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何度やり直しても、あなたが私に恋をしてしまうんですが  作者: 山本依由加


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第41章 公開

 午前零時。楓の指がキーボードの上を走りはじめた。


 K12計画の隠蔽システムは予想以上に堅牢だった。幾重もの暗号。罠のように仕込まれた逆探知。そして侵入を察知した瞬間に牙を剥く、上層部のカウンタープログラム。アールが回線を切り替え、楓が穴をこじ開け、こじ開けたそばから塞がれていく。瞬きひとつの隙が命取りになる攻防だった。


『火力が足りません。正面からでは押し負けます』


「分かってる。……搦め手でいくわ。アール、囮の信号を七番から流して」


 モニターの光が楓の眼鏡に目まぐるしく反射する。久しぶりの本物の戦場。けれどその胸にあるのは、昂りではなく祈りに近い何かだった。


 画面の中を無数のコードが滝のように流れ落ちていく。楓はそのひとつひとつを、視るより先に指で捌いた。澪を喪って以来——幾度も巻き戻る世界で、この指先だけを武器に国家の嘘を暴き、その裏に葬られた者の名を拾い上げてきた。怪盗エルの最後の舞台。ここで負けるわけにはいかなかった。


『敵性アクセス、増加。第三層、突破されます』


「させない。——そっちは囮。本命はこっちよ」


 罠を罠で噛み合わせ、相手の追跡を自分の影へ誘い込む。指がもつれれば、それで終わり。息を詰めて楓は鍵盤を叩き続けた。


*


 同じころ、街の各所で。


 廃ビルの一室から、岬は近づいてくる公安車両のヘッドライトを見下ろしていた。中継点をひとつでも潰されれば、楓の回線は寸断される。それだけはさせない。


「岬さーん、右の路地から二人ですぅ。足音、けっこう急いでまーす」


 インカム越しの佳澄の声に、岬は短く応じる。


「了解。久賀、そっちの中継器は」


『生きてるよ。財閥のバックボーンは伊達じゃないんでね』


 軽口の裏で久賀の声も張りつめていた。岬は身を低くし、迫る足音のほうへ向かっていく。かつて“規律の番犬”と呼ばれた男が、いまはその規律を破るために走っていた。


 路地の角で追っ手の二人と鉢合わせる。岬は相手が銃に手をかけるより早く懐へ踏み込み、一人を当て身で沈めた。もう一人がひるんだ刹那、肘を叩き込んで黙らせる。荒い息を整えながらインカムへ短く告げた。


「中継点A、確保。久賀、あと何分稼げばいい」


『楓の進捗しだいだ。……こればかりは、信じて待つしかないな』


 信じて待つ。柄でもないことを、と岬は口の端で笑った。それでも、いまの自分にはそれができる。


*


 アジトのモニターが次々と赤く染まっていく。


『……劣勢です。向こうの逆侵入を抑えきれません。残り回線——一本です』


 アールの声に初めて焦りがにじんだ。楓の指が止まりかける。ここまで、なのか。


 その瞬間だった。


 閉ざされていたはずの最深部の扉が、内側から音もなく開いた。


『……“特別開示フラグ”による全階層の開放を確認。——誰かが、内側から鍵を開けました』


 楓は息を呑む。“特別開示フラグ”——そんな最上位の権限を握れる人間は、第七課でもほんの一握りしかいない。そして、あの雨の夜の言葉。「最後の扉の開け方を知る人間は、案外、近くにいる」。点と点がひとつに繋がった。


 鬼島だ。あの男が墓守であることをやめ、こちら側に賭けたのだ。


 堰を切ったように、K12計画の全記録が世界へと流れ出していく。隠された被験者の名簿。改竄された死因。久賀財閥の出資記録。そして何十人もの、葬られた子どもたちの名前。報道とSNSの奔流が、一夜にして国家の闇を呑み込んでいった。


 数十年も闇に葬られてきた子どもたちの名が、いま世界じゅうの画面にひとつずつ灯っていく。LF-05。LF-07。そして——LF-11、緒方澪。もう誰にも、なかったことにはできない。楓の指が震えた。これであの子たちは、ようやくこの世に“いた”ことになる。誰かの記憶に刻まれる存在になるのだ。


 そして、その奔流の底からアールがひとすじの音声を拾い上げた。


『楓さん。……復元できました。澪さんの、記録の続きです』


 暗いモニターから、途切れていたあの声が——妹の声が流れ出した。


『お姉ちゃんに、言いたいことがあるの』


 あの日、闇に閉ざされていた言葉のその先。


『——なんてね。お姉ちゃんは、止めたってどうせ追いかけてきちゃうでしょ。だったら、もう、ちゃんと幸せになってよ。わたしの分まで……恋とか、してさ』


 楓の頬を、熱いものが止めどなく伝った。


 自死なんかじゃない。あの子は最後の最後まで生きようとしていた。そして、いつか自分を追ってくるであろう姉のことを、ただ案じていたのだ。幸せになって、と。恋をして、と。


 崩れるように、楓はモニターの前で膝をついた。妹を喪ってから誰にも見せずに抱えてきたものが、堰を切ってあふれ出す。ごめんね。守ってあげられなくてごめんね。気づくのがこんなにも遅くなって。——でも、ありがとう。最後の最後まで、わたしを想っていてくれて。


 涙でにじむ視界の中、妹の声がもう一度、やさしく響いた気がした。


 恋を、して。


 その一言が、楓の中で凍りついていた何かを根こそぎ塗り替えていく。真実を暴くこと——それだけがずっと自分の生きる理由だった。復讐のように、罰のように、ただ前だけを見て走ってきた。けれど澪が本当に願っていたのは、そんなことではなかったのだ。


 ならば。


 楓は濡れた目元を拭い、まっすぐに前を見据えた。真実は暴いた。あの子の名も世界に返した。なら次は——この呪いを終わらせる。もう一度、自分が誰かを心から好きになるために。


 歓声と混乱が世界の遠くで渦巻いている。けれどいくら待っても、世界は歪まなかった。あの白い光も、真空の静けさも、訪れない。


 ふいに、毛布にくるまっていた結が窓のほうを見て身を硬くした。


「……楓さん。だれか、見てる」


 その視線の先。雨に煙る夜の向こうに、ぼうっと——朱い鳥居の影が浮かんでいた。


 女神。すべての元凶がついに自ら姿を覗かせた。逃げも隠れもせず、ただこちらを静かに見ている。試すように。あるいは誘うように。


 楓は濡れた頬を拭い、ゆっくりと立ち上がった。膝の震えは、もう止まっていた。澪の遺した言葉が、まっすぐに背を押している。


 行こう。最後の決着をつけに。


「結。……手を、貸してくれる?」


 問いかけると、少女は楓を見上げ、こくりと力強く頷いた。その瞳に、もうおびえの色はなかった。


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