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第十九章

大河内製薬社長、青木宏氏奪還作戦。



 さて。

 こうして荒松はひとまずミッションの一つ目、『大河内清偵氏、及び妻政子氏の保護』を成功させた。

 次なるミッションは、社長、青木宏の身柄の保護である。

 正直なところ……。こちらの方が難易度としてははるかに高いように荒松は感じた。また、その考えはメンバー全員で、一致していた。

 現在、彼の身柄は大阪は豊中にある、在大阪ロシア総領事館の4階の一室に監禁されている。

 窓は、はめごろしの一か所のみ。

 扉は何故か、厚さ30cmはある防音用か防火用か何かの扉に、鍵はセキュリティーの高そうなカードキーだ。おまけに指紋認証という念の入りようである。

 当人は身体の拘束こそはされていないものの、この4畳半ほどの狭さの部屋から、ほとんど出してもらえていないらしい。食事、トイレなどは不明だが(少なくともこの部屋にトイレは無いことから、定期的に出してもらえてはいるのではないかと思われる…しかし、その時だけとなると…)、かなり酷い扱いである…まるで監獄に入れられた囚人のようだった。

 それもあって、荒松はまず、先に自宅に軟禁されていた大河内清偵ご夫妻から当たることにしたのだ。そして柳枝会をゆさぶり、イサークらとの内紛を図る、という作戦だった。

 効果はてきめんだった。

 あの一件で逮捕された石川直子は殺人犯だったが、彼女は柳枝会の幹部…あの組織の発起人の一人でもある。200人近い、構成員の衝撃は相当だったようだ。その証拠に、あの逮捕劇の翌日には大河内製薬の社長室にいたマルクの元に柳枝会の人間が大勢詰め寄り、大変な混乱に陥ったという。おそらく、この混乱に乗じて監視の目が無くなった取締役の人間も一斉に動いたはずだ……。

 さらに金枝が動いてくれた、例のリブニツキ側の人間、そして小野田隆之とのやり取りもある。

 間もなくあちらも動き出し…やがてイサークは文字通り、まるはだかになるはずだ。

 青木の体力、気力ももう限界だろう。



 機は熟した。今だ。




 こうして荒松は一気に行動に移した。

 まず目を付けたのが、『この大使館は、その清掃業務の一部を日本の業者に委託している』という事実であった。

 そこで、その担当している会社、担当の社員、アルバイトに至るまでみっちり調べさせた。

 勿論、その間にも定期的に青木の様子を確認させたのは言うまでもない。さらに、これは全くの幸運だったのだが、青木のとらわれていた部屋の監視カメラは一つしかなく、その真下に…死角があったのだ。しかも、このカメラ…映像は撮られているが音声までは録られていないタイプだった。

 これを利用しない手はなかった。潜入した畑野は、換気口ごしに彼と会話することに成功したのである。

 最初に伝えたことは、『今、あなたを助けるために動いている』こと、そして『どうか気を強く持って欲しい』とはげましたことは言うに及ばない。

 次に伝えたのが、その作戦の内容だった。この作戦には、青木本人の協力が必要不可欠だったからだ。


 こうして、2000年7月29日。午前8時2分。


 その作戦は、実行に移されたのである。





 ガタン。

 その部屋にあった、カメラの監視をしていた男がおもわず立ち上がって、叫んだ。

『大変だ……おい!!!!』

 その若い警備員服姿の男は立ち上がり、隣にいた別の男に向かってカメラを指さした。

 見ると、何という事だ。

 着ていた服をぶら下がっていた照明器具へ括り付け、今にも首を吊らんとする上半身裸の男性の姿が映っているではないか。

 映っているそこは4階。となると、あの部屋しかない。

 男は舌打ちすると、すぐさまトランシーバーを手に指示を出した。

 しかし応答がない。

 目の前のモニターには全面に、上半身裸になった青木の背中がぶらり、ぶらりと揺れている。その身体が邪魔をして、入口の様子が確認できない。

 背中に冷たい汗が流れた。一体何が起きている。

 その監視室にいた二人は慌てて、上長の報告へと走った。

 無人となった監視室。

 そこの天井がぱかりと開いて、上から小柄な体躯がまるで蜘蛛のように、逆さまになって降りてきた。

 まどかだった。





 その数分前、現地4階……。

 ガタァン。

 またもや、同じような物音がして、その一室を監視していた別の男は扉を覗き込み……目を疑った。

 青木が、首を吊っているではないか。

 足元には倒れた椅子が転がっている。先ほどの音は、これだったのだ。

 男は慌ててカードキーと指紋で扉の鍵を開け、中へと入って助け出そうとした…その時だった。




 ガチャン。ガチャリ。




 扉と、鍵の閉まる音がした。振り向いた男は…驚愕と恐怖のあまり悲鳴を上げそうになっていた。

 扉の外に、上半身裸になった青木と、清掃員の制服に身を包み帽子を目深にかぶる老人の姿があるではないか。

『待て!!!!』

 男がロシア語で叫び扉へすがったが、もう遅い。

 男の背後にぶら下がっていた青木…そっくりの人形が、まるで風船のように膨れ上がり、やがて、ぶしゅううううううぅ…と、ガスをまき散らし始めたのである。


 その男はものの数秒で意識を失い、その場に昏倒した。





 その風船人形の残骸が、荒松の手元に向かってするりするりと、扉に取り付けられた食事を出すための狭い窓口へと滑り込んでいく。

「…すごい。まるで手品だ。」

 青木が驚いた笑顔で荒松を見た。その顔はひげでもじゃもじゃになっているが、思ったより顔色はよさそうだ。

「大した事やないですよ。さ。時間がない。参りましょう。」

 荒松はそう言うと、回収を終えた残骸を腕にひっかけ立ち上がった。


 二人のそばには、大きな業務用のダストボックスが置かれている。

 青木はその中へと入り、ふたを閉めた。





 そしてそのダストボックスを押して業務用エレベーターへと乗り込み、扉が閉まる直前。

 荒松は見た。

 あの例の一室に向かって慌てふためいて走っていく、数人の警備の男たちの姿を。


 その中の誰一人として、その清掃員とそのダストボックスに目を向ける者は居なかった。





 こうして、青木宏は怪盗黒ウサギによって無事、その身柄を保護されたのである。

4階の一室で彼らがやったトリックの種明かしは、活動報告にて(そんな大したアレではないのですが…)。


こちらをもちまして、黒ウサギ側の実行は全て終了となります。以降は、後日談。大河内製薬、そしてイサークらがどうなっていったかが、当事者たちによって語られていくこととなります。いましばらく、お付き合いください。

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