十九章 友人と彼と公共食堂と(2)下
串焼きについて叫んだニールとパチリと目が合うと、ヴァンレットが陽気にこう言った。
「うむ。美味かったぞ、マリアと半分ずつした」
「六本も入っていたのに!? ちょっ、お嬢ちゃんなんであっさりペロリと平らげてるの!」
「あれ? これってニールさんの注文分じゃないですよね?」
マリアは、隣の席のニールを見つめ返して、素手で持っていた切り分けられ鳥の丸焼きの足をパクリと噛んだ。彼が「えええぇぇ引き続き食べてるしッ」と叫ぶのも気にせず、ヴァンレットと共に不思議そうに首を捻り「そもそもそ誰が注文したのだったか」と疑問を呟く。
空いている皿を下げに来た料理長が、その騒がしさを見て苦笑を浮かべた。ずっと動き回っているせいで、額には汗が浮かんでいた。
「こういう空気も、久しぶりな気がするなぁ」
そんな料理長の声を拾ったベルアーノが、「すまんな」と謝って彼の方を振り返った。
「珍しく、奴らが全員この提案を出したものだから、聞かない訳にもいかなくてな。急きょ用意してもらって助かる」
「いえいえ、こっちとしても、ずっと軍人さん向けでやらしてもらっているので、厨房フル稼働で楽しくやっていますよ。何か追加注文はありますか、宰相様?」
「そうだな、吐き気が飛ぶようなサラダ料理があれば。……それから、水のお代わりをお願いしたい」
「ははは、分かりました。すぐにご用意しますね」
軍人たちの食べっぷりに参っているらしいと察した料理長が、労うような笑みでそう告げて踵を返して行った。その頃、ちょうどマリアとヴァンレットが「誰の注文?」と、再びそれぞれが口にして揃って首を傾げていた。
そのタイミングで、ジーンは向かい側の席から弱々しく意見した。
「親友よ、すっかり忘れてるっぽいけど、それ俺が注文しておいたやつだったから、こっちの分で二本は残しておいて欲しかったな~、なぁんて――」
「うむ? ニール、野菜の肉詰めが残っているぞ?」
「ちょっ、ヴァンレット!? ポヤポヤした顔で、わざわざ指向けてまで指摘してくんのはやめて! 俺は中に肉が詰められていようとッ、パクナの苦い野菜だけは食わないの!」
後輩のヴァンレットに、のんびりと皿の上の残りを指摘されたニールが、「チクショー俺の肉の串焼き!」と未練たらたらの様子で、とうとう半泣きでそう主張した。
パクナは、フレイヤ王国産の濃い緑の肉厚野菜で、苦い野菜のうちの一つではあるものの、果肉植物なので水分も多く、野菜独特の瑞々しい甘さもあった。肉料理と相性の良いパリッとした歯応えが人気で、食べられない大人というのも珍しい。
十五歳のルクシアがチラリと目を向けて、大きな眼鏡を押し上げるそばで、アーシュも「ますます大人っぽくないな、あの人……」とすっかり食事も止まってそう言った。
マリアは、こいつはまだ食えないでいるのか、と十六年前からちっとも進歩の見られない元最年少組の部下に呆れてしまった。栄養価の高い野菜の一つとしても知られているので、フォークで彼の皿のパクナの肉詰めを刺すと、持ち上げて見せた。
「最後に炙られているから、苦みはそんなにないですわよ? ほら、ちゃんと食べないと育たないから」
「俺のどこを育てようってんの!? 言っておくけどッ、全部立派に育ってます! ――いてっ」
「ルクシア様の前で、品のない事は言わないように」
片手のフォークにパクナの肉詰めを持ったまま、マリアは冷静に指摘して、器用にニールに頭を叩いていた。グイードが「女の子ならいきそうにない発想なのになぁ」と悩ましげに呟いて、完全に半眼になって呆れ果てるルクシアのそばで、アーシュが何も言えず片手で顔を押さえていた。
マリアは、そんな周りの男たちの様子に気付かないまま、ニールの眼前でパクナの肉詰めを振った。その動きを、好き嫌いなど微塵にもないヴァンレットが、つられたように目で追う。
「ほら、ニールさん。お口を開けてくださいまし」
「なんか子供扱いされてない? 俺は三十代で、お嬢ちゃんは十代だよね? というか、どっかで見覚えあるような、ないような……ってひぃいいええええ口に近づけないで! 俺は絶っ対に口を開けないからねッ」
その瞬間、場の空気が五度下がった。
向かい側から鋭い眼差しを向けられて、ニールが「殺気!?」と飛び上がり反射的に顔を向けた。慣れずにピキリと硬直するルクシアとアーシュを除き、殺意レベルではなかったのマリアは慌てもせず、友人たちと共にのんびりと目を向ける。
向かいの席から、切れ長の深い紺色の瞳で、こちらを真っ直ぐ見つめているロイドがいた。いつものように黒いオーラが出ているものの、意思の読めない真顔のままであるせいで、機嫌が悪いのか真面目に問いたい事でもあるのか、分からなかった。
訝った宰相ベルアーノと共に、ジーン達がロイドにきょとんとした目を向ける中、マリアは彼と見つめ合ったまま、一体なんだろうかと顔を顰めてしまう。少し考えて、もしやとピンときたと言わんばかりに、ニールへ視線を戻した。
「ほら、好き嫌いをするから、視線で叱られているのですわ」
「あいつ、そんだけで魔王力発揮すんの!? それはそれで迷惑ッ、というか意外とマメというか変なの――いてっ」
ニールが思い付くままに叫び出した時、今度は後ろの席にいたポルペオが、少し椅子を後ろに引いて彼の頭を叩いていた。
マリアは肩越しに振り返り、太い黒縁眼鏡越しに顰められた彼の黄金色の瞳を見やった。ニールも「なんで俺叩かれたの!?」と、隣のヴァンレット共にポルペオへ顔を向ける。
「食事をする時くらい大人しくしていられんのか、馬鹿者め。それから、私は好き嫌いを許していない。きちんと残さずに食うがいい、ニール」
「えぇぇぇえええ! ヅラ師団長めちゃくちゃ手厳しいッ、部下が超可哀そ――いてっ。なんでまたお嬢ちゃん殴ったの!?」
「ほら、ニールさん。一個だけでも」
「真剣な表情で何言ってんの!? もともと一個しか入ってなかったのにッ」
もうやだこの席、とニールが泣きそうな顔で怒った。
マリアが、前世の頃の感覚で「しっかり食べないと育たないぞ」と言いかけた時、離された席の配置がされているモルツが、「はぁ」と息を吐いた。その音を敏感に察知し、ニールがガバリと目を向けて、立ち上がりざまに指をつきつけた。
「勝手に羨ましがるな変態め! お前と同じテーブル席ってだけで超嫌なのにッ」
「ひどい嫌われようですね。今の状況が実に羨ましい」
「どういう神経で物言ってんの!? 後ろヅラ師団長で、横に凶暴お嬢ちゃんだよ!? ――いったいッ」
今度は二つの拳に叩かれ、ニールは衝撃で腰を椅子の上に落とした。
「誰がヅラだ、馬鹿者」
「誰が凶暴だ、阿呆」
マリアとポルペオは、眉を顰めてそう叱り付けていた。同時に手厳しい意見を投げられたニールが、頭を抱えて「なんでか知らないけど、二人の威力がほぼ同じとはどういう事だろう……ッ」と痛みに悶絶する。
その様子を見ていたルクシアが、そちらに目を留めたままアーシュに向かって、こっそりこう言った。
「私としては、マリアが馴染んでいる様子が、信じられないでもいるといいますか……」
「知り合ったのは、最近のはずなんですけどね……。あ、そういえば俺も、マリアとはルクシア様とお顔を合わせた日に出会ったので、そんなに日も経っていないんだった」
なんかもっと長く一緒にいた気がするんだけど違うんだよな、とアーシュが不思議がって首を捻った。ルクシアも、年頃らしい様子で大きな瞳と口許に、ちょっと苦笑を浮かべて「そうでしたね」と言う。
「考えてみれば、私達がこうして話すようになったのも、最近でしたね」
なんだか妙な感じです、とルクシアは同感だと口にして、困ったように小さく笑った。
そんな第三王子の様子を、ベルアーノがこっそり目に留めて、感動したように瞳を潤ませた。しかし、自身の隣でモルツが吐息をこぼして「どちらの右拳も捨て難いですね」と、ぽつりと吟味する声を聞いて、「こいつ感動に水をさしやがって」と顔面を引き攣らせる。
マリアとポルペオが拳を落とした直後、グイードは困ったようにして口を開いていたが、勿論当人の耳には入っていなかった。
「マリアちゃん、女の子が『阿呆』なんて使うのはよくないよ、うん」
「そういう問題じゃないだろう、グイード。俺としては、久々にニールが『教育的指導』を受けているみたいで、同情も覚えるというか……マリアとポルペオの息がぴったりなのがちょっと意外――ん? ジーン、何を笑っているんだ?」
すっかり騒がしいニールに注目していたレイモンドは、そこでふと気付いて視線を向けた。
ジーンは、誰もが忘れている隣のロイドの様子をしっかり把握しつつも、けれどその瞳に元黒騎士部隊の三人とポルペオの様子を収めていた。問いかけられても目も向けないまま、「いんや? なんでも」とへらりと笑う。
「いやぁ、元気たっぷりなのって良いよな」
「おい。ジーン、お前まだ食うのか?」
「グイード、お前も食うか?」
「んー、俺はちょっとパスだな。相棒にその権利を譲ってやろうと思う」
隣のグイードから受け取りざま小皿を回されて、レイモンドが「俺を巻き込むなよ」と、野菜料理がのったそれを押し返した。
その間にニールは、頑なに口を閉じてしまっていて、絶対に食べたくないとちょっと涙目になっていた。これは無理らしいと悟ったマリアは、これ以上は可哀そうな気もして、十六年前と同じように小さく息を吐いて身を引いた。
ポルペオが、自分の席に戻る気配を背中で見届けるながら、フォークに刺したままのパクナの肉詰め料理を目に留めて、少し考えた。斜め向かいの席で、レイモンドとグイードが料理の皿を押しつけ合って小さく騒いでいるのが見えて、一体何をしているんだろうな、と思った。
仕方ない、これは自分の方で食べるかと判断した時、マリアはようやく、ロイドがまだこちらを見ている事に気付いた。視線を上げてパチリと目が合っても、引き続きじぃっと見つめてくるのが不思議で、尋ねた。
「ロイド様、どうかされました?」
「…………いや別に、俺は何も言ってな――」
その瞬間、彼の隣でジーンが「ぶはっ」と、笑い声をこぼした自身の口を素早く塞いだ。しっかり耳にしていたグイードが、小皿を片手に「なんだよ?」と訝しげに目を向ける。
「名前呼ばれただけ普段のでゲスっぷりが丸くなるとか、超ウケるんだけどッ」
「はぁ? おいジーン、ここで笑い転げるなよ。またポルペオの説教が飛んでくるぞ。あいつ、先輩だろうと関係ないからな」
そんなやりとりがされる中、ロイドが殺気立った目をゆっくりとその席に移していた。ジーンは気付いていながらも平気で、横顔にその視線を受けたまま、引き続き口を手で塞いでぷるぷると震えていた。
相変わらず、何を面白がっているのか、よく分からんな。
遅れて気付いたマリアは、ジーンの様子をしばし眺めていたところで、もしやと思い至って、手に持っていたパクナの肉詰めへと視線を戻した。オブライトだった当時は、プライベートな付き合いがあまりなくて、好みの事情を知らないでいるロイドに尋ねた。
「これ、好物だったりします?」
フォークに刺したままのそれを掲げて見せると、ロイトが「は?」と訝ってこちらを見つめ返してきた。彼は形のいい唇を薄く開きかけたが、「特に好きも嫌いもない――」という言葉は、すぐに途切れていた。
「私も一つ食べましたから、好物であるのならあげますよ」
「…………あげるとは、このままか」
「? はい、一口で食べられる大きさですし」
「………………」
ロイドの珍しい沈黙を聞いた直後、ジーンが「もう無理耐えられん!」と椅子から転げ落ち、床の上で腹を抱えて大爆笑していた。
ぎょっと目を剥いたレイモンドが「お前何やってんの!?」と言い、グイードが仕方なく口に放り込んでいたつまみの野菜料理を、轟く笑い声を聞いた瞬間「ぶほっ」と吹き出した。
サラダの小皿を持って戻ってきた料理長から、危うく水の入ったグラスを受け取りそこねかけたベルアーノが、叱りつけるべく、床で腹を抱えているジーンを振り返った。料理長も、昔から知っている黒騎士部隊の元副隊長を凝視する。
「お前はッ何をしとるんだジーン!」
「あはははははは! 腹筋が崩壊しそうマジ半端ねぇわッははははははははげほっごほッ」
笑いすぎて咽る様子を見て、レイモンドが「気持ち悪いッ」と失礼な事をストレートに告げた。アーシュから慌てて布巾を差し出されたグイードが、「すまねぇな」と受け取る中、ニールが深刻そうに「副隊長が変……」と口の中で言って、その隣でヴァンレットが首を捻る。
騒がしいぞと言わんばかりに振り返ったポルペオが、床に転がって腹を抱えているジーンを目に留め、黄金色の目をすぅっと細めて「何をやっとるんだ、あの馬鹿は?」と顔を顰めた。食堂内にいる若い軍人達も、激しく気になった様子でチラチラとジーンに注目している。
そうやって周りが一気に騒がしくなったものの、マリアは差し出したフォークの先を、ロイドがじっと見てくるので、余所に視線を向けられないでいた。
しばし動かない時間が続いて、ふと、彼がプライドが高いうえ、今は立派な大人であることを考えさせられた。使用人仲間たちや、子供っぽさの抜けていないニールとは違って、必要のない余計なおせっかいだったかもしれない。
なんだ、それで反応が変なのか。マリアはそう思って、自然と差し向けていたフォークの先を、ゆっくり引っ込めようとした。
「なんか、勝手にフォークを向けてすみませ――」
「引っ込めるな。食うから、寄越せ」
真顔でそう言われた直後、半ば腰を上げたロイドに差し出していた手を掴まれて、彼の方へ引き寄せられていた。「あ」と思った時には、近くで形のいい彼の唇が開いていて、フォークの先の小さいとも言えないパクナの料理が、パクリと一口で食べられてしまう。
マリアは、びっくりして目を丸くした。掴まれた手がじわりと体温を伝えてくる中で、長い睫毛が影を落とすロイドの美麗な顔を目に留めていたら、彼がふっと視線を脇に流して、心のこもらない声で感想をこぼした。
「――美味いな」
なんだか、たったそれだけで色っぽく見えて、この外見詐欺みたいなドS野郎が嫌だなぁと思った。するりと手が離れて、彼が物想いに耽る様子で席に腰を戻す様子を見届けた。
すると、座り直したロイドが、何故か片肘をテーブルについたところで、顔を押さえて静かになった。その様子もバッチリ目に収めていたジーンが、涙を浮かべるくらい大笑いし、床の上を転げ回りながら大爆笑する声が食堂内に響き渡った。
「腹が捻じれるッ親友よ勘弁してわはははははは! げほっごほげほ……ッ」
周りのテーブルにいた騎馬隊の男達も、もう無視出来ないレベルなんだけど、と軍服に身を包んだ『大臣』に注目して、総隊長の方は全く見ていなかった。
モルツが、上司の皿が空になっているのを見て、近くを歩いていた別のコックをさりげなく呼んで下げさせた。マリアは、グイードとレイモンドが振り返って「おいジーン」と声をかける様子ごと眺めて、「一体何をしてるんだ?」とますます疑問を覚えてしまう。
その時、アーシュに「おい、マリア」と声を掛けられ、ルクシア越しに袖を控えめに引っ張られて、マリアはそちらに目を向けた。
「お前、総隊長様を相手にフォーク向けるとか、さすがにまずいだろ」
「それで沈黙しているのかしらね……? あ。ルクシア様、お皿に料理が――」
「マリア、私ならいいというわけでもありませんからね?」
皿にまだ料理が残っていたので、そこに目を留めてそう口にした瞬間、何故かルクシアがこちらの台詞を遮ってきた。
「あなたは令嬢の世話で慣れているのかもしれませんが、私にそういう『世話』は不必要です」
「? 食べられないのなら、私とアーシュでお手伝いしますよ、と伝えたようと思っていただけなのですが。ねっ、アーシュ!」
「めちゃくちゃ良い笑顔を向けてくるなよ。俺はもう無理、何も入らねぇ……大臣様とあの師団長が、めっちゃ皿に料理追加してきたせいで、胃がやべぇ」
腹をさすって、アーシュが苦しそうに視線を伏せた。
マリアは「ふうん? じゃあ」と言って、ルクシアに改めて確認すると、その皿を自分の方に引き寄せてから隣のニールへと目を向けた。
「ニールさん、このお肉食べます?」
「マジで? そのお肉だったら食べるぜ!」
直前の事も忘れたかのように、ニールがいい笑顔を浮かべて、挙手までしてそう答えた。その隣から、別の小皿を空にしたヴァンレットが「俺も食べる」と、先輩の真似をして手を挙げた。
ルクシアが残した料理を、そうやって三人で仲良く分けて食べだした様子を見て、ベルアーノが「まだ食うのか……」と視線をそらした。そして、煩すぎる大爆笑と戸惑いの声の中、グラスの水を喉に流し込んだ。




