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十八章 元黒騎士部隊四人の初任務(5)上

 ハーパーの巨大な屋敷は、ザベラの町の一部にまで伸びている森の中を少し進んだ先にある、ぽっかりと開けた場所に構えられている。


 表向きは、個人的な美術品等の保管と、展示場として建てられた別荘扱いの建物だ。しかし、地下に巨大なオークション会場を持つそれは、面積を贅沢に取ってどっしりと鎮座する、見事な長方形の二階建て屋敷であった。


 先日に下見に来た時と同様、二階建ての屋敷の大きな鉄扉も、中が見えないよう加工された小さな窓も、閉ざされて静まり返っていた。


 到着したマリア達は、開始時刻を待つため、以前と同じように木々の下にある背の高い茂みに身を潜め、脱いだローブを下に敷いてしゃがみ込んだ。例の謎の男だけが、ローブ姿のまま腕を組んで木の後ろに背を預けている。


 ジーンが、懐中時計を片手で取り出して、時刻を確認し「予定よりまだ時間があるな」と呟いた。


 屋敷の大きな鉄製の扉を改めて目に留めたところで、マリアは右隣にいるニールから、気になったようにチラリと視線を向けられた。彼の向こうから頭を飛び出しているヴァンレットも、同じように見てきたので、まずは第一に突破しなければならない問題について、左隣にいるジーンに尋ねた。


「……あの鉄の扉、本当にどうにかなるの?」

「そのための『助っ人君』だぜ」


 ジーンが朗らかに答えながら、目も向けずに、例の人物がいる場所へ親指を向けた。マリアは、ニールとヴァンレットと揃って、ローブのフードで顔を隠して屋敷に背を向ける形で木の後ろで待機している、謎の男を見やった。


 ローブの上から覗く膨らみからすると、腰に剣はあるようだが、他に道具や荷物を持っている様子はない。黒騎士部隊時代の経験から、もしや爆薬使いなのだろうかという可能性も考えられるものの、何故か真っ先に『剣士である』という、嫌な方向の予感が拭えないのは、自分の気のせいだろうか。


 マリアは、覚えのある気配にも感じて、再び沈黙してしまっていた。しげしげと観察していたニールが、馬車内での緊張を忘れたかのように「というか、ジーンさん」と、呑気そうな表情で言う。


「あいつ、全然喋らないっすね。ヴァンレットはどう思う?」

「うむ。腹の調子が悪いのだろう」


 ヴァンレットが自信たっぷりに言った直後、ローブの男のまとう殺気量が増した。


 その威圧だけで、肌に触れる空気が、強烈な緊迫感を孕んでビリビリとするのを感じた。言葉で注意する訳でもなく、身じろぎ一つしないまま空気だけを塗り替えて威圧し、こちらを圧倒してしまえる男というのも珍しい。


 やはり既視感があるのだが、一体どこで見たのだったか。


 マリアは、知らず息を呑んでいた。どうしてか、自分の意思に反して本能が思い出すのを拒絶しているようで、記憶がうまく引っ張り出せない。


 というか、そうだったら絶対に嫌だな……という、個人的な想いが邪魔しているような気もしている。


「ニール、あと少しだから、頼むからそれまで大人しくしていてくれよ~。おじさん、さすがにそこまで面倒はみれねぇぞ~」


 後ろから発せられている絶対零度の威圧感の中、ジーンが遠回しに『助っ人に関しては今のところノータッチで』と伝えて、再び時刻を確認した。


 暇過ぎて他にする事もないニールが、三十七歳には見えない様子で片頬を膨らませた。柔らかな風が吹き抜けて、彼の外側にはねた燃えるような赤毛が揺れ、マリアの頭に付けられている大きなリボンも小さく揺らいで、ヴァンレットがつられたように目を向けた。


 そんな二人の様子を見やったニールが、ふと、何か思い付いたように表情をぱっと明るくした。ローブ男の存在を完全に忘れて、楽しそうに口を開く。


「お嬢ちゃん、ヴァンレット、飴玉食べる? 実はさ、昨日ちょっと散歩がてら、王都で面白そうな安い飴をみつけたんだぜ!」


 黒騎士部隊の巡回や休憩時間などでも、暇潰しがてら、よく飴玉を口に放り込んでいた。


 マリアはそれを思い返しながら、「面白い飴?」と小首を傾げて訊き返した。ニールが自信たっぷりに「面白そうな菓子屋で、売られていた飴玉のセットでさ」と言葉を続ける。


「店のおっちゃんが、試作品で作ってみたらしいんだ。いろんな味の飴が一つの袋にぎゅうぎゅうに詰まってるのに、超安かった。一見すると全部白色なのに、不思議な事に、全部味が違う!」

「へぇ、それは確かに面白いですわね。ニールさんは、いくつか食べてみました?」

「ただの水で溶かした砂糖味と、柑橘系とハッカ味までは確認したぜ」


 その味のチョイスであれば、大きく外れがあるという訳でもなさそうだ。中にはとんでもない『遊び飴』をつくる下町の菓子屋もあったから、ニールが食べたと言って挙げた味を聞いて安心した。


 マリアが警戒を解く隣で、ジーンが「安いっていうと、小さいサイズのやつか?」と尋ねた。


「そうっす。一粒ずつ茶色い紙袋で、ざっくり包装されてるだけのやつで、ちょっとだけ包装紙の匂いがついちゃってるタイプの物です」

「そりゃまた珍しいな。古い時代にあった、下町の菓子屋を思い出すわ」

「なんか店主が若い頃、先代店主だった親父が隣町で飴屋をやっていて、そばで見て手伝っていたから作りを覚えていた、とか言ってました」

「ははは、なるほどな、ますます良いねぇ――それ、後で少し分けてもらってもいいか? アヴェイン達も、懐かしがるだろうからさ」


 王族や上流貴族が普段は足を運ばない下町の店で、ジーンは庶民の菓子などを買って、友人たちにあげる事があった。どうやら、出掛けがてら下町土産を持って行くのは、今でも続けられている事であるらしい。


 そういえば、ピッケスは気に入ってよく食べていたな、とマリアは当時を思い出した。それは下町でよく売られている穀物の粕で作られた安菓子なのだが、国王陛下であるアヴェインは抜け出せる機会も少なく、食べたのも成人後だったらしい。

 

 ジーンに尋ねられたニールが、「いいっすよ」と笑顔で答えて約束し、それからポケットを探って、飴玉を取り出して一つずつ配った。


 それは通常の飴玉より一回りも小さくて、懐かしさを覚える茶色い紙で簡単に丸められていた。マリア達は、慣れたように包装紙を前歯で噛んで押さえ、片手で中身を取り出して、揃って口の中に放り込んだ。


 途端にジーンが、「うーん」と悩ましげに顔を上げる。


「これ、俺が無理な味だわ。なんでチョコ味を飴玉に盛り込んだんだろうなぁ」

「ジーンさん、俺のはケーキっぽい味です」

「マジかよ、どのケーキなのか気になるんだけど」


 面白すぎるだろ、とジーンがヴァンレットを見つめ返した。マリアはその様子へと目を向けて、ケーキっぽいというざっくりとした感想の方を指摘すべきではないだろうか、と思ってしまった。


 その時、ニールが唐突に「あああああああ!?」と叫んだ。


 ハーパーの屋敷の中にいる人間に悟られないよう待機しているというのに、目的を忘れたかのような、驚愕を丸出しにした大絶叫である。


 クソ煩い元部下を注意しようとしたマリアは、何故かこちらを向いて目を見開いているニールに気付き「あ?」と顔を顰めた。直前に何かあっただろうかと、ジーン達が味の感想を伝えあっていた様子を思い返したところで、自分の口にあったはずの飴玉が、味わいもなく消えてしまっている事に思い至った。


 あ、しまった。また、勿体ない事をした。


 遅れてそう察したものの、今はそんな事を考えている状況ではない。マリアは改めて奴を注意する事に決めて、「おい、ニール――」と反射的に素の口調で言い掛けたが、ニールがガバリと立ち上がって、こう叫ぶ方が早かった。



「お嬢ちゃんがまた飴玉をッ、バリバリ噛み砕いたんだけどぉぉおおおおおおおおお!?」



 空気を震わせる大音量の悲鳴が響き渡り、高い木々の茂みに隠れていた鳥たちが一斉に逃げ出した。その叫び声は、どれほどの肺活量を持っているのか耳を疑うほどで、屋敷の方から「何事だ」と騒ぐ声が鈍く聞こえてきた。


 建物の内部で、多数の人間の殺気と慌ただしく動く気配が続き、屋敷正面の二階部分にある小さな窓が六つ開いた。そこから、口許を黒い布地で覆った青年たちが、素早く顔を覗かせてくる。


 あ、と思った時には、マリア達四人と彼らの視線が、バッチリ絡まっていた。


 数秒遅れて、彼らが強く警戒した表情を浮かべ、一気に緊張感を高めて「侵入者だ!」と叫んだ。内部の方に合図を出したかと思うと、開いている窓からライフルの銃口が一斉に覗いて、それがこちらに向けられた直後、威嚇射撃のように連続して銃弾が撃ち込まれ始めた。


 命中率の悪い銃弾のうち、一つがこちら目掛けて飛んでくるのが見えた。その弾道が部下の方向であると察した瞬間、マリアは同じように反応したヴァンレットに「危ないから出るなッ」と反射的に指示し、素早くニールの前に回り込んだ。


 自分の手の届く範囲で、見える距離で、部下を撃たせてたまるかよ。


 マリアはギロリと睨みつけて、持っていた剣を鞘付きのまま振るい、その銃弾を弾き返していた。二つ目の銃弾も叩き落とすと、くるりと振り返って「この阿呆!」とニールの頭に手刀を落とした。


 呆けていた彼が「いてっ」と声を上げるそばで、ヴァンレットが一歩後退して、足元に撃ち込まれた銃弾を避け、指示を仰ぐように冷静な顔をジーンへ向ける。


 これは辛抱ならんと、チョコ味に水砂糖が加わった飴玉を噛み砕いたジーンが、「こうなった仕方ねぇ」と手で大きく合図を出した。


「扉を突破する『助っ人君』を筆頭に、俺らは作戦通りの陣形で行くぞ。いいか、『何があっても』当初の行動手順を乱さず、それぞれ任務にとりかかれよ~」

「は? ジーン、それは一体どういう意味だ――」

「親友よ、話はあとだ。よっしゃ行くぜ野郎共ッ、久々に暴れるぞ! そのまま突撃!」


 その開始の声と共に、突然スイッチが入ったみたいに、ローブの男が弾丸のように飛び出た。身を低くして疾走し、俊敏な動きで左右にぶれて、嵐のように振り注ぐ銃弾を的確に避けながら、真っ直ぐ屋敷の大きな鉄の正面扉へと突き進む。


 マリアは、その様子を見て「意外に早いッ」と驚いて一瞬出遅れた。走り出した彼女の後ろから、ジーン、ヴァンレット、そして斜め後ろにニールが、同じように剣に指をかけた状態で続く。


 足元に撃ち込まれた銃弾を、ニールが「よっ」と声を上げて軽く跳躍し、遊ぶように宙でくるりと一回転して、着地と同時に走りを再開した。ジーンがちょっと面倒臭そうに、腕に仕込んでいた防具で銃弾を弾いて「なんだかなぁ」とぼやいた。


「うーん、ライフルくらいの威力だと、やっぱ腕にビリビリくるなぁ。俺も歳かねぇ」

「そんなこと言ってる場合か阿呆ッ、というか、あの男めちゃくちゃ速いんだが……!」


 マリアは走りながら、つい素の口調で愚痴るように叫び返した。


 今はオブライトではないとはいえ、戦闘メイドとしても鍛えられた身軽な少女の身だ。短距離なら負けない自信があったのに、全速力で駆けても全然追い付けないのが信じられなかった。ローブで身を包んだままの謎の男は、乱射という状況下で呼吸の乱れや僅かな緊張さえなく、一切速度を落とさずに駆け続けている。


 どの部隊よりも戦場を経験していたから、マリアとて緊張は覚えていなかった。けれど、先に聞かされていた作戦に突如として加わったこの『助っ人』が、あまりにも制御不能に突き進む姿が想定外すぎる。


 不意に、大きな鉄の玄関扉に迫ったローブの男が抜刀した。その刃が日差しに反射して煌めいた一瞬後、目にも止まらぬ速さで剣が外側に振るわれていた。


 まるで大砲でも撃ち込んだかのような爆音が上がり、鉄扉が一刀両断された。荒々しく凶暴に叩きつける怪力の威力も加わって、バキリと凹んで金具が弾け飛び、爆発するように扉ごと屋内目掛けて吹き飛んだ。


 剣一本でなされたとは思えない破壊を前に、銃弾の嵐がピタリと止んだ。


 屋敷のメイン・フロアに集まりかけていたチンピラ風の若者たちが、遮る物がなくなった玄関先で、武器を抱えたまま硬直していた。軍靴で瓦礫を踏みしめ、ゆっくりと屋敷内に踏み込んできたその男を、戦慄した様子で見つめる。


 頑丈な鉄の扉を、剣一本ので吹き飛ばせるような人外じみた男は、一人しかいない。


 マリアは、扉を突破した『謎の男』の後ろ姿を目に留めながら、口角が引き攣るのを感じて「嘘だろ」と呟いていた。ローブの男の覗いた手に握られているのは、最近見た覚えのある金の装飾がされた立派な剣だ。


 謎の男のフードが、片方の手でゆっくりと取られて、黒に近い青味かかった癖のない髪がサラリと揺れた。その場にバサリとローブが脱ぎ捨てられて、王宮でただ一人だけという特注の黒色の軍服が現れる。



「この俺にたてつくとは、いい度胸だ。全員揃って這い蹲らせてやる」



 この世の美を全て集めたような顔に、凶悪な笑みを浮かべてそう言った男は――銀色騎士団の総隊長であるロイド・ファウストだった。


 深い紺色の瞳は殺気立ち、悪意百パーセントのドSさが溢れるその身には黒々しいオーラを背負い、王宮一の大魔王と化していた。よりによってなんで制御がきかない破壊神をここにぶちこんだんだ、とマリアは状況を思って頭を抱えた。


 確かに鉄の扉さえも剣一本で突破出来るので、他に道具も費用もかからない適材適所な人選といえば、そうかもしれないけれど。……この助っ人が大変嫌である。


 マリアは、薄ら笑いを浮かべているジーンの服を掴んで、「というかッ」と激しく揺らした。


「あいつに『殺さない』とか出来んの!?」

「ははは、大丈夫だって。ああ見えても、剣の腕に磨きをかけたドS総隊長様だぜ?」


 ジーンが答えるそばで、ニールが「えぇぇぇ……なんで魔王が助っ人にきてんの」と口に手をあて、ヴァンレットが「やっぱり、ロイドだ」とあっけらかんとした様子で言った。


             ※※※


 とうとう始まった。

 

 宰相ベルアーノは、そんな緊張した想いの中、議会の男数名、そして各部隊の指揮をとる数人と騎馬総帥レイモンド、作戦執行の助っ人メンバーとして指名された師団長のうちの一人である、グイードを連れて総隊長の部屋へと向かっていた。


 これは、国に根付いた大きな悪害の巣の、僅かな一端でしかないだろう。しかし、最後に全て一掃するためにも、一つずつ確実に追い詰めて、周りから根を潰してしていく。――未来の国の、本当の平和のためにも。


 ハーパーの持つ五つのオークション会場のうち、本拠点となっている最大の屋敷をジーン達が。サブ・オーナーである闇商人のジギー・アトゥルがいる隣町の会場といった残り四か所の場所を、ポルペオが率いる第六師団が制圧にあたる。


 既に時計の針は、突入の予定時刻を過ぎていた。現場では事が起こって、数分が経っている頃だろう。


 ベルアーノは、改めて軍人たちの強靭な精神力を尊敬した。彼の胃は、極度の緊張のせいで、昨日の夜から容赦なくギリギリと締めつけられている。そのおかげで、今朝は少しの水でも胃がピキリときて、朝食も入らなかった。


 国王陛下アヴェインが、グイードと呑気に下町の菓子を食べていた様子には、緊張感を持ってくれよと言いたくなった。特に、朝に廊下で居合わせたニールが「寝坊しました!」と、いい笑顔で答えたのを見た時が、一番忌々しかった。


 とはいえ、ベルアーノはあの時、二十歳にしか見えないニールが、腹が減って死にそうだと可哀そうな顔をしたのを見て、持たされていた間食用のサンドイッチを、無言で譲り渡してもいた。


 こいつは本当に空気読まないな、と余計に胃がギリギリとしたし、そのおかげで、ヴァンレットが無事に大臣の部屋に入ったという報告を聞くまで、生きた心地がしなかった。



 後ろにいるレイモンドとグイードが、何やら話している声がチラチラと耳に入ってくる。たびたび「馬が」と出ているので、別件だろうと思われるのだが……。


 何せ先程聞こえてきた『今話したら宰相が倒れるかもしれない』というキーワードが、物凄く気になって仕方がない。出来れば、そういう話は本人がいないところでして欲しい。



 いや、知らないところで勝手にされるのも非常に胃に悪いし、事後報告で「問題が発生していました」と告げられるのも、ダメージがデカいので、出来れば何事も起こさないで欲しいものである。


 そういえば、陛下もやけにニヤニヤとしていたな……?


 ベルアーノは、ふと思い返して疑問を覚えた。自分だけ知らされていない事でもあるのだろうか、と思ったものの、そんな事に思考を向けている場合でもなかったから、今は考えない事にした。


「失礼します。総隊長――」


 そう公式の場での挨拶を口にして、ベルアーノは扉を開けた。これからの進行について確認するため、そのまま言葉を続けようとしてロイドがいるはずの書斎机に目を留めたところで、彼の思考は一瞬ばかり完全に停止してしまった。


 何故か書斎机の前には、普段は続き部屋に置かれているはずの長椅子が置かれていた。そこには、とある男が審判の時を待つかのように、珍しくも両足を揃えて膝の上に形のいい両手を置き、大人しく腰かけている。


 一同と目が合った瞬間、その男が艶やかな碧眼をキラリとさせた。まるで見下しているようにも感じる冷ややかさで、無愛想な表情を向けて形のいい口を開いた。


「総隊長から『現場で暴れてくる』と諸々の伝言を頂いた、総隊長補佐モルツ・モントレーです。きちんとやり遂げますので、まずは私を思い切り蹴ってください」


 そこに座って待っていた男は、王宮一のドM、総隊長補佐のモルツ・モントレーだった。美麗な顔には、表情筋がないと噂されている無表情を張りつかせ、銀縁の細い眼鏡をかけている。


 モルツは相変わらず、邪魔にならないよう横の髪を後ろに流すようにセットし、むさ苦しい軍人のイメージを払拭するほどの清潔感を漂わせていた。ロイドになんと言われて『待て』と命令されたのか、その瞳には期待感が満ちている。


「ちなみに拳でも可です。出来れば縛り上げて転がしたうえで、クズを見るような目を向けて渾身の一撃を頂ければ、ひとまずは満足とします」


 そんなの、絶対に嫌に決まっているだろう。


 己の欲望にだけはとことん忠実なモルツが、「沈黙を続けるよりも行動で示しなさい」と続けて催促してくる様子を見て、一同はそう思った。順にギラギラとした碧眼を向けられた軍人所属のメンバー達は、こいつは何を堂々と嗜好を全面に押してんだよと、胸の中で言葉を揃えてもいた。


 状況を遅れて察したベルアーノは、激しい胃痛が込み上げて「ぐぅ」と腹を押さえた。意識が遠のきそうになるのを感じて、予測不能で好き勝手すぎるこいつらが、本当に嫌だ、と心の底から思った。


 他の男達が、総隊長が現場入りしたらしいと小さく言葉を交わし始める中、ベルアーノが崩れ落ちずに踏み止まったのを見たレイモンドは、モルツへと視線を戻して「何やってんのあいつ」と呆気に取られて口にした。


 そばでグイードが、ピンときた様子で「もしやジーンが言ってたのって、これか……?」と呟くのも聞こえないまま、レイモンドは一同を代表するように室内に足を踏み入れる。


「お前は一体何をしているんだよ、ちょっとは緊張感を持ってだな――」

「私は気を引き締めており、至極真面目ですよ」


 答えたモルツが、揃えた指先で眼鏡の横を押し上げた。


 それを目にした途端にレイモンドは、問題児の後輩に向かって「嘘吐け、悠長すぎるくらい冷静だろうがッ」と一呼吸で言い切っていた。


「お前が余裕なく考えたり、真剣に物事と向かい合っている時は、眼鏡を正面から上げるのは分かっているんだぞ!」


 レイモンドは凛々しい顔をして、これでどうだと言わんばかりに指をつきつけた。勝負で一本を取ったような気分で、得意げな笑みまで浮かべている彼を見て、グイードが「ははっ、やっぱちょっとズレてんなぁ相棒」と呑気に言う。


 悶絶級の胃痛とストレスで腹を抱えていたベルアーノは、どうにか顔を上げて「まるで名探偵みたいな台詞だな……」と諦め気味に呟いた。こんな時に指摘するものでもないだろうに、ちょっと天然が入っているのだろうかと思った。

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