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第九章

損壊されたご遺体に関する記述があります。苦手な方は、戻ってください。

 時は、数日前にさかのぼる。

 第四班班長、荒松清は全くの別方面から調べを進めていた。

 …以前から、気になっていた事があったのである。

 例の捜査資料の中で、見てしまうとあまりにショックが大きかろうとまどかに見せていない物があった。

 それが今、荒松の目の前にある。…菅原隆義、清子ご夫妻の、遺体の写真である。

 資料では、『夫妻ともに、死因は首を圧迫されたことによる窒息死』とある。それも、素手。二人の遺体の首にも、その痕がくっきりと残っている。

 そして、その下半身は無残にも焼け焦げていた。




(…ずさんすぎる)

 これだった。

 火を放って証拠を隠滅したかったのだろうが、あの辺りは住宅が密集している。町内会の結束も固い。古参の住人によるネットワークがしっかりしているのだ。

 結果、おそらくだが犯人の予想よりはるかに早く消防が到着。おまけに中途半端に眠らせた娘は助け出され、これまたおそらくだが犯人自身も目撃をされてしまっている。

 犯人は相当、あせってやった仕事だったことは確かだ、と荒松はおもった。ろくに下調べもせず、やらねばならなかったのだろう。

 ここで大河内である。

やっこさんは、そんなに焦っておったのだろうか…)

 まどかの周辺には一か月にもわたって監視の目を光らせておいて。

 どうにも、首をひねらざるをえないのである。

 と、考えにふけっていた、その時だった。

「待たしたな」

 低いだみ声に顔を上げると、黒い外套とハットに身を包んだ、荒松と同年くらいの大柄な男が、隣からその傷跡だらけの顔を覗き込ませていた。

「おう。」

 ―待ち人来る。荒松はこころよく返事をした。




 その後、その小指と薬指が切り落とされたその男から聞き取ったところによると――。

 やはり、男の所属する"組"でも、例の放火事件と和田岬で発見された近藤勲の溺死について、把握していた。

 むしろ、一部については警察より詳しく調べている所もあった。

「あれは二つとも、わしらのシマの中じゃけん。よそ者が事件起こしたんじゃあ、動くんは当然よ。」

 男は事もなげに言った。

 よそ者。

 つまり、あの二つの事件は、この男の居る組の人間が殺ったのでは無い、ということを意味する。

「…で、目星は付いとるんか。」

「それが全然やわ。目撃者もおらんし…。サツが手ぇ引いてるんも不可解やし。なんでも、上から圧されたみたいやけど。

 殺った奴は、素人はだしなのは確かやわ。で、よそもん。下手すると、日本人やないんと違うか。」

「…というと?」

「和田岬で浮かんどったじいさん。あのじいさん、下戸やったにもかかわらず体内から高い濃度のアルコールが検出されとってな。おそらく無理やり飲ませた上にどこぞで海に突き落としたんやろけど…胃の中は海水であかんかったんやが、血中のアルコールから察するに、あのじいさんは50度近い度数の酒を一瓶近く、飲まされたんやないかっちゅうことやった。」

 それは尋常な量ではない。自身から能動的に飲んだものではないのは明らかではないか。

「…こんな殺り方、まぁ…理論的には出来ることやろうけど、ちょっと一般的では無いわ。拷問のにおいもぷんぷんする」

 それはその通りだろう。

「お前も、これを追うとるんか…あぁ。そうか、まどかちゃんが巻き込まれよったな。」

「そうや。…で、お前のシマやし、何か知っとらんかと思うてな。」

 荒松は素直に認めた。


 ここは素直にしておかないと、後で物理的に痛い目をみることになることを、よく知っていたからである。




 日本人やないんと違うか―

 荒松の耳に、この一言が何とはなしにこびり付いた。

 あの男の勘は、鋭い。この事を、荒松は身をもって知っている。

 そして、あの後男が言い放ったもう一つが、これもまた荒松の耳から離れなくなっていた。




『殺った奴は、見せしめのために殺ったんと違うか』




 そう。それなら、うなずけるのだ。

 殺し方自体には無駄が無いのに、どこかずさん。

 殺し方自体には容赦が無いのに、取りこぼし方がまるで素人。

 その"ずさんさ""取りこぼし"が、わざとだとしたら…?何者かに見せつけるためにそうしていたとしたら。

 どうも、しっくりくるように荒松は感じるのだ。

 まあ、しかしなんにせよ……。

 大河内は、素人の殺し屋を掴まされた可能性がある。

 そしてそれは、当初アタリを付けていた、某会系暴力団ではないことが、今日分かった。

 これだけでも、結構な収穫だ。






 明くる日。

 荒松は、また別の男と会っていた。

 今度は、裏の人間ではない。

 歳は、荒松より十は若いだろうか。

「やぁやぁ…!何年ぶりですか、お元気そうで何よりです。さぁどうぞ、こちらへ…!」

 男はツヤツヤした額(…後退した、とも言う)を振り振り、小太りな身体を揺らして、朗らかな笑顔を荒松に向けた。

 昨晩の男とはえらい違いだ。こんな笑顔は、奴には出来ないだろう。

 荒松は眩し気に、目を細めた。




 きっかけは、本当にただの偶然だった。

 菅原隆義の著書、論文を流し見ていたら、たまたま、編集スタッフの中にこの男の名前があったのである。

 そして、荒松とこの男とはかつて、たまたま行きつけだったバーが同じで意気投合した、飲み友達という間柄だった。

 知り合ったのは、十年ほど前である。

 その後数年、付き合いがあったのだが、男の方が本社のある東京に異動となったため、そのまま疎遠となっていたのだ。

 聞くと、二年ほど前から菅原隆義教授の著書の編集担当となったため、関西へ戻ってきていたのだという。

「えぇ。菅原先生はかなりのやり手でいらっしゃいましたよ。企業との合同研究とか、提携を何社も取ってきてらして、かなり羽振りは良かったんではないでしょうか。

 あの方のご専門は遺伝子組み換えだったのですが…もう何というんでしょうか、あぁいう方っていらっしゃるもんですね。まるで魔法のように、数年…、いや、年に一度くらいで狙った通りの、新種の植物を生み出されてまして、正に"遺伝子組み換えの申し子"のような方でした。曲がったことは大嫌いで、正義感は強い方だったのではないかと思います。」

 男の言葉に、荒松は頷いた。まどかが言っていた隆義の姿と、ほぼほぼ一致する。

「えぇ、僕たちもあの事件はショックでした。もう少しで、書きあがっていた著書が出来上がるところでしたし…。僕はましてや担当していたものですから。…え。心中?そんな。プライベートの事は分かりかねますけれども、ちょっとありえないんじゃないですか?亡くなる数日前にも研究室にお伺いしてましたけれども、はつらつとしたもんでしたよ。変わった様子はありませんでした。…ってこれ、こういう事件が起きると大抵言われる言葉ですね。」

 男はそう言ってしばらく思案していたが、すぐに顔をぱっと上げ、「いや、でもおかしいですね。そんな、ご家族を巻き込んでそのようなことをする人が、あんな精力的に本を出したり、企業と話をつけたりしないですよ。だって、本来なら先月の今頃、著書の出版記念で催しをやる予定だったんですよ。先生も凄く、楽しみにしてらしたのに。」

「…貴方も、そう見ますか…。依頼人も、そうおっしゃっておりました」

 荒松、この男には"探偵"という能書きで相対あいたいしている。

「…うん。」

 男は意を決したように頷くと、「中村さん。(※荒松の偽名である)ここはいかがでしょう。うちの本社に、週刊誌の記者がいます。そいつに嗅ぎまわってもらう、というのは…」

「いやしかし…。」

 これは予想外の球が返ってきた。荒松は渋面を作って、「こちらも依頼を受けて動いております。そのような事をされれば、こちらの沽券に関わる。困りますぞ。」

「えぇ、勿論その依頼人の…北島さんとおっしゃいましたか。に、お伺いを立ててからでかまいません。それまでは僕も他言はいたしませんし。あぁでもそうだな…、では僕が直接お伺いして、ご相談という形を取らせてはいただけませんか。中村さんや、ご家族にも同席いただいて。」

 男の目が爛々(らんらん)と輝いている。

 荒松は閉口した。

(こりゃ、わしはとんだ夏の虫になってしもうたようじゃわい)

 これである。

「それに、これは北島さんや中村さんにもメリットのある話だと思いますよ。

 我々のネットワークは広大で、多岐にわたります。それこそ政財界の懐から、殺人犯のポケットの中まで我々は入り込めるのです。中村さん。先ほどからお話伺ってますとね。これはにおうのですよ。霞が関の臭いはぷんぷんするし、黒社会の血生臭さもすえて臭ってくる。

 そちらは現状、2~3名といったところでしょう?駄目だ。もっとコネのある人を割いて、探っていかないと。それこそ、今度こそ命を持って行かれかねない。」

 まあ実際割かれているのはその3倍近い人数なのだが。

 さすがにそこまでは読み切れていなかったらしい。それにしても、小さく見られたものだ。荒松は心の中で失笑した。

 しかし、この男の言うことも一理ある。

 黒ウサギは、国外の政財界の人間とは強いコネクションがあるが、日本の中となるとほとんど無いのだ。理由はいたってシンプルだ…金の規模が違い過ぎる。端的に言うと、日本のそれは小さすぎて、我々からすると相手にしていられないのだ。

 ただこれが正直、今回の件で調べが上手くいっていない一因なのは事実だ…完全に手探りなのである。

「…うむ。分かりました。」

 ややあって荒松は、「そこまでおっしゃるのであれば一度、依頼人に聞いてみましょう。ただし、そこで無理と言われればあきらめていただく。宜しいですな」

 その言質げんちに男はようやく眼の色を消し、にっこり頷いたものである。






 そしてそのまた数日後―。

 京都府内のとあるアパートの一室に、荒松の姿はあった。

 ここは菅原隆義教授の配下にいた、当時博士一年の、市村光の部屋だった。

 本棚に所狭しと並べられた専門書。ノート。音楽好きだったのだろう、ロックのCDもずらっと並んでいる。

 この部屋は、家族の意向で、当時の状態のままとしているそうだ。

 しかし、今日この時まで一度も、市村は戻ってきていない。




 机の引き出しを少し漁ってみたが、手がかりになるような物は見つからなかった。

 元通りにして、改めてあたりを見回す。

 結構な物の多さだった。

 7年も住んでいたためか、どうも断捨離もせず、ため込んだようだった。

 この本棚の中を調べるだけでも、かなりの人数を要しそうだ。

(駒が足りんわ…)

 人手が足りない。市村光の他にも、調べねばならない部屋があと4つはあるのだ。荒松は早急に上層部にかけあう必要を感じた。

(こら、出直すか…)

 荒松が立ち上がった、その時だった。

 ふと本棚に、一枚の写真立てが目に入った。

 それは、何の変哲もない、百均ショップで売られているような白いフレームの写真立てだった…が、荒松が気になったのはその中身だった。

 明らかに、その写真が百均の写真立てを買った際デフォルトで入っていたであろう物であったからである。そんなものをなぜわざわざ飾っているのか……。

 荒松は迷わず、その写真立てを手に取った。そして裏側のつまみを回し、フタを開けた。

 すると――。

(―…!)

 やはり。

 そこには、表紙になっていたものの他に、もう一枚写真が隠されていたのである。

 荒松の手袋を付けた真っ黒な手が、その写真を取った。

 そこに写っていたのは一人の女性だった。

 どうやら陸上競技の選手のようだった。後ろに、陸上のトラックも写り込んでいる。

 そしてその胸元にあるロゴを見て…荒松の口元が歪んだ。

 それは、大河内製薬のロゴだったのである。




 その夜。

 写真を持ち帰った荒松は一人、思案していた。

 今、入谷とまどかは、菅原研究室で唯一消息を掴めた人物――富樫雅也元助教の元に行っている。

 ひょっとしたら、菅原と大河内の関係も、すでに何かしら出てきているかもしれない。

 何せこの写真も、市村の部屋から出てきたのだ。

 "菅原隆義は、自身の研究で大河内製薬とトラブルになり、消された"という線が、ここでまた一つ濃くなったように荒松は感じた。

 さいわい、先ほど上層部にかけあったところ、あと十日ほどで実行犯第二班の三人がこちらに合流して手伝ってもらえることになった。うち二人はまどかと同い年だが、まどか同様あの二人もただの高校生ではない。はたらきに期待したいところである。

 これで、三方向に別れて動くことが可能になる。

 あの写真の人物の特定。

 いまだ行方の分からない菅原研究室の四名の捜索。

 そして大河内製薬…とくに、会長の大河内清偵に対する内偵調査。

 これは大きい。

 ようやく、見えてきた―。

 荒松はすくっと立ち上がった。


 黒い海風が、荒松のゴマ塩頭をなでて行く。


 そこは、先日まどか達が演技を繰り広げ、大河内の会長を翻弄したあの、ホテルオークラ。…の、屋上だった。

 ポートタワーの赤と海洋博物館の白のコントラストが闇夜に浮かび、美しい。そして対岸にはMOSAICと、観覧車が煌々と光っている。

 見慣れているはずだが、やはり美しかった。

 荒松は目を細めた。そして、手すりを乗り越え、ためらいなくその身を地上100mの上空へと躍らせた。

 誰かが見ていたら、思わず悲鳴を上げただろう。そして、下を覗き込んだ者もいたに違いない。そして―…狐につままれたように、呆然と立ち尽くした事だろう。

 荒松の姿は、地面に叩きつけられてなどいなかった。

 辺りを見回しても、どこにも見当たらない。

 荒松の小柄な身体はまるで、闇夜にかき消されたかのようにこつ然と、その姿を消してしまっていたのである。



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