッ、ナイスだ!」」と声を揃えた。しかし、その直後、モルツがそこを通り過ぎるのを見て「「はぁあ!?」」と叫んでいた。二人の腹の底からの声を聞いて、アーシュがビクリとして目を向ける。
「あんの阿呆のドM野郎ッ、なんで加勢に入らないんだよ!」
「おいモルツ! こっちにくるなッ、お前は自分の上司を止めてこい!」
レイモンドも、信じられないと言わんばかりに叫んだが、モルツは細い銀縁眼鏡の横を、揃えた指先で押し上げながら「いえ」と淡々と答えてきた。
「ポルペオ師団長に加勢は不要でしょう。次の予定の仕事開始までは、まだ時間もありますし――そもそも、彼は説教だけで私を本気で殴ってもくれません」
「チクショーぼそりと言っているけど、バッチリ聞こえているからな!? 後半が本音だろ!」
間髪入れずにレイモンドが叫んだ。
こちらを見据えている彼の、鮮やかな碧眼がギラリと光った瞬間、ニールが生理的な拒否感から「ひぃッ変態の速度が上がったあああああああ!?」とガタガタ震えた。思わず「副隊長!」と、先頭を走るジーンの服を掴んでそれを訴え出す中、マリアとレイモンドは顔を引き攣らせた。
ニールの騒ぎようには微塵も目もくれないないまま、だんだんと距離を縮めてくるモルツが、形のいい唇を開いた。
「なので、ご褒美をついでに頂いておこうかと思いまして」
「阿呆かッ。こっちを見るな、手を怪しく動かせるな!」
「おいマリア! お前女なのに『阿呆』とか言うんじゃないッ、しかも相手は総隊長補佐様だぞ――」
「レイモンド騎馬総帥の拳も、食堂で先程久しぶりに、七割ほど本気の威力で放たれていましたね」
「オイッこっちの手を見てくるなよ!? 俺だってお前は殴らないからな!」
レイモンドは、マリアと同様にアーシュの話に気付かないまま、そう目を剥いて叱り付けていた。つい、そちらに目を向けたグイードが、「いつでも欲望に忠実な、あの後輩が嫌だなぁ……」と呟く。
その時、ニールに背中の服を掴まれていたジーンが、ある場所へ目を留めて悪戯好きそうな目を輝かせた。楽しげに目の前に手をあてて、確認するようにそちらの方向を見やる。
ヴァンレットが、上司の行動を真似して同じ方向へ目を向ける。その様子に、マリア達は遅れて気がついた。
「おっ、白衣集団発見」
そうジーンが呟く声を聞きながら、つられて視線を向けてみると、そこには見慣れた四人の白衣の青年たちの姿があった。それぞれ白衣の腕には『救護』と記された腕章がされている。
のんびりと歩いていた救護班の四人が、騒ぎの様子に気付いたかのように立ち止まって、こちらを振り返ってきた。その面々の顔を見たところで、マリアは彼らが確かに、アーシュの友人の救護班である事を確認した。
「アーシュじゃん」
「なんか騒ぎになってないか?」
「あの師団長の肩に乗ってるのって、第三王子じゃね?」
「あれって『ルクシア様』だよね? アーシュが軍人と一緒にいるのも珍しいけど、一体何がどうなっているんだろうねぇ」
最後に眼鏡のラジェットが言って、彼らは揃って首を傾げる。
その様子を目に留めながら、ジーンが「グイード」と呼んだ。
「あいつらは『文官アーシュ君』の友人で、ルクシア様とも少し面識はある」
「へぇ。なら、ちょうどいいな。あいつらに任せるか」
そう答えたグイードは、目を丸くする救護班の前を通りすぎる直前に「頼んだわ」と告げて、ルクシアを下ろした。確かに適任だろうと判断して、マリアも「また後でねッ」とアーシュをそちらに押し出し、あっという間に彼らの前を通り過ぎていった。
後方からは引き続き、ポルペオと軍人たちによる『折った柱をひとまずロイドの手から離させる』という騒ぎが聞こえ続けていた。さて、どうしたもんか、と一同は走りながら思案する。
不意に、マリアは公共区の大広間に抜ける廊下近くに、いつも図書資料館で世話になっている女性司書員の姿を見付けた。先程の若い救護班が、休憩のように出歩いていたくらいだから、恐らく正午も過ぎたこの時間帯は、一部の課の短い休憩時間と重なっているのかもしれない。
そう推測していると、同じようにそちらに気付いたニールが、途端に状況を忘れたかのように「ようやく俺の癒し系女性がッ」と口にした。
「食堂ではヅラ師団長とお嬢ちゃんに拳骨食らうし、引き続き後ろのド変態に追われているし、もう我慢出来ない!」
「あっ、おいニールちょっと待て――」
オブライトだった頃に面倒を見ていたマリアは、彼が次に起こす行動を察知して、咄嗟に素の口調でそう言った。しかし、言い出してすぐ、こちらの声も聞かないまま彼が驚異的な疾走を開始していた。
逃げ足だけは一番という脚力をフル稼働させ、ニールが先頭のジーンまで一気に追い抜いた。女性司書員を知らない彼が「あれ? ニールどうした?」と、疑問の声を上げて目で追う中、前方へと飛び出していったニールが、下から彼女の胸の部分を見上げるべく、床に飛び込むようにして腹で廊下を滑り――
その瞬間、ブチリ、と何かが切れる音がして、マリアはジーン達と揃って「え」とグイードに目を向けた。
こちらが目に留めるよりも速く、グイードは風圧を起こすほどの瞬発力で廊下を踏み砕くと、一瞬後には風のように廊下を突き進んでいた。滑って進むニールに追い付いたかと思うと、鬼の形相でその背中の服を鷲掴んで持ち上げる。
「へ。グイードさん……?」
ニールが、呆気に取られた声を上げた。普段は友好的で愛想ある雰囲気が絶えない男だというのに、グイードは額にクッキリとした青筋を浮かべて、本気で怒っていたからだ。
彼を持ち上げたまま、グイードがくるりと、こちらを振り返ってきた。その直後、軍服から覗く大きな手にまで筋を浮かべて、思い切り腕を振り上げて怒号した。
「それアリーシアちゃんにやったらぶっ殺すぞ!」
「ひぃぃいい!? そうだった忘れてた――すみませんでしたグイードさんッ、だから魔王のところに投げるのだけは勘弁してくださあああああああい!」
そう必死に謝罪し答えたニールの悲鳴が、宙を飛んでいった。
ポルペオと若い軍人たちの努力によって、柱を投げつけてくるという最悪の事態が未遂に終わった後方の現場へと向けて、彼が大きく吹き飛んでいった。見事な連携プレーのように、ロイドが鞘付きの剣でニールを打ち返すのを、マリア達はすっかり足を止めた状態で見届けてしまう。
ややあって、ジーンが呆気に取られた表情のままこう言った。
「ニール、どんまい」
「あいつ、ほんといつも自分ペースだよな。なんで学習しないんだ……」
レイモンドがそう相槌を打つと、すぐそばに来ていたモルツが「同意です」と眼鏡の横を揃えた指先で直した。
説教したい気もするし、ちょっと同情もする。マリアは、目頭を丹念に揉み解しながら「ぐぅ」と唸った後、まるで指示を仰ぐように隣に立っているヴァンレットに向かって、目も向けずに自然と声をかけていた。
「…………ヴァンレット、ニールさんを迎えにいってきてくれる?」
「うむ、承知した」
ヴァンレットが、まるで笑うみたいなのんびりとした表情で頷き、ロイドによって打ち返されたニールを追って走る向きを変えた。
その現場を見ていた王宮務めの人間たちの中で、居合わせた軍人たちが「いや、そもそもさ」と言って廊下を見渡した。何故かここにいる騎馬総帥や第一師団長、総隊長や総隊長補佐や第六師団長や、一般兵の軍服を着こんだ大臣や近衛騎士隊長……
騒ぎの元凶であるそうそうたるメンバーを、順に見た一人の若い軍人が、とうとう堪え切れずに正直な想いをこう叫んだ。
「というか、あんたら仕事してくださいよ!」
一体何やってんの――午前中にハーパーの件があって、まだまだ忙しい部署の男たちも全員そう思っていた。




