第二十章
現在は東京、丸の内の二重橋ビルにある日本外国特派員協会ですが、2000年当時は有楽町電気ビルという、たしか駅前じゃなかったかな…、そこに、ありました。ですので、本作でも電気ビルが舞台となっています。
2000年8月22日。
東京は有楽町にある日本外国特派員協会が、とある主催会見を開いた。
招かれたのは、以下の3名である。
一人は大河内製薬会長、大河内清偵。
一人は同社長、青木宏。
さらにその傍らには副社長、遠藤正一。そして通訳と、弁護士の姿もあった。
清偵と青木が同じテーブルに付くやいなや、清偵が青木の手を取り、小声で一言二言声をかけ、肩をぽんぽんと叩くと、青木が肩を震わせ、どうも泣いているようだった。
一斉にカメラのフラッシュが焚かれた。
その様子を、スタッフに身を扮した入谷と荒松が、会場から最も遠く離れた扉のそばで見ている。
そして、まどかと恵、雪乃は……。
「あぁーー……天国…。」
雪乃がソファで、まるで干物のように伸びている。
「はじまった?」
そこへまどかがお盆にお菓子と冷たいお茶を載せ、部屋へと入ってきた。
ここはまどかの自宅のリビングである。
「あ。言うてくれたら手伝ったのに。」「んーん。大丈夫。」
雪乃と同じように伸びていた恵がガバっと起き上がったが、まどかはかぶりをふった。
「はじまってるで。」
雪乃も起き出し、テレビを指さした。
ブラウン管の向こうでは、先ほどの感動シーンが生中継されているようだった。
「…良かった。二人とも、顔色良うなってはるわ…」
まどかがぽつりと言った。
恵と雪乃は思わず顔を見合わせたが、ややあって雪乃が、「あんたもな。」と肩を叩いた。
「…そう?」
「うん。よう頑張ったで。まぁみんなそうやろけど。」
雪乃は、ニカっと笑った。
「…はぁー…こうやって三人でだらけてると…」
恵がポテトチップスに手をやりながら、「…今回の一件、これで終わったんやね…。実感するわ、ほんま。」
「そうやね…。正確にはまぁまだ色々と残ってるんやろけど、もう黒ウサギ(うちら)の手は遠く離れたね。」
「もう近寄ってこんでええわ…」
まどかが実感とともにそう口にすると、「ほんまそれな。」と、恵と雪乃は思わずまどかの肩を叩いて笑ったものである。
「まず本日は、お招きくださった特派員の皆様に感謝を申し上げます。そして、この困難で、命の危険もあったこの状況を耐えてくれた当社社員の皆様にも、多大なる感謝と敬意、そして、心より、お詫びを申し上げたいと思います。』
会見冒頭、青木はたどたどしい英語でこう言うと、傍らの大河内清偵も共にして立ち上がり、深々と頭を下げた。そして通訳がそれを話し終わった後は日本語に戻し、
「次に、この度私青木と、会長の大河内ですが、無事元のポストに就いておりますことをここにご報告申し上げたいと思います。現場におられます社員の皆様、またお取引先のお客様、株主の皆様、その他周囲の皆様には、多大なるご心配をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。」
こう言うと、青木と大河内は再び、深々と数十秒間頭を下げた。
煌々と明滅するフラッシュの光。
「それではここで私から説明をさせていただきます。私、酒田明憲と申します、この度の事件に伴います、訴訟数件分の弁護団の団長をさせていただいております。」
酒田明憲、と名乗ったその初老の弁護士は続けて、「結論から申し上げますと、今回お二人と申しますか、当該株式会社、大河内製薬株式会社は、不正登記変更…つまり、虚偽の株式総会議事録の作成等により、不正に取締役をクビにされ、会社が乗っ取られてしまっておりました。当事件は、今年6月に発生しております。また、その月の初めに、お二人は自宅、ないし大阪府内の某所に拉致・監禁されてしまっており、また、他の8名の取締役についても、従わなければ家族がどうなるか分からないレベルでも脅迫を受けており、さらに警察が全く捜査をしてくださらず、動くに動けなかった、ということのようです。」
「失礼いたします。」
記者の一人が手を挙げた。
「どうぞ。」
「もう少し詳細に教えていただきたいのですが。まず大河内製薬会長監禁事件、これとは別に、社長の青木さんも拉致監禁され、さらに会社の方は登記変更され乗っ取られてしまっていた…と仰ってますか?」
「そうです。」
青木が応えた。即答である。
場内が混乱にどよめいた。「えっ…?」「は??」などの声を、途切れ途切れにマイクが拾っている。
「警察は何故動かなかったのでしょうか。」
「それは…。」
青木は言い淀むと、弁護士の酒田と名乗る男と二言三言、言葉を交わし、「この事件の主犯が、国外の人間で、相手の国が身柄の引き渡しに応じてくれなかったからです。警察は動いていたとは思いますが…こちらからは分からなかったですね。」
「では、その主犯と仰る者とは何者なのか。現在、刑事訴追等警察による捜査はどのような状況になっているのか。また、そもそも何故、このような事となるに至ったか、お話しできる範囲で結構ですのでお願いします。」
その記者はずばりと切り込んだ。
大河内と青木、そして酒田はまた顔を突き合わせて話をしていたが、ややあって青木がマイクを取った。
「えー…まず今日の主な議題である当社社長の監禁事件をはじめとする一連の事件ですね。これの主犯が誰か、というご質問ですが、これは現在、警察による捜査が入っている関係でお話しできません。ただ、『氏名は明かしてはならないが、身分等は話しても構わない』旨許可を取りましたので、お話させてください。
まず、この一連の主犯ですが、今回の監禁事件で逮捕となった石川直子容疑者ではありません。他にも数名が逮捕されていますが、彼らはただの実行犯とのことで、主犯は別に居ます。国籍はロシア。そして、職業は、外交官。」
この単語に、会場は今度こそ大混乱となった。
「このために、今日まで捜査が遅れたのです。何せこの身分には外交特権というものが付く。犯罪を犯しても、摘発も逮捕も出来ないのです。捜査本部はずっと、外務省を通じて捜査への協力、及び彼らの身柄引き渡しを求めてきたとのことでした。しかし、全くそれには応じてもらえなかったとのことで…。
しかし、今月に入って事態は急展開を迎えました。突如、相手国の方が、『外交官としての職業はく奪と、身柄の引き渡しに応じる』と言ってきたのです。そのおかげで、私と会長は今このテーブルに付くことが出来ています。
私がお話しできるのはここまでになります。詳しくは明後日でしたか…に、警察の方がですね。会見を開くとの旨連絡をいただいております。あとはそちらで、聞いていただけますか。」
青木は記者を見つつ、続けた。
「次に二つ目ですね。先ほどお答えした通りです。捜査は、入っております。不正登記変更の件についても、こちらから被害届を提出しており、今訴訟等の手続きに入っております。
あとは三つ目ですね。このような事件となるに至った経緯について、これからお話したいと思います。
発端は、去年の11月に合同研究をしていた研究室から、『遺伝子組み換えと培養を組み合わせたところ、新種の水仙の発現に成功した』との一報からはじまりました……」
こうして、ここまで、荒松ら第四班と二班が力を合わせて、その足と頭で調べていった内容が、青木本人の口から世間へ暴露されていく。
新種の水仙の花がこの世には存在しない色…真っ黒であったこと。そこから精製された、Black Narcissusという白色粉末が、例の進行性の難病の特効薬となる可能性が出てきて、一躍時の人となったこと。しかし、治験に参画した自社所属のマラソン選手、アリシア・ミラーが死亡。その後の詳細な調査により、あの薬物にはあの難病の特効薬となる代償に依存性と心停止のおそれという、おそろしい副作用が現れることがある、ということが判明したこと。
そして、1月31日。イサークと名乗るロシア人外交官数名が本社へやってきて、『あの黒水仙に関するデータと現物を速やかに渡していただきたい。さもなくば…』と恐喝をかけてくる。
青木は拒絶。すると翌月の2月16日、黒水仙の発見者で大学教授の菅原隆義ご夫妻に対し、彼らはいとも簡単に手をかけた。
たまりかねた会社は死にもの狂いで、菅原氏の配下にいた学生、そして菅原氏のご家族を助けるため必死に動いた。
その間にも、イサーク、そして柳枝会による恐喝、監視は日々厳しいものとなっていく。
この時、荒松達も知らなかった『イサークがどのような手を使って、社長室の面々を脅していたのか』も、詳しく語られていくこととなった。
「ある日、彼は写真と書類を、社長室の机にばらまいて見せました…」
青木は言った。「そこには、社長室に在籍している全ての社員の家族構成と氏名、年齢、現住所までがびっしりと書かれていたのです。それで、ビデオを一本渡されて『見ろ』と言われ、見ると…うちの娘の登校する後ろ姿がはっきりと映っていました…。
彼はテープを止めると、私にこう言いました。『彼女は今、ここの学校にいらっしゃいますね?今うちの者に見てもらっているのですよ。今から2分以内にこの書類にサインをしないと、彼女の身体は散弾銃で穴だらけになってしまいます。ああ、今クラスメイトも一人、一緒だそうですよ。それは良い。その子も巻き添えにしましょう。貴方のそのくだらない抵抗のせいで、無関係な人間が死ぬのです。さ、どうなさいます?』と…。」
恵は何度となく頷いた。そして誰にともなく、「なるほどな…」と口にした。
…なるほど。この手法で、社長室の面々は言いなりになってもうたんや。
何せ、家族が人質に取られているのだ。しかも彼らには外交特権があるから、警察も動いてくれん…ということを、社長室の人たちは肌で感じている。これは動けへんわ。
「ゆきちゃん。個人情報って、こうやって悪用されるんやね…」
まどかが雪乃を見た。
「…うん。これは…参ったやろなあ…」
雪乃は、茶髪の髪をがしがしと掻いた。
そうこうして話は、いよいよ6月に起きた事へと入っていった。
3人はテレビで見ているからソファでだらけて、なんならテーブルにはポテトチップス(うすしお味)とお茶が置かれていてリラックスした雰囲気だが、それでも現地の緊張感は画面からひしひしと伝わってきている。
ここでの話も、恵が入手した下山手文書に記載されていた時系列と、内容はほぼほぼ合致していた。
2000年6月14日。
この日、奈良の研究所に隠してあった黒水仙の苗一鉢と、Black Narcissus、100mgが強奪された。
しかし本社の社長から指示を受けていた研究所の職員は、彼らが来るやいなや、この物質に関するデータ、しかもそれが保管されていたパソコンとサーバーに緊急用の斧を振り下ろし、全てを粉々に破壊してしまったのである。
案の定、イサークらは激高した。
そして、職員2名を死亡に追い込んだ挙句、その翌日には報復として社長の青木が拉致。そして会長の大河内清偵ご夫妻が自宅に軟禁されてしまう。
「データを破壊させるのは、本用に苦渋の決断でした。あのデータによって、あの難病に苦しめられている一万人の命が救えるかもしれない。それを失うというのは、本当に身を切るようなつらさでした。しかし、奴らにだけは、渡すわけには行かなかった…あれを、脱法ドラッグやアスリートへのドーピングとして悪用され、流通されてしまうのだけは、何としても止めねばなりませんでした…幸い、あの黒水仙の培養は簡単ではありません。それをやるには、菅原研究室の手を借りなければ、とても出来ません。なので、あの二つはくれてやると、そういう方針としたのです。しかし結果としてそれは…悪手でした。結果、彼らは怒り狂った末、職員二名が死亡、私と会長は拉致監禁…。また、犠牲が出てしまったのです。
あとは、ご存知の通りです。7月の末に会長、そして数日後に私が救出され、今に至ります。」
「ありがとうございました。」
その若い記者は、ようやく引き下がった。
そして質疑応答がいくつか続き、20分ほどすると、それも無くなった。
「…それでは、ここまでとさせていただきます。」
酒田がマイクを手に取り、こう言うと、「会長、何かありますか。」
「あー…あぁ。うん。」
大河内清偵は少し考えるそぶりをしていたが、頷いて、マイクを受け取った。そして。こう切り出した。
「皆様。改めまして、この度はこのような説明の機会を設けてくださり、心より感謝申し上げます。
経緯についてはここまで青木君と酒田君が話した通りですが、二点ほど、補足をさせていただきたい。
あの黒水仙から生み出されたBlack Narcissus。」
こういうと、大河内は、スクリーンに映しだされた黒水仙の写真に目をやり、「あれは、例の進行性の難病の特効薬となる可能性があったために治験に踏み切ったものであり、スポーツ選手に対するドーピングや、薬物中毒者を出すことを目的としたものではありません。これは、強く申し上げておきたい。
アリシア・ミラーさんは、実はあの難病に侵されておいででした。余命の宣告もされておられたのです。彼女は、藁をもすがる思いで、あの治験に参画してくださった。
最後に、世界ドーピング防止機構…WADAの皆様に、お願いがあります。
何卒、このBlack Narcissusを含めたカチノン系薬物について、ドーピングの規制対象に加えていただきたい。尿検査で引っかかるはずです。また、6月に奴らが会社から強奪したBlack Barcissusが、7月になってこちらの手に戻って来たのですが、使われた形跡がありました…、6月から7月にかけて開催された国際大会。再検査をされた方がええんやないでしょうか。」
この会見は、正に世間を揺るがすものとなった。
そして、結果として、日本の警察と外務省に、非難が集中した。
一つは、何人もの人間が殺され、脅迫され、会社が乗っ取られるという日本の社会の根幹を揺るがすような重大な事件にもかかわらず、逮捕も摘発も出来なかった、しなかった、という事実に対するものだった。実際彼らは何もしなかった、というわけではなかったのだが、それでも外交特権を理由にこのような凶悪犯を野放しにしたという結果になったことは否めない。
そしてさらに、この世論の火に油を注ぐような出来事が、この会見の数日後に起こることとなる。
ロシア当局は、たしかに、イサークら4名の身柄の引き渡しに応じた。
そして、引き渡そうとしたが、日本の警察はその引き取りに失敗したのだ。…つまり、
取り逃がしたのである。




