第3話 人間VS馬、ドキドキデート対決
「ルールを説明する」
翌朝。
シンガポールの公園。
俺の右には眼鏡女。
左には白馬様。
なぜか二人――いや、一人と一頭の間には、ものすごい緊張感が漂っていた。
「これから私と馬が、それぞれお前とデートする」
「帰っていい?」
「ダメ」
「ブルル」
「白馬様もダメって?」
「なんで馬の言葉分かるんだよ」
「愛かな」
「…………」
眼鏡女が白馬様を睨んだ。
「やっぱりこいつ、早めに潰した方がいい気がする」
「白馬様に手を出したら嫌いになる」
「…………」
一瞬で大人しくなった。
「分かった」
「素直」
「嫌われたくないから」
「…………」
「何?」
「いや」
なんだろう。
こいつ。
最初に会った時より、かなり弱くなってないか?
「と、とにかく!」
眼鏡女が咳払いする。
「制限時間は一時間ずつ。その間に、どっちがお前をよりドキドキさせられるか勝負!」
「判定は?」
「お前」
「俺?」
「当然でしょ」
「じゃあ白馬様」
「まだ始まってねえ!!」
◇
先攻。
眼鏡女。
「行くよ」
「どこに?」
「いいから」
手を差し出される。
「…………」
「…………」
「何?」
「手」
「うん」
「繋ぐの?」
「デートなんだから……普通でしょ」
少し顔が赤い。
俺はその手を見る。
「…………」
「早くして」
「嫌」
「なんで!?」
「恥ずかしい」
「私も恥ずかしいんだよ!!」
眼鏡女が顔を真っ赤にする。
「ヘリで国境越えて追跡するのは平気なのに?」
「それとこれは別!」
「監禁しようとするのは?」
「それも別!」
「変な奴」
「お前には言われたくない!」
仕方なく手を取る。
「…………」
「…………」
歩く。
「…………」
「…………」
何だこれ。
めちゃくちゃ気まずい。
昨日まで追う側と逃げる側だった二人が、今日は手を繋いで歩いている。
「……ねえ」
「何?」
「手、離したい?」
「別に」
「そっか」
握る力が、ほんの少し強くなった。
「…………」
なんか。
普通だ。
普通すぎる。
あのヤバい女と同一人物とは思えない。
「どこ行くの?」
「水族館」
「へえ」
「嫌?」
「いや、好き」
「!」
眼鏡女がこちらを見る。
「水族館がね」
「分かってるわ!!」
◇
水槽の前。
青い光が女の横顔を照らしている。
「綺麗」
「うん」
「…………」
「…………」
女を見る。
女も俺を見ていた。
「何?」
「いや……」
視線を逸らす。
「昨日も思ったけど」
「うん」
「黙ってると、本当に綺麗だよね」
「…………」
「…………」
返事がない。
「おーい」
女は固まっていた。
「……もう一回」
「嫌」
「なんで!?」
「恥ずかしい」
「言われた私の方が恥ずかしい!」
「じゃあいいじゃん」
「よくない!」
女は口元を手で隠した。
耳が真っ赤だった。
なんだ。
結構かわいい。
「…………」
「今、かわいいって思った?」
「思ってない」
「顔に書いてある」
「自意識過剰」
「昨日は口に出したくせに」
「忘れろ」
「一生覚えてる♡」
「怖いな」
「そこはヤンデレだから」
笑った。
俺も少し笑う。
そして。
「ねえ」
「ん?」
「私さ」
女は水槽を見る。
「最初は、お前が逃げるのが面白かったんだと思う」
「最悪」
「うん。最悪だった」
意外だった。
否定しない。
「捕まえたい。自分だけ見てほしい。他の奴なんてどうでもよくなればいいって」
「…………」
「でも昨日、普通に一緒に歩いてみて」
少し間を置く。
「こっちの方が楽しかった」
「…………」
「だから……」
俺を見る。
「もう、追いかけなくても一緒にいてくれるようになったらいいなって」
何も言えなかった。
こいつは危ない。
それは変わらない。
なのに。
今だけは。
「……努力すれば?」
「え?」
「俺、簡単じゃないから」
「…………」
女が笑った。
「知ってる」
その笑顔に。
ほんの少しだけ。
胸が――
ドクン。
鳴った。
◇
「はい終了ぉぉぉぉ!!」
「うわっ!?」
眼鏡女が突然叫んだ。
「一時間終了! よし!」
「何がよし?」
「今ドキッとしたでしょ!」
「してない」
「した!」
「してない」
「した!!」
「証拠は?」
「私の勘!」
「却下」
「ぐぬぬぬ……」
しかし眼鏡女は明らかに上機嫌だった。
「まあいい。勝ったな」
「まだ白馬様が残ってる」
「…………」
女の顔から笑顔が消えた。
「そうだった」
◇
後攻。
白馬様。
「ブルル」
「白馬様〜♡」
「態度違いすぎない?」
俺は白馬様の背中に乗った。
眼鏡女は腕を組んでいる。
「さあ馬。見せてもらおうか」
「ヒヒーン!」
白馬様が走り出す。
「うおおおお!」
風。
景色。
気持ちいい。
「白馬様最高ぉぉぉぉ!!」
遠くから。
「それドキドキじゃなくて乗馬の興奮だろぉぉぉ!!」
眼鏡女の叫びが聞こえる。
白馬様はさらに加速。
「速い速い!」
「ヒヒーン!」
「最高!」
そして――
夕暮れ。
白馬様が静かに歩く。
俺はその背中に揺られていた。
「…………」
穏やかだ。
何も言わなくていい。
何も求められない。
ただ一緒にいる。
「白馬様」
「ブルル?」
「俺さ」
首筋を撫でる。
「こういうの好きかも」
「…………」
「何も喋らなくても、気まずくないっていうか」
「ブルル」
「うん」
白馬様がゆっくり止まる。
夕陽。
風。
白い毛が赤く染まっている。
「…………綺麗だな」
白馬様が振り返る。
「ブルル」
その瞬間。
ドクン。
「…………」
俺は胸を押さえた。
嘘だろ。
まさか。
本当に?
◇
「判定」
夜。
俺の前に眼鏡女と白馬様が並んでいる。
「…………」
「ブルル」
眼鏡女は自信満々。
「まあ、結果は分かってるけど」
「そう?」
「だって今日の私、完璧だったでしょ」
「自分で言う?」
「手繋いだ」
「うん」
「水族館行った」
「うん」
「かわいいって思わせた」
「それは認めてない」
「思わせた!」
「はいはい」
眼鏡女が胸を張る。
「そしてお前をドキッとさせた」
「…………」
それは。
たぶん、本当だ。
「だから」
手を差し出す。
「私の勝ち♡」
「…………」
俺はその手を見る。
そして。
白馬様を見る。
「ブルル」
「…………」
決めた。
「勝者は――」
眼鏡女がニヤッと笑う。
「白馬様」
「…………」
「ヒヒーン!!」
「なんでだよォォォォォォォ!!」
眼鏡女が地面に崩れ落ちた。
「完璧だったじゃん!」
「完璧だったよ」
「じゃあなんで!?」
「白馬様にもドキッとしたから」
「馬に!?」
「夕陽の中で振り返った白馬様が……」
胸を押さえる。
「美しかった」
「知らねえよ!!」
「ヒヒーン♡」
「喜ぶな!!」
眼鏡女が俺の肩を掴む。
「待って! じゃあ私には!?」
「ドキッとしたよ」
「…………え?」
停止。
「今なんて?」
「一回しか言わない」
「もう一回!」
「嫌」
「お願い!」
「嫌」
「頼むから!」
「白馬様、行こ」
「待ってぇぇぇぇ!!」
白馬様と歩き出す。
眼鏡女が追いかけてくる。
「ねえ! どこで!? 水族館!? 手繋いだ時!? 笑った時!?」
「さあ」
「教えてよ!」
「嫌」
「何で!?」
「面白いから」
「性格悪っ!!」
でも。
俺は少し笑っていた。
白馬様の背中を撫でる。
その反対側。
眼鏡女がまだギャーギャー騒いでいる。
「…………」
悪くない。
こんなのも。
そう思った、その時だった。
「――見つけた」
知らない声。
俺たちは同時に振り返る。
街灯の下。
一人の女が立っていた。
「…………誰?」
眼鏡女の表情が変わる。
さっきまでの間抜けな顔ではない。
俺を追い詰めていた頃の――あの目。
「お前……」
知らない女が笑う。
「久しぶり」
「知り合い?」
眼鏡女は答えない。
代わりに。
俺の前へ出た。
「こいつには近づくな」
「へえ」
女が俺を見る。
そして。
「その子が、あなたの新しいお気に入り?」
「…………」
「ふふ」
一歩。
こちらへ近づく。
「じゃあ――」
笑った。
「私も混ぜてよ♡」
「…………」
俺は眼鏡女を見る。
「知り合い?」
「…………」
眼鏡女が、ものすごく嫌そうな顔をした。
「元相棒」
「へえ」
「あと――」
一拍。
「私よりヤバい」
「…………」
俺は白馬様を見る。
「白馬様」
「ブルル?」
「逃げよう」
「賛成」
「ヒヒーン!」
「待ちなさいよ♡」
俺たちは――走り出した。
どうやら。
このドキドキハーレムバトル。
まだ終わらないらしい。




