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十八章 元黒騎士部隊四人の初任務(6)下

「家族内に『尊敬』や『大切』があるとは知らなかった。もっと上を目指せと父は言い、父の期待を超えろと母は言う。私語のない食卓だった。ずっと、それが普通だと思っていた」


 ロイドが話し出したのは、珍しくも自身の話だった。


 利用出来る者を作れ、無駄な交友など時間の浪費である。必要なのは自分の駒であり踏み台だ、そして力こそが全てだ、トップに立て――それが『先代の総隊長』である、前ファウスト公爵という男の生き様だった。


 マリアは、オブライトであった頃チラリとだけ見掛けた、随分年上の老いた屈強な男を思い返した。


 目が合った事はない。何しろ貴族思想が根強く、その周りにいた軍人たちも全て、生粋の上流貴族で固められていて、きちんと教育を受けた者たちであると一見して分かった。


 軍のトップだからこそ、普段から寄りそえる距離感というのを、国王陛下との間に作るべきではない。前ファウスト公爵はそういう考えのもと、軍事と政治と中立機関のバランスを重んじて、王宮ではなく中央軍部機関の最上階に、総隊長の席を構えて君臨していたのを覚えている。


 アヴェインは政治に長けているだけでなく、賢王にして、同時に軍事においても生粋の指令官としてあれる人間だった。前ファウスト公爵は、そんな中で『国王陛下は王であって軍人ではない』、『彼が剣を振るう事がないよう我らがいるのだ』と、国と王を守る生粋の騎士としてもあった男――という話も有名だった。


 マリアが、そうオブライトだった頃の記憶を手繰り寄せる隣で、ロイドは静かな眼差しを森に向けたまま、思い出すような、そして珍しく覇気もない落ち着いた声色で語り続けていた。


「公爵家の使用人は大勢いたが、それぞれ父の使用人、母の専属使用人、そして次期公爵であるファウスト家嫡男の俺の執事と使用人たち、と完全に分けられていた。俺が物心ついた頃に、若い連中が多めに採用されてな」


 つらつらととりとめなく、彼は言葉を紡ぐ。


「専属の執事になった男も、他の使用人たちも、父と母の目がないところで『坊ちゃん』と幼子のように呼んだりして、つまらない事でも俺によく謝った。変な連中だと思った。少し熱が出ただけで看病したり、助けるなと言われていたのに乗馬訓練で俺をかばって、父に『使用人風情が触れるとはどういう了見だと』と怒鳴られても、黙って両手を出して鞭で打たれていた。昔はよく分からなかったが、大人になって、多分そういう人間も含めて一つの家族みたいな形でもあるのだろうと、――爵位を継いでから、なんとなく分かった気がする」


 だから、アーバンド侯爵と戦闘使用人の関係についても、分からないでもないのだと口にする。あの男は、自分の使用人が傷つく事をひどく嫌うから、あの日も大変だった……と、マリアのよく分からない独り言までした。


 マリアは遠い目をしたロイドが、乾いた笑みを薄らと浮かべて視線をそらす様子を見た。一体何があったんだろうな、と少し疑問を覚えたものの、先にされた話の内容もあって、尋ね返す空気ではないだろうとも分かって黙っていた。


 多分だけれど、幼い頃からロイドを見ていた専属の使用人たちにとって、彼は跡取りであるという以前に、大切な『守るべき小さな主人』だったのだろう。


 令嬢付きメイドとしての主人であるリリーナを浮かべて、マリアはそう思った。相手は貴族の嫡子とはいえ子供なのに、その当時から『触れるな、優しくするな』という教育は、自分には考えられないでもいた。だから、本来は親がすべきだった事を、彼らは許された中で必死にやろうとしていたのではないだろうか。


 ん? そういえば、確か見掛けた事があったな。


 ふとロイドが少年師団長だった頃に、初めて風邪で倒れた際、彼を迎えに来た使用人たちがいた事を思い出した。彼らは潤んだ瞳で「坊ちゃん、ようございましたね」と言い、こちらを見て「ありがとうございます」と深々と頭を下げたのだ。


 どうぞ、これからも彼をよろしくお願い致します。とても良き友人に恵まれていたと知れて、わたくしは、とても、とても嬉しいのです……と、執事服の男も少し泣いていたのを覚えている。


 ああ、なるほど。そういう理由があったのか。


 マリアは遅れて気付かされて、そちらの事情に関しては、あの時に察してあげるべきだったなと少し反省した。当時、ジーンとグイードが、ピンときた顔で目配せして、それから明るい調子で、後輩で友人で仲間なのだと自己紹介していたのは、そういう理由もあったのだろうとようやく分かった。


「その使用人たちは、どうなったのですか?」

「今のファウスト公爵である俺の使用人だ、勤めてもう長い。そもそも爵位を譲った時点で、先代公爵に『俺の使用人』をどうこう出来る権限はない」


 想定していた中でも随分簡単でつまらない質問だ、とでも言うように、ロイドが立てた膝の上に頬杖をついて、こちらに横顔を向けたまましれっと答えた。


 なんだ、ちゃんと『大切』に出来ているじゃないか。


 マリアは、顰め面を晒しているロイドの横顔に、こっそり暖かい眼差しを送った。オブライトとして出会い、そして過ごした少年師団長だった十六歳、十七歳、十八歳当時の彼には分からなかった『家族』という形を、今のロイドは、もう分かっているのだろう。


 そうでなければ「先代公爵に口出しはさせない」というような台詞は、出てこないだろうとも思うのだ。多分だけれど、誰も彼もを拒絶していた子供だった当時と違って、今では彼なりに大事にしている人間関係も、あるのかもしれない。


 そうか。隣にいるロイドは、やっぱりあの頃のロイド少年なんだなぁ……。


 マリアはそう思って、再び青い空に目を向けた。今の彼の攻撃的ではない、プライベートな様子が窺える横顔は、おかげで当時の本人以外の何者でもないと認識出来た。ヴァンレットと共に手を引いて、王宮の芝生の上を歩いた時と同じだ。


 当時から十六年が経って、こうして二人でゆっくり座っている『今』が、とても信じられないくらい、穏やかな時間が流れている気がした。落ち着かないといった緊張や、警戒心は感じない。


 それを考えながら、これから迎えにきてくれるジーン達を思った。『臨時班』として、再びこの四人のメンバーで動ける事になったこの数日間は、騒がしかったけれど、終わるのもまたあっという間で、リリーナの婚約騒動が始まった頃の自分からすれば、まるで夢のようでもある。



 多分、贅沢な『我が儘』だった。


 生まれ変わった少女の身で、もう一度彼らと一緒に、十六年前と同じように剣を握って任務にあたれるだなんて、つい最近まで考えてもいなかった事だ。


 

 ジーンには、改めて礼を言おう。今の自分には出来ない事だから、彼の手伝いをしているニールには、頑張れよと、メイドのマリアとして不自然のない言葉で背中を押して、リリーナの件で会う事もあるヴァンレットには、今日はよくやったと褒めて頭を撫でて。


 それから、あの三人にもう一度『ありがとう』『お疲れ様』と声を掛けて……そうぼんやりと考えながら、マリアは青い空を飛翔する大きな鳥の影を追い、その鳴き声を聞いていた。


 終わりが寂しい、だなんて贅沢だ。


 そう思ったら、やけに日差しが眩しく感じて、そっと目を細めた。


 相変わらず賑やかな『部下』たちだったなと、ハーパーの屋敷に突撃するまでを振り返って、口許に形ばかりのささやかな苦笑を浮かべる。


「どうした」


 その時、ふと隣から声を掛けられて、マリアはゆっくり肩越しに顔を向けた。


 そこには頬杖をついたロイドがいて、やや眉を寄せてこちらを覗きこんでいた。そんな表情をしていても、相変わらず美貌は健在で、彼の癖のない黒に近い前髪が、そよぐ風に形のいい目の上で揺れているのが見えた。


 問われても、なんと答えればいいのか分からない。言葉を探したマリアは、視線をそらしながら頬をかき、それから青空を仰いでチラリと考えてこう言った。


「それにしても、さっくり終わっちゃったなぁ、と思いまして」

「さっくり終わってくれないと困る。ようやく大きく動き出せたんだ、既に上がってる案件も併せて、次が立てこんでる」


 ん? 次?


 マリアが見つめ返すと、ロイドは「間の抜けた面だな」と独り言をぽつりとこぼして、頬杖を解いてこう続けた。


「ジーンがわざわざ腰を上げたんだ、使わない手はないだろう。この俺をたかが『扉を壊させるだけの端役』に呼んだんだぞ、十倍にやり返して利用してやる。それに、お前の雇い主から『貸し出し』の話は了承を得られたしな」


 そう言って、ロイドがニヤリとした。


 つまり、今後も四人で任務にあたる可能性があるという事だろうか。いや、ちょっと待って、来月には第四王子クリストファーと、アーバンド侯爵令嬢リリーナの、正式な婚約のお披露目のパーティーもあるんだけど……?


 そういえばと思い返すマリアの様子を、ロイドはさりげなくじっと見つめて、考えさせる間を与えないように、ふっと笑う吐息をこぼして口を開いた。


「『引き続き』頑張ってもらおうか。よろしくな、マリア」

「どさくさに紛れて、名前呼びしないでくださいませんか。つか、んな話だったとか知りませんでしたよ!? 私、てっきり今回限りだと思って、一人でしんみり――いやいや今の無しッ、ちょっと言い方を間違えただけです総隊長様」


 マリアは、後半に冷静さを取り戻して、咳払いを一つして口調を落ち着けた。


 途端にロイドが「ちッ」と舌打ちし、思ったより手強いな、と口の中で苦々しく呟いた。彼は顰め面で森を見やってすぐ、ならばと彼女に視線を戻して、見下ろすように少し顎を上げて、近くから指をつきつけて口を開いた。


「分かった、なら命令だ。俺の事は『総隊長』ではなく、今後は『ロイド』と呼べ」

「なんで上から目線でそんな提案してくんの!?」


 有り得ない、唐突に一体なんだと思って、マリアはうっかり素の口調で間髪入れず言い返していた。


 すると、彼が美麗な顔に表情を作らないまま「そうか」と、どこか真面目な様子で言う。


「なるほど、お前が俺を『総隊長様』であると、そんなに敬いたくて仕方ないというのであれば、普段から土下座姿勢でそう呼ばせてやってもい――」

「すみませんでした『ロイド様』と呼ばせて頂きます!」


 チクショーこのドS野郎が。


 これまでの経験から、奴がやると言えば絶対に実行されると知っていたマリアは、つい条件反射のように回避案を口にしていた。その直後、なんでこんな事になっているんだろうな、と目頭を押さえて言いたい文句をこらえた。


 ロイドが表情に出さないまま、けれどどこか上機嫌そうに鼻歌を口ずさんで視線を森の方に戻したところで、タイミング良くジーンの「おーい」という声が聞こえた。


 マリアは、声がした方を振り返ってすぐ「ん?」と訝って眉を寄せた。


 何故かジーンは、むちゃくちゃ笑いを堪えています、といった顔をしていたのだ。その後ろに引き連れられたヴァンレットとニールが、不思議そうな表情でチラチラと上司の様子を見やっている。


「ははは、待たせたな、親友よ」

「…………」


 ジーンが、やけに爽やかな笑顔でそう言った。


 ロイドと共に立ち上がったマリアは、おい、半分以上ニヤけて気味の悪い感じになってんぞ、と彼に半眼を向けやった。表情そのままに問う視線を向けると、ヴァンレットと手を繋いだニールが「うーん」と燃えるような赤毛頭を、後輩と揃ってゆっくり右に傾けて口を開いた。


「なんか、副隊長がすぐに出るなっていうからさ」

「……つまり、しばらくそこにいたと?」

「うむ。待ったらジーンさんに褒められた」

「…………」


 おいコラ、お前、迎えに来ていたのに、なんでさっさと出てこなかった?


 おかげでロイドを名前で呼ぶ事になったんだが、と、マリアは疑問と苛立ちが込もった真顔をジーンに向けた。すると、どうしてか彼が、もう堪え切れないと言わんばかりに、カラカラと愉快そうに笑ったのだった。

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