十九章 友人と彼と公共食堂と(2)上
正午から一時間半を過ぎた頃、知らせを持った近衛騎士がやって来た。
それは先程、騎馬隊を退かしていた男の一人で、なんだかひどく疲れて顔をしていた。ぽつりと独り言のように「道案内役一つで揉めるとか、あの将軍、大変嫌だな……」とこぼしていた。
近くまで送り届けられたところで、別れた彼を、ルクシアが気に掛けて見送りつつ口を開いた。
「一体何があったのでしょうか……」
「お顔に覚えはありますか? いちおう彼は、普段はルクシア様の護衛についている一人みたいですよ」
マリアはそう教えた。すると、同じように足を止めていたアーシュが、ガバリと振り返って「お前ッ、そういうのはさらりと暴露すんなよ!?」と言った。
「あれ? アーシュは知っていたの?」
「そりゃあ一通り紹介はされて、挨拶もしていたから当然だろ!」
「律儀なのねぇ」
「バカヤローそれが普通だよ、いきなりズカズカ相手のところに入って、居座る奴があるか」
当たり前のように説かれて、マリアは「え」と彼を見つめ返してしまった。
そんな面倒な手順、オブライトだった頃はほとんど踏んだ事がないんだが、と思った。護衛の任に就いた時も『行ってこい』と言われて、そのまま向かって当人と顔合わせをして傍に付いていた。
「…………それって、女性が相手だったらする事もある、とか、そういうわけじゃなくて……?」
「はぁ? お前、何言ってんだ?」
「もし護衛とかの場合だったら、どうなの」
「なんでそんな深刻そうな顔してんだよ……。性別問わずそうだろ。つか、相手が女だったら、もっと気を付ける」
「………………」
マリアは、確認した際に両手を差し出した姿勢のまま、真顔で硬直した。
脳裏に過ぎったのは、軍人だった当時のとある令嬢の護衛だった。考えてみてもアレが駄目だったとも思えなくて、けれど驚かれなかったといえば、そういう訳でもなかった事を思い出して、もう、なんと言って良いのか分からず「おぉぅ……」と少女あるまじき声を上げてしまっていた。
今度はそちらの方が気になった様子で、ルクシアがアーシュに尋ねた。
「護衛については、なんとなくは推測していましたが、彼女はそれを教えた事を気にしているのでしょうか?」
「なんか別件だと思うんですけど、なんでしょうね……考えたらマリアはメイドなんで、軍人側の仕事のマナーとか説くのも、違うなって思えてきました」
アーシュは譲歩するように言うと、「おい、マリア」と呼んだ。
「公共食堂はすぐそこだから――」
その時、マリアは色々と考えていっぱいになった顔面を彼に向けて、つい素の口調のまま「なぁアーシュ」と、続く言葉を遮るように問いかけていた。
「扉を開けたら悲鳴を上げられて、飛びかかってきた元々の護衛数人を反射的に叩きのめしたのは、セーフだと思うか……?」
「一体誰の話をしているんだよ!? つか二重のアウトに決まってんだろ! 誰だよ、その空気読めない系の人物はッ」
どこの馬鹿だ、とアーシュは続けて叱るように叫んだ。マリアは、当時あった黒騎士部隊というところの隊長です、とは答えられず、そっと視線をそらしていた。
うっかり反射的に伸してしまったものの、相手の令嬢も全く気にする事はないですから、と言っていた。けれど思い返してみると、なんだかもじもじとして目は合わなかったし、なんだか会話がずれている気もして、もしや、アレってちょっとしたパニック状態だったんだろうか……とも思ってしまう。
すっかり来る直前までの緊張感も忘れて、突っ込み続けて疲労しているアーシュと、食事代が一食分浮くぞという上機嫌さも忘れて佇んでいるマリアを見て、ルクシアが「二人とも、落ち着いてください」と折り曲げた白衣の袖を揺らしながら、手の仕草でもそれを伝えた。
「ひとまずは、食堂へ入りましょう。私達が最後のようですから、待たせるのも悪――……マリア、露骨に庇護対象を見るような目を向けないで頂けますか」
話していた途中で、ルクシアがそっと手を下ろして、ぎこちなく視線をそらしてそう言った。アーシュが「このタイミングで何してんだよ、どこで思考が切り替わった?」と見やる。
マリアは、ちょっと戸惑った彼の様子に癒されていただけなので、何が悪かったのか分からなかった。こっそり口の中で「可愛いと思っただけなんだけどなぁ……」と呟いて、それから彼らと共に歩き出した。
※※※
扉のない大きな出入り口を持った広い公共食堂内は、男達の話し声で溢れていた。今回の任務にて、直接現場入りした全員揃がっているようだ。カウンター近くの長テーブル席には騎馬隊、その隣の列のテーブルには、きちんと背筋を伸ばして座っている第六師団とポルペオの姿もあった。
ポルペオが背を向ける形となっている隣の長テーブルには、中央に総隊長ロイド、その両隣りを大臣ジーンと宰相ベルアーノが固めて腰かけていた。
その同列席には、モルツやレイモンドやグイードが座る椅子があった。その向かい側の席では、ポルペオ側に背を向ける形でニールとヴァンレットが腰を降ろしており、ニールの右隣にある三つの席が空いていた。
「あっ、お嬢ちゃんさっきぶり! こっちこっち~」
ピクリと反応したヴァンレットの隣で、共にこちらを振り返ったニールが、そう言って手を振ってきた。着替える暇はなかったのか、臨時班として共に動いた彼らは平隊員の軍服姿のままだった。
周りの軍人達は、平気を装ってはいたものの、ロイドの方を気にしてチラチラと見ていた。その様子は、まるで『え、この人も参加してんの?』と語っている気がする。
とはいえ、十六年前と同じ光景であったから、多分気のせいだろうとマリアは思った。任務が無事に成功したら、こうして食べるのはいつもあった事だったからだ。たまには、あの少年師団長だった頃のロイドだって参加していた。
中に進み入った途端、こちらに気付いた騎馬隊の若い軍人たちが「あ、第三王子だ」「ほんとに白衣なんだなぁ」と小さく口にした。精鋭部隊として自負し、規律も厳しい第六師団の男たちも、つい緊張が抜けた様子で「弟王子だ」「あれがルクシア様か……」と目を向けてくる。
ここにいるメンバーは、『計画』にも深く関わって信頼されている者達であるらしい。『文官で助手』という単語が聞こえてきて、マリアはそれを察した。
彼らの方を見渡しながら推測していたら、木刀戦をした第六師団の一部の男たちが、目が合った途端にぎこちなく視線を外すのが見えた。一体なんだと訝ったものの、黙りこんでしまった隣のルクシアが心配になって、そちらに目を戻した。
ルクシアは、公共食堂に足を踏み入れて少しもしないうちに、大勢の軍人がいる場に慣れない様子で立ち止まってしまっていた。アーシュも、彼が冷静な表情ながらも気圧されている事を雰囲気から察して、心配そうに尋ねる。
「ルクシア様、大丈夫ですか……?」
問い掛けられたルクシアは、視線も返さず、足元を見つめたままじっと動かなかった。その表情に大きな変化はないが、握り締められた拳からも、全身がすっかり強張って、すっかり緊張してしまっているのが伝わってきた。
その様子を観察していたマリアは、ここは大人の対応でいこう、と決めた。オブライト時代を思わせる、年上風の控えめな笑みを口許に浮かべると、自分よりもやや低い目線のルクシアの横顔を覗きこんで、柔かな口調で声を掛ける。
「ルクシア様、大丈夫ですよ。取って食われたりしませんから、ね?」
「あなたは時々、気の遣いどころの台詞選択を間違えている気がします」
途端にルクシアが、目も向けないまま普段の調子で鋭くそう指摘した。諦めたようにふっと遠い目をすると、独り言のように続ける。
「その気遣う表情と言葉が、絶妙に合っていないんですよ……」
マリアは、一体何が駄目だったんだろうか、と問う眼差しを送った。それを受け取ったアーシュが、色々と説教したくてたまらんッという表情で「余計物騒だろ、というか女が『取って食う』なんて言うんじゃないッ」と叱った。
第三王子ルクシアが、社交もなく研究室に引き籠っていると知られているせいか、足を止めているこちらを、ロイド達が急かしてくる事はなかった。ポルペオは目すら向けずにいて、前もって注意でも受けているのか、ニールは喋りたい様子で上体を揺らしているものの、ちゃんと待ってくれている状況だ。
そんな彼らの様子をさりげなく確認したところで、マリアは別の手を考えて、チラリと視線を投げた。
目が合ってすぐ、ジーンが察した様子で親指を立てて、口パクで『任せろ』と返してきた。にっこりと爽やかな笑顔を作ると、続いて怖くないですよと伝えるように「ルクシア様」と呼んで手招きする。
彼の隣にいたグイードが、それに気付いて「なるほどな」と頷き、同じように子供の警戒心を解くような笑顔をこちらに向けて、にっこりと笑って口を開いた。
「先日振りですね、ルクシア様。どうぞこちらへ」
ルクシアが、ジーンに向けていた視線を、テーブルの向かい側の席を指したグイードへと移した。ロイドの左隣にいる宰相のベルアーノの姿を目に留めると、ようやく少し緊張を解くように小さく息を吐いて歩き出す。
それに合わせてアーシュが動き出したのを見て、マリアも後に続いた。しかし、そばを通り過ぎようとした時、「おい」というポルペオの小さな囁き声を拾って、彼の後ろで歩くペースを落としてチラリと目を向けた。
ポルペオは、相変わらず固められた似合わない色のヅラを被り、太い黒縁眼鏡を掛けていた。腕を組んだ姿勢のまま、テーブルの方を見ている。
「殿下は人が苦手だと、ジークフリート様からは窺っている」
だが私は、どれほど人との交流を苦手としているのか分からん、とポルペオが目を向けないまま、こちらに聞こえる声量で続けた。
「――だから訊く。手助けは必要か?」
「――いえ、手助けは不要ですわ」
マリアは、長い付き合いから彼が言わんとしている事を察して、面倒見のいいところはあるんだよなぁ、と小さく笑った。少しそちらへと歩み寄って、こっそり答える。
「ルクシア様は、『少し不器用なところがある』だけなのです」
彼になら伝わるだろうと思って口にすると、こちらに横顔を向けたままのポルペオが「なるほど。承知した」と二言で答えた。それで、話は仕舞いになった。




