第2話 私と馬、どっちが大事なの!?
「返せ!! 私のお姫様を馬から返せぇぇぇぇ!!」
シンガポールの街中に、女の絶叫が響き渡った。
「白馬様ぁ〜♡」
「ブルルル♡」
「イチャつくな!!」
俺は白馬様の首に頬を擦りつけた。
あったかい。
柔らかい。
何より――俺を監禁しようとしない。
「やっぱり白馬様だよ。俺が求めていたのは」
「何が!?」
「安心感」
「私にもあるだろ!」
「ない」
「即答すんな!!」
眼鏡女は肩で息をしていた。
何だろう。
昨日まではあんなに恐ろしかった女が、今ではただの負けヒロインに見える。
「私、シンガポールまで来たんだよ?」
「うん」
「ヘリまで用意した!」
「うん」
「白馬も用意した!」
「それはありがとう」
「そこだけ感謝すんな!!」
「ヒヒーン」
「お前も勝ち誇るな!!」
白馬様が俺の頬を舐める。
「えへへ」
「…………」
眼鏡女の顔から表情が消えた。
「……決めた」
「何を?」
「帰る」
「え?」
「日本に帰る」
くるりと背を向ける。
意外だった。
あれだけ追いかけてきた女が、あっさり諦めるなんて。
「じゃあね」
「あ、うん」
「…………」
「…………」
女が止まった。
「…………」
「どうしたの?」
「…………止めないの?」
「え?」
振り返る。
泣きそうな顔だった。
「いや普通さ! ここまで追いかけてきた女が『帰る』って言ったら! ちょっとくらい引き止めない!?」
「気をつけてね」
「他人行儀!!」
「パスポート忘れないように」
「お母さん!?」
「お土産買った?」
「まだ!」
「じゃあ買った方がいいよ」
「普通に旅行相談すんな!!」
眼鏡女が戻ってきた。
帰らないらしい。
「……ねえ」
「何?」
「私と馬、どっちが大事?」
「白馬様」
「せめて悩め!!」
眼鏡女が白馬様を睨む。
白馬様も眼鏡女を見る。
「…………」
「ブルル」
「…………」
「ブルルル」
なんだ、この空気。
「馬」
「ヒヒーン?」
「私と勝負しろ」
「…………」
「何で無視するの!?」
白馬様は俺の肩へ鼻先を寄せた。
「かわいい〜♡」
「くっ……!」
眼鏡女が拳を震わせる。
「お前……私にできないことを平然と……!」
「何の話?」
「私が顔近づけたら逃げるじゃん!」
「怖いから」
「馬は!?」
「かわいいから」
「私だってかわいいだろ!!」
思わず眼鏡女を見る。
「…………」
「何」
確かに。
黙っていればかなり綺麗だ。
眼鏡も似合っている。
白いスーツも妙に様になっている。
ただ。
「性格が」
「そこから先言ったら監禁する」
「ほらそういうところ」
「…………」
女は黙った。
そして突然、眼鏡を外した。
「じゃあ」
「?」
髪を整える。
白いスーツの襟を直す。
「今から私は、お前を追わない」
「ほう」
「捕まえない」
「ほうほう」
「脅さない」
「おお」
「監禁もしない」
「どうした。熱でもある?」
「殴るぞ」
「もう破ってるじゃん」
「…………」
深呼吸。
「とにかく!」
俺を指差す。
「正攻法で、お前を振り向かせる!」
「へえ」
「そして証明する」
次に白馬様を指差す。
「私がそいつより魅力的だって!」
「ブルル?」
「覚えてろよ馬!」
白馬様は草を食べ始めた。
「聞け!!」
こうして。
俺を監禁するはずだった超危険ヤンデレ女は――
なぜか馬を恋敵として認識した。
◇
「まずデートだ」
「嫌」
「早い!!」
翌日。
俺たちはシンガポールの街を歩いていた。
俺。
眼鏡女。
そして――
「何で馬も来てんの!?」
「白馬様と離れるなんて無理」
「デートだって言っただろ!?」
「だから三人で」
「三角関係を物理的に完成させるな!!」
「ヒヒーン♡」
「お前は嬉しそうだな!!」
眼鏡女は頭を抱えた。
「……いい。逆に考えよう」
「何を?」
「馬の目の前で、お前を落とせばいい」
「できるかな?」
「できる」
即答。
そして俺の前へ回り込む。
「今日は私が全部エスコートする」
「ほう」
「行きたいところは?」
「競馬場」
「お前わざとだろ!!」
◇
結局、普通に街を観光した。
飯を食べた。
景色を見た。
買い物をした。
驚いたことに、眼鏡女は本当に何もしてこなかった。
「…………」
「何?」
「いや」
隣を歩く女を見る。
「普通にしてれば、普通なんだなって」
「……何それ」
「褒めてる」
「褒め方下手すぎ」
だけど。
少し笑った。
初めて見る笑い方だった。
追いかけている時の不敵な笑みとは違う。
普通の女の子みたいな――
「……かわいい」
「え?」
しまった。
口に出た。
「今なんて?」
「何も」
「言った!」
「言ってない」
「かわいいって言った!」
「幻聴」
「言ったよね!?」
「白馬様が」
「馬に喋らせんな!!」
白馬様を見る。
「ブルル」
「ほら」
「何が『ほら』だ!!」
だけど女は嬉しそうだった。
少しだけ。
本当に少しだけ。
こいつなら――
そう思いかけた。
その時だった。
「ねえ」
「ん?」
女が急に真顔になる。
「今日、一日一緒にいて分かった」
「何が?」
「私は間違ってた」
「おお」
「追い回して、閉じ込めようとして、無理やり自分のものにしようとして」
「ようやく反省したか」
「うん」
女は微笑んだ。
「だから――ちゃんと好きになってもらう」
「…………」
俺は少し驚いた。
「それなら……まあ」
「でしょ?」
その笑顔を見て。
俺も、ほんの少し笑った。
その横で。
「ブルルル……」
白馬様が俺と女の間に割り込んできた。
「うわ」
「…………」
眼鏡女の笑顔が消える。
「馬」
「ブルル?」
「今、いいところだったよね?」
「ブルル」
「わざと?」
「ヒヒーン♡」
眼鏡女のこめかみに青筋が浮かぶ。
「…………上等だ」
「おい」
「決めた」
白馬様と真正面から向き合う。
「明日、決着つけよう」
「何の?」
女は眼鏡を押し上げた。
「私と馬――」
ビシッ!
俺を指差す。
「どっちがお前をドキドキさせられるか勝負だ!!」
「ヒヒーン!!」
「白馬様、受けるの!?」
どうしてこうなった。
俺は空を見上げた。
シンガポールの夜空は、今日も綺麗だった。
その下で。
「負けないからな、馬!」
「ヒヒーン!」
女と馬が、俺を巡って争っている。
――帰りたい。
いや。
日本に帰っても、たぶんこいつら付いてくる。
俺の平穏は、もう戻ってこないのかもしれない。
次回。
人間VS馬。
俺を巡る、世紀の恋愛決戦が始まる。
「……何なんだよ、このラブコメ」




