第十四章
まだ、7月上旬のおはなしです。
さて……。
荒松とまどかが高知にいたその頃、第二班の畑野と雪乃は大河内製薬への内偵調査を開始していた。
「……。」
ショックのあまり声が出ない。
二人とも、愕然としていた。
大阪府は豊中にある大河内製薬本社は、予想よりはるかに酷い状況に陥っていたのである。
まず入ってみて驚いた。
社長の青木の姿が見当たらないのだ。代わりに、金髪蒼目の男が、椅子にふんぞり返っている。
畑野は、その会話に耳をすませた…内容は分からないが(日本語ではなかったため)…これはおそらく、ロシア語だ。傍らに控えている、これは日本人らしき男に指示を飛ばしている。
社長宛の電話は、『現在青木は病気療養中である』ことにして、ほぼ全てシャットアウトしているようだった。
そしてその指示が飛ぶと……。
(始まった…)
とある課の社員…これがまた、全然温厚そうな、バーコード頭の中年男なのだ…が、にこにことしながら、これまたとある社員の席に向かう。
通るたびに、その近くに座っている社員がおどおどと身をすくませる。
そのとある社員…その日は若い男性社員だったのだが…の後ろにその中年男が立つと、
「ひッ…!!!」「ゆるしてください!!!」「僕は何もしてない!!なにも!!!」「だれか助けて!!!!!!」
誰も助けない。
逃げ出そうとしても、すぐその中年男か、いつの間に控えていたのか、別の社員風の男たち(とはいえ、畑野の目にはその男たちがカタギの人間ではないことは一目瞭然だった)があっという間に取り押さえ、そのまま会議室へと引きずり込まれていく。
その後はもう、筆舌に尽くせぬ、殴る蹴るの暴力を受けるのだ。私刑である。
(くそっ…)
手が出せない。畑野は歯噛みした。
どうもその若い男性社員は、この本社の現状を何者かに逐電し、助けを求めようとしていたところをバレてしまったためにこのような目に遭ったようなのだ。
十分後…。
その社員はボロボロになって放り投げられた。
他の社員は恐怖に顔を引きつらせながらも、何も出来ない。下手に手を出せば同じ目に遭うのだ。しかし、その中年男たちが部屋から居なくなった途端に…、
「大丈夫ですか!」「なんてこと…」「早く医務室へ…」「いつかほころびは出る…病院だ。病院行って診断書だ…!」「でも私たち、私生活も全部監視されてるわ…どうしたら…」
わっと集まり、手当をされていた。
こんな光景が、数日にいっぺん繰り広げられるのだ。まるで血祭りである。
一方、大河内製薬の会長、大河内清偵のの身辺も、大変なことになっていた。
こちらは雪乃がやっている。
実は、彼女は潜入を得意としている。その実力は"入れない建物は無い""彼女の手にかかれば総理大臣官邸でも入り込める"と評され、その動きはまるで、"第四班班長、荒松清の若い頃を見ているようだ"とも称されていた。
その雪乃だが……。
その広い屋敷に入り込んでみて驚いた。
大河内清偵は、家族(妻)もろとも自宅に軟禁されていたのである。
二人共、やつれて酷いありさまだった。
屋敷には、妻の他に家政婦が一名と、使用人が一名、住み込みで働いているのだが、どうもこの二人共、例の乗っ取り外国人と内通しているようだ。そして、その他に軟禁の見張りなのだろう、雪乃の素人目にもそれとわかる、カタギじゃないずんぐりむっくりな屈強な男が二人。ずっと、会長夫婦の行動を監視している。
当然、自宅の電話は本人は取れない。郵便物も、その二人の手によって開封され、チェックされてしまっている。
(一体いつからこんな事に…?)
雪乃は頭をめぐらせていた。
たしか、北島さんも同席して、例のぶっ倒れた演技したパーティーが4月の末だ。あの頃はまだ、秘書らしき男もいて、ちゃんと会長に仕えている感じの初老の人だったはずだ。雪乃はオジサン好きなのであの品の良い、苦みの効いたあの秘書のことをよおうく覚えていたのである。失礼、話がそれた…とにかく、こんな厳しい監視を受けていたとはとても思えない。
この二か月の間に、何か色々とあって、この状況となっているのだろう。
(それよりも…)
ひとまずは、取れる情報を盗るしかない。
ここで、雪乃は思い切った行動を取った。
その家政婦の女…その女は、どこにでもいそうな、白髪の混じった小太りの50代くらいの女性だった…は、その電話を切ると、部屋を出、トイレへと向かった。
そこは、使用人が使っている一部屋のようだった。
雪乃は天井裏から、その電話の一部始終を聞いていた。
そして、女が部屋から出て行った途端、その天井裏からひらりと降り立った。
目の前にその携帯電話がある。
雪乃は迷わず、そのガラケーを手に取り、発信履歴を表示させた。
と、その時だった。
扉がガチャリと開いた。
女がさっと部屋に入り、辺りを見回す。そこには…。
誰も、いなかった。
「その女家政婦も使用人も、カタギやないな。」
畑野はこう断言した。
「…あと一秒やった。」
雪乃の目も鋭い。
「…ふむ。」
二人の報告を聞いて、荒松はようやく合点がいった。
先日黒ウサギのトップ、河上理事長に頼んでいたものの守備が全くもって芳しくなかったのである。
頼んでいたものの内容は、『そちらのコネを使って、大河内清偵氏と直接お話する機会をセッティングして欲しい』というものだった。何せ河上利之は、表向きは河上商事という、中小企業とはいえ貿易業を営む会社の理事長でもある。社交界上の顔も広い。清偵とも面識はある。ところがそれが、どうも雲行きがおかしいというのだ。
「全く連絡が取れんのじゃよ」
その声に雪乃ははっと息を飲んだ。そして、座っていたソファから飛びのいた。
(いつから居た…!!)
あっという間に、雪乃の背中に冷や汗がどっとふき出してきた。
いつの間にか、河上がちょこんと雪乃の隣のソファに座り、お茶をすすっていたのである。
「理事長。うちのをあまりからわんといて下さい。」
畑野が正面で呆れている。
「こいつもまだまだじゃのう~。」
河上は白髪頭を揺らし、ふおふおと笑った。
(くっ…)
いけすかんジジイや。と思ったが、気を取り直し…、「大変失礼いたしました。理事長、おとなりよろしいですか。」と許可を求めた。
「おうおう勿論。構わんよ。」
河上は鷹揚に、席を進めた。
雪乃がふたたび座ると、河上はそれをにこにこと目を細めて見ていたが、おもむろに口を開いた。
「二人の報告の裏付けになるがの…。
ここのところ、社長の青木君も、会長の清偵氏も、なじみの場には全く姿を見せておらんそうじゃ。つい数日前にも、そっちの顔が集まるパーティーに出てきたんじゃがの、ここ二か月、姿を見ておらんと言うておった。特に、近しい者から話を聞くと、まあ同じ(回答)じゃわな。本社の社長室に電話しても、秘書と名乗る知らない男性が出て、『不在です』ときて、次には『青木は体調を崩して休んでおります。メールもご遠慮下さい』とこうらしいんじゃわ…。皆、心配しておったし、一部からは『何か事件に巻き込まれておるんではないか』といぶかしむ声も多く聞いた。社長、会長両方同じタイミングで連絡が取れぬのだもの。当然じゃろ。」
どうやら、上流階級層では、ずいぶんと噂が噂を呼んでいるらしい。
「和宏。雪乃。いま一度聞くが、大河内製薬は今、どこまで奴らに乗っ取られておる。」
荒松が二人を見る。
「総合しますと、社長室のみ…と見られます。会長はご家族…今奥様しかおられないのですが…もろとも、自宅に軟禁。社長は行方が分かりません…調べていますが、分かってません。取締役とその部下が総勢20名強居るのですが、彼らはそれぞれに監視の目があります。秘書が、内通している模様です。元々いた秘書たち全員のクビを切って、奴らの手の者にすげ替えたのでしょう」
畑野は言った。
「…外の人間は、この事態を分かっておらんのか。」
「残念ながら。内の人間が外の人間と会おうものなら、もれなくその例の秘書がついてきます。何か妙なふるまいをしようものなら即刻、制裁ですよこの前みたいに」
「菅原研究室と合同研究しておった部署はどうだ」
「あぁ…申し訳ないです、そこまではまだ。というか、俺も今初めて聞きましたもんその"吉川"という名前。」
それはそうだ。まだ内偵に入って一週間である。大河内製薬はひろい。そこまで手が回っていないのだ。
…しかし。
この数日で荒松の手元に入った情報は、かなりのものとなった。
黒水仙の真相。あの放火殺人をはじめとする、一連の事件の真相。そして、大河内製薬本社のおかれている現状。雪乃の盗ってきた、一味の携帯電話番号もある。これは後々、大きな手掛かりとなるだろう。
(イサーク、か…)
――今年1月から、大河内製薬本社は、イサークと名乗る男数名からアリシアの一件をダシに恐喝を受けており、現在も会社内に何十人もの内通者を潜り込ませて、社内は常に監視の目が光っている。
やはり、どこぞの国のマフィアだ。間違いない。倫理観の無いそのやり口からして、いかにもそれだ。
そしてこの数日後、塚本恵が持ってきた例の文書によって、この荒松のカンが正しかったことが証明されていくこととなる。




