十八章 元黒騎士部隊四人の初任務(1)
シスター、大好きよ、ママみたい。
偽物だって構いやしなかった。
この子たちを守れるのなら、今ある全ての力を使って戦い、殺して、荒くれ者共を追い払う――私はただ、全力で愛したかったのだ。
「どうか無理はしないでおくれ。君に、神の御加護がありますように」
賞金首の暗殺者であった私を助けて、用心棒にと頼んで雇ってくれた、優しい神父様だった。彼がいなかったのなら、守るべき愛する妹を失って絶望していた私は、愛する事でしか生きられない自分ごと死んでしまっていただろう。
神のお導きでしょう、何せ私は随分生きた、人を見る目は持っているつもりだよ……そう言って笑う、優しい老人神父だった。子供たちは皆とても元気で、出会った当時は五歳だった一番上の子の、七歳になった誕生日も共に祝ったのだ。
けれど、あの日、あっけなく全て終わってしまった。
皆殺しだった。たかが土地と権利が欲しいがためだけの襲撃。そして、邪魔な戦争孤児を、奴らは『ついで』に処分したのだ。不運にも不在だった私は、彼らを守る事が出来なかった。
身体中に、持てるだけの銃器を仕込んだ。飛び交う銃弾の中を駆けて、ただひたすらに撃ち続けていた。
愛して、愛して、愛したかった。
だって私には、それしかないのだ。
狂うほどの慈愛でもって『我が子のように』愛したいのである。どうか、成長を見届けさせて欲しかった。
「戦う時は、正面から真っ直ぐ立ち向かう――それが私の戦い方。だから私は、逃げも隠れもしないわ」
マーガレットという名前しかない、非力な女児だった頃の私に、何が出来ただろう。だから私は、妹を殺そうとした両親を撃つために銃を手に取って、それを自分の力にすると決めたのだ。
それは、今でも正しい選択だと思っている。妹を守れず失った時に一度折れかけ、孤児院の子供たちを神父様ごと失って砕けかけたが、それは現在も、私たらしめる誇りとして有り続けている。
馬鹿な女だと嗤うだろうか。
私は、幸せな家庭の女であったのなら、きっと、自分の子供が欲しかったのだろうとも思うのだ。
けれど無理だろうとも分かっている。妹ほどに狂うほど求めて、私がいなければ生きていけないと執着し、がんじがらめに私を愛してくれる人なんて、いるはずがないのだから。
「花の年頃の少女だというのに、ひどいかっこうだ。このまま、死んでいくというのかい?」
全員殺した、悔いはなかった。身体を貫いた弓矢や、刺さったナイフを抜く気力も残されていなかったというのに、廃工場の屋根のないそこで倒れていた私の横に、一人の男が立って、そう声をかけてきたのだ。
こんにちは、と彼は場違いな挨拶を口にして、悲しそうに微笑んだ。ハットを小さく持ち上げて、アノルド・アーバンドであると名乗った。
「…………生きたくないの、どうか、放っておいて」
もう、私から、これ以上の希望を奪わないでほしいのだ。どうせ叶わないのなら、一時の希望なんて見せつけないで欲しい。
だって、愛したって『みんな』壊れて、消えてしまうんでしょう……?
最期だという気の緩みもあってか、堰を切ったように、堪えていた涙がボロボロと溢れて止まらなくなった。くしゃりと顔を歪めて、私は年頃のか弱い少女のように泣いた。
「ただ愛したいの、同じ年月を過ごして見届けたいだけなの、なのに、どうして、どうして…………」
私は狂っているのだろうか、物心付いた頃から変わらず、ただ『我が子のように見返りも求めず、ひたすらに愛したい』のだ。
どうか誰か、それを優しさと勘違いしてくれても構わないから、疑う事なく受け止めて愛させて欲しい。
どうかお願いよ、愛させて。
愛して、愛し続けて、ただ一心に深く愛したい……
「そうであるのなら、今度は君が『特別な女性』として、誰かに激しく求められて深く愛されるといいね。――もしかしたら、君がたった一人の『特別に愛する人』を見付ける未来も、あるのかもしれない」
彼が言っている意味が、分からなかった。
でも、私はそう口にしたアノルド・アーバンドの言葉と、底の見えない深い慈愛が覗く、目尻に年齢皺のあるその薄い藍色の瞳をじっと見ていた。泣き声はやんでいた。
「愛したいのであれば、好きなだけ愛するといいよ。全て受け止めよう」
だから、共に来るかい? と声を掛けられて手を差し出された。
彼から続けて話を聞かされた私の顔は、知らず微笑みに溢れていた。「それでは、生きなくてはいけないわね」と、吐血しながら微笑して――
そして、この私、マーガレットは『旦那様』の手を取ったのだった。
※※※
一日休んだだけなのに、リリーナは婚約者である第四王子クリストファーに、もう会いたくて仕方がないみたいだった。蜂蜜色の長い髪を梳かれてリボンをされている間も、大きな深い藍色の瞳をキラキラとさせて、「クリス元気かしら」とそわそわして落ち着かない様子だった。
ほんと、めちゃくちゃ可愛い。至上の天使である。
こっそり侯爵邸二階の私室前の扉の隙間から、若いメイド達に身支度を整えられているその様子を覗きこんで、マリアは朝一番に、膝から崩れ落ちた。
慌てて支えてくれたのは、令嬢付き侍従である十五歳のサリーだった。その横から、アルバートと共に出勤するため、一度執事長フォレスに事前報告と挨拶を済ませたマシューが、通りがてら立ち止まって「……一体何をしているんですか」と、覗きの一部始終を見ていた複雑な胸中で呟いた。
こっちのネックレスの方が合うだろう、と下の階から持ってきたマーガレットが、「あらあら、鼻血?」と気付いて足を止めた。増えた仕事の手間も嫌がらず、母のように優しい手付きでマリアに応急処置を施し、ついでに指先で彼女の前髪と、ピンと立った頭の大きなリボンを整え直した。
「つかさ、なんで朝一番に鼻血なんだよ?」
「うふふふ、きっと昨日お肉を食べ過ぎたせいね」
「お前に食べ過ぎって感覚とかあるのか? というかッ、上手い事言ったみたいな感じで話をそらすなよな!」
厨房の木箱に腰を降ろしていたギースは、信じられねぇ、と言った。急きょマリアをそこで休ませる事になった経緯を、先程出ていった姉の侍女長エレナに聞かされてからずっと、あんぐりと口が開いたままだった。
朝食の仕上げに取りかかっていた料理長ガスパーが、鍋の様子を見たあと、ギース達の方へ目を向けた。表情筋が弛緩したマリアが、どこか大人びた微笑で「なんて天使なんだ」と、癖のように紳士口調で述べる様子を観察する。
「すげぇ幸せそうなとこ悪いけどな、今日は『そっち』も大事な仕事の日なんだろ? で、鼻血は止まったか?」
「ん? 鼻血? ――ああ、うん、止まった」
なんの事だろうかと眉を寄せたマリアが、遅れて思い至った様子でそう口にしたのを見て、ギースは思わずこう突っ込んでいた。
「お前、ここに来るまでふわふわとした思考でいたのかよ!?」
ガスパーは「まぁそうだろうとは思ったぜ、さすがマリアだ」と言い、それから、今でも料理が全然出来ない『コック見習い』を呼んだ。
おかげで調子は万全だ。今なら、なんでも出来る気がする。
凛々しい顔で厨房を後にしたマリアは、その後、リリーナとサリーと共に、王宮から迎えに来た馬車に乗り込んだ。
王宮に到着すると同時に、案内する近衛騎士が二人を引き受けて、マリアは出迎えたレイモンドに預けられた。伝言係を任されているらしい彼は、歩き出してすぐ、真っ直ぐ大臣の執務室に向かうようにと告げた。
「俺は、ジーンのところまでは行けない。急ぎの用があって、途中でまた別に寄るところがある」
段取りの最終確認をしたら、そのまま『臨時班』として行動する事になると思う。そう口にしたところで、残りの知らせと伝言を続けようとしたレイモンドの口調が、途端に弱くなり、唐突に深い溜息を吐いて片手で顔を押さえた。
すぐには説明を再開出来そうにないようで、今日は騎馬総帥の軍服衣装が重いと言わんばかりに、ゆるくウェーブを描く柔らかな髪をかき上げる。そこには、十六年前には見られなかった白髪が、少し混じっているのが見えた。
複数の事を、同時には器用にこなせない男ではある。マリアは、友人の横顔から覗く人の良い鳶色の優しげな瞳に目を留めて、尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「…………うーん、こんな事を白状するってのも、普段ならあんまりやらないんだけど……少し聞いてくれるか?」
いつだって聞いてきたさ。王宮では、いつも隣にいた。
マリアは、こちらをチラリと見下ろしてきた彼に、小さな苦笑を返した。詳しい事は話せないにしても、自分は『助っ人』として総隊長側に協力している身である。全く事情を知らない訳ではないのだし、きっと大丈夫だからと思って、彼は弱音を吐きたいのだろうと思った。
「いいですわよ、レイモンドさん」
「あ。なんか、ようやく俺の事、自然に『さん付け』で呼んでくれた気がするな」
この前呼ばれた時は、会議に巻き込まれて怒っていた時だった、とレイモンドが思い出したように言った。その後に、呼び捨てでもいいと言っておいたのに、ちっとも呼ばれる機会がなかったのだ、と続ける。
そういえば、そんな事もあったな。
マリアは、友人たちとの迷惑な会議を思い起こした。あの後にジーンに悩みを聞いてもらって、そうしてアーバンド侯爵に時間を作ってもらって話し、『臨時班』として動けるようになったのだ。
そんなに日も経っていないのに、随分前の事にも思える。まったく、このタイミングで、よく思い出したと言うべきか。
これといって特に大事ではない部分なのに、よくそんな細かい部分を覚えていたものだ。
「――さぁ、どうでしょうかね。というか、今はそんな事を言っている場合ですか?」
こっそり困ったように笑って、マリアはそれとなく話をそらすように指摘してやった。いつも大事なところで天然な鈍さを出す事があるレイモンドが、そうだったと気付かされたように「あ」と口にして、弱ったように視線を逃がした。
朝一番の王宮の公共区には、多くの人が行き交っていた。まるで普段と変わらないような冷静さが装われているが、ピリピリとしたほど良い緊張感を孕んだ空気も混じっている。
マリアは元軍人としてそれを感じ取り、少し懐かしくてその様子を眺めやった。ふぅ、と息を吐いたレイモンドが、ようやく口を開く。
「十代の女の子に一本取られるってのも、なんだかなぁ……」
「普段から天然で鈍いところがあるって、町の女の子にも言われていただろ――おっほん。それで、どうなさったのです?」
「今、なんか言ったか? 聞き覚えのあるような、返し台詞を言われた気が――」
「気のせいですわ」
マリアは、目も向けず真剣な様子で、ぴしゃりと言った。
一層人の多い第二広間を横切っていた事もあり、それぞれの話し声が高い天井に反響して静かではなかった。レイモンドは「気のせいか?」と首を傾げ、それから頭を悩ませている問題を再び思い出して「ぐぅ」と呻いた。
「なんというか、昨日、別件で一つ肩の荷が少し降りたと思ったら、また胃がギリギリと締めつけられているというか……深く尋ねてこないでくれると助かるんだが、俺の本音としては、協力者が嫌だなぁ、と」
つい額を押さえて、レイモンドは再び大きな溜息を吐いた。「しかもあの将軍、またどこでどうなって、護衛の任の直談判を……」と口の中で苦々しく続ける。
グイードはめちゃくちゃ笑っていたけど、笑い事ではない。そんな呟きが彼の方から聞こえて、また何かしら騒ぎがあったんだろうか、とマリアは推測して同情した。
「えぇと、その、詳しくは尋ねませんけれど、悩みは一つだけではないみたいですわね……?」
「詳しくは言えないんだが、こう、ついでみたいに本件以外の問題が唐突に浮上するの、マジで勘弁して欲しいとは思ってる。今日の事があるから、すぐには検討出来ないって一旦は保留になったんだけど、許可される未来しか見えないでもいるというか……」
これ以上傷口抉るのもアレだなというくらいに、参った様子でレイモンドが腹の辺りを押さえているのが気になり、マリアは話を切り上げる事にした。どんまい、とは十六年前のように言ってやれないので、軽く背中を叩いてやった。
いつものようにレイモンドが「ありがと」と答え、不意に立ち止まった。
こちらに横顔を向けたままの、彼の優しげな瞳が、少し見開かれるのが見えた。そういえばと、遅れて思い出した何かを考えるように、珍しく深刻そうに黙り込んだが――すぐレイモンドは、小さく首を横に振って緊張を解いた。
「どうかされたんですか?」
「いや、……考えるのって、とことんダメだなぁと思ってさ」
そう言って、彼がチラリとこちらを見下ろしてくる。
元気付けようと思って、マリアは対人の際に好評がある、愛想たっぷりの少女らしい笑顔を浮かべて、あざとい角度に小首を傾げて見せた。すると、レイモンドが「ははっ」と苦笑を浮かべて、「そうだよな考えすぎだし、今は悩む時でもないよな」と、こちらがよく分からない事を口にした。
「身柄の拘束と後の処理に関しては、第九師団が引き継いで行う事になっている。それぞれに騎馬隊の少人数制の班がついて、合計五組が各場所に待機する訳だが。制圧を同時刻に一斉開始、それと共にこちらではロイド――総隊長が、現場制圧以降からなる全ての動きを指示する」
再び歩き出しながら、レイモンドは残る説明について再開した。
どうやら、正午には全て完了している、という段取りとスケジュールであるらしい。逃れられない状況にて要請依頼をかけ、自然な流れで警備隊を巻き込む。そして、ハーパーとその一味全員の身柄と共に、彼らは法的にも完全拘束される運びだ。
「上手くいくといいですわね」
「上手くいくさ。戦争に比べれば、対したものじゃない」
確かにそうだ。マリアは思い至って、なるほど、とこっそり苦笑をこぼした。恐らく、現場で人間を押さえる事が出来ればいいだけで、後の全ての手筈については、もう昨日で完璧に整っているのだろう。
スケジュールも組まれて、誰もがその時を、万全の状態で待っている。各所に事前通達した内容にて、次々に指示と最終許可を出し、予定通りに進んでいるのかを確認しながら見届けるのが、司令席に君臨するロイドの役割になるのだろう。
「一助っ人ですが、しっかりお役に立てるよう、頑張りますわ」
「ジーンからは、無茶はさせないとは言われているが……」
「ええ、無茶は何もありませんわ」
「なんか、こっちを見ないのがすごく気になるんだが」
しれっと言い切って顔をそむけたマリアは、そろそろいつもの廊下が見えてきそうだと目を向けたところで、一昨日にはなかった大きな破損箇所に気付いた。
思わず目を擦ってしまったが、そこで忙しそうに修復作業を行っている職人の姿が消える事はない。
というか、壁がないんだけど。
廊下前の壁の一部が吹き飛んで、ポッカリ穴があいてしまっていた。嫌な記憶が呼び起こされるような、どこか見覚えがある破壊を無視出来ず、マリアは指を向けたうえで隣の友人に尋ねてしまっていた。
「……あの、レイモンドさん、あれって」
すると、すぐに察したレイモンドが、非常に言いづらそうな顔をして、ぎこちなく視線を逃がしながら「実は」と口を開いた。
「…………ロイドが吹き飛ばした。なんか、ヴァンレットがまた地雷を踏んだらしい」
結局、昨日は間に合わなかったようだ。
マリアは思い出して、つい遠い目をしてしまった。『実は昨日、ヴァンレットが町に来ていて、使用人仲間と一緒に遭遇したんですよ』――と言ったらレイモンドの疲労感を増やしてしまいそうな気がしたので、今は言わないでおく事にした。
本音をいうと、例のブサイクで愛らしい馬の件を、先に話してしまいたい気持ちの方が強かった。
こっそり見に行っただけで、騒ぎに発展している訳でも、問題が発生している訳でもないから、落ち着いた頃にタイミングを見計らって、軍馬として調教出来ないか相談したいと思う。
あの立派な身体を持った軍馬については、ニールが言っていたように、もしかしたらポルペオの相棒としても、いい組み合わせかもしれない。
あの鬣や尻尾が、単純に同じ黄金色であるという事も理由にあるけれど、彼自身が素晴らしい能力を持った馬として気に入るんじゃないかな、と、オブライトだった頃に彼と過ごしてきた付き合いから、なんとなく直感的にそう感じたのだ。
「なんか随分とリラックスしているというか、任務とは全く関係ない事を考えている気がするんだが――俺の気のせいか?」
「考えてみれば、馬を見る目だけは同じだったなぁ」
「ちっとも俺の話を聞いてないな。というか、今の俺には『馬』ってキーワードも、結構なダメージなんだが……」
レイモンドは、とある一人の将軍が起こしている二つの問題を思って、疲労と寝不足でズキズキと奥が痛む目頭を押さえ、「……仕事では優秀なんだがなぁ」とこぼして天井を仰いだ。




