第十七章
2000年7月25日、火曜日。
この日の大阪は、雨であった。
とはいえ、この前畑野が潜入した時とは違い、細かい雨が降ったりやんだりしている。
この日、そんな雨煙の中、数台の車がとある邸宅の前に横付けされた。
中から現れたのは数人の男女。
彼らは迷わずその邸宅に向かい、その内の一人がインターホンを押した。そして、その受話器を取った者…それは男性の声だった…に向かい、こう言った。
「警察です。お宅に捜査令状が出てますからここを開けてもらえますか。開けへんとここを強制的にこじ開けますよ。」
丁寧ではあるが、有無を言わせぬ口調であった。
その邸宅の中から一瞬、何か騒いだような声がした。が、すぐにそれも止み、中に居た者が鍵を開けた…その時だった。
裏の方から怒号と悲鳴と、何かがひっくり返されたような、ものすごい音がした。どうやらそこに勝手口があったらしいが、そこにも捜査員が張っていたようだ。
凄まじい形相で抵抗していたのは、どうやらここで家政婦をしていたらしき50代くらいの女であった。何か叫びまわっては、捕えようとする捜査員から逃げようとしている…しかしそれも無駄なあがきであった。数人がかりで取り押さえられたその女の両手に、手錠がかけられる。あっという間の出来事だった。
その女を冷ややかな目で見下ろした捜査員の男が、一枚のペラ紙に書かれていた内容を読み上げた。
「『被疑者、石川直子。昭和23年2月9日生まれ。罪名、殺人。』な。この通り、アンタに逮捕令状出とるからな。おまけに業務執行妨害の現行犯や」
女は髪をふり乱し、今にも射殺さんばかりの形相で男を睨みつけていた。が、当然ながら男の表情は全く変わらず、腕時計を見、こう言い渡したものである。
「9時27分。執行。逮捕。」
こうして女…石川直子という、その女はあっけなく、文字通り引っ立てられて行ったのである。
その後、すぐにこの邸宅に家宅捜索が入った。
被疑者に対する、犯人蔵匿事件…つまり、石川直子という殺人犯を匿っているという容疑が、この家とここに居住する者にかかっていたのである。当然、これも令状を取ってあった。
しかし、踏み込んだ捜査員達はすぐに、内部の異変に気が付いた。
この時、邸宅に居たのは男が四人。そして先ほど逮捕した石川直子。計五人。
家主である、大河内清偵の姿がどこにも見当たらない。
「私共は留守居を頼まれただけです。昨日から居るだけでして。あの女性の事もよう知らんのですわ」
男の一人はぬけぬけとそう言ったが、それが嘘であることは捜査員にはお見通しであった。
この五人。少なくともタレ込みがあった一週間前にはここに住んでいる。しかも、この男四人は昼夜問わず屋敷の外を歩き回り、周囲を警戒していた…どう見てもただ事では無かった。
先ほど、石川直子に逮捕令状を突きつけていた捜査員の男が、そんな男らの態度を鼻で笑った。そして別の捜査員に何か耳打ちした。
こうして30分後……。
捜査員たちは、地下にしつらえてあった納戸に押し込められていた大河内夫妻を発見したのである。
二人とも衰弱が酷くとても話の聞ける状態では無かったことから、捜査員はすぐに救急を呼んだ…二人の身柄は一旦、天王寺にある警察病院へと搬送されたのである。
続けて捜査員らは、その場に居た男四人を『この夫婦に対する監禁容疑』として、任意で(と言いながらほぼ車に押し込めるようにして)署へと連れ去って行った。
先ほども申し上げたがこの間、わづか30分。
あっという間の出来事であった。
こうして、荒松のミッションの一つ目。『大河内清偵氏、及び妻政子氏の保護』は、あっけなく成功と相成ったのである。
「あの女、屋敷から一歩も出ないで、周囲に目を光らせて男らを顎で使いよるんです。」
「気配には凄い敏感でした。潜り込んでる時も、何度か気取られそうになった。」
「そういえば、いつも手袋付けてました。水仕事の時ゴム手袋なんは分かるんやけど、普段も布製の白いやつ付けてるんです。」
今回突破口となったのは、雪乃のこの証言であった。
荒松はすぐに気が付いた。
(あの家政婦の女…指名手配でもされとるんやないか…。)
これである。
荒松はさっそく、淡路島にいる調査班主任、田中直人にたのんで、警視庁のデータベースに入り込んで全国の指名手配の写真と身体特徴から、あの女と一致するものを抜き出してもらった。
田中直人という男は、ハッカーである。いとも簡単にそれをやってのけた。
あとは雪乃を淡路にある調査班本部に行かせ、抜き出された指名手配の写真を見てもらった。
数が非常に多く、作業は非常に難航したものの……やがて雪乃は、一枚の写真を指さした。
「この女です。」
それは、1980年代に千葉で発生した、とある殺人事件の指名手配写真だったのである。
あとはお察しの通りである。
荒松は最後の潜入として、雪乃へこの女の写真を撮ってくるように指示。雪乃はどうにかそれをやってのけ、荒松はそれを封筒に入れて大阪府警に送り付けたのである。




