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第十八章(下)

直接の描写はありませんが、「女性が性的暴行を受けた上死亡」という旨が書かれています。

また、人が殺害される描写が複数あります。


苦手な方は何卒、戻ってください。

 エフィム・ヴゴーロヴィチ・リブニツキ。

 ロシア全土を手中におさめるロシアンマフィア、リブニツキ兄弟…の、兄である。金枝の聞いた情報だと、たしか彼がトップ、弟がナンバー2だ。

 そして今、そのエフィムと話をしてきた…と、確かにこの男は言ったのだ。

 名代というだけのことはある。相当信頼を置かれているようだ。


「事は、去年の一月に起きました…」

 神坂は話しはじめた。




 ロシア、ウラジオストクの郊外に、その屋敷はあった。

 高い塀に、三階建ての洋館。雑木林の付いた庭は手入れが行き届いている。敷地はどのくらいだろうか…相当に広そうだ。

 夜中0時過ぎ。

 降り積もった雪と、氷点下まで冷え込み、静まり返ったその屋敷が突如、慌ただしい雰囲気に包まれた。

 現地の警察。救急車も停まっている。


 やがてその屋敷から、重傷者が一名と、一人の遺体が運び出されていった。




「その重傷者が、リブニツキ家のナンバー2…マクシム・リブニツキ。そして、ご遺体がマリー・ヨハイロヴナ・アルスカヤという女性でした。イサークの、奥様でした。」

「…!!」

 金枝は、冷水をあたまから被ったような心持ちになった。

「二人は裸でベッドに寝ていた状態で発見されました。マクシムは腹を撃たれていて、ベッドは血まみれでした。隣に横たわっていたマリーですが…体内からMDMAと、他にも薬物が検出されまして…。死因はそれらの過剰投与によるものでした…どうやらマクシムは、彼女に無理やり投与させた上で事に及んだようでして…。性的暴行ですよ」

 神坂の言葉に、金枝は深刻な顔で頷いた。

「ご存知かどうか分かりませんが、一般的にマフィアには『血の掟』というものが存在します。

 マフィアと言うと正確にはイタリアのマフィアを指してしまうので、我々は正確には違うのですが、我々の組織にも戒律というものが厳しく定められています。入る際には、『これらのルールに従わなかった場合は、すみやかにその肉体が始末される』旨、一筆欠かされた上、指を切って血判を押させられるのです。

 今回、マクシムはこの戒律のうちの一つ…もっともやってはいけない部類のものに手を出してしまいました。それが、『仲間の妻と関係を持ってはならない』というものでした。」

 しかも現場の状況から見て、無理やりの()()であったことはもう疑いの余地がなかった。マクシムに対する情状の余地は、ほぼ無かったのである。

「マクシムを撃ったのは、イサークでした。エフィムは、この件を責めませんでした。それどころか、この戒律を破った代償として、マクシムをひっそりと殺させたのです。」

 ある日、重体となっていたマクシムは病院で死亡が確認された。

 人工呼吸器が外れていたのだという。

 この件は、事故として処理された。

「実の弟を手にかけたんですか…」

 金枝が言うと、

「我々の戒律の、これが厳しさですよ金枝さん。破った者は、たとえそれが実の弟であってもその手で地獄に落さねばなりません。」

 神坂はきっぱりと言った後、こう続けた。

「しかし、その後エフィムはイサークの殺害も指示しました。正確には、あの四人…。」

「それは、どういうことです?」

「彼らもまた、戒律を破ったからです。」




 あの時イサークは、ベッドでこと切れた妻とマクシムの姿を見るやいなや、マクシムの腹に何発のもの銃弾を撃ち込んだ。

 しかし、それで終わりではなかったのだ。

 あろうことかイサークはその後、家の中を荒らしまわり、そこにあった現金と貴金属数点、さらに口座のカードと通帳を盗んでいったのだ。その額は日本円にして数億円にのぼったという。

 当然、一人の所業ではない。

 当時の部下だった、マルク・ギリャロフスキー、セルゲイ・カシヤノフ、ユーリ・オルロフスキーがこれを手伝っていたのだ。

「この三人は、元々イサークの部下でした。イサーク本人もそうだったようなのですが…彼らも元々、我々の組織としてのやり方に不満を持っていたようです。それが今回の件で爆発して…。」

「イサークらの破った戒律、とはなんやったんです?」

 金枝は当然の疑問を口にした。

「それは、『他人や、他の組織の金に手を出してはならない』です。我々は規律を重んじます。そうでないと、組織として機能しなくなってしまうからです。素行が悪い、倫理道徳にそぐわない行動をする者は、我々リブニツキ一家の構成員にはなれません。」

 自分たちこそ倫理に反した存在なのに何を言うか、と金枝は思ったが、黙っていた。

 ともあれ、こうしてイサークもまた、リブニツキ一家から追われる身となったのだ。マクシムの財産を根こそぎ盗んだ、というとがで。


 ふと、ここまで来て金枝は思い出した。

「今、四人って仰いましたね。ということは、例の日本人が入ってない、ということですね。」

「野村明君ですね。ええ、彼は入っていません。」

 神坂は眼を見開いたが、すぐに細めた。

「それは何故でしょうか。この人も、今回の事に加担してますよね。」

「それはそうなのですが…。理由は主に二つあります。」

 と神坂は言って、「一つは、彼は正式にはうちの組織の者()()()()、ということです。彼はこちらの世界の組織を2つも3つも顧客に持つ、フリーランスの通訳者なのですよ。彼は…語学が本当に堪能でね。あの一件の直前も、引っ張りだこだった。私も惜しかったものだから、何度も傘下に入るよう言ったのですが…『自分はそういう結束には縛られたくない』と言いましてね。なので、他の四人のような、戒律云々というのは適用されません。」

「…なるほど。」

 これは予想外だった。てっきり野村も、組織の人間で、イサークとも同じ思いを持って遁走したものだと思っていたのだ。

「そしてもう一つは…これです。」

 そう言うと神坂は、一枚の紙を出してきて、広げてみせた。

 それは、メモのコピーのようだった。そこには日本語で、こう書かれていた。




『神坂さん


 昨日、マルクに、『この件を手伝わなければ、長野に居るお前の両親をバラバラにする』と脅されました。

 

 両親を巻き込むわけにはいかない。

 

 助けてください』




「先ほども言った通り野村君は、ロシア語のほかにも数か国の言語をあやつれますし、頭も切れる。私とも何度も一緒に仕事をしている仲間でしたし、それに同じ日本人であるということもあり、プライベートでも酒を酌み交わす仲でした…そこで、一方的に人柄に惚れこみましてね。冗談交じりに、『もし君の身に何かあったら、俺たちが何とかしてやるから』と言っていたものでした。

 我々の持つ戒律の一つに、『約束は、果たされなければならない』というものがあります。

 この約束もまた、果たされなければなりません。

 私はエフィムに、このメモと、この戒律を持って直訴しましてね。なんとか彼を制裁から外すことに成功したのですよ。」

 やはり、この人は情に厚い人のようだと金枝は思った。




「…なるほど。話は分かりました。」

 金枝は話を戻すことにした。

「イサーク・イグルノフら四人は現在、リブニツキ一家によって追われる身となっている、ということですね。そして、おそらくですが、彼らはウラジオストクでその事件を起こした直後から行方をくらませていて、現在も分からない…と。そして野村明は彼らに脅され、拉致されている可能性が高い…と。」

「その通りです。奴らはマクシムの自宅でそれを起こした翌日には行方が分からなくなり、連絡も取れなくなりました。そして一年半経った現在いまも、何の情報も得られていないのです。」

 神坂は言った。

「…なるほど。神坂さん。ここからは、重要な事となります…。改めて、そちらの元幹部であったイサークらが日本で行っている所業について、リブニツキ一家として、どうお考えなのかお聞かせ願えますか。」

 神坂はずばりと聞いた。

 神坂はぐっと眉根を寄せた。そして、絞り出すようにして、こう言った。

「…まずは、うちの者がこのようなことをしていた、という事については、深く深くお詫びを申し上げたい。当方は、日本におけるそちらの社会構造や、勢力図を塗り替えようなどとは、微塵も思っておりません。侵略など、もってのほかです。こちらは確かに、密輸ビジネス等で一部の日本の組織と関係を持ってはおりますが、それはあくまでビジネスの関係のみであり、買収等といったことは全く予定しておらぬことです。今回はあくまで、イサークら四人が独断で行っていることであり、我々は無関係であるということは強く、申し上げておきたい。

 私共は現在、イサークら四名のロシア人について、我々の戒律を破った裏切者として行方を追っております。もし潜伏先をご存知なら、是非とも情報をお寄せいただきたい。…このようなところでしょうか。」

「ふむ…。分かりました。」

 金枝は深く頷くと、にっこり笑って、「Aさんにこのまま、お伝えしましょう。何とか、彼にこのテーブルについて貰えるよう、頑張ってはみますが…上手く行かなければ、ご了承ください。」

「ありがとうございます…ありがとう…!!」

 これには、今度は神坂が頭を下げた。そしてがっしりと、握手を交わしたものである。






 後日。

 同じ料亭にて、A…こと例の指の無い男…、名を小野田おのだ隆之たかゆきといった…と、金枝、そしてリブニツキ側からは神坂と、もう一人…ヨセフ・イリイチ・コヴァレフスキーという男が顔を合わせた。

 対話は、ものの30分ほどで終了した。

 小野田の言に、神坂とヨセフは色めき立ったり、顔色を少々悪くさせたりと忙しくしていたようだったが、おおむね平穏にその会談は進んだようである。

 その後、ヨセフと小野田は書面の取り交わしを始めた。

 どうやら、何か誓約書か、契約の書類のようだった。

 取り交わした神坂がこの書面を見ながら、

「まさかこのようなところに奴らが匿われていたとは…盲点でした。」

 と、呆然と言った。

「うちのもんには、貴方がたには指一本触れることは許さん旨言い聞かせましょう…。なに、話の分からん奴らやない。ご安心ください。」

 小野田は満足気に顎を撫で、「この一件…。我々を信用し、お任せいただけるということで。誠に感謝申し上げたい。こちらも煮え湯を散々、飲まされとるんです。このままではとても、おさまりが付きませんでね…。では、あとは手筈通りに。」

「かしこまりました。」


 小野田とヨセフはこうして、ここでもしっかりと握手を交わしたものである。


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