十九章 友人と彼と公共食堂と(3)上
床で転がっていたジーンの異常な笑いが収まったのは、ポルペオかゆらりと立ち上がって、説教の気配を見せた頃だった。彼はピタリと笑い声を止めると、ここで長々と言葉を喰らうのは勘弁だと言わんばかりに「よいしょ」と言って、身軽に跳ね起きた。
「相変わらず、身体の能力は鈍ってないなぁ」
「そりゃどうも」
ジーンはグイードに答えて、彼とロイドの間の席に座り直した。ルクシアの皿の上をキレイにしたマリアが、続いて別皿にあった骨付き肉を手で掴んで、焼き色にたっぷりの油がのったそれにかぶりついているのを見て、同じ皿に手を伸ばす。
レイモンドが「まだ食うのか?」と、呆気に取られた様子で言った。その向かいでは、ルクシアの肉を食べられたニールが、満足げに椅子の背にもたれかかっている。
「お前、直前まで笑い転げていただろ」
「笑ったらエネルギー消費しちまってさ」
「なんつう消費効率の悪い身体してんだよ……。このテーブルで食ってんの、もうお前らだけだぞ」
いや他の席の若い連中もまだ食ってるだろ、ともごもごしながら口にしたジーンは、向こう隣のテーブル席から聞こえてきた話に「ん?」と耳を傾けていた。グイード達も、すっかり沈黙しているロイドに気付かないまま、そちらに目を向ける。
そこは、騎馬隊の男たちが腰かけているテーブル席だった。お代わりの唐揚げを持って戻ってきた青年が『鍋プリン』という単語を口にしていて、どうやら一つだけしかないそれが厨房にあるらしい、と若い彼らは話していた。
「なんか、料理長がコック達と、遊び心で作った試作品らしいぞ。ちょっと話を聞いてみたら、いつものプリンの十倍の値段っぽい」
「へぇ、それくらいなら食ってみたいな。どんな大きさの鍋なんだろうな?」
「ここのプリンって、美味いもんなぁ」
「でもさ、一つだけしかないんだろ? 勝った奴から食っていくって感じか?」
「なら、自腹分の食事代も賭けるか?」
その時、食堂内に一つの激しい音が響き渡り、男たちが揃って口をつぐんだ。
一体なんだ、と全員が目を向けた先には、骨付きの肉を片手に食べ続けているマリアがいて、椅子に立った彼女の片足がテーブルを思いきり踏んでいた。
空いた皿を抱えて、近くを通り過ぎようとしていた料理長も、ビクリとして立ち止まっていた。ベルアーノが半ば青い顔で「気のせいか、嫌な予感に胃がギリギリする」と呟く中、ニールが「えぇぇぇぇ」と声をこぼして、こう言った。
「ちょ、お嬢ちゃん。女の子がテーブルに足乗せるのは、さすがにまずいって。どこの野生児だって言われちゃうから」
続けてグイードも、「スカートだから、な? マリアちゃん」と説得に加わる。
マリアは、空色の瞳を真っ直ぐ騎馬隊のテーブルへ向けて、友人や元部下の話を聞いていなかった。直前の任務もあって、素の表情で真顔を晒し、闘気に見開いた瞳孔で彼らを見据えていた。
「その賭け、乗った」
マリアの唇から、そんな言葉がポロっと告げられ、三つのグループに分けられていた各テーブル席から「は!?」「え!?」と、ほぼ同時に驚愕する声が上がった。
オブライトだった頃の黒騎士部隊時代も、お遊び程度の勝負事はよくあった。元々傭兵としていた時代にも、チームではなく単独で動いている見知らぬ男達と、酒屋や食堂でよくそうやって食べ物や酒を賭けて『食費が浮いたらラッキー』というのも珍しくはなかった。だから、それが普通だと思っていた。
そう信じて疑わないマリアが、答えながらも肉をかじるのを見て、料理長が遅れて理解し飛び上がった。
「というかメイドちゃん、まだ食べるの!? おじさん、そこにびっくりだよッ」
自腹分の食事代より、鍋プリンが物凄く気になる。
マリアは真顔のまま、心の中で答えた。鍋級のプリンとかロマンがあるじゃないか、とわくわくする気持ちのまま、料理長にニヤリと少年のような笑みを返した。骨だけになったそれを皿に戻し、テーブルに足を掛けたまま拳を慣らす。
その様子を見たアーシュが、思わず彼女のスカートのエプロン部分を掴んだ。
「ちょッ、待てってマリア! なんで賭けに参加宣言してんの!?」
「参加しない手はない。負かせたら奢りで、巨大なプリンもゲット出来る」
「理由が賊っぽいなッ、なんでそう荒っぽい感じになってんだよ!」
お前はどこの道端で育った野生児だッ、とアーシュが目を剥いて口にした。言い出した騎馬隊の男達の一部も、彼と同じような表情を浮かべていた。
レイモンドが、そういうところ誰かに似ているな……と口角を引き攣らせた。「確かマリアは、自腹になるような追加注文は、していなかったはずだよな?」と自身の認識を確認するように呟くと、部下達を代表して尋ねる。
「つまり、マリアはどうするつもりなんだ……?」
「そんなの決まっていますわ、レイモンドさん」
マリアはキッパリ言い、再び視線を真っ直ぐ騎馬隊の若い男たちの方へ向けると、凛々しい表情を浮かべてこう言い放った。
「全員ぶっ飛ばして、私が鍋プリンを頂きます」
途端に騎馬隊の男たちが、「ひでぇ!」と叫んだ。実際にジーン達と木刀戦をした第六師団のメンバー達と、そちらから話を聞かされていた同僚たちも目を剥く。
「キレイにまとめて言ってきたけど、内容がストレートに、ひっでぇ!」
「共闘という考えが一切ない容赦ない主張ッ」
「あの子、正真正銘のSだよ!」
ざわめきながらも、騎馬隊と第六師団の各テーブルにて、参加を決めた若い男たちが立ち上がり始めていた。
その様子は、十六年前に部下たちと過ごした光景と重なって、マリアは闘気に瞳を輝かせた。あの頃を思い出して、わくわく感が抑えきれず「なんだか面白くなってきたな」と、自身の素直な気持ちを口の中に落とした。
隊長になって間もない頃は、血気盛んな部下たちと、まずは拳を交えて仲良くなったものだ。
ここにいるのは、自分が総隊長ロイドによって『護身術に長けたメイド』として、助っ人に組み込まれている事を知っているメンバーである。ならば俄然、鍋プリンを賭けて一戦交えたくなった。
数時間前にあった任務による戦闘の余韻もあって、カチリ、とあっさりスイッチが入った。マリアは、自分がメイドの少女であるという事も一瞬忘れて、不敵に笑んで指先で手招きして挑発していた。
「さぁかかってこい。まとめて負かしてやる」
それを向けられた若い軍人たちの方も、火が付いたように強がる笑みを浮かべた。
「ちょっと腕があるメイドらしいけど、俺らが負けるはずがない……!」
「よっしゃ、なら騎馬総帥の推薦だとかいう、その護身術の腕をみてやらぁ!」
「ついでに、いつもすましている第六師団の奴らも、ぶっ飛ばそうぜ」
「はっ!? 俺たちが騎馬隊に負けるものか!」
途端に、第六師団の一部の若いメンバーまで殺気立って、ほとんどが参加を表明して立ち上がった。彼らが「ポルペオ様の精鋭部隊をナメるなよ!」と飛び掛かり、それを「普段は喧嘩も売れねぇ優等生だろうが!」と半数の騎馬隊の男たちが迎え撃って、衝突した二部隊目掛けて、マリアがテーブルを蹴って飛び込んだ。
宰相ベルアーノが「お前たち、やめないかッ」と制止の声を上げたが、既にスイッチが入った軍人たちは止まらなかった。
素手での対戦が勃発した食堂内は、一気に騒がしさを増して乱闘と化した。
コック達が「マジかよッ」と久々の騒動に目を剥いて、料理長と一緒になって、急いでテーブルの空になった残りの皿をかき集め始める。あっという間に開始された現状の騒ぎを、ポルペオが呆気に取られた様子で目に留めていた。
マリアの暴れっぷりを見ていたジーンが、無精鬚を撫でて、ニヤリとして口を開いた。
「そういう事なら、俺も参加しない訳いはいかねぇな。何せ、相棒だ」
「は? あっ、オイやめろバカ! 待たんかジーン!」
慌ててベルアーノが呼び止めた。しかし、ジーンは爆風のように騒ぎの中へ飛び込むと、近くに居合わせた若い騎馬隊の男を両手で掴んで、持ち前の馬鹿力で宙に放り投げていた。
それを見たニールが「面白そうッ」と瞳を輝かせて、ヴァンレットを振り返った。
「副隊長も参戦してるし、俺らもお嬢ちゃんを援護して、鍋プリンをゲットさせてやろうぜ!」
「うむ。俺も行こう」
ニールとヴァンレットが、頷き合ってすぐ椅子から飛び出した。彼らを見た第六師団の一部の男たちが「ひぃッ、あいつらがきたぞ!」と警戒の声を上げつつも、リベンジを果たすべく身構える。
また、二人ほど宙を飛んでいった。
自然と十六年前と同じように呼吸を合わせて、ニールが楽しげに足を引っ掛ける頭上では、マリアが遠心力を活かして足を回し、騎馬隊の一人を蹴り一つで吹き飛ばしていた。
「なんだかよく分からんが、たった数分でカオスだな」
その様子を目にしていたレイモンドが、ゴクリと息を呑んで呟いた。
もはや食事どころではない。相棒からその意見を察し、グイードも否定出来ず「そうだな、俺もびっくり」と呆けた顔で言う。
「つか、俺としては、どっかで覚えもある空気と流れなんだが……。とはいえ、楽しくなってきたし、俺も参戦してこよーっと。俺は女とは戦わないから、マリアちゃんの味方をしよう」
「あっ、待てグイード!」
レイモンドは、師団長のマントを翻して駆けて行ったグイードの背中を目で追って、思わずテーブルを叩いて立ち上がっていた。
飛び込んだ彼が、自分の部下と第六師団の人間を片手で一人ずつ掴まえて、砂袋みたいにぶん投げるのを見て、頭を抱えた。
「畜生、なんだってこんな騒ぎになるんだよ……ああもうッどうなっても知らんぞ! 俺も自腹分と、鍋プリンを賭けて参戦する!」
「結局あんたも飛び込むのかよ!?」
床に上に投げ出されていた騎馬隊の男が、ガバリと顔を上げて「ちょッ、あんた騎馬総帥だよ!?」と叫んだが、既にレイモンドは騒ぎの中心に向かっていた。
一小隊分の戦力を持った師団長クラスの人間が参加した事で、現場は更に混沌と化した。騎馬隊の将軍時代に、名将軍と謳われていたレイモンドとグイードのコンビが、自然とタッグを組んで闘い始めてもしまっていて、参戦せず見学していた少数の騎馬隊の男たちが、あの頃の再来と言わんばかりに盛り上がった。
飛び交う乱闘騒ぎの中、ポルペオが「馬鹿者め……!」と額を押さえて呻いていた。宰相ベルアーノが「これ、どうしろってんだ……」と、思わず宰相としての立場で、普段滅多に使わない口調で茫然と呟く。
アーシュとルクシアは、唐突に始まった乱闘を前に、動けないでいた。
先程まで、自分たちと同じテーブルに座っていたはずの男たちが、なんだか楽しくてたまらん、と言わんばかりに殴り合う様子を目に留め、そこにモルツが参戦して、何故か物の数秒でマリアに蹴り飛ばされるのを見届けた。
「……つか、さっきレイモンド総帥様、止める気じゃなかったのか?」
「……私が見る限り、彼はマリアと一緒になって、いい笑顔で第六師団の人間を殴り飛ばしていたように見えましたが」
あまりに物騒過ぎる、と二人の意見は一致していた。
生理的な悪寒から、反射的にモルツを蹴り飛ばしていたマリアは、その直後にハッと我に返った。つい、女の子あるまじき「うぉぉぉおおおお」という声をこぼして、信じられない想いで、鳥肌の止まらない自身の手を見下ろす。
「咄嗟だったとはいえ、蹴ってくださいと言われて、蹴る奴がいるか……!?」
「お嬢ちゃんしっかりしてッ、よく分かんないけど、なんか全力で守りたくなっちゃうから――」
「いい蹴りでした。なかなか効きましたが、お前、全力ではないでしょう」
その時、無駄に頑丈な身体をしたモルツが、背後からすっと現われた。
わずか数秒で復活して戻ってきた事に気付いて、ニールが「ぎゃっ」と飛び上がって振り返った。
「うわあああああああお嬢ちゃんと俺から離れろ変態め!」
「お前に用はありません。欲しいのは、アレの右拳です」
「さっきは足だったのに、次は手なの!? それって結局満足してるんじゃんッ」
ニールは答えながら、決心した様子でぐっと顔を上げて、戦闘体勢を取っていた。
「チクショーお嬢ちゃんのところに行かせるもんかッ、ここで食いとめる……!」
「ほぉ。お前が私の相手をする、と」
「…………あのさ? その言い方、なんか、ぞわぞわが止まらないんだけど」
「勝手に涙目にならないでください、実に羨まし――面倒です」
「本音が出てるんだよチクショーこのド変態め! ってマジで来るなよおおおおおお!? うっぎゃあああああああやっぱ無理助けてぇぇえええええええ!」
ならば相手をしてもらいましょうか、と淡々と告げたモルツが走り出してすぐ、ニールは反射的に逃げ出して「うおおおおおお唸れ俺の足ぃぃいいい!」と、本気の形相で逃走に入っていた。
近くにいたジーンが、ふと振り返って、同年齢の彼らの追い駆けっぷりを目に留めて「あいつら、何やってんの」と困ったように言った。




