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何度やり直しても、あなたが私に恋をしてしまうんですが  作者: 山本依由加


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第40章 予告状

 その夜、アジトには、ぴんと張りつめた空気が満ちていた。


 澪の最後の言葉が、あの封印された施設の奥に眠っていること。墓守だった鬼島が、暗にこちらの背を押したこと。そして、上層部がもう、こちらの動きに勘づき始めていること。——集まったすべての糸が、ひとつの方向を指していた。記録ごと闇に葬られる前に、すべてを表に出すしかない。もはや、猶予はなかった。鬼島の「仕掛けるなら早いほうがいい」という言葉が、まだ耳の奥に残っている。


 楓は、モニターの光を背に、ひとりひとりの顔を見回した。久賀、佳澄、岬、そして結。素性も、傷も、年齢も、何もかもばらばらの五人。半年前の自分なら、誰ひとり、この部屋に入れることはなかっただろう。怪盗エルは、本来、ひとりで動く影だったのだから。それでも、いまや同じ一艘の船に乗っている。


 この公開が成れば、封じられた澪の最後の言葉にも、ようやく手が届くかもしれない。その先に何が待っているのか——すべての元凶であろう、あの女神のことは、いまはまだ、あえて考えないようにした。一歩ずつだ。まずは、目の前のこの一手に集中する。


「決めたわ」


 声に、迷いはなかった。


「怪盗エルとして、最後の仕事をする。——K12計画の、全記録を、世界に公開する。あの施設で、子どもたちに何があったのか。誰が手を汚し、誰が見て見ぬふりをしたのか。何ひとつ残らず、白日のもとに晒す」


 久賀が、まっすぐに頷いた。


「うちの——久賀財閥の罪ごと、公開してくれ。手加減は、いらない」


 昨夜、自分の根が罪と地続きだと知ったばかりの男の声は、それでも、もう震えてはいなかった。


「僕が“理想の子ども”だともてはやされた、その裏で潰されていったものを、一片残らず、表に引きずり出せ。財閥の名がどうなろうと、構わない。……それが、いまの僕にできる、たったひとつの償いだ」


 御曹司が、自分の生家の名を、自らの手で焼こうとしている。その覚悟を、楓は黙って受け取った。


 佳澄が、にっと笑ってみせる。


「やぁっと、ですねぇ。私の、“なんで私たちだったの”っていう問いの答え……いっしょに、見つけにいきましょ」


 軽い口ぶりの奥に、十数年抱えてきた渇きが、確かに滲んでいた。結も、毛布を握ったまま、こくりと頷く。その目には、もう、おびえだけではない覚悟が宿っている。


「……わたしも、ちゃんと、やります。みんなと、いっしょに」


 たどたどしい、けれど芯の通った声だった。覚醒したばかりの、何も持たなかったはずの少女が、自分の言葉で、自分の意志を口にしている。その成長が、楓には何よりも眩しかった。


 岬は、少し離れたところで、無言で拳銃の弾倉を確かめていた。事情のすべてを知った上で、もう公安の側へは戻らない——その引き締まった背中が、何より雄弁に、彼の答えを語っている。楓は、その背に、声をかけなかった。かける必要が、なかった。


「アール。——予告状を、出すわ」


『承知しました』


 アールの声が、どこか誇らしげに弾んだ。


『文面は……いつものように、芸術的に、でよろしいですか』


「ええ。予告は、芸術の一部だもの」


 久しぶりに口にした、怪盗エルとしての矜持だった。世間を欺き、当局を出し抜き、ただ真実だけを盗み出す——その流儀で、最後の幕を上げる。


 数分後。世界じゅうのニュースサイトと、無数のSNSのタイムラインに、まったく同じ一文が、一斉に躍り出た。


 《三日後、午前零時。国家計画“K12”の全記録を公開する。葬られた子どもたちの名を、ひとつ残らず、世界に返す。——怪盗エル》



 反響は、一夜にして爆発した。


 《#怪盗エル》《#K12って何》。憶測と陰謀論が飛び交い、当局はすかさず「事実無根の悪質なデマ」と火消しに走る。けれど、その火消しのあまりの素早さと必死さが、かえって人々の疑念に油を注いでいった。元被験者だと名乗る匿名の投稿が、ひとつ、またひとつと現れては、現れた端から消されていく。その不自然な消え方が、さらなる憶測を呼んだ。世界はまだ何も知らない。けれど確かに、何かが暴かれる前夜の気配だけを、人々は嗅ぎ取り始めていた。なぜ、ただのデマにここまで躍起になるのか——と。


 国家公安局第七課にも、ただちに厳戒態勢が敷かれた。資料の山に埋もれた作戦室で、徹夜明けの三國が、誰にともなく呟く。


「……三日後、か。岬さん、ここんとこ全然つかまらないし。なーんか、いやな予感しか、しないんすよね」


 その背後、課長席で。鬼島は、机上の端末に表示された一枚の権限証——“特別開示フラグ”の管理画面を、身じろぎもせず見据えていた。承認ボタンの上で止まった指が、動かない。何を考えているのか、その厳めしい横顔からは、誰にも読み取ることができなかった。



 そして、約束の夜が来る。


 アジトじゅうのモニターが、ずらりと一斉に光を灯した。回線が整っていく無機質な電子音だけが、部屋に響いている。楓は深く息を吸い込み、キーボードの上に、そっと指を置いた。


 すぐ隣には、岬。後方には、久賀と佳澄。そして、毛布にくるまった結が、祈るように両手を握りしめている。誰もが、それぞれの理由で、この夜にすべてを賭けていた。


 久賀は財閥のIDで、深部の電子錠をこじ開ける係。佳澄は感知で、近づいてくる人影をいち早く察する係。結はいざというときのため、ただじっと、力を温存して待つ。そして岬は、楓のすぐ隣に陣取り、銃を握って、外からの脅威に備えていた。役割は、ばらばら。けれど、向かう先は、ひとつだ。


「みんな、ありがとう。——必ず、終わらせる」


 短く告げて、楓は前を向く。


『全回線、準備完了。対象サーバー、捕捉。……いつでも、どうぞ。楓さん』


「——行きましょう。怪盗エル、最後の仕事よ」


 午前零時。


 怪盗エルとしての、最後の戦いが、いま、静かに幕を開けた。


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