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第十六章(下)

 気が付くと、もう七月も後半を迎えていた。

 この頃になると、神戸はもう絶賛炎天下である。大阪湾から湿った海風はやってくるし、夜もほぼ毎晩熱帯夜となる…この頃の神戸はなかなかに過ごしづらい季節である。

 そんな中……。

 この日になってようやく、黒ウサギ本部の第四班の詰所に、第四班メンバー全員…そして今回助力してくれている第二班の三人が顔を合わせた。

「おぉ……」「セーラー服や…」「えぇなぁ…」

 今日も制服姿のまどかに、何故か恵と雪乃がオッサンみたいに鼻の下を伸ばしている。

「…二人とも、どこぞのチカンみたいな顔になってるで。」

 まどかがドン引いている。

 実はこの三人、同い年だ。

「うらやましいねんて。うちら、通信制の高校やもん。ちゃんとした制服は無いから。」

「あぁ、そうか…。でも時間の融通効くやん?ボク、今日もあんま動けんかった…おっ。」

 三人がそんな雑談を交わしていると、となりに座っていた入谷がまどかの肩をちょいちょいと叩いた。

 荒松と、上層部の金枝が入ってきたのだ。

 今日、この一室はいつもとレイアウトが異なっている。

 扉の隣には真っ白なホワイトボード。ごつごつした岩肌の壁と、全く似合っていない。そしてその向かいの壁側にはいつものソファと、二班のメンバー用の臨時の椅子が横一列になって、配置されていた。

 そこへ入谷がおもむろに立ち上がった。彼も説明に加わるようだ。

 入谷が荒松の傍らに行くのを見て、荒松が口を開いた。

みな。まずは今日までよく、無事でやってきてくれた。班長として、御礼申し上げたい。

 今回の一件は知っての通り、まどかが例の事件、そしてその後大河内の雇った探偵による尾行に巻き込まれたことが発端やった。

 当初、わしらはこの尾行、監視からの解放までで、この一件からは手を引こうと考えておった。何せ、調べれば調べるほど、不気味な事実がウジ虫のように出てくる。例の放火事件はうやむやに処理されておるし、菅原隆義氏の自宅近くに住んでおった老人も、事故に見せかけて殺されておった。さらに研究室の者は全員、行方不明…。

 まぁしかし、まどかの周りにある危険分子はなるべく排除した方がええやろう…と、これは理事長をはじめとする上層部の意見やった。せめて、やっこさんの姿がおぼろげにでも分かっておかんと、いざという時どうにもならん。それで、もう少し調べていこうと、こういう方針になった。それが…」

「6月の頭ですね。」

 入谷が口を挟んだ。

「そうやな。ところが、そうも言ってられん事態がここで発生した。」

 荒松は言った。恵と雪乃は顔を見合わせた…どうやらここから、知らない話があるらしい。

「6月半ば、ここにおる将史とまどかが北海道へ、菅原研究室の配下におった富樫という男に会いに行ったということは知っておると思うが、実はその帰り釧路に寄って、あの黒水仙の発見者である市村光の親御さんにも会いに行ってもろうたのや。」

「えっ。そうなん?」

 恵がまどかを見た。

「うん。」

 まどかはこっくりと頷いた。

「そうしたら、まあ知っての通り儂と将史は表向き探偵業をやっておって、この時もその身分でお会いしたんやが…、その数日後に親御さんから正式に調査依頼が来たのやわ。内容は、『行方不明となっている市村光の所在調査』…いわゆる、人探し依頼や」

「…!!」

 畑野は目を見開いた。

「もう藁をもすがる思いやったんやろうと思う。上層部の方々にも相談した結果…、この依頼は途中放棄等はせず、誠意を持ってしっかり調べて行こうということになった。何故なら儂ら黒ウサギは、『弱きものは助け、強き者からかすめる』…この結社理念があったからや。」


 こうして、第四班のターゲットがここに決定したのだ。


 ターゲットは男性、一名。氏名、市村光。こうなったということだ。

「しかも、依頼はここで終わらなんだ。さらに市村さんの親御さん経由で連絡が回ったようで、残る三名の学生のご親族からも立て続けに依頼が来て、契約となったんやわ。」

 これで、ターゲットが一気に四人の人間に増えたのだ。

「これで、金銭の授受も発生したことからも、調査は続行となったんじゃわ。」

 四人分の人探し依頼である。おそらく額は相当だったに違いない。一人下手すると100万?少なくとも50万は下らない…となると最低でも200万…。畑野はこすい皮算用をしていた。

 とはいえ、第二班のような宝石の盗品ではないから、額はまあ…二班のそれに比べれば桁が二つくらい違う。勿論、四班の方が下だ。しかし今回はそういう事では無いのだろう。黒ウサギの基本理念に基づいて、彼らは行動したのだ。

(やはり、本格派やわこの班は…)

 畑野は内心、うなっていた。

「それで、まぁこれはもう人が足りんと。こうなっての。それで和宏達に来てもろうた、とこういうワケじゃわ。ここまでは大丈夫かの?」

 荒松が恵と雪乃を見ると、二人はそれぞれに、「大丈夫です。」「了解っす。」と返事をした。

「よし。…それで、あとは皆もよう、その体で体感した事やと思う。

 難病の特効薬となるはずやった黒水仙は、脱法ドラッグ及びアスリートへのドーピング剤として悪用されようとしておる。

 そしてそれを主導でやっておるのが、ロシアンマフィアのイサーク・イグルノフら五名と、関東でくすぶっておった半グレ、柳枝会の奴らやな。奴らは今、大河内製薬を乗っ取ってしまっておる。しかも会長、社長共に奴らに軟禁監禁されてしまっておる始末じゃ。唯一幸いやったのは、今回依頼いただいておった菅原研究室配下の学生四名の無事と所在が分かったことくらいかの…。

 そして皆。今日集まってもらったのは他でも無い。実は今回、さらにもう一件依頼をもろうたのじゃ。」

 ここまで言われると、雪乃もなんとなく想像がついた。

「先日、儂とまどかは大河内製薬副社長、遠藤正一氏との接触に成功した。正直、彼の周りの監視の目はかなり厳しいものやったが、奈良への襲撃があって少々手薄になったおかげで、何とかこぎつけての。」

 荒松はここで少し言葉を切り、「会長社長があの状態の今、大河内製薬の本来のトップは、彼やでな。それで、思い切ってここまでの経緯を素直にお話させてもろうたのや。それで…あとは、お察しの通りとなった。」

 つまり、遠藤副社長もまた、藁をもすがる勢いで荒松に助けを求めてきたのだ。『会長ご夫妻と、社長を救出して欲しい』と。

 ここで入谷は、一枚の紙を全員に配った。見ると、それは遠藤からの依頼を受理した旨の文言と、その依頼の内容が詳細に書かれていた。

「皆。それでは今回のターゲットを伝える。各員、これの成功に向かい動いて貰いたい。

 目標、男女三名。氏名、大河内清偵、政子ご夫妻、そして社長の青木宏。

 今回は、この三名の身柄の保護をもって任務完了とする。

 依頼人、大河内製薬副社長、遠藤正人以下、取締役十名。

 成功報酬、三名合わせて6800万円。すでに前金として、半額を入金いただいておる。」

 雪乃の目がひんむかれたようになった。

「…ゆきのん。ただでさえでかい目ん玉、落ちそうになってんで。」

 恵が固まる雪乃を揺すっている。

「これには、イサークらによる会社上層部乗っ取りの解消も含まれておる…。正直この額はまぁ…安過ぎるんやが…まぁ、別の所からの回収も見込めるでな。頷くことにしたんやわ。」

 そう言うと、荒松はチラリと金枝を見た。

 金枝はにっこりと笑った。

(…まだ、何か情報が出てくるんやわ…)

 と、恵は思った。

「皆。」

「!」

 荒松の声が急に引き締まったので全員が注目した。

「これは厳しい戦いになる。長引かせてはならん。全員、無事で成功させるぞ。頼む。」

 こう言って、荒松はごま塩頭を深々と下げたものである。




 その後、夕方に始まったその話し合いは数時間に及んだ。






 まどかが疲れた身体を起こしてその車を降り、帰宅すると、義母の北島真綾が心配げに玄関にやってきた。

「ただいま。」

「おかえり。連絡もろてたよ。清ちゃんも人使い荒いことやわ…。お風呂入る?」

「ん-ん。ご飯食べたい。」

「分かった。」

 真綾はまどかのおかっぱ頭を撫でると、ダイニングへと向かっていった。

 リビングに行くと、テレビがついていた。

 そこに映っていたものを見て…、まどかの顔が張り付いたように固まった。


 それは、国際大会の表彰式の様子だった。

 どうやら、陸上競技のようだ。

 その、表彰台に立っていたのは…。






 全員、ロシアの選手だった。

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